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Twin Snakes

蛇 3

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 一寸先は闇。
 そう形容するしかない扉の向こう。

「暗闇の中なら逃げ切れると思ってるのかしらぁ~」

「甘いよねぇ~」

 ケタケタと双子の蛇は笑い合う。
 明らかな余裕を滲ませている二人だが、その実彼らは然程さほど夜目が効く訳ではない。
 だが彼らにはもう一つの『目』があった。
 その『目』を用いて二人は臆することもなく暗転した廊下へ足を踏み入れた。



「………!」

「これは…」

 暗闇を歩いて数分。
 淀みなく歩を進めていた双子は違和感に足を止める。

「く、臭い!」

「この臭い…腐った卵!」

 強烈な異臭に闇の中で鼻をつまむ。
 エイガンが腐った卵と形容したが、臭いの原因は違う。
 それは火山地帯で採れたクズ鉄から出る硫化水素、所謂硫黄臭の原因だ。
 ビットが昼間の内に鍛冶屋に届けさせたものだが、それを水で溶かして床に撒き散らしていた。
 密閉された空間に広がる臭気は二人の嗅覚を相当に刺激し、目から涙が溢れるほど強烈なものであった。

「め、目の次は鼻を潰してやり過ごそうってのぉ!?」

「む、無駄なのにぃ~!」

 しかし、その臭気の中でも二人は迷うことなく歩を進める。
 彼らの『目』は鼻に非ず。
 双子は確実にビット達へと近づいていた。





「……く、くひゃい…」

「我慢しろ…これも作戦だ」

 硫黄臭さに鼻をつまむキーシャへ俺はそう言葉を返す。
 硫化水素は有毒性の物質だが、吸血種ノスフェラトゥの二人には然程問題にはなっていない様だ。
 蛇共を誘い込んだ俺達は、既に建物の一階部分にまで降りてきていた。
 この建物は、使わなくなった娼館をギンの許可を得て対蛇共用に改造した迎撃トラップだ。
 俺とキーシャが囮になっている間、嬢とジャコとギン達にこっちの改造を任せていたが、見た感じ不具合はなさそう。
 俺の仮説が正しいんなら、これで作戦は上手く行くはずだ。

「嬢、作戦ポイントの位置は?」

「大丈夫。構造は頭に入れてるからまっすぐ着くわ」

 ランタンを持って先導する嬢は自信満々にそう言ってのける。
 頼もしいね全く。
 建物はギンの魔法で簡易的な迷宮になっているが、嬢の記憶力を頼りに俺達は迷いなく奥を目指す。
 この建物の目的は連中の五感を奪うこと、そして時間稼ぎだ。
 作戦の肝が完全な一発勝負。恐らく二度目は通じない。
 だが俺の読みが正しけりゃ大当たりジャックポットは確実だ。
 だから出来るだけ蛇共には目や鼻以外を用いてこっちに来てもらう必要がある。

「……着いたわ、ここよ」

「あ…うん、案内ありがとさん」

 嬢が開けたドアから漏れる光に目を細める。
 作戦の確認をしている内に作戦ポイントに到着していた様だ。

「アルカ様、ビットさん、お疲れ様でした。……化け猫ケット・シーもご苦労でしたね」

「……ああ。貴様もな、化け提灯ジャック・オ・ランタン

「あーあー、またアンタはそんなに血まみれになって」

「るせぃ。正直甘く見てたんだよ」

 明かりの点いた部屋でギンとジャコが出迎えた。
 俺は肩を借りていたキーシャからずるりと身体を降ろしてその場に尻餅をつく。

「……限界か」

「おー…駄目だ、もう立てん」

 大の字に寝そべって床の冷たさを感じながらキーシャへ手を振ると、彼女は仕方ないと溜息をついた。
 多少身体の熱は下がったが、あくまでも多少だ。未だにまともに動くのは無理だな。
 様子を見ていたギンが側に屈み込み、俺の額に手を当てる。

「……使ったね?」

「おう。退っ引きならなかった」

 異常な体温を発する俺の身体に手を触れ、状況を察したギンは魔法で氷の山を出し、俺の服の中に突っ込んだ。
 氷は俺の熱で直ぐに溶けてしまうが、同時に俺の身体から熱を吸い取っていく。
 流石付き合いが長いだけに対応が適切だ。

「っと、時間がねぇ。ギン、用意は出来てるな?」

「当たり前さね。だからお嬢ちゃんをそっちに寄越したんだ」

 俺の言葉にギンはコクリと頷く。
 仕込みは済んだ。
 あとは蛇が穴に落ちるのを祈るだけだ。





 それから10分ほど経ち、エイガン達二人はビット達を追って建物の最奥、彼らが逃げ込んだ部屋に辿り着いた。
 硫黄の臭気に当てられた二人はひどい顔色で脂汗を滲ませている。

「よ…ようやく見つけたよ…!」

 アメイルが光源のない部屋を見回しながら低くそう言うと、エイガンが蛇腹剣ガリアンソードを構えて振りかぶる。

「まだ隠れんぼを続けるつもりかぁぃ!?」

 そして無造作に蛇腹剣を振り回し、部屋に乱雑に積まれた木箱を叩き切った。
 彼らの『目』には、ビット達の姿が視えている。

「馬鹿よねぇ!奥に行けば行くほど袋小路だってんだから!」

「化け猫もカネに目がくらんで裏切るから死ぬようなことになるんだよぉ!」

 相手の焦燥を掻き立てるように徐々に声を荒立てながら木箱の山を切り刻んでいく。
 粉々になっていく木箱の残骸の奥に、丁度人間が三人収まりそうな大きさの木箱。

「ヒヒッ…」

「これで終わりだよぉ!」

 二匹の蛇が鎌首を躊躇いなく振るう。
 瞬間、一切の光がない部屋が、強烈に白く染まった。

「っ!?」

「なんの光!?」

 暗闇に慣れきった二人の視覚はその閃光に目を眩ませる。

『今だ!キーシャ!』

 その直後、視力を失った二人の耳にその声が響いた。
 その言葉と同時に蛇の頭上から人影が飛び降りてくる。

「ちぃ!伏兵だって!?」

「甘いよぉ!」

 しかし、視力を失ってもなお、蛇の『目』は生きていた。
 上から迫ってくる影へ、アメイルは正確に蛇腹剣を巻きつけ、切り裂く。
 それだけで人影は真っ二つに裂け、生暖かい液体と塊が蛇姫の全身に降り注いだ。

「フ、フフフ…!アハハハハハ!」

 閃光が収まって再び闇が支配する中で蛇姫ラミアの嘲笑が部屋に響く。
 アメイルは頭から被った血液の熱を感じて悦に浸っていた。

「まずは一匹ぃ…」

 エイガンはアメイルの笑い声を聞きながら舌なめずりして再び周囲に目を向ける。

「アハ…アハハハ…は?」

「…アメイル?」

 蛇姫の声が徐々に落ちていくのを耳にしたエイガンは首を傾げてそちらに目を向けた。

「あ…ああ…ぎゃあああああああああ!!!!」

 嘲笑が悲鳴へと変わり、アメイルはその場にうずくまってのたうち回りながら身体を掻きむしり始めた。

「アメイル!?どうした!?」

「熱い!身体が熱いよぉぉ!!」

大当たりジャックポットだ!』

 エイガンの意識がアメイルに向いた瞬間、その声が部屋に響く。
 直後、部屋に突然明かりが灯り、天井と床から2つの影が飛び出した。

「ソード・スレイヴ!」

「はぁっ!」

「あ゛っ…!」

「がぁっ!?」

 上から降りてきたキーシャが蛇姫の腹を切り裂き、下から飛び出したアルカは蛇王ナーガの手足を串刺しにして壁に打ち付ける。

「因果応報だ。やったのは蛇王だがな」

「あぐ…ぶぶぐぅ…」

 倒れ伏した蛇姫はキーシャに見下されながら血反吐を吐いた。
 部屋の明かりに照らされ、顔や全身が爛れている。

「アメイル!アメぇぇぇイル!!」

 手足を拘束された蛇王は双子の片割れの姿に動揺し、傷口が広がるのも厭わずにもがき暴れた。

「ほぉ、性根の腐った餓鬼でも、家族に情は覚えるのか」

「っ!」

 その声を聞いたエイガンは冷や水を頭に被ったような顔で目を見開く。
 視線の先には、キーシャとともに居た灰色の髪の青年が、アルカが飛び出した床下から這い出す姿があった。
 エイガンが斬った筈の腹には既に傷はなく、シャツの下から乾いた血糊がポロポロと零れ落ちている。

「これで詰みチェックメイトだ、爬虫類」

 カボチャ頭のメイドと黒い着物を着た女に肩を借りながら、青年はにやりとほくそ笑んだ。





「お、お前…お前ぇぇ!!」

「落ち着けよ。吸血種ノスフェラトゥなんだからこの程度で死ぬもんか」

 ガシャガシャと嬢の剣を揺らしながら怒り狂う蛇王に俺は冷静に言葉を吐く。

「なんでだ!なんでアメイルがこんな目に!!」

「先に仕掛けてきたのはテメェらだ。俺らはそれを迎撃したまでさ」

 ギンとジャコに肩を借りている俺は、未だにうめき声を上げている蛇姫の側に落ちていたモノに目を向ける。
 蛇姫がキーシャだと思って真っ二つにしたそれは革袋で作った人形だった。
 中には人肌程度に温めた湯と、二重構造になった腹回りから白い粉末が零れている。
 蛇姫が血と臓物だと思って引っ被ったそれは、肌と触れれば炎症を起こし、水と反応する事で高熱を発する物質、生石灰。
 石造りの家を建てる時なんかにゃ重宝する、ガキの小遣いでも買える代物だ。

「ま、そう悲観することはないさ。こっちはテメェらの『目』が何なのか分かってたからよ」

「お前…」

「お前らはトクベツ目が良いわけでも、鼻が利くわけでも、耳が良いわけでもない」

 次の言葉を強調するために俺は一度深呼吸を挟み、奴らの秘密を暴く。

「答えは、『熱』だ」

「っ!?」

 俺のその一言で、蛇王の目が呆然と見開かれた。

「蛇って生き物は夜行性だが、その実大して夜目が効く訳でもない。だったらどうやって獲物を捉えているか。そいつは『ピット器官』っつぅ天然の赤外線感知器官サーモグラフィーを持ってるからだ」

 俺は種明かしが楽しくて早口にまくし立てる。

「お前らが蛇の吸血種だってことと、暗所からの暗殺が得意だってキーシャから聞いた時、ピンときてな。お前らが持ってるアドバンテージを逆に利用させてもらった」

 わざわざ戦いの場を喧騒で溢れかえる娼館街に移し、内部をほぼ完璧な暗所にしたこの建物に誘い込み、異臭を充満させることで、奴らに視覚と嗅覚と聴覚を使わせなくした。
 その時点で連中はピット器官を用いてでしか追跡が不可能になった。
 この部屋に踏み込まれた時の木箱。
 アレは微量の石灰を含ませた水で発熱させた囮、そいつを部屋の隅に置くことで意識をそちらに向けさせた。更に閃光弾フラッシュバンのおまけ付きで。
 上からキーシャが落とした人形。
 アレもギンの魔法で人肌程度に保温させ、蛇姫のぶち撒けた中身の水を血液と誤認させた。
 奴らがピット器官に頼り切り、驕った時点で勝ち目は無くなっていた。

