1 / 1
只帰る夜、歌う君に会う
しおりを挟む彼女と会ったのは、いつも通り仕事にフルボッコにされた帰り道の事だった。
自炊する気は起きなかったため、駅前のコンビニで弁当とビールを買う。
そして、いざ帰ろうと歩き始めた時、近くでギターの音が聞こえた。
ここは駅前だから、そういう事をしていても特段珍しくない。
だから、いつも通り気にも留めず帰ろうと思ったのだが、今日は何故か見て行こうとという気持ちになった。
疲れていたのかもしれない。
気でも紛らわせようとでも思っていたのかもしれない。
ギターの音の方へ行ってみると、いた。
ギター1本、健気に、力強く弾いている1人の女の子が。
見た目的には多分大学生かな。
恥ずかしいので、少し離れたところで聴く。
歌っているのは何かのカバーでは無く、多分オリジナル曲だろう。
聴き馴染みの無いフレーズに、聴き馴染みの無い歌詞。
誰も彼女の歌声に足を止めない。
それでも、彼女はそれに抗うかのように必死に歌い続ける。
まるで、この先に待っている「夢」を必死に掴もうとしているかのように。
そんな事を考えながら、彼女の演奏をしばらく聴いていると、俺は泣いていた。
いつの間にか泣いていた。
気がついたら泣いていた。
多分、己の「夢」に対してひたむきに、目指している姿を見て、感動してしまったのだろう。
短大を卒業して、早数年。
自分の夢すらも何だったかと見失っている今、そんな彼女の姿を見て純粋に感動してしまった。
そんな色々な想いと涙をハンカチで拭う。
丁度その時には彼女の演奏が終わったらしく、彼女は周りを見渡し「はぁ……」とため息をついてギターを片付けようとしていた。
俺はその背中に声を掛ける。
「あ、あの、すいません」
「はい?」
彼女は振り返る。
「あの、何でしょう?」
「……えっと、貴方の歌、凄く良かったです」
「えっ!?聴いて下さっていたんですか!?」
「は、はい」
「そ、そうですか。ありがとうございます!」
「あ、いえいえ、俺も貴方の歌で何か大切なものに再発見した気がするので、こちらこそありがとうございます」
すると、彼女は泣き始める。
「……あ、す、すいません。あまりにも嬉しすぎて……涙が……こんなつもりじゃ、なかったんですけど……」
「すいません」と言いながら、涙を拭う。
「本当にありがとうございます。私の歌を聴いて、そう感想を言ってくださったのはお兄さんが初めてです……」
「あ、そうなんですか?」
「はい……何だか今までの活動が報われた気分です。本当に、本当にありがとうございます」
「そうなんですね。こちらこそ、そう言っていただけて嬉しいです。……また、聴きに来ますね」
「あ、はい!多分、これからもここでやっていると思うので是非!」
笑顔でそう言う彼女。
「応援しています」と最後に声を掛け、俺はその場を後にする。
……また明日も聴きに来よう。
次の日
今日も仕事にボロボロにされながらも、昨日と同じ場所へと向かう。
すると、やっぱりあの音色が聴こえてくる。
彼女だ。
今日もギター1本で頑張っている。
またしても、少し離れた所で聴く。
すると、ふと演奏中の彼女と目が合った。
そして、安心したかのようにホッと微笑む。
その様子に俺は何だか嬉しくなった。
そんな訳で、俺も微笑む返す。
「今日も来て下さったんですね!」
歌い終わり、声を掛けようと近づいた俺に彼女はそう言う。
「はい、今日もとても良かったですよ。」
「あっ……、ありがとうございます!まさか本当に来て下さるとは思ってなくて、凄く嬉しいです!」
そう言う彼女の頬に、また涙がきらりと光る。
「あ、すいません、ま、また涙が……すいません……」
「アハハ、お気になさらず。またそこまで喜んでいただけて来た甲斐がありましたよ」
「そうですよね、多分お仕事帰りというのにわざわざ来ていただいて、本当にありがとうございます」
「いえいえ、本当にお気になさらず。貴方の歌をまた聴きたいと思ったので」
「……そう言って頂けて、本当に、心の底から報われた気分です。この活動を続けて来て良かった」
そんな泣きながらも、嬉しそうに笑う彼女の姿を見て、俺はこれからもこの子を推していこうと思った。
俺はこの子の「ファン」になったのだ。
********
「……あっ、やっと見つけた!もう探したんだからね!」
「うん?あぁ、ごめんごめん」
「これから大切な場面だって言うのに君って奴は……って、君何見てるの?」
「えっ?」
「いや、そんな熱心にスマホなんて見つめちゃって、ちょっと私にも見せてよ!」
「えっ、……そ、それはちょっと」
「えー、何でよ!そんなに隠されたら逆に気になるじゃん!みーせーてーよっ!」
「あ、ちょっと……」
彼女は俺のスマホを「隙アリ!」と言わんばかりに奪い取る。
「えーっと、一体何を見ていたのかな………って、こ、これって……私がデビューする前……いやまだ路上ライブをしていた頃の奴じゃん!い、いつの間にこんなの撮ってたの!?」
「だって、俺からしたらやっぱり大切な思い出だからさ。こういうのはちゃんと撮っておかなくちゃって思って」
「た、大切な思い出か。……確かに、凄く大切だね。もう君が初めて声を掛けてくれた路上ライブから何年も経ったんだね。本当に大変だったね、ここに来るまで」
「そうだね。本当に大変な事ばっかだった」
「えへへ、マネジャーの君が言うと重みが凄いや。でも、そんなことを乗り越えて、今じゃこんな武道館という『夢』の舞台でライブが出来るようになって……」
「……本当に夢みたいだな。」
「でも、その夢も君がいないと成し遂げなかったことだからね」
「俺が?」
「うん。君があの時、声を掛けてくれてなかったら今の私は多分……いや絶対にいなかったよ」
「……そうか、嬉しいよ。」
「本当に君には感謝してる。でも、そんな君も私のファン1号からマネジャー……そして今じゃあ私の人生のパートナー。お互い大概だけど、漫画みたいな人生を送ってるね」
「アハハ、確かにそうだな。誰がこんな人生を予想できただろうか」
「誰も出来ないんじゃない?だって、本人さえも予想してなかったんだから」
「それは言えてる」
そう言い、お互いに微笑む。
「……よっし、そろそろ時間だ。準備しなきゃ」
「おっ、もうそんな時間か」
「君を探していたから、こんな時間になっちゃったよ。まったく」
「それはすまんね」
「まぁ、良いけど。それじゃ、そろそろ行ってくるね」
「あぁ、行ってらっしゃい。失敗しないようにな」
「一体誰に言ってるの?私だよ?」
「じゃあ、心配ないか」
ニシシと彼女は笑う。
「そうだ、君にはあの時みたいに私の歌、一番近い場所で聴いてもらいたいの」
「あぁ、勿論分かってるよ。ちゃんと聴いておく」
その言葉に彼女は最高の笑顔をする。
「……行ってくるね」
「おう、行ってこい」
そうして、彼女は大きなステージへと向かっていく。
ここまで色々な推しがいたが、これほど最高の『推し活』は無いだろう。
そう俺は左手の指輪を撫でながら、彼女の勇姿を見届けるのだった。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる