【完結】俺の好きな人は誰にでも優しい。

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怒りと嫉妬と葛藤と

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 俺がどうにか上手く取り繕えたからなのか、それともヒューゴが寝不足と空腹で思考が鈍っていたからなのか、理由は分からない。
 少なくとも、彼がこちらを怪訝そうな顔で見つめてくることはなかった。

「でも……ヒューゴが小屋の場所すら知らないってことは、犯人に繋がりそうな情報は何も持っていないってことだよね…」
「持ってたらとっくに言ってるっつーの。冤罪をかけられる意味も分かんねぇし。毒だっていつどこでどうやって入手出来んだよ。ベラドンナなんて、本の中でしか見たことねーよ」
「え……?ベラドンナ?」

 ヒューゴからもたらされた情報に、俺の血の気がするりと引いた。
 今、彼は、チロに盛られた毒の種類を……ベラドンナだと言ったのか。

 言葉の意味が脳内で反響し、衝撃が全身を貫く。心臓が強く打ち、頭の中が真っ白になった。思わず息を詰め、身体を震わせながら、俺はその事実を受け止めようと必死だった。

「…?どうした、真っ青な顔して。何か思い当たる節でもあんのか?」
「う、ううん……ちょっと、びっくりしちゃって。だって、ベラドンナって…南部地方でしか取れない猛毒の花でしょ?しかも今は冬だし、絶対に入手困難なはずなのに、何でそんな毒を使ったんだろうって思って…」
「さすがロランちゃん。良い目の付け所だな。オレもそう思って尋問してきた教師に言ってやったんだよ。あの鶏野郎にな。
 でも、実家に帰ったときに使用人やら手先やら使って入手したんだろって決めつけられてよ。そんなん、実家に帰ってた全生徒、全教師に言えんじゃねーかって言い返してやったわ」
「そしたら、なんて?」
「鶏冠みてーに、顔真っ赤にして意味不明なことを闇雲に怒鳴り散らしてたわ。案外、オレを学園の目の上のたん瘤だと思っていたあの鶏野郎が、オレを学園から追い出すためにやってたりしてな」

 そう言いながら不遜な笑みを浮かべるヒューゴの顔は、まるで極悪人のようで、思わずペシリと彼の額を叩いた。
 教師の目は届いていないとはいえ、聞き耳を立てていないとは限らない。このまま言葉を野放しにすれば、変な解釈をされ、さらに疑惑を深められるかもしれないのだ。

「こら、憶測でそんなこと言わない!」
「冗談だっつーの。あんなチキン野郎にあんな大それたこと出来るはずがねーからな」
「それはそうとして、やっぱり小屋に行ってみないと何も手懸かりは得られなさそうだね。目撃証言をした生徒を探し出して話を聞きたいけど、それも守秘義務とかで教えてもらえなさそうだし」
「だろーな。つか、オレはいつまでここにいりゃいーんだ?まさか、真犯人が捕まるまで飲まず食わず、ここに監禁されるわけねーよな?さすがに学園を訴えんぜ」

 彼の声は、わざと大きく張り上げられているように聞こえた。そして、俺は気付く。
 彼はきっと、わざと言っているのだ。聞き耳を立てているに違いない教師の耳にも届くように。

「このままだと本当にそうなりそうだし……俺からもヒューゴの食事事情について説明するのはダメ?過去のことも話さないといけないから、ヒューゴが嫌なら言わないけど…」
「いや、たぶんもうさっきの会話で察してんだろ。適当に自分の口で捕捉しておくから心配すんな」
「じゃ、じゃあ……もし、ヒューゴがこの部屋を出れたなら、俺がヒューゴの監視役としてヒューゴの部屋に移るっていうのを、先生たちに交渉してみるのはどう?」

 この提案は、彼を監視するためのものではない。彼を害する者が近付かないか、その身を見張るためだ。

 毒物がベラドンナだと判明した今、チロに手を下した犯人が、かつてヒューゴに毒を盛った人間と同一である可能性は、急激に高まっていた。
 もし、チロが犠牲になった理由が、真犯人からの警告だとしたら。
 男爵家から、俺がヒューゴの周囲に目を配るよう命じられていることを相手が知り、下手に動けば次はヒューゴだ――そう突き付けるための、見せしめだったのだとしたら。

