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Twin Snakes

長靴を履いた猫《ル・シャット・ブーティ》

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「オォォォオオオォォオォオォオオオォオォオォオォォォォォォ!!!!!」

 怪物が血晶の手を広げて周囲にあるものを手当たり次第に破壊する。

「くっ…これは…!?」

「変身…いや、異形化の暴走!?蛇王ナーガにこんな能力があったのか…!?」

 咄嗟の出来事ではあったが、嬢とキーシャが血晶剣で奴の手を防いでくれたので俺達に怪我はない。
 俺は噛みつかれた肩口を押さえながら、噴き出す血を一瞥する。

「………原因は、俺か」

「状況を考えればそうだろうね」

 俺がそう口走ると、俺を支えるギンが同意する。
 仮説は立てていた。
 『おれ』を手にする資格者アルカ嬢が俺の血を飲めば、吸血種ノスフェラトゥの力を強化する事が出来る。
 では、資格なきモノが俺の血を飲めばどうなるか。
 その答えが今の蛇王だ。
 吸血種の力が暴走し、急激な異形化はその肉体を変異させる。
 人間としてのカタチを維持できず、理性を失った怪物と化す。
 資格ありしモノには更なる力を、資格なきモノには重い罰を。
 『器おれ』の内に流れるアルヴィラの魔力が用いる資格者の選別方法は、何処までも残酷シビアなものだった。

「どうする、ビット・フェン!」

「ビットさん!」

「ガァァァァァァァ!!!」

 暴走する蛇王の破壊行為に応戦する嬢とキーシャが俺に指示を求める。

「………っ」

「……ビットさん!早くしないとアルカ様が!」

 だが、俺はそれに答えることが出来なかった。
 打てる最善手を全て打ったつもりだったが、一手足りなかった。
 嬢に殺し合いの自覚を持たせようと蛇王にトドメを刺さなかったのがそもそもの間違い。
 最後の詰めで油断し、血を飲ませてしまった俺の落ち度だ。

「………」

 嬢達にその凶爪を向ける蛇王の様子を観察する。
 キーシャの剣閃を受けた蛇王のウロコには殆ど傷が無い。
 嬢がソード・スレイヴを纏めて大剣のカタチにし、真正面から振り下ろしてなんとか傷を負わせるが、その傷口もすぐにぐちゃぐちゃと肉が埋まって元通り。
 再生速度は俺並み、しかも未だに肉体の肥大化が続いてやがる。
 徐々にだが嬢達も奴の暴走に対応し切れなくなってきた。
 巨体デブは遅ぇ、なんて通説は真っ赤な嘘だ。
 肉体のサイズは筋肉の太さ、骨格の太さ。
 筋力パワー、イコール瞬発力スピード、イコール持久力スタミナだ。
 デカい分身体に相応の負担はかかるが、今の蛇王にリスクを考慮する理性なんざありゃしねぇだろう。
 つまり、蛇王の暴力は奴の息の根を完全に止めるか、奴自身が完全にブッ壊れるまで止まらない。しかし奴は俺並みの再生力を持っている。
 考えられる手段は再生が追いつかない位の粗挽き肉ミンチにするか、再生が完全に頭打ちになるまでチクチク削り切るか。
 だがその為には蛇王の動きを止める方法を考えなければならない。
 だが動きを止める為にはどうすれば…。
 ………あ゛ー!ややこしいなコンチクショウ!!
 そもそも俺が奴の吸血を防がなかったのが事の発端じゃねぇか!

「………ん?………吸血?」

 俺は堂々巡りに陥りかけた自分の思考に引っ掛かりを覚える。
 なんだ、何が引っ掛かってる?
 俺は塞がりかけの肩に手を置き、血のついた手のひらを眺める。
 吸血…血を飲む…舐める…?

