75 / 102
正直な容疑者と嘘つきな俺
しおりを挟む俺はすぐにでも、現場である小屋へ調べに行きたかった。じっとしていることの方が、かえって不安を煽る。だが、その衝動はフィリオン様によって制された。
今日は月曜日だったが、チロの件を受け、急遽、生徒全員に寮の部屋で待機するよう号令が下されていたのだ。軽々しく動くことは許されない。
夜の番人であったチロの死は、単なる一匹のフクロウの死では済まされない。学園全体の警備体制に直結する重大事だった。
もし学園内に犯人がいなかった場合、次に浮上するのは外部から侵入した者の存在だ。その場合、学園は犯人を突き止めるために、より大きな動きを見せることになる。だからこそ今は、誰もが動けない。
真実へ向かう道は、皮肉にも、足止めされたところから始まっていた。
指導室に留め置かれているというヒューゴの身を、俺は案じ続けていた。
彼が否定している以上、今の彼は冤罪のまま自由を奪われていることになる。だが、複数の目撃証言という分厚い壁が立ちはだかり、彼の言葉は疑惑の渦に呑み込まれているのだろう。
せめて、どうして小屋の付近にいたのか。あの時間、何があったのか。
それを話してくれさえすれば、早く解放されるかもしれない。そんな淡い願いを胸に抱きながら、眠れぬ夜をフィリオン様の部屋で過ごした。
***
翌日になっても、俺の落ち着かなさは消えなかった。ヒューゴの様子が気にかかって仕方がなく、そわそわと視線を彷徨わせる俺を見かねて、フィリオン様が教師のひとりに彼の様子を尋ねてくれた。
だが返ってきた話は、希望を削ぐものだった。
ヒューゴはひたすら否定を貫き、目撃証言についても「知らない」「覚えがない」の一点張りだという。小屋には近寄ってすらいない、と。
ならば、と問われたその時間のアリバイについては、部屋で寝ていたと答えたらしい。
しかし彼は同室者のいない、ひとり部屋だ。誰も、その証言を裏付ける者はいなかった。
ちなみにその時間のフィリオン様はというと、貴族科の生徒に頼まれ、学年度末試験に向けた勉強を図書室で教えていたそうだ。珍しく図書室にいる彼の姿を、何人もの生徒が目撃しているのだから、その証言は確かなのだろう。
もちろん、俺はフィリオン様を疑ったりはしていない。一度は彼が助けた命なのだから。けれど彼は、そのことを自ら俺に告げてきた。
ヒューゴとの確執を思えば、俺が疑念を抱く前に、先手を打ったのかもしれない。そんな考えが、胸の奥をかすめた。彼にそんなことを思わせてしまった自分が、申し訳なかった。
さすがに昨日と同じように、授業や講義をすべて止めてまで寮待機を続けるのは難しいと判断されたのだろう。今日の学園は、表向きには通常通りの一日へと戻っていた。
けれど、空気はまるで違っていた。廊下でも、教室でも、あちらこちらで囁かれるのはチロの事件のことばかりだ。
そして犯人がヒューゴだという噂は、もはや憶測の域を越え、確かな事実であるかのように地盤を固めつつあった。
俺は今にも大声で叫び出したい衝動を必死に押し殺し、何事もない顔を装ってその日の講義をすべて受けきった。胸の内では、否定の言葉が渦を巻いていたというのに。
講義が終わるや否や、俺は足早に小屋へと向かった。
ヒューゴは犯人ではない。それを裏付ける何かが、そこに残っているかもしれない。そんな淡い期待を胸に抱いて。
しかし現実は冷たかった。小屋の周辺に近づくことすら許されず、鉄柵の前で警備員に足止めを食らった。
当然だ。冷静に考えれば、事件現場に一生徒を近づけるわけがない。
そんな当たり前のことすら思い至らないほど、俺は視野が狭くなっていたのだと、そこでようやく気付いた。
ならば、と俺は矛先を変えることにした。
知らない、の一点張りであるヒューゴの言葉。その奥にある本心を、どうしても直接聞きたかった。俺になら、きっと聞き出せる。そう、根拠のない確信だけはあった。
俺は、生徒指導教員のもとへ直談判しに行く決意を固める。もちろん、ヒューゴを疑っているわけではない。
彼が不当な扱いを受けていないか、自棄になっていないか、そして何より――無事でいるのか。その顔を、この目で確かめたい気持ちが大半だった。
強情で、他人にはなかなか心を開かない彼のことだ。教師たちの尋問も、きっと順調には進んでいないだろう。
そこを突く。俺たちは、お互いの実家で過ごした仲だ。俺になら話すかもしれない、そう言えば、もしかしたら対面を許してくれるかもしれない。
淡い希望を胸に、教師のもとへ赴き、切実に言葉を尽くして説明してみせると、俺はしばらく職員室前で待たされることになった。落ち着かない時間が過ぎ、やがて告げられたのは、ヒューゴとの面会許可だった。
手のひらにじっとりと汗を滲ませながら、俺は教師の背中を追って廊下を進む。
辿り着いた先は、指導室。学園の規律違反や問題行為を起こした生徒を迎えるための、あの場所だ。
開かれた扉の向こうへ、一歩、足を踏み入れる。室内は冷たい印象を与えるコンクリートの壁に囲まれ、部屋の中央には木製の机がひとつ。その両側に、向かい合うように椅子が二脚置かれているだけだった。
奥側の椅子に座り、腕に頭を預けるようにして机に突っ伏している影がある。夕焼け色の髪が、無防備に腕の一部を覆っていた。
俺はゆっくりと歩みを進め、きしむ音を立てないよう注意しながら、手前の椅子に腰を下ろす。ヒューゴはまだ、俺に気付いていない。
「……ヒューゴ」
「ッ!?」
俺が小さく名を呼ぶと、彼はまるでバネに弾かれたかのように、勢いよく頭を上げた。
切れ長の瞳が大きく見開かれ、まるで幽霊でも目にしたかのような表情で、俺を凝視する。その視線は鋭さを失い、どこか怯えた色を帯びていた。
目の下には濃く沈んだ黒い隈。顎には、剃る自由すらなかったのだろう無精髭がまばらに伸びている。
ほとんど、眠れていない。一目でそう察せられるほどのやつれ方に、俺の胸はきゅっと締め付けられた。
見えない重圧と疑いの中で、どれほど心をすり減らしてきたのか。その疲労が、ありありと彼の顔に刻まれていた。
「あん、た……なんで、ここに」
「先生に頼んで許可をもらったんだ。大変、だったね……さすがにご飯は食べさせて……あ」
「食事は持って来てるよーだが、オレは自分の料理しか食えねぇからな。一昨日の夜、寝てたとこを邪魔されてここに無理やり連れてこられてから、何も口にしてねーよ」
絶句した。まさか、事件が発覚してすぐから、この部屋に閉じ込められていたというのか。
「う、嘘……それじゃあ回る頭も回らなくなるよ。何か無理やりにでも食べないと…」
「……あんた、何しに来た。あんたになら、オレが自白でもすると思って無理やり連れて来られたんじゃねーか?」
「それは違う!俺はヒューゴが犯人だなんて微塵も疑ってない。チロ……チロに、無惨なことを、ヒューゴがするはずがない」
「まぁ、あんたは人を疑うのが苦手だかんな。オレがやってねぇってどうしてそう思う?オレは、あんたを利用してアイツに復讐しようとしてたし、何人もの女を寝取ってきたクズだろ?」
「それは過去のことで、俺が見てきたヒューゴはきちんと優しかったでしょ!それに、過去に毒を盛られたことのあるヒューゴが毒を使ってだなん、……ぁ」
言ってしまってから、俺は気付いた。
今、取り返しのつかない失言をしたことに。
ヒューゴは、俺が彼の過去を知らないと思っている。他人の作った料理を口に出来なくなった理由も、急遽、実家へ呼び戻された理由も、そのどれひとつとして、彼は俺に語ってはくれなかった。
それなのに、俺は。
「―――おい、なんであんたが、それを知っている?」
踏み込んではいけない場所へ、無自覚に足を踏み入れてしまったことを、察した。
知らないふりをしていることで、かろうじて保たれていた彼の矜持。その均衡を、俺はたった一言で崩してしまったのかもしれない。
喉の奥がひりつく。彼から、これまで一度も向けられたことのない鋭い視線を突きつけられ、心臓がびくりと震えた。
射抜くような眼差しに身動きが取れず、俺は意味もなく、はく、はく、と浅い息を吐き出すことしかできない。
頭の中では、言い訳になり得る言葉を必死に掻き集めているのに、どれひとつとして形にならない。喉の奥に絡みついた沈黙だけが、重く、冷たく、俺を縛りつけていた。
「オレ、あんたに教えてねぇはずだけど。……アイツか。フィリオンから聞いたのか?それとも……義父上か。実家でふたりきりになったとき、聞かされたか?おい、どーなんだよ。答えろ」
空気そのものが震えているのではないかと錯覚するほどの圧を孕んだ声だった。怒声と呼ぶには抑えられているが、その分、剥き出しの苛立ちが鋭く突き刺さる。
俺は思わず息を呑み、ひりつく喉へ唾を流し込むことで、どうにか痛みを誤魔化した。
それでも震えは止まらず、かすれる声を必死に繋ぎ合わせるようにして、俺は答えを絞り出した。
「…ごめん。どちらからも、聞いていたんだ。ヒューゴの身に起こった……過去の出来事を」
「――チッ。余計な真似しやがって。で?あんたはずっと、知らないフリしてオレの側にいたってか?毒を盛られたくらいで他人の料理が食えなくなった、情けない男だと思ってたのか?」
