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Undeadman meets Vampiregirl

化け猫《ケット・シー》

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「………ぅ…?」

 まぶた越しの光を受けて、ぼんやりと意識が覚醒する。
 頭を振りながら周囲に目を向けると、どうやら此処は町外れの廃屋らしい。
 日が差し込む割れた窓ガラスや、腐った床板がかなりホラー系。幽霊とか出そうだね。今は真っ昼間だけど。
 頭がズキズキと痛むが、二日酔いでは無い。

「………俺にゃ緊縛趣味なんぞ無ェっての」

 全身を縛り付ける、紅の水晶の様な鎖を見てため息を吐いた。
 俺の両足は文字通り地に足を着いていない。
 両手を後ろ手に、宙ぶらりんの状態で鎖で吊り下げられていた。
 そして紅く透き通ったその鎖は鉄でも、ましてや硝子でもない。

「……で、俺になんか用か?吸血種ノスフェラトゥ

「それは貴様がよく分かっていると思うがな」

 ぶら下がった俺を見上げている、この黒マントの血晶魔法ブラッドアーツが創り出したものだ。
 ジャコが使っていた時は手のひらに纏わせる程度だったが、これが本来の血晶魔法の使い方らしい。
 見下ろしながら俺は黒マントを観察する。
 アルカ嬢とジャコの中間程度の体格と高い声。
 マントの所為で襲われた時はよく分からなかったが、やはりコイツは女の様だ。
 フードを被っているので顔立ちは分かりづらいが、肌も綺麗だし、顎が細くて口元もセクスィー。
 左頬にある三筋の傷跡もちょっと色っぽい。
 これで実は男でしたとかだったらちょっとした詐欺だ。いや、俺も女顔なんだけどそこは棚に上げて。

「よく分かっているって、いきなり襲われた身としては、何が何だかわからんのだが」

「恍ける必要はない。貴様が化け提灯ジャック・オ・ランタンと接触したのは知っている」

「……ジャック・オ・ランタン?」

 俺はそれを聞いて首を傾げるが、ジャコの事を示しているとすぐに思い至った。
 化け提灯ジャック・オ・ランタンねぇ。言い得て妙だな。

「………厄除け祭にゃあ、ちと時期が早いぞ」

「…?なんの事かは分からないが、貴様が下衆な冒険者に痛めつけられ、化け提灯がそれを助けたのは分かっている」

 すっとぼけた俺の戯れ言に女は首を傾げたが、どうやら誤魔化されなかった様だ。
 ま、旧時代の残りカスだしなぁ。
 …………ん?
 俺はふと、女の口にした『下衆な冒険者』という単語から違和感を覚える。
 おそらくソイツはアージャを指しているのだろう。
 確かに先日俺は奴に襲われた。
 だが、それを知っているのは当事者であるジャコと俺、後から顔を出したアルカ嬢、そしてアージャと取り巻きたちしか知り得ない筈だ。
 この女が何故それを知っているのか。
 アージャの取り巻き共が漏らしたと考えたが多分違う。
 何故なら、昨日から今日にかけて、『吸血種が出た』という噂をとんと耳にしていないから。
 考えられる可能性は。

「因みに情報源の下衆どもは皆消えてもらった。良かったな、これからは安心して街を歩けるぞ」

 情報が漏れる前にこの女が、奴らを二度と口が利けない様にしたということ。
 自分を含め、吸血種の存在を隠すために。
 三流とはいえ奴らも冒険者だ。ちょっとやそっとで死ぬほどヤワじゃない。
 それをあっさりと殺ったコイツはかなりの手練らしいな。
 ………はぐらかすことも出来なくはないが、恐らくこの女には相手の意志を無視して口を割らせる方法があると思われる。
 そうじゃなきゃ、ものの一日で俺とジャコが接触したなんてバレるわけがない。
 なので俺は。

「………黙ってても無駄らしいな。『排斥派』」

 あっさりバラすことにした。

「………ふっ。その言葉が出たということは、お前は吸血姫アルカードとも接触したということか」

 フードの内側で女の唇が三日月に歪む。
 吸血姫アルカードね。
 どうやらアルカ嬢は俺の思った以上に高貴なお方だった様だ。

「目的は、アルカ嬢達の暗殺か」

「ほう、察しがいいな。………いや、吸血姫たちから話を聞いたか?」

「どうだかね」

 あくまでも自分は無関係という体を崩さず、俺は鎖に繋がれたまま肩を竦める。
 恍けながらも、俺は窓の外へ目を向けた。
 窓から差し込む陽光の角度からして、青猫亭を出てからかなりの時間が経っている。
 ……まだチャンスはある。

「確かに俺は昨日…んにゃ、一昨日か。アンタの言うアルカ嬢やジャコと顔を合わせたよ」

 けどそれだけ、と肩を竦める。
 概要は聞いたが詳しくは知らない。あくまでも蚊帳の外である事をアピールする。
 今は時間を稼ぐことを優先しねーと。

「穏健派と排斥派で吸血種が割れてるのは聞いたけど、それ以上の事は何も聞いちゃいない」

 皮肉げに口元を歪めながら目を細めると、女は疑わしげに頭を揺らす。

「では、吸血姫達の拠点は知らない、と?」

「………どうだろうな?ああ、東の地区から宿を移すとは聞いたな」

 口元を更に歪ませ、クツクツと笑って見せた。
 嘘は言っていない。
 ただ、移った宿が青猫亭だと言っていないだけだ。

「だからさっさと帰して……おおっ!?」

 じゃらんと鎖が揺れ、視線が下がる。
 足がつかない程度に身体を引き下ろされたのだ。
 女はぶら下がる俺に歩み寄って胸ぐらを掴み上げると、フードから覗く赤い瞳で俺を見る。

「貴様、生殺与奪を握られているというのに、私が怖くないのか?」

「生死が掛かってるって点では怖くない。痛いのはヤだけど」

 脅しに平然として答えると、女は訝しげに首を傾げた。
 だって俺死なんし。
 言った所でこの女は信じないだろうけど。

「つまり拷問の類は通用しないと言いたいのか?」

「いや痛いのヤだって言ったじゃん俺。一思いにブッ殺されてもどーってことねーってだけ」

 話が逸れているが、時間稼ぎには持って来いだ。
 出来る限りコイツの興味を引きつけろ。
 そうすりゃ…。

「…………その態度、気に食わないな。まるで貴様の手のひらの上に居るようで」

「さてな、んな大層な真似はしちゃ」「黙れ」

 言葉を遮られ、服の胸元が破られる。
 女は俺の胸に鋭く尖った爪を突き立て、五指で強く引っ掻いた。

「いでっ!?」

 肉が抉れ、胸から血が噴き出す。

「もう口を閉じろ。これ以上貴様の言葉に踊らされるのも癪だ」

「ぐぐ…俺が何も言わなきゃ、情報が手に入らないだろ…?」

 痛みに呻きながらも強がって笑う。

「口の減らない男だ。………もう貴様に訊く必要はない」

 そう言って女は指先に付いた俺の血を舐めとった。
 ………そうか、そういうことか。
 俺はその光景で全てを理解した。
 吸血種ノスフェラトゥは血を媒介にした魔法、血晶魔法ブラッドアーツを用いる。
 自らの血で武器を作り、他者の血で・・・・・精神に干渉する・・・・・・・
 恐らく女が血を舐めた事で、俺の記憶を読み取ろうというつもりだろう。
 ………詰んだか。
 俺は時間稼ぎに失敗したと肩を落とす。
 直後の事だった。

「…………ッ?……ぐぅっ!!??」

「ん…?」

 俺の血を舐めて数秒後、女は頭を押さえて苦しみだす。

「なんだ…!?なんだ、これは!?」

「………?」

 女は頭を振りながらうずくまり、俺を睨みつけた。

「…お、おい?どうした?大丈夫か?」

「大丈夫か…だと!?」

 俺の心配を余所に、女は俺の両肩を掴んで俺の身体を揺さぶる。

「貴様…貴様は、何故今まで生きていられた!?これ程までの死を体験して、何故生きている!?」

「………!」

 女の乱心の理由がわかった。
 この女、俺の人生の・・・・・全てを見やがった・・・・・・・・

「お前は……一体何なんだ!?」

 女が大声で問う。

「……………」

 その質問に対して、俺は一度目を閉じ、答えた。

「知りたきゃ、俺を殺ってみな」

「……うっ…!?」

 俺の目を見て女は一歩後ろに下がる。
 今の俺の目は、多分、生気の欠片も感じさせない虚無的なモノになっている。
 そしてその目の意味を、今のこの女は分かっているだろうな。
 だから。

「う…うわぁぁぁぁぁ!!!!!」

「ッ!」

 俺の首に、血晶魔法の剣を振り下ろしたのは、正解だ。

「…………ビットさん!?」

 剣が俺の頭と身体を切り離す直前、廃屋の壁を突き破ってアルカ嬢達が飛び込んでくる。
 ………タイミングが良いのか悪いのか。
 首を切り飛ばされながら、俺は微妙な心境になった。





 私がビットさんの攫われている場所に向かう一時間前。
 日が昇り、正午近い時間になっても彼が帰ってこない事に私達は焦りを覚えていた。

「……ビットさん、遅いですね」

 従者のジャコの言葉に私は同意する。
 彼が男娼という特殊な仕事をしていたのは驚いたけど、こんなに時間を取るものかしら?

「………レイラさんに確認しようかしら」

「はい」

 私達はいそいそと部屋を出て一階に降りていった。

「………ねえ、レイラさん…ビットさんの事なんだけど…」

「今ちょっと黙ってて!」

「は、はい」

 私達が食堂に降りて行くと、レイラさんが宿の玄関からバタバタと奥に駆けて行った。
 ジェイクさんがそれを追いかけているのを見るに、レイラさん達もビットさんが帰らない事に思う所があるみたい。
 私とジャコは頷き合って二人の後を追った。

「レイラさん、ジェイクさん…」

「………ジィさんの連れか。どうした?」

 宿の奥にあるジェイクさん達の家の居間に入ると、レイラさんは椅子に座ってテーブルの上に乗っている金属の箱を開いていた。
 側に居たジェイクさんがその熊のような体格を振り向かせ、じろりと私達を見る。
 有無を言わせぬ迫力に一歩たじろぐが、意を決してビットさんの帰りが遅い事が心配だと言うと、ジェイクさんは目を閉じて頷き、顎でレイラさんの方を示す。

「………なに、これ…」

 サビの浮いた金属の箱の中身を見て、私とジャコは目を丸くした。

「ビットが持ってた道具よ。あいつが私達に持たせてたの」

 パチパチとボタンを叩きながらレイラさんが答えた。
 箱に見えたそれは、実際は全く異なる用途を持っているらしい。
 箱の蓋の部分には四角い硝子のような板が嵌め込まれており、その向こうでは『絵が動いている』。
 分かりづらい表現かもしれないが、私に取ってはこう表現するしか無い。
 箱の下の部分は文書作成機タイプライターの様に文字や記号が書かれたボタンが付いていて、ボタンと絵は連動しているみたい。
 大きな円が描かれた内側に、放射状に細かな四角が幾つも並んでいる。
 レイラさんがボタンを叩くと、端の方で赤い点が一つ、ピカピカと点滅した。

「ビットを見つけたわ。町外れの方に居るみたい」

「え…どうして分かったの?」

 レイラさんが振り向いてそう言ったので、私は驚いて問い返した。

「この赤い点は、ビットの今いる場所を示しているの。あいつは常に自分の居場所を発信する道具を持ってて、この箱がそれを受信してる」

「はっしん…じゅしん…?」

 意味の分からない単語に私は首を傾げる。

「私も詳しくは知らない……あいつは『時代と共に廃れた物だ』って言ってた」

 時代と共に廃れた?
 意味は分からなかったが、その言葉で私は彼の口にした事を思い出した。
 『自分は旧時代末期の生まれ』。
 それがもし嘘で無いならば、あの箱のような道具は旧時代の遺産、とてつもなく貴重なものではなかろうか。
 私の驚愕を余所に、レイラさんは目だけでジェイクさんに何かを訴える。
 その目を見たジェイクさんは一つ頷き、部屋の奥へ引っ込んだ。

「付いて行くなら好きにして。人手は多いほうがいいから」

「………付いて行く?」

 私の疑問に、レイラさんは私達をジトッと睨みつけてくる。

「あんたたち、どうせビットに手を貸すとか何とか言われたんでしょ?」

「え…」

 なんで分かったの?

「なんで分かったの?っていう顔してるわね。あいつの言いそうなことだからよ」

 顔に出ていたのか、ため息混じりにレイラさんは私達の疑問に答えた。

「あいつは、自分が面白いと思ったことなら平気で首を突っ込むような勝手な奴よ。あんたたちが何者か知らないけど、あいつが興味を持つような面倒事を抱えてるんでしょ?」

「………」

 淀みなく言い切ったレイラさんに私は目を点にした。
 ………なんというか、ビットさんみたいな洞察力だ。

「ビットに借りを作ると色々と面倒だから、恩を売って損は無いと思うわ」

 レイラさんはそう言うと、ふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向く。
 レイラさんとの話が終わった直後、ジェイクさんが居間に戻ってきた。

「……行くぞ」

「あ、ジェイクさん……!?」

 部屋の奥から出てきたジェイクさんの姿に、私達は目を見張った。
 先程までの寡黙なおじさんという印象から一転、現在の彼は先日の狼藉者とは一線を画する屈強な冒険者らしい姿をしている。
 使い込まれた黒い鋼の重鎧ヘビィアーマーを全身に纏っているジェイクさんの背中には、凡そ人間が持つには規格外の巨大な戦斧が背負われていた。

「……付いてくるなら好きにしろ」

「…あ、待って下さい!」

 あんな重装備で平然としているジェイクさんの膂力に戦慄しつつ、私達は裏口から外に出るジェイクさんの後を追った。




 私達は街の中を全速力で疾走していた。
 ………それにしても…。

「はぁっ…はぁっ…ジェイク…さん…!」

「………どうした?」

 私の制止の声を受けて、私達の前を走っていたジェイクさんが足を止めてこちらに振り返る。
 あんなに重そうな格好でなんで私達より速く動けるの!?

「はっ…はっ…方角は…こっちで合ってるんですか…?」

 切らした息を整えながらそう訊くと、ジェイクさんはコクリと一つ頷く。
 そしてじっと私の顔を見た。

「あ、あの…?」

「………さっきは言いそびれていたが、ジィさんの道具の事はあまり触れ込まないで欲しい」

「…え…?」

 ビットさんの道具って、あの箱の事よね?
 わざわざ言うつもりも無いけれど、ジェイクさんはどうしてそんな事を?

「……ジィさんの事をどこまで聞いた?」

「え?あ、えー、と…」

 ……いきなり問われてすこし躊躇ったけど、私達が吸血種ノスフェラトゥだってこと以外は別に話してもいいよね…。
 彼が常人種とも吸血種とも違う人間だということ、旧時代から生きていることなど、一昨日から昨日に掛けてビットさんと話したことを思い出しながらジェイクさんに答えた。

「………そこまで聞いてたか。ジィさんにしては珍しいな」

 『あまり自分の事を話す事は無いんだが』とジェイクさんは顎を撫でる。
 ………どういうこと?

「ああ、ジィさんは手前ェが普通の人間じゃねぇってことは言っても、旧時代の人間だってのはあんまり口にしないんだ」

 腕を組んで静かにそうジェイクさんは口火を切る。

「なんでも、『今の時代に取って俺と俺が生きていた時代の産物はただの異物でしかない』んだと」

「……異物」

 過去の産物がどうして異物になってしまうのだろう?

「深い意味は俺にも分からん。ガルサで一番付き合いの長いバァさんなら何か知ってるんだろうが、ダチを売る真似をする人間じゃねぇしな」

 『ちゃんと答えられなくてすまん』とジェイクさんは再び顎を撫でた。
 そして表情を引き締めて私達に背を向ける。

「……あんたらの息も戻った様だし、長話はここまでだ。行くぞ」

「っ、はい」

 悠長に話している時間は無いはずなのに、私達が休む時間を作ってくれていたのね。
 ジェイクさんの心遣いに感謝しつつ、私達は再び走りだした。



「……ここか」

 入り組んだガルサの街中を走り通し、私達は町外れの廃屋の裏に出た。
 レイラさんが弄っていた箱の絵を基に、ガルサの位置関係を考えればここだと私達は見ている。

「ビットさん、大丈夫でしょうか」

 ジャコの言葉に私は首肯し、ジェイクさんに目を向ける。

「ジェイクさん、まずは入り口を…」

「そんな暇はない」

 そう言ってジェイクさんは背負っていた戦斧を手に取り、構える。
 …………え?

