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初めて知る実った恋の色
しおりを挟む真っ赤な顔で、燃えるような瞳で、かすかに震える声で、ヒューゴは、はっきりと言い切った。
その真剣さが、あまりにも不器用で、あまりにも本気で。彼からこんなにも真っ直ぐな告白を聞ける日が来るなんて、想像したこともなかった。
胸の奥に、じわり、と温かいものが広がっていく。驚きと、戸惑いと――そして何より、どうしようもない喜び。
息をするのも忘れそうになる。目の奥が熱い。気づけば視界が滲み、溜まった涙は一瞬で決壊した。
「っ……ほ、本当、に…?」
情けない声。一度は恋愛をしない彼の人生を尊重して、自分の想いだけを大切に抱えていく覚悟だったのに。現実味がなさすぎて確かめずにはいられない。
「当たりめぇだ」
ヒューゴは、迷いなく言い放つ。
「オレは、どうしようもねぇほど、あんたが好きだ。認めるのが怖くて、ずっと見て見ぬフリしちまってたけど……」
悔しそうに、けれど逃げずに。
「あんたがオレ以外に恋してるところなんて、もう二度と見たくねぇ。あんたが熱い眼差しを向けるのは、オレだけがいい」
ぐ、と喉が詰まる。
「オレを想って熱くなる、あんたの目が好きだ」
その言葉で、堰は完全に壊れた。
初めて声をかけられた日のことが、鮮明によみがえる。
フィリオン様への恋心が、苦しくて、惨めで、捨てたくてたまらなくなったあの日。
自分の想いが滑稽で、どうしようもなくて。
――この恋、捨てたいな…。
そんな言葉が、口から滑り落ちた瞬間。
『それ、捨てようとすんの、やめてくんね?オレ、あんたがアイツを見る視線に興奮すっからさ』
まるで閃光みたいに、突然目の前に現れた男。復讐心を隠し持ち、軽薄な笑みを浮かべ、"遊び人"の名を欲しいままにしていた男。
『オレはオレを好きにならねーヤツにしか興味がわかねぇ』と言い放った、あの男。
そんな彼が。今、こんな顔で。こんな声で。俺だけを欲しがっている。
涙が止まらない。悔しいくらい、嬉しい。
「……俺も、好きっ」
嗚咽混じりの声で、ようやく絞り出す。
「友人としてでもいいって、思おうとした。ヒューゴが…っ…空き教室から女子生徒と出てきたときも……ベッドで、下着姿の女性と寝ていても…っ、隣にいられればそれでいいって……でも、ほんとは…っ…」
言葉が崩れる。ヒューゴの指先が、そっと伸びる。今度は荒々しくなく、壊れ物に触れるみたいに。
「あんたと出会ってから、女を抱いてねぇ。抱く気にもならなかった。はめられただけで、女どもは突き飛ばして返り討ちにしてやった」
衝撃の告白。嘘だろ、と唖然とする。
誘われれば彼氏持ちなら誰とでも寝てきたであろう男が、欲求を自由気ままに発散してきたであろう男が、まさか。信じられない気持ちで吐息を震わせる。
「オレが欲しいのは、あんただけだ」
胸の奥が、きゅうっと締めつけられる。その瞳に、言葉に、嘘も偽りも影もなかった。
あの日、閃光みたいに現れた男は。いつの間にか、俺の世界そのものになっていた。涙でぐしゃぐしゃになりながら、それでも笑ってしまう。
やっと。
やっと、恋の煌めきを、知った。
辛くて苦しくて、自分の醜さに嫌気が差したり、嫉妬で胸を焦がしたり、恋なんて感情、知らなければ良かったと何度も思った。
恋をして幸せな気持ちになるどころか、苦しむだけではないかと恨んだ。
「俺、結構……嫉妬深い、よ…?」
自分でも情けないと思うほど、声が小さくなる。
「ヒューゴが女性とベッドにいる場面を目撃して……ショックで声が出なくなるくらい、本当はすっごく嫉妬深い」
あの光景を思い出すだけで、胸の奥がひりつく。
平気なふりをして、理解ある顔をして。"遊び人なんだから仕方ない"なんて自分に言い聞かせて。でも本当は、ただただ苦しかった。
「あんたの嫉妬なんて可愛いもんだ。もしオレが逆の立場だったら――」