「さ、これで種明かしは終いだ。排斥派の情報吐いてクタバルか、吐かずにクタバルか、好きな方を選びな」

「…………」

 俺がそう言うと、キーシャが瀕死の蛇姫に血晶剣を突きつける。

「ちょ…ビットさん!いくらなんでも殺すなんて…」

「キーシャの時とは状況が全く違う。今こいつらを見逃せば確実に禍根を残すぞ」

 嬢が俺達を止めにかかるが、俺とキーシャにやめる意思はない。
 キーシャは雇われ兵でまだ交渉の余地があったからいいものの、こいつらは排斥派の部隊長。組織にどっぷりと浸かった人間だ。
 この場で殺しておかなければ、次は部隊長クラスの連中がウジャウジャとガルサに押し寄せるかも知れない。
 下手を打てば師団長が出張ってくるかも知れない。
 ならばこの場でこいつらを殺して口封じしておいた方が上策だ。

「だからってそんな…」

「世の中キレイ事ばかりじゃやっていけねぇよ。第一こいつらは遊び半分で人殺しをするような連中だ。同情すればそこに付け込まれる」

 嬢は俺の言葉にぐっと言葉を詰まらせる。
 そして反論を出すことも出来ずに俯いてしまった。

「…………」

 まずいなぁ、少し脅しすぎたか。
 さて、どうするか。
 俺がそこまで考えた時だった。

「っ…ああああああああああああああああ!!!!!!!」

「!?ビット・フェン!!」

 先程からだんまりを決め込んでいた蛇王が再びもがき、暴れだす。
 手足に突き刺さった嬢の血晶剣で傷口が広がるのも構うことなく、半狂乱になって手足を動かし、ぶちぶちと嫌な音が響いた。

「お前が!お前が居なきゃァァァァァァァ!!!!」

「あ、やば」

 蛇王エイガンは吸血種の膂力で無理矢理手首と足首を引き千切り、前のめりになって俺の肩口に文字通り齧りついた。

「うぎ…!」

「んぐ…ぢゅるるるるるるるっ!!」

 ばぎ、ぼぎんと鎖骨が砕け、肩から血が噴き出す。
 そしてその血を蛇王はずるずるとすすり上げた。
 こいつ…血を飲んで…!?

「ビットさん!」

「蛇王、貴様ァッ!!」

 アルカ嬢とキーシャがすぐさま蛇王へ斬りかかるが、一瞬早く蛇王は俺から牙を離し、ゴロゴロと蛇姫の側に転がっていく。

「ヒヒッ、待ってろアメイル!今すぐこいつらを殺して、お前を……………ヲ?」

 笑い声を上げる蛇王は蛇姫へ何か言いかけたが、その口が突然止まった。

「ヲ?ヲヲヲ?」

 どくんと、何かが脈動する音。
 同時に、蛇王の身体が脈打った様に見えた。

「何だ、これ?チカラ?」

 再びどくんと鼓動。
 次は錯覚ではなく、蛇王の身体が脈打った。

 次の瞬間。

「エァ?」

 ぶちゅりと蛇王の中で何かが切れた。

「お、おおお、オオオオオオオオオオオオオ!!!!!」

 蛇が吠える。

「なっ…?!」

「…………これは…」

 ぐちゃぐちゃと1人の人間の身体が作り変えられていく。
 千切れた手足から吹き出した血が血晶となり、手足を形作る。
 元々蛇のように大口を開けていた顎が更に裂け、牙が伸びる。
 爬虫類を思わせる緑の瞳が血晶に覆われ、ギラギラと瞬く。
 全身にウロコが浮き上がった肉体は肥大化し、着ていた衣服を引き裂いてもなお止まらない。

「………チカラ、チカラがワいでグルぶゥゥゥゥゥゥゥ!!!!!」

 再び蛇が吠える。
 その姿に先程までの面影は無い。
 否、奴は蛇の特徴を持った吸血種という『人間』では無くなっただけ。
 俺達の目の前には、蛇の特徴を持った『怪物』が立ちはだかっていた。
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