「なっ、そんなわけない!俺はむしろ!むしろ……ヒューゴがその時、助かって良かったって思ったよ。代償は大きかっただろうけど、それを乗り越えて自分の食べるものは自分で用意してる。そんな貴族、なかなかいない。尊敬してる」
「……ふーん。ま、同情してるわけじゃねーなら、いい」
彼の声に滲んでいた剣呑さが、わずかに薄れていく。その変化に気付き、俺は心の底から胸を撫で下ろした。
彼の自尊心を深く傷付けてしまったのではないか。そんな不安が脳裏をよぎっていたが、どうやら致命傷にはならなかったらしい。俺の本心は、理解してもらえたようだった。
「それで……小屋には近付いてもいない、っていうのは事実、だよね?」
「あったりめーだろ。あんたがフクロウの世話係だっつーことは知ってっけど、フクロウの名前も小屋の場所すらこちとら知らねーんだぜ?」
「え…チロの名前すら知らなかったのはさすがに悲しい」
「……わりぃな。そもそも、何で俺が動物を手にかけんだよ。目撃証言が複数あるっつーから、言ったやつら全員連れてこいっつってんのに、守秘義務やら匿名希望やらで聞きやしねぇ。こっから出たら証言したやつ見つけて、取っ捕まえて撤回させてやる」
「乱暴はやめてね?……でもそっか、そうだよね。俺も、必ずヒューゴの無実を証明して、真犯人を見つけてみせるから」
「おい、あんたはこの件に首を突っ込むな。相手は毒を扱う危険なヤツだ。真犯人に目をつけられたらたまったもんじゃねぇ…」
ヒューゴと話していると、あのとき一瞬でも心が揺らいでしまった自分が、ひどく恥ずかしく思えてくるほどだった。
彼の言い草は清々しく、迷いも含みもない。どこからどう見ても、嘘をついているようには見えなかった。
彼の言葉はすべて本心だと、疑う余地なく伝わってくる。それどころか、彼は自分の置かれた状況よりも、俺のことを案じていた。その不器用な一面に、堪えきれず笑みが溢れた。
「俺も十分に気を付けるから心配しないで」
「どうだか。つーか、この前の約束、すっぽかしただろ。体調悪いっつってたけど、もう大丈夫なのか?」
「…うん。それはもう大丈夫」
「あの後もあんたの部屋に様子見に行ったのに、あの同室者に追い払われるしよ。てっきり、あんたに避けられてんのかと思った」
「……違うよ。移したら悪いと思って遠ざけていただけ」
微かに疼く胸を誤魔化すように、俺は笑みを作った。彼は嘘偽りなく、すべてを話してくれているように見える。それなのに俺だけが、彼に嘘をついている。
本当は、聞きたかった。あの日、目にしてしまった光景のいきさつを。
なぜ、あの場所にいたのか。そして、一緒にいた女子生徒と、何をしていたのかを。
けれど……俺と彼は、キスを交わしても、恋人ではない。彼が恋心を認めないかぎり、俺たちの関係に名前が与えられることはない。
だから、踏み込んではいけない。だから、嘘をつかなければならない。
どうか許してほしい――そんな願いを胸の奥に押し込みながら、俺は言葉と表情を取り繕った。
80
あなたにおすすめの小説
【完】君に届かない声
未希かずは(Miki)
BL
内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。
ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。
すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。
執着囲い込み☓健気。ハピエンです。
【本編完結】才色兼備の幼馴染♂に振り回されるくらいなら、いっそ赤い糸で縛って欲しい。
ホマレ
BL
才色兼備で『氷の王子』と呼ばれる幼なじみ、藍と俺は気づけばいつも一緒にいた。
その関係が当たり前すぎて、壊れるなんて思ってなかった——藍が「彼女作ってもいい?」なんて言い出すまでは。
胸の奥がざわつき、藍が他の誰かに取られる想像だけで苦しくなる。
それでも「友達」のままでいられるならと思っていたのに、藍の言葉に行動に振り回されていく。
運命の赤い糸が見えていれば、この関係を紐解けるのに。
君に捧げる紅の衣
高穂もか
BL
ずっと好きだった人に嫁ぐことが決まった、オメガの羅華。
でも、その婚姻はまやかしだった。
辰は家に仕える武人。家への恩義と、主である兄の命令で仕方なく自分に求婚したのだ。
ひとはりひとはり、婚儀の為に刺繡を施した紅の絹を抱き、羅華は泣く。
「辰を解放してあげなければ……」
しかし、婚姻を破棄しようとした羅華に辰は……?
