うわさ話は恋の種

篠宮華

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第二十二話 恋の種が実るとき

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 大好きな人とこの日を迎えられることは奇跡だと思う。
 ここ最近はますます仕事が忙しく、なかなか一緒にいる時間がとれなかった。一生懸命合わせた時間も、式の準備や打ち合わせにとられて、正直やきもきすることがなかったといえば嘘になる。
 しかし、家に帰れば彼女がいて、とりあえず抱き締めて眠ることができる。それがどんなにありがたいことなのかを実感せずにはいられないくらい、毎日充実していた。

 天気のいい日だ。
 窓の外には若葉が茂り、日差しはぽかぽかと温かく、鳥の鳴き声すら聞こえる。以前読んだ長編ラノベの最終話で、主人公たちが辿り着いた桃源郷の描写のようだ。
 まるで今日の日を本当に世界に祝福されているような…

「ご新郎様、ご新婦様のご用意が整いましたので、お部屋移動をお願いいたします」
「あ、はい」

 ぼーっとしてしまっていたところに、式場スタッフから声を掛けられて立ち上がった。隣の部屋で支度をしていた彼女のもとへ、ドキドキしながら向かう。
 「どれも素敵で決められない」というから、ドレスについては俺もいろいろ調べて一緒に選んで、候補は2つか3つに絞り、最終的なデザインや小物は彼女が決めた。最近になって、「やっぱりこっちにしてよかった」と嬉しそうにしていたけれど、実際にどれにしたのかははっきりと教えてもらえないままだったから、気になっていた。
 柔らかな絨毯の床を歩き、重そうな扉を開ける。

「あ、直人くん」
「……美緒さん」

 そこには、美しいドレスに身を包んだ愛する人が、にっこり笑って立っていた。
 元々、うちの奥さんはめちゃくちゃ可愛いと思っている。しかし、プロの手によって着飾られた彼女は、それはもう言葉にならないほど美しくて。窓から部屋に差し込んでいるなんの変哲もない日光がまるで後光のようで、神々しさすら感じる。
 思わず見惚れてしまってから、はっとして駆け寄った。グローブをつけたその手を握る。

「…最高に綺麗です。ちょっとなんて表現すればいいかわかんないくらい」
「ね!ここの刺繍とかすごい細かくて、レースもふわふわしてるけど歩きやすそうで…」
「いや、ドレスじゃなくて、あ、いや…ドレスも素敵なんだけど、何よりも美緒さんが綺麗です」
「あ、ありがとう」

 えへへといつものようにはにかむ姿を見て、ようやく落ち着いてきた。
 俺達のそんな様子を生暖かい表情で見つめていた式場スタッフが、白いストールを持って、椅子に座るよう彼女に声を掛ける。

「ご新婦様、お身体冷やさないように、こちら羽織ってお待ちください」
「ありがとうございます」

 確かに、肩が露わになったデザインのそのドレスは、場合によっては少し寒そうだ。とはいえ、鎖骨が綺麗な彼女にはとても似合っている。いろいろなデザインを一緒に見比べた甲斐があったと、なぜか自分まで誇らしい気持ちになっていると、「お時間までまだ少しありますので、こちらでしばらくお待ちください」と、式場スタッフが部屋を出て行った。
 急にしんと静まり返った部屋に二人残されて、妙に緊張してしまう。

「あの…本当に綺麗です」
「えー?毎日一緒にいる直人くんもドキドキしちゃう?」

 ただでさえ可愛いのに、椅子に座っているせいで自然と上目遣いになっている。その破壊力に本人は気付いているのかいないのか。悪戯そうに微笑む彼女の耳に光るイヤリングにそっと触れると、結婚指輪とお揃いで選んだそれは、きらりと光を反射した。

「ドキドキするどころじゃないです。抱き締めたくて仕方ないし、式が始まってからも隣に気配感じるだけで好きだって叫び出しそう」

 俺の言葉に、彼女は「…抱き締めてくれていいのに」と少し不満そうに唇を尖らせて、腕を広げてこちらに伸ばしてくるから、ドレスの裾を踏まないように少し近付いて、身を屈める。ヘアアクセサリーで綺麗にまとめられた髪型が崩れないように、ゆるゆると抱き締めると、耳元で内緒話をするように「ねえ」と囁かれた。

