ウブな契約妻は過保護すぎる社長の独占愛で甘く囚われる

ひなの琴莉

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1巻

1-1

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   第一章


 もうすぐ四月。
 桜が咲き、お店のディスプレイや、棚に並ぶ商品にもピンク色の物が増えて胸が弾む。
 私はこの季節が大好きだ。
 仕事がいつも以上に楽しく、つい鼻歌が出てしまいそうになる。

宮本みやもとさん、そこの清掃が終わったら話があります」

 普段より明るい気分で会議室の清掃をしていると、清掃部の野崎のざきマネージャーから声をかけられた。

「わかりました」

 マネージャーから個別で呼び出されることなんてほとんどないのに、一体どうしたんだろう。
 私は少し不安を抱えながらも仕事を終え、清掃員の控室に併設された個室に入った。野崎マネージャーとテーブルを挟んで向かい合う。

「宮本さんは本当に一生懸命働いてくれているから助かっています」
「ありがとうございます。そう言っていただけて嬉しいです」

 そう答えたものの、褒めるだけのためにわざわざ呼び出しをするだろうか? 何かミスをしてしまったのだろうか? 心配になりながら、緊張した面持ちで彼女に視線を向ける。

「実は、来月から社長室の清掃担当をお願いしたいと思っています」
「えっ!? わ、私がですか?」
「ええ」

 驚く私に、野崎マネージャーは満面の笑みを向けた。まさか重要な場所の清掃を私に任せてくれるとは……
 私が働く『カワラ食品』は二年前に先代の社長が亡くなり、今の社長が三十歳という若さで後任となった。彼が就任してから業績は今まで以上に伸びたが本人の評判はあまりよくなく、社員達が『強面無表情社長』と噂しているのを聞いたことがある。
 当然ながら社長と私に接点はなく、会話をしたこともない。
 遠くから姿を見たときは、背がかなり高く身体ががっちりしていて、まるで格闘技でもしているのではないかという体躯だった。
 私が一五三センチと小柄だから余計に大きく見えただけかもしれない。
 噂を鵜呑みにするべきではないが厳しそうな印象だった。
 仕事を評価してもらえるのは非常にありがたいが、社長室には大事な書類だってあるだろうし、もし大切な物を壊してしまったらと考えると不安が胸を支配する。気が進まない……
 宮本ゆめ二十二歳。
 私は東京にある『カワラ食品』の本社ビルで清掃員の派遣社員をしている。
『カワラ食品』は一九三〇年に創業、味噌の製造から始まり、今は食品全般に業務を広げている。さらに、最近では日本全国で飲食店を展開しているだけでなく海外にも店舗を拡大し、社員数は二千人を超える。
 私は創業者一族の近所にたまたま住んでいた。
 祖母の話によると、もともとは庶民的な地域だったが、『カワラ食品』が大成功し工場を作ったことで、移り住んでくる人が増えたらしい。
 創業者一族は、地元住民からは特別扱いを受けている。彼らのことをまるで殿様だと言っている人も多い。それだけ地元に根ざしてお金を落とし、企業として町を発展させてきたのだ。
 自宅には高級車が何台も停まっているとか、外国から有名人を呼んで大々的にパーティーをしているとか、創業者一族のことはよく耳にしていた。
 私は築年数が古いアパートに住んでいるが、土地名を言うと『すごいところに住んでいるんだね。セレブなんだ』なんて言われることも少なくない。
 たまたま住んでいたら周りがすごいことになってしまっただけなのに。
 しかし、ここ最近はカワラ食品によって土地が買われているらしく、そのうち我が家も立ち退きにあうかもしれない。