先輩のことが好きなのに、
未希かずは(Miki)
BL
生徒会長・鷹取要(たかとりかなめ)に憧れる上川陽汰(かみかわはるた)。密かに募る想いが通じて無事、恋人に。二人だけの秘密の恋は甘くて幸せ。だけど、少しずつ要との距離が開いていく。
何で? 先輩は僕のこと嫌いになったの?
切なさと純粋さが交錯する、青春の恋物語。
《美形✕平凡》のすれ違いの恋になります。
要(高3)生徒会長。スパダリだけど……。
陽汰(高2)書記。泣き虫だけど一生懸命。
夏目秋良(高2)副会長。陽汰の幼馴染。
5/30日に少しだけ順番を変えたりしました。内容は変わっていませんが、読み途中の方にはご迷惑をおかけしました。
【完結】妖精姫と忘れられた恋~好きな人が結婚するみたいなので解放してあげようと思います~
塩羽間つづり
恋愛
お気に入り登録やエールいつもありがとうございます!
2.23完結しました!
ファルメリア王国の姫、メルティア・P・ファルメリアは、幼いころから恋をしていた。
相手は幼馴染ジーク・フォン・ランスト。
ローズの称号を賜る名門一族の次男だった。
幼いころの約束を信じ、いつかジークと結ばれると思っていたメルティアだが、ジークが結婚すると知り、メルティアの生活は一変する。
好きになってもらえるように慣れないお化粧をしたり、着飾ったりしてみたけれど反応はいまいち。
そしてだんだんと、メルティアは恋の邪魔をしているのは自分なのではないかと思いあたる。
それに気づいてから、メルティアはジークの幸せのためにジーク離れをはじめるのだが、思っていたようにはいかなくて……?
妖精が見えるお姫様と近衛騎士のすれ違う恋のお話
切なめ恋愛ファンタジー
【完結】恋人から試し行動され続けるけど僕の愛は揺らがない。
u
BL
元タイトル『恋人から試し行動され続けるのがそろそろ辛い。』から結末が予定と大きく変わりましたのでタイトルを変更させて頂きます。
ビリンガム王国騎士団に所属しているロナ・バイアットとウォーレン・コークは、騎士学校時代に寮の同室をきっかけに恋人同士となり2年半が経つ。
ロナは騎士団にはあまり向かない小柄な体型だったがウォーレンと同じ職場にいたくてひたすら努力していた。
大好きなウォーレンと恋人同士になれて幸せな日々かと思いきや、ロナはウォーレンからたびたび試し行動のようなものをされていた。
飲み会に行ったりロナの前でご令嬢と親しげに話していたり…そのたびに指摘すると「嫌なら別れる?」と聞かれる。毎回「愛してるから別れないよ」と答えていたロナ。しかし試し行動をされるたびに何かが確実にすり減っていく。
そこへ留学していたという幼少時代の学友でありビリンガム王国第三王子のカーティス・ビリンガムが帰国し、ロナの現状を知ると……。
完結しました!ありがとうございました!
美澄の顔には抗えない。
米奏よぞら
BL
スパダリ美形攻め×流され面食い受け
高校時代に一目惚れした相手と勢いで付き合ったはいいものの、徐々に相手の熱が冷めていっていることに限界を感じた主人公のお話です。
※なろう、カクヨムでも掲載中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる