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彼女はASMRに嫉妬するようです。

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「……ねぇ……ねぇ……起きてよ」


とある休日の朝。
まだ夢現ゆめうつつの状態だが、耳元から妨害が入る。
まだ睡眠を謳歌したい時間だから布団にくるまろうにも攻撃は止まない。


……うん?待てよ?
この今の声の主は誰だ?


「ねぇ、昴、いい加減起きて!」


そんな疑問が脳内を巡った直後、被っていた毛布をガバッと起こされる。
あまりの寒さに身を縮め、目をパチクリさせて状況を確認する。


「昴、おはよう。起きた?」


呆然としている俺に対して、付き合って半年以上である彼女の舞がそう微笑みながら言ってきた。


「……あれ?舞?……何で?」

「何でって今日が何の日か覚えて無いの?デート、行く日でしょ?」

「え、あっ……ちょっと待って、今何時?」

「待ち合わせしていた時間よりも1時間遅い10時です。連絡しても一向に反応が無いから前に貰った合鍵を使って様子を見に来たの、ほら」


舞はチリンッとハート型のキーホルダーが付いた鍵を俺の方へ見せる。
確かにこの間、合鍵をあげたな。
それでか。


「そんな訳で見に来たら、君がぐっすり眠ってたって訳。お分かり?」

「はい……すいません……」

「まぁ、何かそんな気がしていたから別に良いけどね」


そう彼女が軽く笑うほど罪悪感が強くなる。
マジで何でこんな日に寝坊しちゃったんだろうな。


「……フフッ、そんなに落ち込まなくても大丈夫だよ」

「いや、でも、マジでごめんね」

「大丈夫、大丈夫だから。着替えてお昼ご飯一緒に食べに行こう?」


ニコニコ微笑みながら、優しく彼女はそう言ってくれる。

……ホント、舞と付き合って良かったな。
準備をしようと机の方へ向かう彼女の後ろ姿を見ながら、俺はそんな事を心の底から思う。


「……それはそうとして、ちょっと昴に聞きたいことがあるんだけど」

「どうした?」


そんな幸福感や安心感も束の間に舞はそう言いながらこちらにゆっくりと振り返って来る。
何故か俺のヘッドホンを片手に持って。


「あのさ……私がこの部屋に来てからずっとこのヘッドホンから女の人の声が聞こえてたんだけど……一体どういう事?」

「うん?」


怪訝そうな顔をしながら、ヘッドホンをこちらに渡してくる彼女。
何を流していたか全く覚えてないため、ヘッドホンを右耳に当てる。


「ん?……あっ、これは……」

「何?……もしかして、浮気?」

「いやいやいや、違うよ!ちょ、ちょっと待ってね」


彼女の顔が怪訝そうな顔からじとーっとした顔に変わった事に焦りを覚えながら、俺は近くに置いていた自分のスマホを開く。


「んーっと……これっ!これを流してたんだよ」


そして、流していた動画の画面を彼女に見せる。


「どれどれ……シチュエーション……ボイス……?……男性向け?……何これ」

「えっと……舞はさ、ASMRって知ってる?」

「ASMR?……あー、あの耳かきの音とか咀嚼音とかのやつ?」

「そうそう、そういうやつ。で、このシチュエーションボイスっていうのもそのASMRの1種なんだよ。それで、さっき流れてたのは……これ」

「あっ、さっき聞いた女の人の声だ。なるほど、さっきまで流れてたのはこの動画の音声だったのね」

「そういう事」

「なんだー、昴が浮気でもしてんじゃないかって心配しちゃった」

「安心して、俺にはそんな事をする勇気は無いから」

「うーん、それはそれでちょっと嫌かも」

「俺はどうすれば正解なのよ」


そんな軽い言い合いをして、互いに『ハハハッ』と笑う。

何とか誤解も解け、空気も和んできたからそろそろ着替えて出かける準備をしようかな。
という訳で持っていたスマホを机に置いて、脱衣所へ向かおうとしたその時、再び舞が口を開いた。