「契約社員になればシフト管理などの事務仕事も必要になるんですけど、その分ボーナスが出て給料もアップしますよ。社会保険もしっかりしているし」

 迷っている私に、野崎マネージャーが笑顔で説得してくる。
 社長室や副社長室、役員フロアなどを担当する清掃員はカワラ食品の直接雇用となり、経済的にも安定する。
 清掃員の契約社員は全部で三名。そのうちの一人が結婚退職するため、私に声をかけてくれたらしい。
 社長室の清掃は私にはプレッシャーが大きい。せっかくの話だが断ろうと思っていたのに、お金のことを言われると心が揺らぐ。
 うちはかなり経済的に不自由をしている。
 私が十歳のときに両親が事故で他界し、祖母の家で育ててもらった。祖父とは、母が幼い頃に離婚したそうで、私には記憶がない。
 一般的なサラリーマン家庭だったが、両親が亡くなってから父が友人の借金を肩代わりしていたことが発覚。遺産や保険金は借金返済に当てられ、祖母と二人で余裕がない生活を送ってきた。
 私が高校生の頃、祖母は足腰が弱って車椅子生活になった。
 役所の職員からは施設に入所させることを勧められたが、可愛がってくれた祖母への恩返しだと介護は私がすると決めた。
 そして、介護に時間を割くために始業が早く、昼過ぎには家に戻れる仕事を選んだ。
 ヘルパーさんの力も借りて、仕事に家事に介護に大変な毎日だった。それでも大好きな祖母と一緒に過ごす時間は幸せで、この生活を長く続けていきたいと思っていた矢先、祖母が病気を患い入院した。
 しっかりとした保険に入っていなかったこともあり、制度を使っても医療費の負担が大きく、清掃の仕事の他に、夜は居酒屋でアルバイトをすることになった。
 ところが睡眠時間を削って仕事をしていたせいで、家に戻ってくると体力は限界だった。
 その上、祖母が入院中とはいえ病院に着替えを届けたり、役所に通ったり、ケースワーカーと相談したり、以前にも増して忙しくなった。病院から急遽呼び出されても、十分な対応ができなかったこともあった。
 誰かに頼らなければ今度は私が倒れてしまう。
 しかし、祖母が家族と呼べるのは私しかいない。
 祖母には姉がいたがすでに亡くなっていて、血がつながっている親戚といえば北海道に住んでいる祖母の姉の娘、夏江なつえおばさんしかいなかった。ただずっと連絡を取っておらず親戚といっても形だけのものだった。
 困り果てた私は仕方がなく夏江おばさんに電話し、祖母の面倒を見てもらえないか頼んだのだ。

『うちに面倒を見てもらいたいですって?』

 電話口から返ってきたおばさんの声は、ものすごく嫌そうだった。しかし後ろからおばさんの娘らしき声が聞こえてきた。

『しっかりとお金をもらって面倒を見てあげれば?』
『そうね。うちも生活が大変だから、毎月十万円は仕送りできる? あと医療費もかかった分は請求させてもらいます。それができるなら迎えに行ってあげるけれど』

 私はその条件を呑むしかなかった。
 そして、祖母の体調が比較的落ち着いている間に迎えに来てもらい、北海道へ見送ったのだ。

『ゆめ、幸せになりなさい。真面目に働いていたらきっといいことがあるわよ』

 最後に会った祖母がかけてくれた言葉が今も耳に残っている。
 そばにいてあげられなかったのは申し訳ないが、今の私にできるのは祖母が元気になることを願いながら一生懸命働くことだ。そんな思いで仕事に励んだ。
 祖母が北海道に行き、時間的に余裕ができたことでもう少しシフトを増やしてほしいとお願いすると、派遣先が変更になった。それが現在の職場である『カワラ食品』だ。
 一人になって孤独を感じていたけれど、『カワラ食品』の創業のきっかけとなった味噌の大ファンだったので、救われた思いだった。
 祖母は私が元気のない日には『カワラ食品』の味噌で、味噌焼きおにぎりを作って励ましてくれた。私にとっては特別な思い入れのある会社だ。
 派遣社員という形でも、その会社に関われるだけですごく嬉しかったが、まさか社長室の掃除をするなんて予想もしていなかった。

「どうしますか? おばあ様のこともありますし、宮本さんにとっても悪くない話かと思って。夜も居酒屋でお仕事されていますよね。契約社員なのでアルバイトすることも問題ありませんし」

 事情を知っている野崎マネージャーが、最後のたたみかけとばかりに続ける。
 祖母について言われたらもう断ることなんてできない。

「引き受けさせていただきます」

 せっかく声をかけてくれたのだし、祖母と一緒に暮らすための貯金を増やすためだと思って精一杯頑張りたい。

「よろしくお願いします」

 野崎マネージャーは安堵したように明るい声を出した。
 引き受けたからにはしっかり働こう。
 社長が出勤する前に掃除をパパッと済ませてしまえば問題ないだろう。そうすれば顔を合わせることもないだろうし。

「それで、注意事項があるのですが」
「何でしょうか?」
「就業時間中は来客も多いから入室は避けてほしいそうで、朝の始業時間前に清掃をお願いしたいんです。たいてい社長は早く出社されているから」

 予想外の言葉だった。

「社長と顔を合わせる……ってことですね」
「そういうことですね」

 私の顔は引きつっていたに違いない。
 冷静に考えてみれば、重要な場所に清掃員だけが入るのはセキュリティ上よくないので仕方がない。

「あとね、申し訳ないんですけど、本来であれば前任者が引き継ぎを行うんですが、急な退職だったから時間がとれなくて、初日から一人で行ってもらえるかしら?」
「だ、大丈夫でしょうか?」
「ええ。仕事の内容は私からしっかりとお伝えしますし、宮本さんになら安心して任せられるわ」
「頑張ります」

 一度了承したことを断るなんて、私にはできなかった。


   *


 四月一日。初めて社長室を清掃する日がやってきた。天気は良好。
 窓を開けて部屋に新鮮な空気を取り込み、鏡を覗き込んだ。
 背中まで伸ばした黒髪をポニーテールにして気合を入れる。
 昨日の夜はなかなか寝つけず、そのせいで目の下にクマができているのでファンデーションでカバーした。
『強面無表情社長』と噂される社長と顔を合わせるだなんて、考えるだけで緊張する。でも、仕事だからしっかり頑張ろう。

「行ってきます」

 覚悟を決め、写真の両親に手を合わせてから家を出た。
 清掃員の朝は早い。八時には職場に到着し準備を始める。
 仕事中に邪魔にならないように、部署内の清掃は社員が出勤してくる前に済ませなければならない。
 各部屋のゴミ箱をチェックし、綺麗な状態にして社員の皆さんが気持ちよく働けますようにと、心を込めて掃除をする。
 社長は八時半頃に出勤してくるらしく、そのタイミングで社長室の掃除をすることになっていた。
 廊下の掃除をしながら腕時計を確認する。もうすぐ八時半になるので社長室に向かう。

(……うぅ。緊張するよ)

 心臓が早鐘を打ち、手の汗もすごい。
 社長室の前に到着する。
 ドアをノックして中に入ろうとするが、緊張して手が止まってしまう。

(大丈夫。笑顔で、余計なことを言わないで、ちゃんと掃除をしてくれば大丈夫)

 心の中で呪文のように何度も繰り返して深呼吸をしてから、勇気を出してノックをした。

「はい」

 低い声で返事が聞こえてきた。

「清掃の者ですが、入室させていただいてもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「失礼いたします」

 おそるおそるドアを開けて中を見ると、背もたれの高い椅子に腰をかけパソコンに向かっている姿が目に見えた。
 河原かわらまこと社長、三十二歳。
 近くで見るとやはり迫力がある。仕立てのいいスーツを着て、光沢のあるグレーのネクタイを締めていた。
 無表情で画面を見つめている。
 しっかり固めた黒髪に、太めの眉毛と鋭く細い目。強面と聞いていたけれど、むしろ端正な顔立ちだ。いや、整いすぎているせいで怖く見えるのかもしれない。
 そんなことを考えていると、社長がおもむろに私へ視線を動かしてきた。

「何か顔についているか?」
「い、いえ、本日から清掃を担当させていただきます、宮本と申します。気になることやリクエストがございましたら、何でもおっしゃってください。十五分ほどお時間をいただきます」
「よろしく」

 朝の爽やかな光が差し込む社長室は静まり返っていて、社長がパソコンのキーボードを叩く音だけが響いていた。
 その中で私は淡々と掃除をしていく。まずはゴミ箱の中身を捨てる。そして窓の埃を取ろうと、窓際に向かう。窓際にはサンスベリアなどの観葉植物が置かれていた。緑が鮮やかでとても健康そうに見える。

「こちらにお水をあげましょうか?」
「そこは触らないでくれ」
「かしこまりました」

 大事な植物だったのだろうか。事情もわからずおせっかいを焼いてしまった。
 怒らせてしまったのではないかとこっそり社長の顔を確認するが、表情を変えることなくパソコンに向かって仕事をしていた。
 こんなに緊張感がある中で仕事をするのは初めて……。それでも与えられた業務なので私は心を込めて取り組んだ。
 掃除をしていると、部屋の空気が新鮮なものに変わっていくのを感じる。
 この空間に置いてある物達が『綺麗にしてくれてありがとう』と喜んでいる気がするのだ。
 子どもの頃はあまり掃除が好きではなかったが、この仕事を始めてから掃除をするのが楽しくてたまらない。
 仕事中だけではなく、自宅に帰っても部屋を綺麗にするのが趣味になりつつある。
 ふと視線を感じて振り向くと、社長がこちらを見ていた。

「いかがなさいましたか?」

 もしかしたら何かリクエストがあるのかもしれない。

「いや、楽しそうに仕事をしているなと思って」
「はい! とても楽しいです」
「そうか」

 ほんの少しだけ社長の表情が和らいだように見えた。気のせいかな?
 その後は何事もなく清掃を進め、あっという間に時間が過ぎた。

「本日は終了いたします。ありがとうございました」
「どうもありがとう」
「明日からもよろしくお願いいたします」

 私は頭を下げて社長室を出た。

「ふぅー、緊張した」

 とりあえず今日は何事もなく掃除を終えることができて一安心だ。
 次の仕事のため移動しようとしたとき、こちらに向かって歩いてくる女性と目が合った。
 長い髪を一つに結い上げた彼女は背が高く、パンツスーツを着こなしている。顔がすごく小さくて、バッチリと隙のないメイクをしていて、まるでテレビに出てくる女優さんみたいだ。
 いつも河原社長の隣を歩いている秘書のにっさんだ。

「おはようございます」

 クールな表情のまま挨拶をしてくれた。

「おはようございます。本日から社長室の清掃を担当する宮本と申します」
「朝早くからお疲れ様です」

 丁寧に頭を下げると、ヒールを鳴らして秘書室へと入って行った。

(美人で仕事もできそうで憧れるな)

 私はその足で次の掃除場所へ向かった。午前中はトイレを中心に掃除をする。まずは、休憩室があるフロアの女子トイレだ。

「ゆめちゃん、お疲れ様」

 私がトイレに入ると、先輩清掃員が声をかけてきた。

「皆さんお疲れ様です!」
「社長さんはどうだった?」
「やっぱり怖いの?」

 トイレの掃除をしながら、皆が興味津々に話しかけてくる。

「仕事に集中していてほとんど会話をしなかったんですよ。だから、怒られることもありませんでした」
「あらよかったじゃない。ここだけの話だけど、社長って顔が怖いわよね。笑ったところを見たことがないのよ」
「わかるわー。社長という肩書きを抜きにしても、ちょっと近寄りがたい感じよね」
「浮いた話を聞かないのも、そのせいなのかしら」

 自由に好きなことを言っているので、私は曖昧な笑顔を浮かべた。

(たしかに外見は無表情で怖い感じがしたけど、ちゃんと話をしてみたら案外いい人なんじゃないかな?)

 根拠はないけれど、今日挨拶をした印象ではそう感じた。
 でもきっと私は、これからも社長と挨拶以外の会話をすることはないだろう。それでも自分に与えられた清掃という仕事をしっかり頑張っていきたい。
 今日からはカワラ食品の契約社員となったため、午前中の掃除が終わると休憩を取り、その後はパソコンに向かってシフト管理表を作る。野崎マネージャーに教えてもらいながら即戦力になれるように奮闘する。

「さすが若い子は覚えるのが早くて助かるわ」

 野崎マネージャーが私を見てニッコリと笑った。
 夕方の十六時まで仕事をして退社した。何となく祖母の様子が気になり、おばに電話をする。

『病院から特に連絡がないから、元気で過ごしているんじゃないかしら』

 おばの曖昧あいまいな返事を聞き、ちゃんと気にかけてくれているのかと心配になってくる。病院のスタッフが祖母の面倒を見てくれているだろうけど……
 でも今はおばの言葉を信じるしかない。スマホをカバンに入れ、居酒屋のアルバイトへと向かう。
 カワラ食品で働くようになってから、アルバイト先の居酒屋も変えた。すぐに仕事に行けるようにするためだ。時間は夕方の十七時から二十三時まで。これなら終電にも十分間に合うし、深夜手当もつくから効率的に稼ぐことができる。
 今のアルバイト先は、『味噌晩菜』という味噌料理中心の居酒屋でカワラ食品の系列店舗だ。料理にはカワラ食品の味噌を使っていてどれもとても美味しい。
 味噌汁はもちろん、味噌田楽や、味噌おでんなど。まかないにもカワラ食品の味噌を使った料理がよく出てくる。

「お疲れ様、ゆめちゃん」

 店に到着しバックヤードに入ると、店長の板倉いたくらさんが声をかけてくれた。彼はいつも明るくて気さくに話しかけてくれる。従業員のプライベートも考慮してシフトを調整してくれる頼りになる店長だ。

「今日も忙しいけど、よろしくね」
「了解です」

 私はすぐにブラウスとジーンズという制服に着替えて、腰にエプロンを巻く。胸には名札をセットした。

「三番テーブルをお願い」
「了解です」

 元気よく返事をしてドリンクを運ぶ。
 指示されて向かったテーブルには名前は知らないが、頻繁に店に来るサラリーマンが座っていた。

「いつもありがとうございます。生ビールをお持ちいたしました」

 サラリーマンは恥ずかしそうにメガネをクイッと中指で上げて、ペコリと頭を下げる。
 私はいつも来てくれる感謝の思いを込めて笑顔を浮かべた。


   *


 それからも私は、昼は清掃の仕事、夜は居酒屋のアルバイトという生活を送っていた。
 社長と話をする機会はほぼなかったが、私の掃除に対して何か言ってくることもなく、静かな空間の中で掃除をして帰る日々が続いた。社長室の担当になってそろそろ一ヶ月だ。
 いつものように掃除に向かうと、今日はめずらしく社長室の扉が開いていた。声をかけようとしたとき、中から話し声が聞こえてきた。

「おはよう。今日は天気がいいな」
(誰と話をしているのかな?)

 秘書室の前を通ってきたけど、まだ秘書の新田さんは来ていないようだった。
 私の他に清掃員がお邪魔しているのかな? そんな申し送りはなかったと思いつつ、扉の隙間から中を覗いてみた。河原社長以外に人はいない。

「太陽の光をたっぷり浴びるんだぞ」

 なんと、社長が観葉植物に水をあげながら話しかけている。

「元気いっぱいに育てよ」

 身体が大きくて顔つきが怖いと言われている人なのに、小さな植物に話しかけているなんて。意外な姿に胸がキュンとしてしまった。

(あんな一面もあるんだ。可愛すぎる……!)

 すっかり入室のタイミングを失っていると、水をあげていた社長がふと視線を動かしたので目が合ってしまった。

(ど、どうしよう)

 社長はいつも通り無表情なままこちらに向かって歩いてきた。慌てて逃げようとするが、バランスを崩して倒れてしまい、その反動で社長室の扉が全開になる。
 ビクビクしながら顔を上げると、彼は私を見下ろしている。

「おはようございます」
「覗き見をしていたのか?」
「ち、違います……! 植物に話しかけている姿に……トキメキ……いやっ、あのっ……」

 社長は眉間に深くシワを刻んだまま、座り込んでいる私に手を差し出す。

「あ、ありがとうございます」

 おそるおそる社長の手をつかんで立ち上がる。至近距離で鋭い視線を向けられて、私は怖気づいた。

「本当に申し訳ありません。覗くつもりはなかったのですが、話し声が聞こえてきたので、どなたかいらっしゃっているのかと……入室したら失礼かと思って様子をうかがっていたんです」

 無言の圧がすごい。

「……河原社長って、お優しいのですね」


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