1 / 3
本編
1.歌えないお嬢様
しおりを挟む
入学式の日に満開だった校門の桜はほとんど散り、薄緑色の芽が膨らみ始めた。
薄ピンクと薄緑、そして幹の茶色が交じった状態の木は、家の使用人である千早に言わせれば「汚い色」らしかった。が、私は意外と好きだ。薔薇も椿も向日葵も、みんな緑色の葉っぱを共に付けているのだから、桜だって緑色の葉とともに在ることが"普通"なのだ。私たちが文句をつける筋合いは、無い。
「小和お嬢様、到着いたしました」
「毎日送り迎えありがとう」
「いえ、もったいなきお言葉。気をつけていってらっしゃいませ」
「いってきます」
運転手の早川さんにお礼を言って校門前で降りる。彼は24歳の優しい美形お兄さんで、私のことを可愛がってくれているいい人だけれど、いかんせん堅苦しい。他の使用人はここまでじゃない。彼が家に来たばかりの頃、何度か「楽にしていいんだよ」って言ったのに、全然変わらなかった。まあ、人には性分というものがあるから仕方ないのかもしれない。
「小和おはようーっ!」
「おはようございます、今日も早川様素敵でしたねえ」
教室に入ると可奈子と百合が声をかけてくれた。
「おはよう。百合、その双眼鏡……さすがに気持ち悪いよ」
「いーえ。早川様のお姿を拝見するのに必需品なんです」
「仕方ないよ、百合は無類のイケメン好きなんだから」
「さすが可奈子ちゃん!よく分かってますね」
二人は入学式からの友達だ。まだ出会って二週間だけれど、とってもいい子達だと思える。というのも、私を特異な目で見ることがないからだ。
元気が良くてハキハキしている可奈子も、気弱そうに見えて行動派な百合も、自分でも分かるくらい浮いている私のことをちゃんと見てくれている。
浮いている原因は、私というより、私の家にあるのだけれど。
この城帝学園は、私立高校ではあるものの、とくにお嬢様高校というわけではなく、野球やバスケといったスポーツ系の部活動が盛んな、至って普通の共学私立高校だ。
一方私は、本来なら「ごきげんよう」と挨拶するような学校に入学する予定だった。私の名前は篠宮小和。
自慢のようだが、篠宮家は代々偉大な音楽家を輩出している。私のお父様は世界的に有名な指揮者であり、お母様はプロのピアニストであり歌手。5つ年の離れたお兄様はバイオリニストであり、最近人気のフィギュアスケート選手に音源を提供したということでメディアに取り上げられたりもしている。
かくいう私も幼い頃からピアノを習い続け、お母様ほどではないにしても、私の家に恥じることない実力があると自負しているし、数々のコンクールにおける実績もある。
だから入学式の時の私は、まるで芸能人を見るかのような目にさらされた。私は見世物じゃない!と思いつつ、いや、見世物かもしれない…?とこの学園での自分の存在に疑問を覚えたものだ。
そんななか私に話しかけてくれたのは、この可奈子と百合だけだった。二人は特に、家柄が立派とかそういうことは無い。もちろん、仲良くなるのに家柄を気にするわけではないから関係ないけれど。
私からはどうやら見世物かつ話しにくい雰囲気が出ているようで、二人以外からは話しかけられることは無かった。視線だけ向けられるというのも気になるのだけれど、それは、まあ、いいか。
とにかくこの二人との関わりを大切にしよう、と思った。
そんな私がどうしてこの学園に入ったのかというと、それは、お母様に勧められて、半ば無理矢理に連れ込まれたから。
では、なぜお母様はこの学園を私に勧めたのか?