「……という事は君はこういう高くて可愛い声の人が好きなんだね」

「……えっ?」

「だって、こうやって流して聞いてるって事はそれぐらいこういう声が好きなんでしょ?……まぁ、それに比べて私のは低いしあまり女っぽくないけどさ」


……おいおいおいおい、ちょっと待て。
これはまた別の方向に誤解が生まれてるって。

そもそも何でこんな動画が流れてるんだ?
……って、昨日の夜、寝る前にいつも通り好きなシチュエーションボイスを聴いてそのまま寝落ちしたの今思い出したわ。
だから、ヘッドホンも床に落ちてたのか。
という事は……この動画が流れてたのも自動再生機能の所為か。

……そんな事実確認をしている間に結構舞が落ち込んでる。
これは早く誤解を解かなければ。


「ちょ、ちょっと待って。色々聞き流せない言葉があったけど、取り敢えず誤解を解かせてほしい。まず、俺は舞の声好きだよ」

「……えっ?ホントに?」

「うん、その証拠にこの画面を見て欲しんだけど」


そう言いながら、俺は動画サイトのお気に入りリストを彼女に見せる。
……個人的には自分の性癖を見せることになるから若干の抵抗感はあるのだけど。


「うわっ、凄い。さっきの動画と似たような動画がいっぱい……」

「ちょっとさ、その動画たちのサムネ、見てくんない?」

「サムネ?えーっと、なになに……低音ボイス、低音ボイス、低音…………何か『低音』って付くやつばっかりだね」


少し不思議そうな顔をして、こちらを見てくる彼女。


「うん。あと、ちょっとだけこれ聴いてくれない」


そう言い、俺はそのリストの中の動画を1つ流す。


「……あっ、何かこれ、私の声に似てる」

「そう。俺実はさ、声フェチでさ、その中でも特に低音が好きなんだよね……」

「えっ、そうなんだ。……初めて知った」

「まぁ、俺も今初めて言ったからね」

「あー、だからこういうのを聴いてた訳ね。やっと納得したわ。……あれっ?じゃあ、一番最初に流れてたやつは結局何だったの?」

「あれはただ単に自動再生で流れてたやつ。昨日、こういうのを聴いたまま寝落ちしちゃったから、そのまま流れちゃってたみたい」

「何それ、ホント紛らわしいな!」

「ごめんて」

「……ふーん、でも、低い声が好きって事はさ――」





「こういうのがいいって事?」





もう一つの誤解も解けて、ホッと胸を撫で下ろしている俺の耳元で彼女はそう呟いた。
背筋が一気にゾクッとする。


「アハッ、今、体ビクッてした。やっぱりこういうの好きなんだね」


ニヤニヤしながらも、若干ムスッとした様子でそう言ってくる彼女。

……おや?
もしかしてこれは……


「舞……もしかして、嫉妬してる?」

「……そりゃするよ。昴の彼女は私なのに、それも私の声が好きなのに、昴は他の女の人の声を聴いてたんでしょ?」

「それは……確かにそう。すいません」

「でも……もう良いの。昴が私の声、好きな事が分かったから」

「……舞」

「私ね……実は自分の声、結構気にしてたんだ。さっきも言ったけど他の女の人と比べたら結構低い声してるからさ。……だけど、昴が私の声を『好き』って言ってくれたから、何だか吹っ切れちゃった。ホントありがとう」

「……こっちこそ、気づかなくてごめんね。それなら舞の声が好きな事、もっと前から言えば良かった」

「ううん、大丈夫。今、君が言ってくれたから」


そう言い、凄く晴れやかな笑顔を見せる彼女。
俺もそんな笑顔を見て、安堵の笑みを浮かべる。


……ふぅ、これでやっと諸々一段落かな。
朝(昼)から修羅場になる所だったけど何とかなって良かった。
俺の性癖を彼女に晒すことになってしまったけど……これは必要な犠牲だった。

それでも、舞は前から気にしていた事が無くなったからか凄く爽やかな表情を浮かべているから良しとしよう。

そんな事を考えながら、やっと準備が出来ると色々荷物をまとめようとしていると舞が俺の耳元にスススと近づいてきた。


「あの……昴が私の声好きな事が分かったからさ、お昼は今から一緒にデートだから無理だけど、帰ってきた後――」






「夜、いっぱい楽しもうね遊ぼうね







……俺はどうやらヤバい弱点を彼女に晒してしまった様だ。













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