「ん?」
「私のこと…好き?」
「もちろん。誰よりも愛してます」

 それは誰にも負けない自信がある。
 結婚することが決まってからというもの、より一層愛は深まるばかりだ。彼女にうっとおしいと思われないように気を付けないといけないと思うほど。でも、些細なやりとりが幸せで、この人を大切にしていきたいと日々思う。
 抱き合ったまま 俺のその返事を聞いた彼女が「そっか」と満足そうに頷いたのがわかる。すると。

「……これからは、二人分愛してって言ったらどう思う?」
「え?」

 一瞬何を言われているのかよくわからなくて、頭に疑問符が浮かぶ。
 しかし、彼女がからかうように「大丈夫?二人分だよ」と繰り返したところで、はっとして体を離した。自分のお腹に手を当てながら少し頬を赤らめて、ふふっと笑う姿は本当に美しくて、今度こそ本当に言葉にならない。

「え……え…、それって……え……?」
「この間、病院行ってきたの。2か月だって」

 その言葉に、顔がにやけそうになるのに、同時に瞳の奥が熱くなってくる。爆発しそうな感情をどう表現すればいいか。
 少しの不安と、大きな責任感。そして、それらを遥かに超越する喜び。
——愛するこの人との、子ども。

「このドレス選んだときは赤ちゃんがいるなんて全く思ってなかったんだけど、偶然お腹をあんまり締め付けない形だったの。エンパイアラインっていうんだって」
「…うん」
「まだ見た目は全然変わらないんだけど、気分的にもこっちにしてよかったって思って。何か運命的じゃない?」
「……うん」

 なんとなく興奮しているのか、急に饒舌になった彼女のことをもう一度ぎゅっと抱き締め直す。
 まさかそんな話を聞かされるとは思っていなかったから、自分でもなんだかよくわからない精神状態だ。とりあえず落ち着かなければと、大きく深呼吸する。一生懸命考えて、どうにかこうにか言葉を捻り出す。

「…重いもの、持たないでくださいね」
「うん、気を付ける」
「悪阻とかは?」
「時々胃がむかむかすることはあるけど、まだ大丈夫。割と軽い方なのかな。でも今日のお料理、生ものは避けてもらうようにお願いした」
「そっか…今日の式も、もし何かあったらすぐに教えてくださいね」
「うん。ありがとう……あっ!」
「えっ!?」

 急に何かを思い出したように大きな声を出すから、何か異変があったのかと体を離し、その顔を見つめると、彼女はふにゃりと眉を下げる。

「サプライズにしたくって、式場の人より直人くんに伝えるのが後になっちゃったのを謝らなきゃと思って。ごめんね?」
「えっ、そんな…全然いいですよ」

 落ちそうになっていたストールを彼女の肩にかけ直し、息をついたところで、ドアが控えめにノックされる。
 「失礼いたします。そろそろご移動をお願いいたします」という式場スタッフの方の声を受け、彼女の手を引く。

「行きましょう。くれぐれも、足元気を付けて」
「直人くんもね」
「俺なんかいくら転んだっていいんです」
「だめだよ。折角の白いスーツが汚れちゃうでしょ」

 ドレスの裾を式場スタッフが慣れたようにてきぱきと持ち上げる。歩行のサポートには余念がなさそうだし、よく見ればヒールも低めの靴を履いているから、おそらく大丈夫だろうとは思うけれど、心配で仕方がない。神父の前で待つ俺と、バージンロードを歩く彼女とで道が分かれるところで、「そのスーツ、王子様っぽくてカッコいいなって思ってた」と、俺にだけ聞こえるような小さな声で言う彼女に、どうしても今伝えたくて、口を開く。

「美緒さん」
「ん?」
「愛してます。二人分とか、そんなレベルじゃないくらい。今までも、これからも」

 周りにいる式場スタッフに聞かせる話としては恥ずかしいかもしれないけれど、そんなことはどうでもよかった。なぜなら、その言葉に彼女は少し目を潤ませながら、俺のことを見上げたから。

「…ありがと」
「…こちらこそ」

 チャペルの扉を開けると、そこはさっき控室に差し込んでいたときと変わらない日の光に満ちている。
——やっぱり、奇跡だ。
 目を閉じても伝わる光のあたたかさに、俺はもう一度大きく深呼吸した。



【完】
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