「…あ」

 そこまで考えて腑に落ちた。
 アルカ嬢と蛇王・・・・・・・以外で俺の血を・・・・・・・飲んだ者が居た・・・・・・・ことに・・・

「……ジャコ、ギン、頼みがある」

 俺はギンとジャコへ目を向ける。

「なにか思いついた様だね」

「アルカ様の助けになるのであれば」

 俺の目を見た二人は心強く頷いてくれた。




「アアアアアァァァァアァァァ!!!」

「ちぃ!」

 蛇王が掬い上げる様に振るった右腕を私は地面すれすれを滑ってやり過ごす。

「アルカ!」

「はぁっ!」

 振るった腕が伸び切った瞬間、私の合図で蛇王の頭上に跳躍したアルカが肘の内側を狙って血晶剣を突き立てた。
 べき、ぐちゅ、という嫌な音と共に、血晶剣が肘を貫通し、アルカはそのまま体重を掛けて梃子の原理で蛇王の腕を捩じ切る。

「ギャアアアアアアアアアァァァァァァ!!!」

 腕を千切られ、蛇王が残った左腕をアルカへ振り下ろした。
 アルカは持ち前の身のこなしでそれを躱し、蛇王から距離を取る。

「……えっ!?」

 離れた場所で蛇王の全容を見たアルカの目が大きく見開かれた。

「…これは…」

 態勢を整えた私もその異様さに目を見張る。
 捩じ切った筈の蛇王の右腕。
 その切断面から筋繊維が、神経が両側から伸び、プチプチと繋がっていく。
 剥き出しの筋繊維が全て繋がり、元の長さに縮んで逆再生の早回しの様に元通りになる。
 あの再生力は、ビット・フェンを彷彿とさせた。

「…うそ」

 折角与えた重傷も直ぐに治癒するのであれば意味が無い。
 身体欠損すら再生する蛇王の様を見たアルカは、呆然として剣を取り落とす。
 …拙い、いま心が折れてしまえばそのままやられる!

「アルカ!」

「………あ」

 私が声を上げてアルカの名を呼ぶが、奴が気を取り直すよりも速く蛇王が動いた。
 元通り繋がった右腕を振り上げ、アルカへと迫る。

「おイタはそこまでにしときな、小僧」

 バキン!と金属音。
 今まさにアルカを屠ろうと振り下ろした蛇王の血晶の手が、アルカの眼前で止まっていた。
 いや、違う。よく見れば蛇王とアルカを阻む半透明の赤い壁がある。
 そしてその壁は。

「……ギン、さん?」

「しゃんとおし。ビットに笑われるよ」

 アルカの背後から手を伸ばすギン・ヴィレの創りだした結界だった。
 呆けていたアルカは和装の女に叱咤されて顔を上げる。

「ぐりゅぶぶ…おマえ、じゃばずるなぁぁぁぁぁ!!!!」

「黙んな」

「がぇぇぇぇ!?」

 轟、と破裂音。
 ヴィレが軽く手を振っただけで、蛇王の巨体はあっさりと吹き飛んだ。
 あれは…念動力サイコキネシス、か?
 念動力は魔力そのものを手の延長として操作する、全ての魔法の基礎。
 使いこなせば使いこなす程、使い手の魔法の汎用性、精密な魔力操作を養えるが、目算5メートルは下らないあの大質量を吹き飛ばすとは、あの女、相当の熟練者か。

「ごご…おば…おマえぇぇぇ!!!」

「………ふぅっ」

 怒り狂って咆哮を上げる蛇王。
 だがヴィレはそれを意に介する事なく、紫煙を燻くゆらせる煙管を一飲し、口から煙を吹き出した。
 その煙は奴の吸い込んだ分を大きく上回る量で蛇王を包み隠してしまう。
 ……あれも奴の魔法か。

「ぎゅるぶぅ…目眩めグらまジなんデつうジりゅガァァァァァァァ!!!!」

 ヴィレの創りだした煙幕を物ともせずに蛇王がまっすぐ二人へと迫る。

「おっと、こりゃいかんね。『役物・赤短』」

「ぐ……ぶがぁっ!?」

 ばきん、と再び金属音。
 再びヴィレの展開した結界に蛇王は真正面から突っ込み、暴走して更に蛇じみた顔面を思い切りぶつけた。

「まだピット器官は生きてたかい。だったらもっと手数が要るねぇ。……『火蝶かちょう』『風猪ふうちょ』『水鹿すいか』」

 そう呟いたヴィレの周囲に3つの魔力が渦巻く。
 一つは炎、一つは風、一つは水。
 一つは蝶、一つは猪、一つは鹿。

「『役物・猪鹿蝶』」

 あの魔法…いや、違う!?
 今ヴィレがやっていることは、魔法ではない。
 魔法の術式が全く読み取れない。
 可能性があるとすれば、ひとつ。
 ………魔法ではなく、魔力そのものに属性付与を掛けた上で生物を象形させた、だと!?
 そんな芸当、何処ぞの国のお抱え魔術師でも不可能だぞ!?

