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Twin Snakes

蛇 2

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「っく、おぉっ!」

 四振りの蛇腹剣ガリアンソードが鎌首をもたげ、刃が次々と襲いかかる。
 それをキーシャが右手の剣一本でなんとか弾き飛ばしていた。

「ぐ、あだだだ…キーシャ、もうちょい揺れを抑えてくれ。塞がるもんも塞がらねぇよ」

「状況が見えていないのか貴様ぁっ!」

 屋根を飛び移る衝撃で腹の傷が開きかけたので一声かけるが怒られた。
 その間もキーシャは卓越した剣技とその敏捷性で、襲い来る蛇の切っ先を弾いていく。
 しかも細身とはいえ大の男を抱えたまま平然と飛び跳ねている様は、まるでひとつの舞踊を思わせた。
 場所が場所なら異色の一組カップルとして舞踏会を賑わせられるかね。

「っ!」

「あだだだ!顔擦れる顔擦れる!」

 俺の表情から馬鹿なことを考えたのを察したか、キーシャは逃げる途中で俺の足を引っ掴んでずりずりと顔面を引きずり回す。
傷治してる真っ最中なのに傷を増やしやがった!!しかも一応男娼おれが売りにしてる顔を!!

「あばばばばっ、おま、さっき護衛が、ぶっ!どうとか言ってただろうが!?」

「やかましい!多少の怪我なら問題無いだろう!」

 確かにそうだけど!
 キーシャが掴む俺の足を狙って蛇腹剣が襲いかかるが、一瞬速くキーシャが俺の身体を引っ張って抱え直し、再び逃走を図った。

「うろちょろしてんじゃないよぉ!」

「お前たちは俺達の玩具なんだからさぁ!」

 逃げの一手を取る俺達を蛇二匹はしつこく追い縋る。
 正に蛇のような執拗さだ。
 喜々として俺達を追いかける蛇達の表情から、俺かキーシャを生かして嬢達の居場所を突き止めなければならないという、当初の目的は忘れている様だな。
 それはそれで好都合。作戦を第二段階に移行させるまでこいつらを釘付けにする事が出来るんなら、多少のリスクは背負ってなんぼだ。

「ビット・フェン、あとどれくらいだ!」

「うぐ…あと二分!なんとか保たせろ!」

「承知した!」

 不意に自らの顔面を襲ってきた切っ先を弾き、キーシャは再び蛇共から距離を離す。
 蛇王ナーガの剣を一度弾いたかと思えば、間髪入れずに蛇姫ラミアが追撃。
 人間というものを永いこと見てきた俺の経験則から、個々の地力はキーシャの方が蛇達を上回っている。
 だが、こいつらが二人揃った時の連携コンビネーションは決して楽観視出来るものではなかった。
 互いの動きを熟知しているが故の間断ない攻撃の連鎖は、キーシャが持つ優れた脚力を確実に阻害している。

「シャァッ!」

「っ!っで!?」

 蛇腹剣の切っ先がキーシャの防御を掻い潜って俺の鼻を真一文字になぞった。
 幸い浅かったので一瞬血が吹き出して傷が塞がる。

「っ!すまん!」

「いや、いい。それよりもっと防御に集中してくれ」

 詫びるキーシャにそう返しながら、俺は自分の背中に脂汗が滲むのを感じ取っていた。
 今の一閃は偶然だ、とは言い難い。
 俺の目では早すぎて完全に見切ることは敵わないが、恐らく連中が攻撃の回転率を上げたんだろう。
 蛇が獲物の首を締め上げるように、少しずつ苛烈に、少しずつ執拗に。
 面ぁ突き合わせて10分と経っちゃいねぇが、こいつらの性格が腐り切ってやがるのはよく分かった。
 ………俺達がこの状況を打破する手段は、一応あるっちゃある。のだが、これをやると暫く俺が使い物にならなくなるリスクが浮上する。
 作戦が間に合えば、勝負の賽の目五分と五分ってとこか?
 ………このままじゃジリ貧なのは目に見えてるし、しゃぁねぇ。

「……キーシャ、あと三分追加だ。その間俺が連中の攻撃を読むから、防御に集中しつつ例の場所に向かってくれ」

「…!?貴様、一体何を…!?」

「余所見厳禁だよぉ!」

「!ちぃっ!!」

 蛇腹剣を弾きながらキーシャが何か叫んでいるが、それは既に俺の耳には届いていない。
 俺は瞬きもせず目を見張り、全神経を思考に集中させる。
 アドレナリンもドーパミンもエンドルフィンも赤字覚悟の総決算。
 シナプスがぶっ潰れるが直ぐに再生させて回転率向上。
 神経伝達物質の過剰分泌で血管が開く開く。

「び、ビット・フェン!」

「…っと、別にキャットファイトで興奮したワケじゃねーよ」

 膨らみきった血管が振動で切れたのか、たぱっと鼻血が垂れたが気にも留めない。
 あ、眼動脈切れた。
 ドロドロと血涙が漏れるけど治す余裕が無い。
 そうして周囲の情報を取り入れ、思考能力を不死人イモータルの再生力で現界以上に引き上げた結果。

「………準備、完了」

 俺の知覚する世界の時間はほぼ完全に停止した。
 俺の視界の全てがほぼ完全に静止した世界。
 この光景を見るのは何十年ぶりだろうか。
 脳の処理能力を不死人の再生力で過剰に引き上げたことで体感時間は数十分の一にまで引き伸ばされ、思考能力は通常の千倍近く向上し、周囲の情報が手に取るように理解できる。
 そしてその『先』さえも、俺の意のままに。

「キーシャ、右斜め上から来る、逆袈裟で弾け」

「っ、はっ!」

 俺の言葉にキーシャは即座に反応し、蛇王ナーガの蛇腹剣ガリアンソードを最高ベストのタイミングで弾き飛ばした。

「お?」

「まだだよぉ!」

 キーシャの対応が変化した事に何かを感じ取ったのか、蛇共は僅かに目の色を変え、続け様に蛇腹剣を振るう。

「左下から俺の脇腹を狙ってる。切っ先を蹴り飛ばせ」

「こうか!」

「今蹴った足を狙って下から巻き付いてくるぞ、跳んでやり過ごせ」

「ぬぁっ!?」

「着地の瞬間にお前の喉を狙って来る。上手く受けろよ」

「軽く言えた事かぁ!」

 がいん!とけたたましく音を立てながらキーシャが剣を弾き、蛇腹剣の攻撃範囲から離れた場所で足を止める。
 ふむ、やるのは久々だが問題は無さそうだ。
 思考加速で周囲の情報から計算し、未来を読む。
 そこから導き出される最適の行動をキーシャに伝えたのだが、思いのほか上手く行った。

「ビット・フェン…貴様のそれは…」

「おう、お前も『知ってる』通りの事だよ」

 小声の早口でそうやり取りする。
 以前に血を舐めて俺の記憶を全て見てしまったキーシャは俺がこの間何をして、何故攻撃を読めたのか分かっていた。
 だから戦闘に関してズブの素人でしかない筈の俺の指示に素直に従い、その技量で完璧に対応して見せた。
 結果論になるが、記憶を読まれた事で俺達の間には言葉に表せない信頼関係が築かれていたらしい。
 出会いは最悪だったが、やはりコイツを味方に引き入れておいて正解だった。
 もし味方に出来なければ、俺の情報が全て排斥派に渡っていただろうから。

「なんだぁ、こいつ」

「この短時間で何したのよぉ」

 攻撃を完璧に防がれた蛇王達は、面白く無さそうな顔で俺達を睨んできた。
 その様子を見た俺達は軽く目配せし、頷き合う。

「「テメェきさまらに教えてやる義理は無ェないな」」

 そして二人で右手の中指をおっ立てて挑発した。
 あ、やるかもとは思ったけどホントにやった。
 どうやらキーシャは記憶を読んだ所為で俺の行動パターンを看破できるようになったらしい。
 成る程、それはそれで好都合。
 微妙な仕草やクセなんかも分かっているなら、詳しく指示する必要はない。

「………お前らぁ!」

「殺す!遊び殺してやるよぉ!」

 俺達の挑発に蛇共は激昂を顕にする。
 再び襲い来る蛇の鎌首。

「上から俺の頭」

「っつぁっ!」

 俺の脳天を狙った切っ先をキーシャは後退しながら血晶剣で弾いた。

「右からお前の右目、右下からお前の脚、左上から俺の心臓、正面からお前の腹」

 俺が放った指示にキーシャは直ぐ様反応し、即座に蛇腹剣の猛攻を防ぐ。
 時に剣を薙ぎ、時に鞭のようにしならせ、時に蹴りを織り交ぜて。

「前後左右同時」

「……だぁっ!!」

 四方から迫る蛇腹剣を跳躍しながらキーシャは身体を回転させて弾き飛ばし、更に後方へ下がった。
 攻撃を全て防ぎきったキーシャを、蛇共は明確な驚愕と共にその爬虫類を思わせる目を細める。

「化け猫ケット・シーィ、お前、何をしたぁ?」

「その美形ちゃん、何者よぉ」

 どうやらキーシャの動きが変わったのに、俺が関わっているというのが感づかれたようだ。
 遊びの時間は終わった。

「キーシャ」

「ああ」

 キーシャは血晶剣で俺を抱える己の左手を傷つけ、手のひらから血晶の鎖を生み出す。
 その鎖が俺の身体に巻きつき、彼女の腕と絡みついてしっかりと固定された。

「あと二分、このまま連中を誘導するぞ」

「承知した」

 キーシャへ言葉を掛けた俺はそのまま緊張していた身体を弛緩させる。
 ……やばい。頭が沸騰しそうだ。
 右手で鼻血と血涙を拭いながらそんなことを思う。
 思考加速は使用時にはサポートとして絶大な能力を発揮するが、そう都合良くは行かない。
 俺の脳が思考加速出来るのは最大三分。その後は脳がオーバーヒートしてろくに動くこともままならない諸刃の剣なのだ。
 思考加速出来るのはあと二分、傷はもうほぼ塞がった。
 キーシャは俺を抱えたまま蛇共に背を向け、家屋の屋根を飛びつたって逃げる。

「待ちなぁ!」

「待てと言われて待つ馬鹿は居ないだろう!」

 そう挑発の言葉を飛ばしながらキーシャは蛇共をある場所へと誘導する。
 間に合ってくれよ。

「左後ろ、俺の首根っこ」

 蛇腹剣ガリアンソードの風切り音を聞いた俺はキーシャにそう指示し、彼女が再び血晶剣を振り回して蛇の鎌首を追い払う。

「ちっ、チョロチョロ逃げまわってぇ!」

「大人しく狩られろよぉ!」

「やだよバァーカ。キーシャ、右後ろ、右足」

 中指をおっ立てたままあかんべえしつつ、キーシャへの指示は途切れさせない。
 蛇共は性格こそ腐りきった糞餓鬼だが、その実力はまごうことなき本物だ。
 挑発してリズムを乱している今ならともかく、油断も慢心も無い状態で襲いかかられちゃギリギリの勝負を強いられる。
 キーシャが戦略を無視してでも俺を見捨てないと言い切った以上、俺もそれに応えにゃなるまいよ。
 それに。

「……ソード・スレイヴ!」

「っ!」

 時間稼ぎも間に合ったみたいだしな。
 鎖に繋がれた七振りの血晶剣が俺達と蛇共を分断する様に家屋の屋根に突き刺さる。
 ……あ、後日家主に謝っとかねーと。
 俺の愚考を余所に、俺達を護るように白金色の鎧を着た少女が屋根の上に降り立つ。

「お待たせ、ビットさん、キーシャ」

「おー、ご苦労さん。嬢がこっちに来たって事は向こうの準備は…」

「万全よ」

 乱入したアルカ嬢はそう言って俺達にウィンクする。
 やれやれ、いい女ってな何やっても様になるもんだね。

「…へー、吸血姫アルカードじゃなぁい?」

「まさか本当に裏切ってたとはね、化け猫ケット・シーィ」

「貴様らよりも金払いが良かったのでな」

 嬢の姿を認めた蛇共は舌舐めずりして蛇腹剣を構える。
 それと相対する様に嬢達もまた構えをとった。
 やる気満々なのはいいけど、嬢達の準備が整ったんなら、こいつらを釘付けにする必要はもうないだろ。

「嬢、キーシャ。作戦の第二段階だ。連中をあの場所に誘い込むぞ」

「承知した」

「任せて」

 俺の指示に二人は頷き、蛇共から背を向けて走りだした。

「また逃げるのかぁい!」

「この腰抜けぇ!」

 再び逃走を図る俺達を蛇共が恫喝しながら追いかけてくる。
 わざわざテメェ等の土俵で戦ってやる義理はねぇよ。

「嬢、左後方からあんたの首を狙ってる。ソード・スレイヴで対応してくれ。キーシャ、右上、お前の脇腹」

「え、わ!」

「はっ!」

 俺の指示を聞いた嬢はおっかなびっくりながらも蛇腹剣に対応し、キーシャは然程慌てた様子も無く剣を振るう。
 ちっ。やっぱりキーシャが特別ってだけで連携には難があったか。
 とりあえず連中をあそこに誘い込むまでは保たせねぇと。





 屋根を2つの影を跳びつたい、もう2つの影がそれを追いかける。
 戦いの場は娼館街の屋根に移っていた。
 眼下の街路には派手な女と女を求めるゴロツキが闊歩する様が浮かんでいて、屋根の上の戦禍など目に入っていないようだ。
 時折響く血晶剣がぶつかり合う音も、娼婦や客のざわめきや娼館から響く楽器の音に掻き消されている。

「――――!」

 蛇王ナーガが何か叫んでいるものの、下の喧騒が邪魔をして何を言っているのか聞き取ることは難しいがそれも当然。
 今の時間は娼館街に取ってかき入れ時。一秒でも早く客を取らないと商売上がったりなので、客引きの声がひどく喧しいのだ。
 例え向こうに俺達が何を言っても聞き取られることは無いだろう。
 まずは『耳』を奪った、次は『目』と『鼻』だ。

「……見えた。あそこだ」

 熱暴走寸前の頭で思考を巡らせながら、俺は前方にある三階建ての建物を指差す。
 目が痛いほどの光を放つ娼館街の中で、一切の光源が無い石造りの建造物は一際異彩を放っていた。
 他の娼館から放たれる光を受けたそれは、最上階の一つを残してすべての窓が鉄板で塞がれている。
 思考加速した状態で見てもほぼ完全に密閉されているのがわかった。

「キーシャ、嬢、あそこまで跳べるな?」

「ええ、大丈夫」

「当然だ」

 俺の言葉に二人が頷く。

「そんじゃ、害獣駆除の時間だ」

 俺の合図で二人は屋根から跳躍し、その建物で一つだけ開け放たれた窓へと飛び込んだ。






「……ぶはぁ…!」

 窓から屋内に転がり込んだ直後、キーシャから抱き上げられていた俺は先程よりも更に体を弛緩させて頭を垂れる。
 丁度思考加速の時間切れだ。身体がひどく熱い。
 多分今の俺の顔、汗とか血でひっでぇ事になってんな。

「ビットさん!?」

「心配いらん。ただの知恵熱だ」

 慌てて駆け寄る嬢に対し、キーシャは俺を担いだまま彼女を制止した。
 その頬や額にはじっとりとした汗が滲んでいる。
 俺の発した熱を直に受けているのだから当然だけど、無理して抱え続ける事はねぇだろ。

「キーシャ…もう降ろしてくれ。肩を貸してくれりゃいい」

「わかった」

 キーシャは俺を床に降ろし、熱いのか寒いのかよくわからない体調の俺は肩を借りながらなんとか立ち上がった。

「急ごう…早くしないと奴らが追いついてくる」

『待ぁてぇぇぇ!』

 窓の外から聞こえてくる蛇王の声。
 それを聞いた二人も俺の言葉に同意し、奥の扉へ急いだ。





「逃がすとおもってるのお~!?」

 それから十数秒の間を置いて、二匹の蛇が彼らの飛び込んだ建物に飛び込んでくる。

「……居ないねぇ~」

 蛇王ナーガエイガンは周囲を見回すが、奥に扉が一つだけある薄暗い部屋にビット達の姿はない。
 二人は彼らが建物の奥に逃げ込んだと考えた。

「鬼ごっこの次は隠れんぼかぁ」

「まだまだ遊べそうねぇ」

 蛇姫ラミアアメイルはその異名を指し示す通り、蛇のようににやりと笑ってドアに手をかける。
 開け放たれたドアの先には一切の光が無く、完全な暗闇が二人の目に飛び込んできた。
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