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 ーー窓の外から、囀る小鳥の歌声が聞こえてくる。薄いカーテン越しに差し込む朝日に枕元を照らされて、ディーはその眩しさに「うぅん・・・・・・」と唸った。

「ディー、おきて、朝だよ」

 可愛らしい声と共に、小さな子供が身体の上にのしかかってくる。

 肩をゆさゆさと揺さぶられて、朝に弱いディーはふにゃふにゃの声で呻く。

「あと・・・・・・あともうちょっと、寝かせてくれ・・・・・・」

「おきて、もう朝ごはんできてるよ」

「んあぁ・・・・・・? 先食べてていいぞ・・・・・・」

 むにゃむにゃと半ば夢の中から言うディー。その身体の上でむぅ、と頰を膨らませる可愛らしい子供は、ニ年前ディーが王都で拾ったあの獣人の少年である。

 やはり獣人の子の成長速度は異なるらしい、五、六歳ほどだった少年はたった二年で十歳ほどの見た目まで成長してしまった。

 ーーその名は“レスター”。

 名付けのセンスに自信が無かったディーが、教会に頼んでつけてもらった名前だ。

 レスターは拾ってくれたディーを実の親のように慕い、ディーもレスターを実の子のように可愛がった。

 心労を重ねながら婚活に奔走していたディーは、今ではすっかり結婚のことなど忘れ、レスターを可愛がることに夢中で心が満たされてしまっている。

(毎朝こうやって起こしに来てくれるのがほんと、可愛くて堪らねんだよなぁ・・・・・・)

 温かな布団の中から出るやる気が中々出ずに、瞼を閉じたまま毛布に包まっていると、レスターはディーの頬にちゅっと口付けてきた。

「ディー、おきて」

 幼く柔らかな唇でちゅ、ちゅ、と頬や額にキスされて、ディーはフフッと笑ってしまう。

 彼を拾ってすぐの頃、ディーは毎晩寝る前にレスターの頬に口付けてやっていた。

 自分の幼い頃、母親がディーを寝かしつける時にやっていたように。

 レスターはその愛情表現をひどく気に入ったらしく、レスターがある程度育ってきてディーの方からおやすみの口付けをしなくなっても・・・・・・寝る前や起きる時、ディーが出かける時や帰ってくる時など、ことあるごとに頬にキスしてくるようになったのだ。

「おきてよ、ディー」

 ちゅ、ちゅと頰を啄まれて、くすぐったさに笑いながら身を捩るディー。

 どうしても朝食は一緒がいいらしい、レスターはディーの首元にぎゅっと抱きついて「おきて、おきて」と繰り返した。

「分かった、分かったよレスター、起きるって」

 観念したディーがへらりと笑って起きあがろうとした・・・・・・その時だった。

「「んっ」」

 ーー顔の角度が変わったディーの唇に、レスターの柔らかな唇が重なる。

 歯と歯がぶつかるカツンという音が脳内に響き、互いに目を皿のように見開く。

 そんな間抜けな事故によって、二人共ファーストキスを呆気なく果たしてしまった。

(ーーッ‼︎)

 レスターの幼い唇は、見た目よりもずっとずっと柔らかくて、ふわふわしていて、滑らかで。

 その一瞬の触れ合いに危うい心地よさを覚えてしまったディーは、慌ててレスターの両肩を掴み己から引き剥がしてしまう。

「ーーッごめんな‼︎ レスター、怪我はないか⁉︎」

 はっと気がついてレスターの唇を確認し、歯が当たった時に切り傷などができなかったことを確認すると、ほっと息をつく。

 レスターはさして気にしていないらしく、ぽかんとして上半身を起こしたディーの顔を見つめていた。

 その白い頬には、ほんのりと赤みがさしている。

(・・・・・・まさか、初めてのキスをこんな形で失うことになるなんてな。しかもレスター相手に・・・・・・)

 ディーは、同時にレスターのファーストキスも今自分が奪ってしまったのだということに思い至ると、申し訳なさと後悔の念に肩を落としてしまう。

 もっと、気をつけて起き上がっていればーー。

 人相の良く無い見た目に反して、結構ロマンチストなディーは“初めて”を大切なものだと強く信じている。

 まだ純粋でいたいけなレスターの初めての口付けを、事故とはいえ自分みたいな男が奪ってしまったことがショックでならなかった。

「ご、ごめんな、ほんと。レスター、今のは忘れろ。こんなの数のうちに入らないからな。なっ?」

「ディー?」

 ディーはベッドから降りると、やや上擦った声で「ほら、朝飯食うぞ」とだけ言って、動揺の収まらないまま半ば逃げるように寝室から出ていってしまった。

「ーーまってよ、ディー‼︎」



ーーーーー



 アラバスター伯爵家の邸宅は、いつも寂しいくらいに静まり返っていた。

 ディーとレスター以外には、使用人が三人いるだけなのである。

 先代の伯爵、ディーの父親は酒の飲み過ぎで死に、母親は夫の営む家業の悍ましい闇に耐えきれずディーが十五歳の時に家を出ていってしまった。

「ーーやぁ、我が友よ。久しぶりだな」

 ある日の午後、オースティンが訪れたことにより、珍しく伯爵邸が賑わった。

 応接間にて、二人で昼間から酒の瓶を開ける。

 つまみの干し肉を出すと、それまで部屋の隅で大人しく絵本を読んでいたレスターがキラキラした目をしてディーの元に駆け寄ってきた。

「お? なんだレスター、欲しいのか?」

「うん‼︎」

「あぁ、いいぜ。ほら、あーん♡」

 ディーが差し出した干し肉の欠片を、レスターがぱくりと口に含む。

 こうやってたまに手ずから菓子などを食べさせるのが、親鳥が餌付けをする時のようで面白く、ぱくぱく口を開けて待つレスターが可愛らしいので、ディーは好きだった。

「美味いか?」

「うん、おいひい‼︎」

 笑顔で元気に頷くレスターの頭を、よしよしと撫でてやるディー。

 その艶やかな黒髪の間から生えた耳をくすぐってやると、レスターは頰を赤く染めてうっとりとする。

「よしよし。レスター、今日は俺、友達と飲むんだ。構ってやれないけど、レスターならいい子で待っていられるよな?」

 ディーがそう言うと、レスターはちょっと不満げに眉を困らせたが、素直に首を縦に振り・・・・・・部屋の隅に置かれたソファの上に戻ると、大人しく絵本を開いた。

「オースティン、やっぱり俺、酒は一杯だけにしておくよ。ベロベロに酔ったみっともない姿を、あいつに見せたくないしな」

 頰の緩み切った顔で言うディー。レスターを拾う前までは酒に気を遣ったことなどなかったのに、その人の変わりようにオースティンはついつい笑ってしまった。

「お前、ほんとあの子にメロメロだな。子育てが忙しいのは分かるけど、最近全然婚活してないんじゃないか」

「だってさぁ、見ろよ。うちの子、天使かってくらい可愛いだろ? レスターがいれば、もう結婚なんかしなくてもいいやって思うくらいには今、幸せで満たされてるんだよな」

 へらりと笑って言うディー。ちびちびと酒を飲みつつ、つまみのナッツを2,3粒口の中に放り込む。

 ディーの言葉のすぐ後に、レスターがぴこぴこと耳や尻尾を動かしたのは、たまたまなのだろうか。

「・・・・・・結局、レスターは今何歳なんだ? 拾ってから二年しか経ってないが、結構ディーの言葉を理解出来ているように見える」

 オースティンがレスターを見やりながら酒を煽る。

「年齢・・・・・・そうだな、肉体年齢的には俺たち人間の十歳くらいか? 精神年齢はそれよりもう少し下だと思う。知能自体はかなり高いな、一回教えた言葉は大体理解してるし、あっという間に簡単な字も読めるようになった。喋りや発音はまだ拙いけどな」

 ディーはそう言うと、ソファに寝転がって読書に耽るレスターの姿をじっと見つめた。

 今何を思って、考えて、感じているのだろうか。

 子供らしい言動から精神年齢的には幼いのだろうとディーは思っているが、身体の成長が人間より早い分、心の方はどのように成長していっているのか読みづらいところがある。

「ーーディー、分かっていると思うが、可愛がるだけじゃなくてちゃんとあいつの精神面をしっかり見てやった方がいい。あいつは俺達と同じスピードで生きているわけじゃないんだ。どんどんと精神が成長していく、その過程の不安定な状態を支えてやれるのはお前しかいない」

 オースティンが珍しく真面目なことを言いながら、ぐいっと一杯目の酒を飲み干す。

「・・・・・・正式に伯爵家の養子にするつもりなんだろ? だったらそのうち、あいつが十八くらいの見た目まで育ったら、縁談の話を持ってこなきゃいけなくなるよな」

「え、縁談か・・・・・・」

 ディーは、自分の縁談すらまともにまとめられないのに、と悲観しながら干し肉を齧った。

 可愛いレスターが凛々しい青年に育って、ちょうどいい歳の女の子と結婚していくーーそんな姿を想像すると、なんだか胸のあたりがどんよりと重く、寂しいような、悲しいような心地がしてくる。

 ディー、ディーと無邪気に呼んで、四六時中くっついていてくれる時期も、もう終わりが来るのかもしれなかった。

(娘を嫁に出す父親って、こんな気持ちなのかなぁ・・・・・・いや、ちょっと違うか)

 レスターは仮に結婚しても、この家に住み続けるだろう。ディーのそばにいるのは変わらない。

 ーーしかし、今レスターがディーを父のように慕って向けてくれている愛情が、ほとんどその妻に向けられてしまうことになるのだろうと考えるだけで、ディーは寂しさにしょんぼりと肩を落としてしまった。
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