 その考えに行き着いた瞬間、背筋が冷えた。
 だからこそ、俺はヒューゴから、なるべく離れたくない、離れてはいけないと思った。

「おっ、それめっちゃ良いじゃねーか!くくっ、さてはロランちゃん、あんたの実家でもオレの実家でもいつも一緒にいたから、学園に戻ってきて過ごす時間が減って、寂しーんだろ?」
「なっ!ち、違うから!全っ然、寂しくなんてないから!せ、先生たちが聞いてるかもしれないのに、変なこと言わないで!」

 俺の不安など露しらず、からかうように嗤う彼に後半は囁き声で抗議する。俺の気も知らないで頬杖をついてにやにやと嗤う彼は憎たらしいのに、この見慣れた笑みを絶対に失いたくないと改めて思う。

「んじゃ、決まりだな。あんたの説得にかかってっからな。期待してるぜ?」
「教師もそうだけど、フィリオン様の許可も…」
「――あ?」

 急に重みを増した彼の声に、俺の血の気は再び引いた。
 やってしまった。再び自分の失言が、今まさに牙をむこうとしていることを、身をもって悟る。

 ヒューゴは知らない。フィリオン様がチロを助けてくれたことも、ショックで気絶して以来、フィリオン様の部屋でお世話になっていることも。
 もし、たとえ数回でも、俺を性欲処理の相手として利用した彼の部屋にまたも居座っていたと知ったら――間違いなく、ヒューゴは激昂する。

 その想像だけで、胸の奥がひりつき、俺は頭を抱えずにはいられなかった。自分の愚かさと、軽率さを痛感しながら。

「どーいうことだ?なんでアイツの許可を取る必要があんだ?まさか……あれからまた、アイツと接触して何か変なこと吹き込まれたか?」
「ぃ、いや…えっ、と…」
「おい……まさか、アイツの部屋に……行ってねぇよな?」

 彼の鋭い問いに、俺の心は動揺と焦りでぐらつき、瞳は左右に揺れ、無意味に何度も唾を飲み込んでいた。
 絶対に知られてはいけないことだったのに、俺は自ら墓穴を掘ってしまったのだ。

 言葉を何も返せず、自然と沈黙してしまった俺の態度は、否応なく肯定の印として彼に映る。
 ヒューゴの表情が冗談めかしたものから、まるで本物の極悪人のような険しい顔へと変わっていくのを、俺は見逃さなかった。
 胸がぎゅうと締め付けられ、言葉にならない恐怖が全身を覆う。次に来る怒声に、心を備えた。

「――おい、黙ってねぇで答えろ。今すぐに」

 身構えていた怒声は、意外にもなかった。
 しかしその代わりに、彼の口から吐き出されたのは、圧し殺したような低く重い一撃だった。
 全身に鈍い震えが走り、俺は咄嗟に、これ以上彼を怒らせてはいけないと思い直す。

 そして、洗いざらいを話し始める。
 チロの命を救ってもらったこと。なのにチロの亡骸が見つかったと知ってショックで気絶してしまい、フィリオン様の部屋に運ばれたこと。フィリオン様とピートの関係性を明かされたこと。さらには、エヴァドネ様から聞かされたことまで。

 俺は、ヒューゴに知ってほしかったのだ。フィリオン様が俺を利用しようとして家令に指名したわけではないと。
 ふたりの確執を少しでも和らげたくて。彼の印象を、少しでも良くしたくて。

 しかし――そのすべてが、致命的な悪手だったことに気付かされたのは、ヒューゴの手がまっすぐ俺の顔に伸び、顎を鷲掴みにした瞬間だった。
 息を呑む間もなく、力強く掴まれた顎に、俺の言葉も心も、無力に押し潰されていった。