「ギン・ヴィレ…貴様、一体!?」

「ま、あたしにも色々あんのさ。そら、ここはあたしが時間稼ぎしといてやるから、あんたはあっちに行ってな」

 そう言うとヴィレが軽く手を振る。

「ぬ、わぁぁぁ!?」

 その動作で発動した念動力が私の身体を持ち上げ、私は後方へと吹っ飛ばされた。
 そして私が吹っ飛ばされた先には。

「バッチコイ」

「びっ…痛ッ!?」

「ブっ!」

 身構えたビット・フェンが待ち構えており、飛んできた私を体全体で受け止めた。




「う、おぉっ!?」

 飛んできたキーシャを受け止めたは良いが、やはり俺の筋力じゃ踏ん張りが利かず、そのまま二人まとめて後ろに吹っ飛ぶ。
 そのまま地面に背中を紅葉おろしされるかと思ったが、直前に青い半透明の壁が俺達の背後に現れ、むにゃっとマシュマロみたいに包み込んだ。

「……ってて、ナイスだぜ、ギン」

 俺達を受け止めた壁は攻撃を弾く『役物・赤短』の対になる結界、『役物・青短』。
 衝撃をクッションする変わり種の魔法だが、恐らくギンの奴が時間差で発動するようにしてたんだろう。
 ホント、出来る女だわアイツ。

「よう、大丈夫か」

「だ、大丈夫だ。………鼻血出てるぞ」

「お前の後頭部が思いっきりぶつかったんだよ。ってかいい加減どけ。重いぶはっ!?」

 減らず口を叩くと俺の顔面に裏拳がめり込んだ。
 ああ、うん、女性レディ重いヘビィ禁句タブーだったな、うん。

「貴様…」

「す、すまん。謝るからもう殴るな」

 青短のモニモニした感触の上で土下座。
 ってこんな茶番やってる場合じゃねぇ。

「……キーシャ、このまま戦って蛇王に勝てると思うか?」

「………………厳しい、な。ギン・ヴィレがどれ程の実力者か分からんが、奴と化け提灯ジャック・オ・ランタンが参戦したとて、今の蛇王を下せるかどうかだ」

 キーシャの言葉に俺も首肯して同意見だと示す。

「キーシャ」

「なんだ?」

「勝つためにリスクを背負う覚悟、あるか?」

「…………」

 俺の口にした事にキーシャは目を細める。
 そのまま一度目を閉じ、再び開いて答えた。

「………このままでは全滅だ。貴様が私を雇ったんだ。思う存分使い潰せ」

 上等。
 俺の望んだ以上の啖呵を切ったキーシャ。
 俺はそれに頷き、上着とシャツの襟を伸ばして自らの首筋を晒す。

「じゃあ、俺の血を飲め」

「…………」

 その一言を聞いたキーシャは、僅かに目を見開いた。





 火の蝶が舞い、鱗粉を思わせる火の粉を撒き散らす。
 散った火の粉を風の猪が鼻息で更に吹き散らす。

「……ふぅっ」

 黒い和服を着崩した美女はそれに紫煙を燻らせ、水の鹿が霧を作り出して更に視界を曇らせる。
 水気に晒された火の粉だが、その火は絶えず煌々と周囲に舞っている。

「ヴヴヴヴヴ……どぉぉごぉぉダァァァァァああああァァ!!!!」

 火の粉と煙幕で視界を塞がれたその中で蛇王ナーガだった怪物が吠えた。
 周囲にやたらめったらに腕を振り、壁や木箱の残骸を破壊しているが、その手はギンとアルカに届いていない。

「な、蛇王ナーガは…こっちに気付いていない?」

「当然さ、今の奴にゃぁ目の前が真っ白、ピット器官もまともに機能してないだろうからね」

 困惑するアルカを余所に、ギンはクツクツと煙管を咥えて笑う。
 そしてその言葉が真実であることを今の蛇王が体現していた。
 何故蛇王は二人を見失ったのか。
 それはギンの吐き出した煙と『水鹿すいか』の霧は勿論のこと、『火蝶かちょう』と『風猪ふうちょ』が撒いた火の粉にある。
 この火はギンの魔力に寄って作られたそれであり、ギンの魔力で作られた水鹿の水や風猪の風で消えることは無いが、性質は本来のそれとさしたる違いはない。
 つまり、火の持つ熱も同じく再現されている。
 その、消えることのない火の粉が霧に混じって満遍なく撒かれている今の状況では、蛇王のピット器官は周囲の情報をまともに把握することはほぼ不可能。
 卓越した魔術師であるギン・ヴィレは、己の魔力のみを用いて赤外線妨害フレアを完全に再現していた。