そこでふいに言葉を切った。眉をひそめ、目を伏せる。
「……やめた。想像しようとしただけで目の裏、真っ赤になる」
低く、押し殺した声。
「たぶんそんな場面見たら、オレ、殺人鬼になっちまう。……アイツと変わらねぇな」
本気の顔で、冗談みたいなことを言う。その物騒さがあまりにも彼らしくて、思わず、くす、と笑みがこぼれた。
確かに、ヒューゴなら正気を失って怒りに任せ、相手を血まみれにするくらいはやりかねない。
でも――最後の一線だけは、きっと越えない。
命を奪われた側の痛みを、彼は知っているから。
「ヒューゴは誰も殺さないよ。命の重さを、よく分かってるんだから」
彼は一瞬、目を細めた。
「……どうだろーな」
肩をすくめる。
「頼むからオレを犯罪者にさせんな。オレがそうなるかならないか、あんたにかかってんぞ」
そして、見慣れたにひるな笑み。
「オレの手綱はあんたに託すから、うまく操縦してくれよ?」
その言い方が可笑しくて。さっきまで泣いていたくせに、肩が震える。笑いと一緒に、目の端に溜まっていた涙がぽろりと零れ落ちた。
ヒューゴは、その雫を逃さなかった。指先で掬うように涙をなぞり、こめかみに、そっと唇を落とす。
ちゅ。優しい音。
瞼に、眉間に、鼻の頭に、頬に。
ひとつ、またひとつ。
壊れものを慈しむみたいに、丁寧にキスを重ねる。それがくすぐったくて、温かくて。
「……泣くなよ」
低く、甘い声。
「オレの好きな目、腫れちまうだろ」
そんなことを言いながら、もう一度、今度は唇の端に触れるだけのキス。
独占でも、衝動でもない。確かめるような、誓いのような。胸の奥が、じんわりと満ちていく。
嫉妬も、不安も、過去の傷も、全部ひっくるめて。それでも隣にいると、決めた。
「でも……あんたの泣き顔も、好きだ。すんげぇ…そそる」
低く掠れた声に、心臓が跳ね上がる。
「こ、こんなとこで盛んないでよ!?」
思わず声が裏返った。さっきまで真剣に泣いていたのに、どうしてこうなるのか。
「……これでも、すんげー我慢してんだけど?」
ヒューゴは肩をすくめるが、その瞳は全然余裕なんてない。
「今すぐあんたを隅々まで喰いたい」
「だっ、だめだから!てか、いま何時!?こ、講義……!完全に遅刻だけど講義に行かないと!」
現実にしがみつくように、慌てて辺りを見回す。冷たい空気が頬を撫でるのに、身体の内側は火照りっぱなしだ。
「くくくっ……またさらに真っ赤になったな。裸になったら、どれだけ真っ赤になっちまうんだ?」
「は、はは裸……!?」
単語の破壊力が強すぎる。視線も口も落ち着きなく泳ぎ、寒いはずなのに額にじわりと汗が滲む。全身が熱くて、まるで湯上がりみたいだ。
「あー……やっべぇな」
ヒューゴは片手で顔を覆い、深く息を吐いた。
「想像したら今すぐ抱きたくて我慢できねぇ……なぁ、講義なんてサボっちまおうぜ」
「むむ無理だから!こ、恋人っ、になってすぐにそっ、そういうことをするのは、は、破廉恥だから!こここ心の準備も、あるし……!」
言いながら、自分の舌がもつれる。
恋人。その言葉の甘さが、余計に熱を上げる。
「くくっ、わーってるよ。恋人って良い響きだな。ま、大事な恋人を傷付けたくねぇし、オレだって我慢くらいしてみせるわ。だから今は――」
ふっと、影が落ちる。吐息が触れる距離。反射的に見上げた瞬間、視界が彼でいっぱいになった。
大きな手が頬を包む。次の瞬間、唇が塞がれた。
深く、けれど乱暴ではない。逃げ道を奪うくせに、奪いきらない。
「……っ」
息が混ざる。
心臓の音が、上に乗る。
「思う存分、キスさせろ」
囁きと同時に、もう一度。今度は少し長く。指先が背に回り、体温が重なる。
講義のことも、時間も、寒さも。全部どうでもよくなるくらい、甘くて熱い。
「ぁ…っ…ん」
「……声、出すな。我慢してるっつってんだろ」
――我慢くらいしてみせる、と言いながら。この人はきっと、本気で我慢している。
だからこそ、そのキスは欲望だけじゃなく、愛しさをたっぷり含んでいて。