その理由は、
実はわからないのだ。
お母様は基本的に、どんなことでも私の自主性に任せてくれるけれど、たまに強引に「こうしなさい」ということがある。
でもそれに従って後悔したことや間違えたと思ったことがないから、大人しくその通りにする。やっぱり私より長く生きている分、長い目でこれから起こることを見渡せるんだろうなあ。
なんて年のことをお母様の前で言ったら、げんこつをくらってしまうから言わないけど。
「そういえば、今日は初めての音楽の授業ですね。私楽しみです」
「百合は、音楽が好きなの?」
「いーえ。むしろ苦手ですよ。でも…」
「音楽の佐伯先生、若くてイケメンらしいんだよ」
「そう!その通りです!ピアノがとっても上手だそうで、もしかして小和ちゃん知ってるかもしれなあと思っていたのですが」
「そうなんだ。うーん、ぱっと思い当たる佐伯さんは50代のおじさんだから違うだろうなあ」
「あはは!それはちがうだろうね」
「はああ、五時間目が楽しみです。はやくイケメンさんに会いたいです」
「ほんっとにイケメンに目がないなあ」
「いいえ!男子に限らず、女子でも、美形さんに目がないんです。美形さんは目と心と脳の癒しなのです、このA組には美形さんが多くて私は幸せです」
「そっか、よかったね」
「小和ちゃんあまり興味無さそうですね!?それでは、私がご指導さしあげます!まず小和ちゃんの隣の席の真田くんが……」
「はい、一年A組の皆さん初めまして。僕がこの学校で音楽の担当をしている佐伯颯馬です。この学校では音楽の授業は一年生の間しかないのが残念だけど、一年間楽しくやっていきましょう。みんなよろしくね」
そう言ってふんわり笑った佐伯先生は、紛うことなき美形だった。髪は染めているのか地毛なのかは知らないがダークブラウンで、サラサラで。少しつり目だがきつそうな印象は与えられず、ふんわり弧を描いた口元に思わずドキッとしたのは私だけではないだろう。誰かの「リアル王子様」という呟きにこくこくと頷く子が多数いた。逆に何人かの男子は若干睨むような視線を先生に向けているが、これは千早がよく言う「イケメン爆発しろ」というやつなのだろうか。
先生も大変である。
「それでは今日は、さっそく抜き打ちテストです」
え?
みんなも驚いたようで、「テスト?」「え、聞いてないよね」とちょっとしたどよめきが広がる。
「ふふ、この授業が学年で1番初めの音楽の授業なので皆知らなかったでしょうね。あ、他のクラスの子にも内緒ですよ。別に知られて困るわけじゃないですが……こうやってみんなの驚いた顔を見るのは楽しいので」
そういってまた、ふふっと笑う。
なんて悪趣味な先生なんだ。さっきまで美形だと思えた顔が黒いように見える。
と、目が合ったような気がして、ささっと視線をそらしてしまった。
「大丈夫、テストと言っても歌のテストですよ。皆の好きな歌を好きな風に歌ってください。伴奏なしで、皆がどんな風に歌うのかを見たいと思います」
……………少し、思考、停止。
歌のテスト?伴奏なしで?いやだ、どうしよう、無理だ、できない。無理、無理だよ。
他のみんなもざわざわとしている。本気で嫌そうな子も数人いた。私だってそのうちの1人だ。
そう、実は私、歌が歌えない。
歌えないといっても、恐ろしく下手だとか、そういうことではない。いや、もしかしたらそうなのかもしれないけど、それ以前に、歌が歌えないのだ。理由はよくわからないけど、昔から、歌おうと思って声を出そうとすると何かが喉につっかえたようにむせてしまい、歌えなくなる。しゃべることはできるのに。
だから、絶対に、本当に、無理だ。
「そういえば…」
先生がなにか言葉を紡ぐ。だめだ、脳がぼんやりとしか働かない。
「そういえばこのクラス、篠宮さんがいるよね。ピアノの上手な」
……え、私!?