「ジャコ、伏せて!」

「は、はい!」

 ジェイクさんのやろうとした事を察した私達は慌てて身体を伏せると、ジェイクさんは振り上げた戦斧を力の限り廃屋の石壁に振り下ろした。
 一撃で石壁は粉々に砕け散り、土埃が辺りに巻き上がる。
 私達は崩れた穴へ直ぐ様飛び込んだ。
 直後に私達の目に飛び込んできたのは、鎖に拘束されたビットさんの姿と、紅い剣を振り上げる黒マント姿。

「ビットさん!?」

 私が叫ぶも間に合わず、剣が振り下ろされる。
 宙を舞う彼の頭と一瞬目が合った。
 無音の部屋でごとん、と、一際大きな音を立てて彼の頭は床に落ちた。

 ごとん、ごろごろ。

 そんな滑稽にも思える音を響かせながら、ビットさんの頭が黒マントの足元に転がる。

「はぁ…はぁ…」

 黒マントは何故か息を荒げながら、ビットさんの身体を拘束していた血晶魔法を解除する。

「び、ビット…さん…」

「っ!誰だ!?」

 私が声を上げて漸く気づいたらしい黒マントは、身を翻してこっちに目を向けた。
 そして私を見とめると、驚いたように身体を揺らす。

「…貴様、吸血姫アルカードだな」

「……ええ、そうよ。貴方は……排斥派の追手?」

 声が震えなかった自分をほめてやりたい。
 ビットさんが殺された事で動揺する自分を誤魔化すように、私は分かりきった事を敢えて問う。

「ふ、ふふっ…わざわざ訊くような事でも、答えてやるような事でも無いだろうが、イエスと言ってやる」

 声の質で女だと判断できる黒マントは、私の問いに肩を揺らしてクツクツと笑った。
 そして全身を曲げて四つ足を付き、ぐっと身体を強張らせる。

「死ね!」

 その言葉を置き去りにする程の速度。
 一瞬と見紛うほどの速度を以って黒マントの手刀が私の喉に伸びた。

「ッ!?」

 速い!?
 目で追うのがやっとだった私は避けることができずに思わず目を閉じる。

「むぅん!!!!」

 直後、ギャリン!という金属音。
 恐る恐る目を開けると、私の目の前には巨大な戦斧の腹が壁のように映っていた。
 ジェイクさんが咄嗟に戦斧を盾にして庇ってくれたらしい。

「ジェイクさん!」

「ボサッとする暇があるのか?」

 ビットさんが目の前で殺されたと言うのに、一切の動揺を見せずにジェイクさんはそう口にする。

「ジィさんを荒事から助けたんだ。それなりには戦えるだろう?」

「ッ…え、ええ…」

 ジェイクさんが斧を構え直し、私達に背を向けて問うたので私は頷いた。
 でも…。

「この女、俺だけでは少し荷が重い。3対1で一気に叩く」

「………」

 ジェイクさんの提案に私の心は揺れ動く。
 私の戦いは、即ち血晶魔法ブラッドアーツを使うこと。
 私は吸血種ノスフェラトゥ。彼は常人種ヒューマン
 昨日ビットさんに言われた、私の思っていた以上の吸血種と常人種の確執。
 それが私に戦うことを躊躇わせていた。

「……ッ」

 私は黒マントの向こうで倒れ伏すビットさんの亡骸を見る。
 胴と頭が切り離された彼の姿に、私の心はささくれ立つ。
 どうやら経った2日の縁なれど、私にとって彼の存在は少し大きくなっていたみたいだ。

「………ジェイクさん、今から私のすることに、驚かないでください」

 少なくとも、彼の仇を討つために躊躇いを吹っ切る位には。

「アルカ様…!?」

 私の意図を察したジャコが制止をかけようとするけれどそれを無視する。
 私は自分の右手に爪を立てて引っ掻いた。
 肉のえぐれた手のひらから血が流れるがそれも数秒、私の手には紅い血晶の剣が収まっていた。

「……!」

 流れ落ちる血が凝固し、細身の剣を象ったのを見たジェイクさんは僅かに目を細める。

「……成る程な。それ・・がジィさんの興味の理由か」

 視線を黒マントに戻しながらジェイクさんは納得したように頷いた。
 予想以上に反応が薄かったので私は少し肩透かしに感じる。

「……驚かないんですね」

「十分驚いてるさ。ただジィさんで慣れてるだけだ。……それに」

 ジェイクさんの視線が黒マントの右手に移る。
 彼女もまた、血晶の剣の切っ先を此方に向けていた。

「ジィさんとあんた、ウチの客二人に手ぇ上げたんなら、相応のケジメは付けさせる。そこにあんたが何者だとかは関係ねぇ」

「………」

 すごい論理を持ってきた。
 ジェイクさんに取って、私が吸血種だなんてものは二の次だと。
 ただ自分は宿泊客の為に戦うのだと。
 宿屋と客という立場だが、曲がりなりにも私という存在を認めてもらえたことに安堵すると同時に、私達を引き会わせてくれたビットさんが亡くなった哀しみが胸を撃つ。

「……ジャコ、貴女も構えて。ビットさんの敵討ちよ」

「………ああもう、私は止めましたからね!!」

 今まで正体を隠してきた事が台無しになって自棄っぱち気味にジャコが私の横に並び立つ。
 その両手には傷つけた手のひらから流れる血で出来た、血晶の戦槌が握られていた。

「………来い、纏めて皆殺しだ」

 黒マントのその言葉が戦いの火蓋を切る。
 最初にジャコが黒マントへ肉薄し、両手の戦槌を頭目掛けて振り下ろした。
 黒マントはそれを事も無げに剣で受けて弾き飛ばす。
 攻撃を弾かれて横に跳んだジャコに続いてジェイクさんが戦斧を真横に薙ぐ。
 殆ど隙のない波状攻撃だったが、黒マントは冷静にバックステップでそれをやり過ごした。
 ジャコとジェイクさんの連携に余裕を持って躱したつもりだろうが結構ギリギリだったらしく、一瞬動きを止めた黒マントへ私はジェイクさんの肩を踏み台にして跳びかかった。

「…ッ!?くっ!」

「やぁっ!」

 直前までジェイクさんの体躯に隠れていたので、黒マントには私が突然現れた様に見えたことだろう。
 完全に虚をつかれた黒マントは私の剣閃に対応が遅れ、その胸元に切っ先が沈み込む。

「ッ…舐めるなぁ!!」

 直前、黒マントは空の左手で私の剣を掴んで私の刺突をズラした。
 刃が滑って黒マントの左手を深く抉る。
 びしゃりと血が噴き出すがそれも一瞬、流れ落ちた大量の血がまるで生き物のように蠢いて彼女の左腕に纏わり付くと、虎のように大きく鋭い爪へと変化した。

「わ、きゃぁ!?」

 血晶の爪を振るい、黒マントは私達を一撃で吹っ飛ばす。
 その勢いで黒マントの顔を覆っていたフードが後ろに落ちた。
 血のように赤い瞳。肩まで伸ばした青い髪。
 頬に三筋の傷が入った私より少し年上っぽい顔立ち。
 そして髪の隙間からは、猫を思わせる尖った耳が生えていた。

「……ちっ」

 自らの耳を撫でて女は軽く舌打ちする。
 吸血種の中には、ジャコの様に成長とともに身体の一部が異形化する例も存在する。
 彼女も吸血種だと分かっていたので可能性として考えてはいたが、その耳を見て私はある人間の異名を思い浮かべた。

「……化け猫ケット・シー

「……その異名を知っていたか」

 猫女、通称『化け猫ケット・シー』は目を細めて身構える。
 彼女が化け猫本人だと言うのなら、やや不利かもしれない。

「………知り合いか?」

「お互いがお互いを知っているだけです。……何故貴女が排斥派に就いてるのかしら?化け猫、キーシャ・トレイン」

「連中は金払いがいい、ただそれだけだ。吸血姫、アルカ・ドランシェット・キュリエ。いや、今はアルカ・ドリィと偽っているのだったな?」

 あ、わ、このネコあっさりバラしたァァァ!?
 私は恐る恐るジェイクさんの顔を伺う。

「………俺は何も聞いてねぇ。今はこの女をどうにかするのが先決だ」

 ………ジェイクさん、熊みたいな見かけによらず本当にお気遣い紳士…。
 私は余計なことをしくさった化け猫を睨みつつ、血晶剣を構え直す。

「で、あの女何もんだ?」

「彼女はキーシャ・トレイン。フリーの傭兵で、常人種の戦争で片方に自分を売り込んでは戦場を引っ掻き回すのと、彼女の見た目から化け猫ケット・シーなんて呼ばれています」

 目は化け猫に向けたままジェイクさんに彼女の情報を話す。
 当の化け猫本人は右手の剣を弄びながら冷ややかに事の運びを眺めていた。

「……並じゃねぇって事か」

「そうですね。……一瞬の油断が命取りになります」

 ジェイクさんとジャコの言葉に私は頷く。
 一瞬のアイコンタクトの後、私達は三手に別れた。
 化け猫の正面にジェイクさんが対峙し、左側にジャコ、右側に私が立って化け猫を取り囲む。

「くく…別方向から同時に攻撃すれば、一太刀は浴びせられると踏んだか?」

 化け猫は青い髪を揺らして私達を見回し、笑う。
 それを切っ掛けに私達は化け猫へ斬りかかった。

吸血種ノスフェラトゥとは!」

 声を上げた化け猫は正面から振り下ろされたジェイクさんの戦斧を左手の爪で容易に弾き飛ばす。

「他者の血を取り込み、糧にすることで常人種ヒューマンを遥かに超える力!」

 私の剣を見向きもせずに躱す。

「それを振るうための五感!」

 戦槌を振り上げたジャコの腹を蹴り飛ばす。

「そして状況に見合った武器をその都度創りだす血晶魔法ブラッドアーツ!」

 化け猫の持つ血晶剣がしなり、鞭のように私たちに襲いかかる。

「ぐっ…!」

 咄嗟に急所は躱したけど、腕や脚に幾つもの切り傷が刻まれた。
 ジェイクさんやジャコも同様に浅くない怪我が見える。

「それこそが吸血種の真骨頂………にも関わらず、貴様らのその体たらくはなんだ?」

 化け猫は私とジャコの二人をひどく冷めた目で見回した。

「身体能力は素人よりマシだが、常人種の域を出ない。血晶魔法もそんな玩具しか創り出さない。……いや、出せない、か?その程度でよく吸血種などと名乗れたものだ」

「……黙りなさい…」

 傷を押さえながら私は化け猫を睨みつける。
 戦闘における身体能力、直感力、そして血晶魔法の生成速度。そのどれもが私やジャコを上回る。
 彼女は叩き上げの傭兵。一筋縄じゃいかないと思ってたけど、これほど差があるなんて予想の範疇を超えていた。

「………」

 化け猫は訝しげに私達の顔を見る。

「………くっ、はははっ。そうか、そういうことか」

 そして何か得心が行った様に口元を釣り上げた。

「いくら若いとは言え、その程度の血晶しか出せないのは可笑しいと思っていたが………貴様達、どれ程の間血を断っている?」

「……っ」

 私はその言葉に、自らの唇を軽く噛む。
 私は吸血種でありながら血を飲んでいない。
 正確には、生まれてこの方血を飲むことを忌避している。
 ジャコは私と出会う前までは血を飲んでいたが、私に付き従ってからは私に気遣って血を飲むのをやめていた。

「ふふふ、ははははは!これは滑稽だ!吸血種でありながら血を飲まない者が居たとはな!」

 私達の事情を知った化け猫はお腹を抱えて高笑いする。
 その時だった。






「ジェエエェェイク。17秒稼げ」






「……えッ…!?」

 物言わぬ亡骸となった筈のビットさんの声が、いつも通りのトーンで発せられたのは。

「………あいよ」

 それにジェイクさんがいつも通りの返事をし、化け猫に襲いかかる。

SETセット.HUTハット!」

 直後、力なく倒れていた、頭のないビットさんの身体が跳ねるように立ち上がった。
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