「ふぁ……は、ぁ」
「…ッ…クソ、たまんねぇ…」
舌と舌が絡まる。隙間から思わずというように言葉が落ちる。ちゅ、じゅる、ちゅる……生々しい音が教会に響き渡る。冷たい空気の中で、教会にはふさわしくない、火傷しそうなほどの熱いキスを何度も交わす。
唇が離れたとき、俺は完全に力が抜けていた。そして最初に出てきた言葉は。
「……くしゅんっ…」
くしゃみだった。俺はあまりの恥ずかしさに腕で顔を隠そうとする。するとヒューゴは喉の奥で笑いながら、俺をあたためるように抱き締めた。
「風邪、ひかせたくねぇからな。戻るぞ、オレの部屋に」
指を絡められる。恋人らしく。
その温もりを握り返しながら、真っ赤な顔のまま、俺は小さく息をついた。
「ヒューゴの部屋には…い、行かない…講義に行く」
「あぁ?オレと恋人になったってのに、すぐに離れるつもりか?」
「学生は勉強が第一なんで!」
「つっても、あんたはもう家令科の勉強なんてする必要、ねぇじゃねーか。もうアイツの家令にならねぇんだし。させねぇし」
「あ……確かに」
盲点だった。俺は何となく家令科を目指していたが、フィリオン様を好きになってからは彼の家令になることしか考えていなかった。
途端に将来への不安が押し寄せ、表情を曇らせた俺を、ヒューゴは笑い飛ばした。
「んなしけた顔してんなよ。あんたはオレの助手に永久就職なんだから、なんも心配すんな」
「…そ、それ本気で言ってたの…?冗談じゃなく…?」
「当たりめぇだろ。アイツ以外の家令にだってさせるわけねぇだろーが。あんたは常にオレのそばにいんだよ」
さも当然のように言い切るヒューゴに、思わず呆れて苦笑が溢れる。しかし至って本気なのが、その瞳と握られた指の強さから伝わってきた。
「俺のほうが1年早く卒業するのに?ヒューゴが卒業するまでのあいだ、俺はどうしてろって言うのさ」
「実家の手伝いでもしながら医学の勉強してろ。心配すんな、勉強する本も参考書も山のようにあるぜ」
「いやいや…無理だから…医学科なめないで…」
「てか、オレが医学科に進む段階でロランちゃんも医学科に転科すればよくね?うわ、そしたら一緒に講義受けられんし、一緒に学べんじゃねーか」
「あ、はは……」
もう、呆れて乾いた笑いしか出ない。
ひとりで名案だと頻りに頷いている愛おしい恋人を見上げながら、俺はつらつらとよく回る唇を塞ぐように、首を持ち上げる。
ちゅ、と音を立ててキスをすると、彼は驚いた顔で固まった。黙らせることに成功して、にやりと笑う。
「と、とりあえず次の講義の時間までは……ヒューゴの部屋で、ヒューゴのホットミルクが…の、飲みたい」
彼の首裏に腕を回し、恥を忍んでそうおねだりしてみせる。ヒューゴは一瞬、顔を真っ赤にさせて固まったあと。
「クソッ…!それ、どっちの意味で言ってんだよ…!!」
そう叫びながら、すごい勢いで俺を抱き上げ、教会を飛び出した。冷たい風と眩しい太陽の光に目が眩む。
どっちの意味とは…?と内心首を傾げながらも、その勢いが彼の熱量に比例しているようで、胸が高鳴る。
ヒューゴの腕に抱かれながら、俺は恋の楽しさを、幸せを、ようやく知れたと思った。
好きな人と両思いになることが、こんなにも尊いことなのだと知った。
深い青の底に、洗い立ての布のような清潔さがあり、どこか張りつめた静けさを湛えている空を見上げる。雪に反射した光が空へ跳ね返り、冬特有の透明な明るさをつくっていた。
風が、屋根や枝に積もった雪をさらい、そのたび空はわずかにきらめく。すべてを一度、白で塗り潰したあとに訪れるこの空は、始まりの色をしていた。
俺たちの恋人としての時間が、始まる色をしていた。これが、恋の色なのだと、思った。オセロの色は、白でも黒でもなく――始まりの、青一色だった。
実った恋は、とても美しい色をしていた。
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