「……アイツの部屋で、寝たのか?あんなことをされた、アイツの部屋で?」

 それは、嫉妬と執着が滲み出した、静かな怒声だった。
 ただの叱責ではなく、心の奥底に溜まった独占欲と、手放したくない感情が混ざり合い、声の端々に鋭く刺さる棘となって響く。
 耳に届くたびに、全身の血が熱く逆流し、理性が押し流されそうになるほどの威圧感を放っていた。

「あんた――…いい加減にしろよ。オレを、おちょくってんのか?」
「ご、ごめ…」
「何された?アイツが何もしねーはずがねぇ!アイツにまたヤられたんだろ?おい、何されたか言えよ!!」
「なっ、何も…ない!ほ、本当に…」
「嘘こくな…!!クソッ…!んで、何でオレは…ッ」

 静かだった怒声は、突如として荒々しい轟きへと変わった。唾が顔に飛び散るほどの激しさを伴い、言葉が牙となってぶつけられる。

 顎を掴む彼の手に、無理やり顔を引っ張られ、痛みが鋭く走った。反射的に、椅子から腰を浮かせて衝撃を和らげようとする。
 身体の緊張が全身に走り、呼吸は浅く、心臓は渾身の力で鼓動を刻んでいた。

「い、いたっ…」
「オレは…!オレは姉貴とはちげぇ!そうだろ!?姉貴とはちげーんだよ!ただ、ただあんたをアイツの魔の手から守りてぇだけだ!あんたを、アイツの餌食にさせないために!」
「ヒュー、ゴ…待って、手、を」
「オレのこの感情はちげぇ!ぜってーにちげぇんだよ!オレは、オレは…ッ!!!」
「何してるんだ!その手を離しなさい!!」

 彼の葛藤が慟哭となり、室内に激しく響き渡るその瞬間、突如として第三者の気配が入り込み、俺の顔から彼の手が離れた。
 ガクッと、机の上に倒れ込む俺。同時に、入ってきた教師たちの手に押さえつけられるヒューゴ。

 暴れ、喚き、必死に手から逃れようとする彼を、俺はただ泣きたい気持ちで見つめるしかなかった。
 そして、胸の痛みを抑えるように、そっと視線を逸らした。

 俺は別の教師に腕を取られ、半ば強引に室内から連れ出された。廊下に出るなり、怪我はないかと矢継ぎ早に確認される。
 掴まれていた顎は、鈍い痛みをしつこく主張していたが、触れてみる限り、外見上は少し赤くなっている程度だろう。
 念のため医務室へ行こう、と差し出された教師の手を、俺は静かに振り払って断った。そして代わりに、言葉を選びながら説明する。

 彼は、自分の料理しか口にできないこと。その理由が、過去にあること。そして今の荒れた様子は、長引く空腹と寝不足が引き起こした、情緒不安定によるものだということを。
 だからどうか、彼が犯人だと示す確かな証拠が出てこない限りは、元の生活に戻してほしい。そして、俺を監視役として、彼の同室者にしてほしい。

 そこまで言い切ると、胸の奥に溜まっていた息を、ようやく吐き出せた気がした。
 俺はそれ以上何も言わず、振り返ることもなく、その場を後にした。

 廊下を歩き出した途端、胸の奥に押し込めていたものが、一気に溢れ出した。
 悲しくて、苦しくて、どうしようもなくて――気付けば視界が滲んでいた。

 足を前に運んでいるはずなのに、身体は重く、まるで進んでいる感覚がなかった。足に力が入らず、水の上を歩いているようだった。
 喉の奥が詰まり、息を吸うたびにひくりと音が漏れる。堪えようとしても、涙は容赦なく頬を伝い、ぽたぽたと床に落ちていく。
 誰もいない廊下に、俺の嗚咽だけが微かに反響する。声を殺して泣こうとすればするほど、胸の痛みは強くなり、心臓を鷲掴みにされているようだった。

 ヒューゴを守りたい。ヒューゴを救いたい。ただそれだけなのに。それなのに、何ひとつうまくいかない。

 震える肩を抱えるようにしながら、俺は冷たい廊下を歩き続けた。
 涙に濡れた視界の向こうで、長い廊下が、どこまでも続いているように見えた。


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