「さて、次はあんたの番だよ、お嬢ちゃん」

「は、はい?」

 ギンに促され、蛇王の様子を見ていたアルカは気の抜けた返事をする。

「こいつも所詮は目眩まし、然程時間を稼げる訳じゃないよ。あの小僧が混乱してる隙に動きを止めにゃあ、いずれは抜けられるさね」

 煙管を一飲ひとのみして煙を追加しながら、ギンはそう言った。

「ギンさん、アルカ様、お待たせしました」

「ん、カボチャのお嬢ちゃんも来たかい」

「ジャコ?」

 ギンとアルカが後ろを見れば、ジャコがパタパタと二人の元へ駆け寄ってくる。
 その両手にはジャコ自身の血晶魔法ブラッドアーツで作られたと思われる、棘付きの長い鎖が一本。

「その鎖は…」

「蛇王を拘束するために作るようビットさんに頼まれました。強度を上げるためにかなりの血を消費したので貧血寸前です…」

 そう言うジャコのカボチャ頭から覗く口元は、やや青白く、唇も紫がかっている。
 普段ジャコが作る血晶よりも幾分深い色の紅い鎖を見て、これには相当量の血液が練りこまれているというのが、アルカの目にも見て取れた。

「ご苦労さん、あとはあたしとお嬢ちゃんでなんとかするから、ゆっくりおやすみ」

「達?……って重っ…!」

 ふらふらのジャコから鎖を受け取ったアルカはギンの言葉に首を傾げる。

「事が運びゃ分かるさ。ほれ、あたしは目眩ましの維持で手一杯だから、蛇小僧の拘束は任せるよ」

 更に煙を追加し、ギンは肩をすくめた。
 それを見たアルカは気を取り直し、八振りのソード・スレイヴの刀身を鎖の穴に通す。

「ビットさんは、あと30秒動きを止めれば十分だと仰っていました…アルカ様、申し訳ありません…お願いします」

「…ええ、お疲れ様、ジャコ」

 ぺたんとその場に座り込んだジャコを労いながらアルカは、鎖を通した剣を構えた。

「そのまま真っすぐ。火の粉が濃い所を狙いな」

「………行けっ!」

 じゃらららららっ!とけたたましい音を響かせながら剣が飛ぶ。

「グェ!?ガァァァァァァァッッ!!!!」

 鎖は寸分違わず蛇王を捉え、その身体に鎖の棘が食い込む。
 アルカの指揮で剣が蛇王の周囲を回り、深く絡み付く。

「グガグググ…ごンナもノぉぉぉぉぉぉ!」

「ソード・スレイヴ、『蛇咬バイパー』!!!」

 鎖を引き千切ろうとした蛇王に対し、それをさせまいとアルカは叫ぶ。
 するとソード・スレイヴの刀身が何分割にも割れ、ワイヤーで連なった形状になって床や壁に突き刺さった。
 絡みついた鎖が固定され、無秩序に暴れていた蛇王の動きが遂に止まる。

「ごが…ごれ…俺のガリアンゾォドォォォォォ!?!?!?」

 そう、ソード・スレイヴの取った形状は、蛇王自身が使っていた『蛇腹剣ガリアンソード』。
 アルカは数合打ち合わせただけのそれを観察し、既に自らの武器として模倣していた。

「膨れ上がる自分の身体で押しつぶされなさい!」

「アガァァァァァ!!!!」

 アルカの言葉に従うように蛇王の身体に鎖が深く食い込んでいく。
 暴走による肉体の肥大化で強力な力を得た蛇王だが、今はそれが完全に足を引っ張っていた。

「よし…これで動きは止めた!」

 ソード・スレイヴの拘束を緩めぬように気を張り詰めながら、アルカは手応えを感じ取る。

「…よくやった、アルカ」

 その時、再び背後から声が掛かった。

「!…キー…」

 声の主へ応えようとアルカは身体を反転させる。
 その時、彼女の横を一陣の風がすれ違った。

「あとは、任せろ」

 ズドン!!!と後ろを向いたアルカの背後……つまり蛇王が居るはずの方向から鈍い音が響く。
 衝撃、そして突風。
 次の瞬間、ギンが目眩ましに張っていた煙が一気に晴れる。

「ガガ…ひゅっ…!?」

 そこには、腹を蹴り上げられて痙攣する蛇王と。

「貴様に見せてやろう………長靴を履いた猫ル・シャット・ブーティ、その真価を」

 血晶によって形作られた靴を履いた、キーシャ・トレインの姿があった。

「ご…オゲェェェ…!」

「っと、汚いな」

 腹を蹴り上げられ、胃の腑にあるものをブチ撒けた蛇王からキーシャは慌てて離れる。
 軽快なステップを踏むその足には、膝まで覆われた血晶のブーツ。

「………長靴を履いた猫ル・シャット・ブーティ、自分で名づけといてなんだが、見たまんまだな」

 いやホント、センスねぇわ俺。

「ビットさん…アレは?」

 俺は塞がりかけの首元の傷を押さえながら嬢達の背後にやってきた。
 こちらを振り返り、見開かれた嬢の瞳に宿る疑問に俺は頷く。

「ああ、アイツもまた、俺の血を飲んで力を得た『資格者』の1人。あんたと同じさ」

 嬢の疑問を氷解させながら、俺は数分前の出来事を思い出していた。




「………貴様、自分が何を言っているのか分かっているのか?」

 キーシャは胡乱げに俺を見て、責めるようにそう言った。
 それに対し、俺は自らの首筋を晒したまま頷く。

「分かってるよ。お前が暴走するかも知れねぇってんだろ?」

「では…」

「もしお前が暴走するってんなら、嬢達はとっくに死んでる」

 キーシャの反論に被せながら確信とともに否定の言葉を吐く。

「だってお前、一度俺の血飲んでんじゃん」

「…!」

 その言葉でキーシャも気付いた様だ。
 俺達が初めてあった時、キーシャは俺の記憶を読み取るために俺の血を飲んだ。
 キーシャ自身は読み取った俺の記憶に印象がこびり付いていた様だが、もしこいつが資格者じゃないのなら、血を飲んだ時点で記憶を見るどころか、今の蛇王の様に暴走していたはずだ。
 そして嬢達はそのまま為す術なくブチ殺されていただろう。
 結果論になるが、俺の血を飲んで暴走しなかったキーシャは、『おれ』を手にする資格者の1人だったというわけだ。いや、マジで偶然って怖い。

「資格者とそうでない者、その違いが実証されたんなら、俺らの取るべき選択はひとつ」

 だろ?とキーシャに肩をすくめた。

「………やむを得ん、か」

 キーシャは渋々頷き、襟を持つ俺の手に自らの手を重ねる。

「……出来るだけ持って行きすぎないように注意する」

「おう」

 交わす言葉は少なく、間を置かずに俺の首筋にチクリと痛みが走った。

「ん…ちゅ…んく…」

「…っ」

 俺の内に宿る魔力ねつが吸い上げられていく。
 こうして比べてみると、蛇王とは吸い上げる効率がまるで違う。
 蛇王から血を吸われた時、何層にも重なったタオル越しに無理矢理水を吸い上げる感覚だったが、キーシャや嬢が俺の血を飲む際は、乾いた土に撒かれた水の様にするすると魔力が向こうに流れていく。
 あ、やばい、考え事してたら余計に魔力持ってかれる。

「キーシャ、ストップ。それ以上は俺が動けなくなる」

「んっ…こく…ぷぁ」

 軽く背中をタップして首からキーシャの口を離す。
 嬢の時程酷くは無さそうだが、魔力酔い消化不良の影響で少し顔が紅い。

「行けるか?」

「ああ、直ぐにでも戦わないと、爆発しそうだ」

 高濃度の魔力に浮かされながらもキーシャはしっかりと立ち上がり、まるでそうすることが当然とでも言うように、履いていた靴と靴下を脱いで裸足になる。

「………何してんだ?」

「靴が邪魔だ」

 俺の懐疑の目を余所に、キーシャは自らの両腿に爪を立て、四条の引っかき傷を付けた。
 傷から流れ出る血が足を伝い、つま先まで到達する。
 その血がパキパキと固まり、カタチを変え、膝まで覆うロングブーツとなった。

「………ビット・フェン、貴様なら、これ・・をなんと呼ぶ?」

 今までの血晶魔法ブラッドアーツとは一線を画す、洗練された形状のそれを見てキーシャが俺に問う。
 俺はそのブーツとキーシャの耳を見て、ある言葉が自然と頭に浮かんだ。

「そうだな………安直かも知れねぇけど、『長靴を履いた猫ル・シャット・ブーティ』、なんてどうだ?」

 俺の考えた名前に、キーシャはフッと笑う。

「悪くない。その名に恥じない働きをして見せよう」

 そう言ってキーシャはぐっと身体を伏せ、両足に力を込める。

「往くぞ、長靴を履いた猫ル・シャット・ブーティ!!」

 ブーツのふくらはぎから踵に掛けての装甲がバガっと開き、中から発条仕掛けの様に大型のスパイクが飛び出した。
 その勢いとキーシャ持ち前の脚力で爆発的なスピードを実現し、一瞬でアルカ嬢達を追い抜き、水鹿の霧の中へ突っ込んでいく。
 次の瞬間には霧は晴れ、キーシャは怪物と化した蛇王の腹をブーツで蹴り上げていた。





「ゲゴ…ゲッど、ジィィィィぃ!!!!」

「黙れ、息が臭い」

 拘束されてロクに動けない蛇王へキーシャは跳びかかり、頭上から両足で顔面を踏み付ける。

「ベグぅっ!?」

 ズドン!と再び破砕音。
 足裏がぶつかった瞬間、再び踵からスパイクが飛び出して蛇のように変形した顔を一撃で粉砕した。
 反動でキーシャはくるくると宙返りして着地し、既に再生した顔を再び狙って回し蹴りを叩き込む。

「アガッ!ベグ、バボォォォォ!?」

 再生しては顔を破壊され、再生しては破壊され、痛みだけが長引いている蛇王の悲鳴が響く。
 うーわ。えげつなっ。
 顔面は人間にとってわかりやすい急所の一つだ。
 なにせ痛点の数が他の部位の比じゃない位多い。
 その痛覚の集合体みたいな顔面を再生する度に執拗に蹴り潰されたとあっちゃ、蛇王の精神がまともなら発狂してるぞあれ。

「げっド、ジィぃぃぁああああ!!!」

「むっ…!」

 キーシャが再び踏みつけようと飛び上がれば、キレていた蛇王が更に怒り狂ってその大口を広げる。
 落ちてきた所を丸呑みにでもするつもりか?

「ギン、赤短。ついでに踏み台も作ってやれ」

「はいよ」

 俺の指示でギンが赤短を展開する。

「アガッ!?」

 ………蛇王の顎にな!
 お陰で蛇王は開いた口を閉じられず、間抜けた声を上げた。
 馬鹿みてぇに大口開けてっからそうなるんだよバァァァーカ!

「キーシャ!そのまま踏み潰せぇ!」

「言われずとも!」

 再びキーシャが赤短の上からブーツで踏み付ける。
 スパイクが飛び出した反動で蛇王の頭を仰け反らせつつ、ばきんと赤短を踏み砕きながら再び跳躍した。

「ほぉー、赤短を割るたぁ、あの子すごいねぇ」

「暢気に感想漏らしてんなよ。さっさとお膳立てしてやれ」

 「はいはい」とギンが紫煙を燻らせながら術式を何重も構築する。
 一枚、二枚、三枚、四枚。
 次々と蛇王の回りに結界魔法『役物・赤短』が展開されていく。
 ギンは俺の言いたいことを100%把握してくれた様だ。

「…これは…!」

 キーシャが一瞬此方を見る。
 こっちの意図が分かったらしいな。

「こいつなら、あんたの疾さも活きるだろう?」

 ギンは煙管から火種を落とし、不敵に笑ってみせる。

「文字通り引っ掻き回してやれ、化け猫ケット・シーちゃんよ」

 俺は煙草に火を点けながら、結果の見えた勝負に肩を竦める。
 ジャコの鎖と嬢のソード・スレイヴによる拘束、ギンの赤短、キーシャの長靴を履いた猫ル・シャット・ブーティ。
 負ける要素なんざありゃしねぇ。

「………お願い、キーシャ!」

 そして最後まで殺し合いに否定的だったアルカ嬢も遂に腹をくくった様だ。

「………任された!」

 俺達の言葉を受けたキーシャ四足になって跳ぶ。
 空中で態勢を整えた彼女は長靴を履いた猫ル・シャット・ブーティが赤短の一枚に触れた瞬間、踵のスパイクで赤短を割砕きながらまっすぐに蛇王へ跳んだ。

「ガバッ!!!」

 飛び蹴りで蛇王の胸を穿ったと思えば再びスパイクでキーシャは跳び上がり、別の赤短にスパイクを穿って加速しながら跳ぶ。
 一度蛇王の背後に着地してそのまま背骨に強烈なドロップキック。
 また赤短を踏み台にして加速。蛇王に蹴り。加速。蹴り。

「まだ、まだ、まだ、まだァァァァァァ!!!」

「ガガ、ギ、アアアアアァァァァァァァァァ!!!!!」

 赤短を踏み込む反動でキーシャは目に見えて速度を上げ、その攻撃の苛烈さに蛇王の再生が追いついていない。
 ………決まったな。

「トドメっ!!!血晶脚パ・ドゥ・シャくるみ割り人形カッセ・ヌワゼィット!!!」

「あべ…………イりゅぶっ!」

 全身バキバキになった蛇王の頭へ、キーシャが踵落としを振り下ろす。
 くるみ割り人形カッセ・ヌワゼィットの名前の通り、スパイクに穿たれた蛇王の頭は粉々に砕け散り、眼球と脳漿が飛び散った。

「…………終わった、か」

 頭の吹っ飛んだ蛇王の首から噴き出す返り血を浴びた、キーシャの長靴を履いた猫ル・シャット・ブーティは役目を終えて砕け散り、塵へと還る。

「期待通り、勝ったぞ」

「おう、ご苦労さん」

 ゆっくりとこちらへ歩み寄ったキーシャとそうやり取りし、ばしんと互いの右手を打ち合わせた。
 この戦い、俺達全員が引き寄せた勝利だ。





 戦いを終え、俺達はギンの屋敷の先日作戦会議に使った部屋を訪れていた。
 部屋の寝台ベッドの上には適当に延命措置だけを施した、くたばり損ないの蛇姫ラミアが息も絶え絶えに横たわっている。

「さて…そんじゃキーシャ、頼むわ」

「分かった」

 俺の言葉にキーシャは頷き、蛇姫の腕に爪を立てて傷を付ける。
 傷から流れ出た血を指先に付着させると、その血をぺろりと舐め取った。
 以前に俺にした時のように、蛇姫の記憶を読むための準備だ。
 吸血種ノスフェラトゥ血晶魔法ブラッドアーツの応用で記憶を解析する事が出来るのだが、その為にはいくつか条件がある。
 ひとつは、身体の外に出てから一分以内の血液でないと効果が無いということ。
 今の時代の人間には細胞一つ一つに微量の魔力が宿っており、血液もその例外なく含まれる。
 出血して血液が外気に触れると、その血中に含まれる魔力は時間が経つにつれて霧散してしまう。
 記憶を読む血晶魔法は相手の血中の魔力を媒介にして用いるのだが、記憶が読み取れる程の魔力を維持されているのはジャスト一分。
 それを超えると霧がかかったような映像しかサルベージ出来ないらしい。
 そしてもう一つの条件は、対象が生きていること。
 記憶解析のプロセスは血中の魔力を介して相手の魂にアクセスする事が前提条件らしく、魂の抜けた死体では記憶そのものが読み取れなくなるそうな。
 ………成る程、納得。
 魂と魔力が密接に関わっているのは、アルヴィラの魔力で魂を現世に縛り付けられた俺自身がよく知っている。

「………」

 蛇姫の血を飲んだキーシャは目を閉じて、蛇姫の記憶をじっくりと解析している。
 それを見ながら、俺は蛇姫を生かしておいて正解だったと安堵した。
 もし延命措置が間に合わなくて蛇姫が死んでたら、なんとかして暴走した蛇王ナーガを生け捕る必要があったし、何より俺の血を飲んで暴走した蛇王の体組織がどんな変異を起こしているか分かったもんじゃねぇ。
 下手すりゃ暴走した吸血種の血を飲んでミイラ取りがミイラ、なんてこともあったかも知れねぇしな。

「………よし…読み取れたぞ」

「お、待ってました」

 目を開けたキーシャがそう言うと、俺は両手を叩き、嬢とジャコは緊張した面持ちで唾を飲む。

「ひどいものだ。記憶の大半が殺人に関するものばかり、100年以上生きていて三桁を超えるほど人を殺めていた」

「うわっ、ひっでーな。その辺は端折っていいから、排斥派に関する記憶を頼む」

「少し待て。整理する」

 そう言ってキーシャは椅子に掛けて酒を一杯煽り、再び目を閉じてこめかみを指先でつつく。

「………殆どは私が知っているものと大差無かったな。どうやら部隊長と言っても、殆ど下っ端と変わらない様だ」

 5秒ほど経つと再び目を開けてそう言った。
 ちっ、収穫なしかよ。

「……だが。私も知らなかった情報が2つほどある」

「…ん?」

 俺が落胆を見せると、キーシャはまっすぐに俺を見て、口を開いた。

「どちらも浅い情報ではあるが、一つは十老の1人に関するもの。もう一つは盟主に関するものだ」

「マジで?」

 思いの外デカい情報が釣れたらしい。
 組織のトップとその補佐の情報が僅かでも知れるんなら、リスクを背負った甲斐があったってもんだ。

「よーしよし、まずは十老の方を教えてくれ」

「ん。十老の1人…第7師団を擁している者だが、『轟父竜テュポーン』の異名を持つ古の吸血種エンシェントノスフェラトゥの1人のようだ」

 …………轟父竜、ね。
 昔から噂に聞く『竜』の異名を持つ吸血種、しかも相当な古株と来ましたか。
 古の吸血種が敵方に居るってのは厄介だな。
 連中は吸血種の存在が確認され始めた頃、すなわち反吸血種思想が最も過激だった時代の生き残りだ。その能力も常人種ヒューマンへの憎悪も並々ならぬものだろう。
 他の十老も轟父竜なる者と同格の古の吸血種だとすりゃ、この戦争、かなり厄介なことになるかも知れん。

「…それで、盟主の事は?」

 嬢が思考に埋没する俺から引き継いでキーシャに問う。

「ああ、盟主は十老の意向で姿こそ表に出すことは無いらしいが、連中からは『姫』と呼ばれ、排斥派に取って絶対の存在として扱われているらしい」

「…………」

 姫、と来ましたか。
 俺はちらりとアルカ嬢を見た。

「えぇっと…ビットさん?」

「ああ、ごめん。あんたの異名と被ってんなと思ってさ」

「そ、そうね。………私じゃないわよ?」

「アルカ様、狼狽えたら逆に怪しいですよ」

 しどろもどろになっているアルカ嬢にジャコが突っ込みを入れている様を見て俺は苦笑する。
 まだ俺に明言こそしていないが、穏健派を率い、吸血姫アルカードの異名を持つアルカ嬢と、排斥派を率い、『姫』と呼ばれている盟主。
 偶然にしては出来過ぎてんな。
 一度あいつの所に連れて行くか。幾つか聞きたいことも出てきたし。
 ………その前にやることが一つ。

「………ギン」

「はいよ」

 俺が紫煙を燻らせていたギンへ無造作に右手を差し出すと、ギンは着物の袖から一振りの短刀を取り出して俺に投げ渡した。
 鞘から白刃を抜き、俺はゆっくりと、死に損なっている蛇姫の元へ歩み寄る。

「………ビットさん、本当に殺してしまうの?」

 嬢が怖ず怖ずと問いかけてきた。
 この場で蛇姫を殺さにゃならんことは嬢自身も解っちゃいるようだが、訊かずには居られないというのも分からなくはない。

「ああ。このまま放っといたとしても、この女はどっち道死ぬ。引き出せるもんは引き出した。これ以上生き延びさせてもただの拷問と変わりねぇし、休ませてやるもの慈悲だろうよ」

 「言い訳がましい詭弁だがね」と自嘲し、くるりと短刀を逆手に持ち直して振り上げる。
 そしてまっすぐに蛇姫の胸へ切っ先を振り下ろした。

「あ゛っ…!」

「…………」

 心臓を貫かれた蛇姫の身体がビクリと動き、ガクガクと震えだす。
 顔に返り血が飛び散ったが、完全に絶命するまで手は離さない。
 そうして十数秒。

「……………………」

 最後に一度だけ身体を痙攣させて蛇姫は動かなくなる。
 蛇王に続いて蛇姫もその命を終えた。

「嬢」

「っ。はい」

 血がべっとりと着いた顔で振り返り、嬢の顔を見る。

「腹、括れよ?」

「……はい」

 俺の忠告に嬢が頷いた。
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