先生、わかりませんか、この歌えないという雰囲気。私こんなに悲壮感漂う顔したことないかもしれません。
「僕、同じコンクールに出たことあるんだけど、覚えてないかな?」
「え、あの……すみません」
「いいよいいよ。でも、せっかくだから篠宮さんから歌ってみてほしいな。きっと素敵な歌声なんだろうね」
うっとりとしたように先生が言う。あ、同じコンクールに出たことがあったんだ。なんて思っている場合では、ない。
「先生。無理です、できません」
きっと今の私は情けなさすぎる顔をしているだろう。椅子にちゃんと座っているはずだけれど、なんだか宇宙空間に放り出されたような、ふわふわした不安感が私を襲う。
「……篠宮さん、皆が気楽に歌えるように、君が一番はじめに歌って欲しいんです」
先生の視線が鋭い。なんで、どうしてそんな目を向けるの。息が苦しい。視界もぼんやりしてくる。
それでも、できません、と言うと、その様子を見兼ねたのか可奈子たちが口添えしてくれた。
「先生、初日からテストって本当に必要ですか?1人でアカペラで皆の前でなんて、キツいですよ」
「小和ちゃん嫌がってますし、無理やり歌わせるのはよくないかと」
クラスの子たちも、「そうですよ」「いきなりテストって言われても困ります」などと次々に言った。
そこで「先生」と一人の男子が手を挙げた。
皆の注目が彼に集まる。
彼は棗琥太郎といって、小和に劣らないレベルで「なんでこの学校に?」と問いたくなるような有名会社の子息なのだが、まあ今はどうでもいい。
「こんなど初っ端からの歌のテスト、まさか上手下手を判断したり成績に入るわけでもないですよね?」
「……ええ、先程も言ったように皆の態度や様子を見るつもりでした」
「じゃあ、」
そこで彼は皆の方を向いて笑った。
「歌える奴、皆で歌おう!俺が伴奏するからさ」
ニカッ。そんな効果音が似合うような、バックに向日葵が咲いたような、そんな笑顔だった。思わず頬が熱くなってしまった気がした。
彼の友達が、何歌うんだよ、と問う。なんでもいいだろ、流行りのやつもいけるぜ、なんて言って勝手にグランドピアノの方へ行く彼。
弾き始める準備を万端にしたところで、彼、棗くんは、言った。
「先生、問題ないですよね」
「……ええ、みんなが楽しく出来るならば」
そして彼は弾き始めた。前奏の部分で誰かが、「あ、これ昨日見た」と言った。それ最近人気のドラマの主題歌だった。彼の友達をはじめとして、皆がピアノの周りに集まる。
私は、すごいと思った。彼がピアノを弾けることではない。流行りの曲を覚えていることではない。
その人を惹き付ける態度が、行動が。
いつの間にか皆、楽しそうに歌っている。曲が変わって、大ヒット映画の主題歌になっても、この部屋の雰囲気は変わらない。
一緒になって歌うことは出来なくても、この雰囲気に飲み込まれて、気分はだいぶ楽になっていた。
「小和、大丈夫?」
可奈子がこそっと聞きに来た。百合も来る。
「さっきはいろいろ言ってくれてありがとう。可奈子も、百合も」
「全然です。それより、棗くんかっこいいです。前からイケメンだとは思っていましたが、行動もとは」
「棗には感謝だね。小和、かなり嫌そうだったから」
「うん……その通りなの」
「当たり前です。小和ちゃんじゃなくとも、私だって嫌です。皆の前で歌うだなんて」
「いくら顔が良くても、生徒の気持ち分かんないんじゃあねえ」
「私珍しく、イケメンさんを苦手になってしまいました」
私も。
そう言いそうになって、口に出す前にちらっと佐伯先生の方を見た。
あれ。
目が合って、にこってされたけど、される前、私……睨まれてた?
佐伯先生が笑顔を崩さず近づいてくる。
「篠宮さん」
「は、い」
「放課後、ここに来てください」
ね?と首をかしげられた。
その様子に思わず眉をひそめる。
この人は、なにかを、企んでいるのだろうか?
薄ピンクと薄緑、そして幹の茶色が交じった状態の木は、家の使用人である千早に言わせれば「汚い色」らしかった。が、私は意外と好きだ。薔薇も椿も向日葵も、みんな緑色の葉っぱを共に付けているのだから、桜だって緑色の葉とともに在ることが"普通"なのだ。私たちが文句をつける筋合いは、無い。
「小和お嬢様、到着いたしました」
「毎日送り迎えありがとう」
「いえ、もったいなきお言葉。気をつけていってらっしゃいませ」
「いってきます」
運転手の早川さんにお礼を言って校門前で降りる。彼は24歳の優しい美形お兄さんで、私のことを可愛がってくれているいい人だけれど、いかんせん堅苦しい。他の使用人はここまでじゃない。彼が家に来たばかりの頃、何度か「楽にしていいんだよ」って言ったのに、全然変わらなかった。まあ、人には性分というものがあるから仕方ないのかもしれない。
「小和おはようーっ!」
「おはようございます、今日も早川様素敵でしたねえ」
教室に入ると可奈子と百合が声をかけてくれた。
「おはよう。百合、その双眼鏡……さすがに気持ち悪いよ」
「いーえ。早川様のお姿を拝見するのに必需品なんです」
「仕方ないよ、百合は無類のイケメン好きなんだから」
「さすが可奈子ちゃん!よく分かってますね」
二人は入学式からの友達だ。まだ出会って二週間だけれど、とってもいい子達だと思える。というのも、私を特異な目で見ることがないからだ。
元気が良くてハキハキしている可奈子も、気弱そうに見えて行動派な百合も、自分でも分かるくらい浮いている私のことをちゃんと見てくれている。
浮いている原因は、私というより、私の家にあるのだけれど。
この城帝学園は、私立高校ではあるものの、とくにお嬢様高校というわけではなく、野球やバスケといったスポーツ系の部活動が盛んな、至って普通の共学私立高校だ。
一方私は、本来なら「ごきげんよう」と挨拶するような学校に入学する予定だった。私の名前は篠宮小和。
自慢のようだが、篠宮家は代々偉大な音楽家を輩出している。私のお父様は世界的に有名な指揮者であり、お母様はプロのピアニストであり歌手。5つ年の離れたお兄様はバイオリニストであり、最近人気のフィギュアスケート選手に音源を提供したということでメディアに取り上げられたりもしている。
かくいう私も幼い頃からピアノを習い続け、お母様ほどではないにしても、私の家に恥じることない実力があると自負しているし、数々のコンクールにおける実績もある。
だから入学式の時の私は、まるで芸能人を見るかのような目にさらされた。私は見世物じゃない!と思いつつ、いや、見世物かもしれない…?とこの学園での自分の存在に疑問を覚えたものだ。
そんななか私に話しかけてくれたのは、この可奈子と百合だけだった。二人は特に、家柄が立派とかそういうことは無い。もちろん、仲良くなるのに家柄を気にするわけではないから関係ないけれど。
私からはどうやら見世物かつ話しにくい雰囲気が出ているようで、二人以外からは話しかけられることは無かった。視線だけ向けられるというのも気になるのだけれど、それは、まあ、いいか。
とにかくこの二人との関わりを大切にしよう、と思った。
そんな私がどうしてこの学園に入ったのかというと、それは、お母様に勧められて、半ば無理矢理に連れ込まれたから。
では、なぜお母様はこの学園を私に勧めたのか?
その理由は、
実はわからないのだ。
お母様は基本的に、どんなことでも私の自主性に任せてくれるけれど、たまに強引に「こうしなさい」ということがある。
でもそれに従って後悔したことや間違えたと思ったことがないから、大人しくその通りにする。やっぱり私より長く生きている分、長い目でこれから起こることを見渡せるんだろうなあ。
なんて年のことをお母様の前で言ったら、げんこつをくらってしまうから言わないけど。
「そういえば、今日は初めての音楽の授業ですね。私楽しみです」
「百合は、音楽が好きなの?」
「いーえ。むしろ苦手ですよ。でも…」
「音楽の佐伯先生、若くてイケメンらしいんだよ」
「そう!その通りです!ピアノがとっても上手だそうで、もしかして小和ちゃん知ってるかもしれなあと思っていたのですが」
「そうなんだ。うーん、ぱっと思い当たる佐伯さんは50代のおじさんだから違うだろうなあ」
「あはは!それはちがうだろうね」
「はああ、五時間目が楽しみです。はやくイケメンさんに会いたいです」
「ほんっとにイケメンに目がないなあ」
「いいえ!男子に限らず、女子でも、美形さんに目がないんです。美形さんは目と心と脳の癒しなのです、このA組には美形さんが多くて私は幸せです」
「そっか、よかったね」
「小和ちゃんあまり興味無さそうですね!?それでは、私がご指導さしあげます!まず小和ちゃんの隣の席の真田くんが……」
「はい、一年A組の皆さん初めまして。僕がこの学校で音楽の担当をしている佐伯颯馬です。この学校では音楽の授業は一年生の間しかないのが残念だけど、一年間楽しくやっていきましょう。みんなよろしくね」
そう言ってふんわり笑った佐伯先生は、紛うことなき美形だった。髪は染めているのか地毛なのかは知らないがダークブラウンで、サラサラで。少しつり目だがきつそうな印象は与えられず、ふんわり弧を描いた口元に思わずドキッとしたのは私だけではないだろう。誰かの「リアル王子様」という呟きにこくこくと頷く子が多数いた。逆に何人かの男子は若干睨むような視線を先生に向けているが、これは千早がよく言う「イケメン爆発しろ」というやつなのだろうか。
先生も大変である。
「それでは今日は、さっそく抜き打ちテストです」
え?
みんなも驚いたようで、「テスト?」「え、聞いてないよね」とちょっとしたどよめきが広がる。
「ふふ、この授業が学年で1番初めの音楽の授業なので皆知らなかったでしょうね。あ、他のクラスの子にも内緒ですよ。別に知られて困るわけじゃないですが……こうやってみんなの驚いた顔を見るのは楽しいので」
そういってまた、ふふっと笑う。
なんて悪趣味な先生なんだ。さっきまで美形だと思えた顔が黒いように見える。
と、目が合ったような気がして、ささっと視線をそらしてしまった。
「大丈夫、テストと言っても歌のテストですよ。皆の好きな歌を好きな風に歌ってください。伴奏なしで、皆がどんな風に歌うのかを見たいと思います」
……………少し、思考、停止。
歌のテスト?伴奏なしで?いやだ、どうしよう、無理だ、できない。無理、無理だよ。
他のみんなもざわざわとしている。本気で嫌そうな子も数人いた。私だってそのうちの1人だ。
そう、実は私、歌が歌えない。
歌えないといっても、恐ろしく下手だとか、そういうことではない。いや、もしかしたらそうなのかもしれないけど、それ以前に、歌が歌えないのだ。理由はよくわからないけど、昔から、歌おうと思って声を出そうとすると何かが喉につっかえたようにむせてしまい、歌えなくなる。しゃべることはできるのに。
だから、絶対に、本当に、無理だ。
「そういえば…」
先生がなにか言葉を紡ぐ。だめだ、脳がぼんやりとしか働かない。
「そういえばこのクラス、篠宮さんがいるよね。ピアノの上手な」
……え、私!?
先生、わかりませんか、この歌えないという雰囲気。私こんなに悲壮感漂う顔したことないかもしれません。
「僕、同じコンクールに出たことあるんだけど、覚えてないかな?」
「え、あの……すみません」
「いいよいいよ。でも、せっかくだから篠宮さんから歌ってみてほしいな。きっと素敵な歌声なんだろうね」
うっとりとしたように先生が言う。あ、同じコンクールに出たことがあったんだ。なんて思っている場合では、ない。
「先生。無理です、できません」
きっと今の私は情けなさすぎる顔をしているだろう。椅子にちゃんと座っているはずだけれど、なんだか宇宙空間に放り出されたような、ふわふわした不安感が私を襲う。
「……篠宮さん、皆が気楽に歌えるように、君が一番はじめに歌って欲しいんです」
先生の視線が鋭い。なんで、どうしてそんな目を向けるの。息が苦しい。視界もぼんやりしてくる。
それでも、できません、と言うと、その様子を見兼ねたのか可奈子たちが口添えしてくれた。
「先生、初日からテストって本当に必要ですか?1人でアカペラで皆の前でなんて、キツいですよ」
「小和ちゃん嫌がってますし、無理やり歌わせるのはよくないかと」
クラスの子たちも、「そうですよ」「いきなりテストって言われても困ります」などと次々に言った。
そこで「先生」と一人の男子が手を挙げた。
皆の注目が彼に集まる。
彼は棗琥太郎といって、小和に劣らないレベルで「なんでこの学校に?」と問いたくなるような有名会社の子息なのだが、まあ今はどうでもいい。
「こんなど初っ端からの歌のテスト、まさか上手下手を判断したり成績に入るわけでもないですよね?」
「……ええ、先程も言ったように皆の態度や様子を見るつもりでした」
「じゃあ、」
そこで彼は皆の方を向いて笑った。
「歌える奴、皆で歌おう!俺が伴奏するからさ」
ニカッ。そんな効果音が似合うような、バックに向日葵が咲いたような、そんな笑顔だった。思わず頬が熱くなってしまった気がした。
彼の友達が、何歌うんだよ、と問う。なんでもいいだろ、流行りのやつもいけるぜ、なんて言って勝手にグランドピアノの方へ行く彼。
弾き始める準備を万端にしたところで、彼、棗くんは、言った。
「先生、問題ないですよね」
「……ええ、みんなが楽しく出来るならば」
そして彼は弾き始めた。前奏の部分で誰かが、「あ、これ昨日見た」と言った。それ最近人気のドラマの主題歌だった。彼の友達をはじめとして、皆がピアノの周りに集まる。
私は、すごいと思った。彼がピアノを弾けることではない。流行りの曲を覚えていることではない。
その人を惹き付ける態度が、行動が。
いつの間にか皆、楽しそうに歌っている。曲が変わって、大ヒット映画の主題歌になっても、この部屋の雰囲気は変わらない。
一緒になって歌うことは出来なくても、この雰囲気に飲み込まれて、気分はだいぶ楽になっていた。
「小和、大丈夫?」
可奈子がこそっと聞きに来た。百合も来る。
「さっきはいろいろ言ってくれてありがとう。可奈子も、百合も」
「全然です。それより、棗くんかっこいいです。前からイケメンだとは思っていましたが、行動もとは」
「棗には感謝だね。小和、かなり嫌そうだったから」
「うん……その通りなの」
「当たり前です。小和ちゃんじゃなくとも、私だって嫌です。皆の前で歌うだなんて」
「いくら顔が良くても、生徒の気持ち分かんないんじゃあねえ」
「私珍しく、イケメンさんを苦手になってしまいました」
私も。
そう言いそうになって、口に出す前にちらっと佐伯先生の方を見た。
あれ。
目が合って、にこってされたけど、される前、私……睨まれてた?
佐伯先生が笑顔を崩さず近づいてくる。
「篠宮さん」
「は、い」
「放課後、ここに来てください」
ね?と首をかしげられた。
その様子に思わず眉をひそめる。
この人は、なにかを、企んでいるのだろうか?
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。
しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。
私たち夫婦には娘が1人。
愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。
だけど娘が選んだのは夫の方だった。
失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。
事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。
再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
婚約者の幼馴染?それが何か?
仏白目
恋愛
タバサは学園で婚約者のリカルドと食堂で昼食をとっていた
「あ〜、リカルドここにいたの?もう、待っててっていったのにぃ〜」
目の前にいる私の事はガン無視である
「マリサ・・・これからはタバサと昼食は一緒にとるから、君は遠慮してくれないか?」
リカルドにそう言われたマリサは
「酷いわ!リカルド!私達あんなに愛し合っていたのに、私を捨てるの?」
ん?愛し合っていた?今聞き捨てならない言葉が・・・
「マリサ!誤解を招くような言い方はやめてくれ!僕たちは幼馴染ってだけだろう?」
「そんな!リカルド酷い!」
マリサはテーブルに突っ伏してワアワア泣き出した、およそ貴族令嬢とは思えない姿を晒している
この騒ぎ自体 とんだ恥晒しだわ
タバサは席を立ち 冷めた目でリカルドを見ると、「この事は父に相談します、お先に失礼しますわ」
「まってくれタバサ!誤解なんだ」
リカルドを置いて、タバサは席を立った
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる