隣で眠るなら

篠宮華

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 下に降りると、そこはおそらくラブホテルだったのだろうということがわかった。利用したことは一度もなかったけれど、ガラス張りになっていた浴室に加えて、部屋のドアの上のランプや目立たないようになっている出口などの様子、これまでに聞いたことがある友達の話を合わせて考えてそう判断した。
 とはいえ、幸いなことに誰とも会わずに済んだので、そそくさと建物を後にする。

 外はジリジリと暑い。とりあえず帰ってシャワーを浴びよう。普段からあまりがっつりメイクをするタイプではないとはいえ、昨夜から落としていないとなると恐ろしい状態ではある。それに何か食べた方がいいかも…などと思っていると、スマホが震えた。

「うわ…」

 画面を見ると、そこに表示されていたのはさっきまで隣にいた男ひとの名前。
 通話ボタンをタップせずにいると、その着信は留守電に繋がりそうになったあたりで切れた。
 しかし、10秒もしないうちにまた着信。今度は4コール目あたりで切られて、それからすぐにまた着信。なんだかスマホの向こう側の執念を感じる。私が出るまで続けられそうな気がして、仕方なく通話ボタンを押した。

「も、もしもし…?」
『なんでいなくなってんだよ』

 案の定、聞こえてきたのは千晃の不機嫌そうな声。

『お前、昨日の夜にあんだけさせといて何も言わずに逃げるってどういうつもり?』
「に、逃げるなんて…」

 …まあ、逃げたんですけど。
 具体的に何をしてしまったのか全く思い出せないけれど、そこまで言われるということはやはり何か粗相をしてしまったのだろうか。そして、この言い方的に、彼の方は何が起きたのかきちんと覚えているということなのだろう。

「その…ごめんなさい、実はあんまり覚えてなくて…」
『…は?』

 …怒ってるよね、そうだよね。
 スマホ越しなのに空気が凍るのがわかるような低い声が聞こえる。でもどうにか確認しなくてはと、尋ねる。

「私、千晃とその…えっと…そういうことをしてしまった、のでしょうか…?」
『そういうことってなんだよ』
「それはその…え…えっちな、こととか?」
『……』

 いつもなら軽口を叩いて、冗談で済ますようなところだけど、今回は内容が内容なだけにそうもいかない。
 すると、スマホの向こうで黙り込んでいた彼が『…今どこ?』と尋ねてくる。

「駅の近くだけど…」
『じゃあ駅で待ってろよ。話つけに行くから』
「えっ」
『お前まさか俺をヤり捨てるつもり?』

 …ああ、完全にアウトだ。

「や、ヤり捨てるなんて…」
『そんなの許さないから。朝起きて、隣にお前がいなかったときの俺の気持ち考えろよ』

 ぷつりと切られたスマホを手に、その場に立ち尽くす。無視して帰ってしまうという手もあるかもしれないと一瞬思ってから、そんなことをしたらますます怒ってどこまででも追いかけて来そうだと、その考えをすぐに撤回した。千晃は妙なところで執念深…いや、頑固なのだ。逆に後が怖い。
 …それに、ああ見えて根は意外と優しい。思えば私が体育の授業でボールに躓いて転び捻挫をしたときには「鈍臭すぎるだろ」なんて言いながらもわざわざマンションの部屋の前まで送ってくれたし、先生に雑用を頼まれたときには「めんどくせえ」と悪態をつきながらも最後まで手伝ってくれた。だからさっきも、怒ってはいたけれど大丈夫だろう…多分…。

 改札前の柱に寄りかかって俯く。そうして何分か経った頃、目の前に影ができた。視線を上げると、何やら満足そうにこちらを見下ろす彼がいた。

「えらいじゃん。ちゃんと待ってたんだ」
「…後が面倒だもん」

 私の言葉に、「まあ、そうだな。否定はしない」と言ってから、千晃は私の手をとった。しかもそれだけでなく指を絡めるように繋いでくる。

「ちょ…」
「ん?」
「なんで手繋ぐの?」
「は?だってお前…」

 そこまで言ってから彼は口を噤んだ。

「…ちなみにどっから覚えてないの?」

 信じられないとでも言いたげな視線を送られて、さすがになんだか申し訳なくなる。

「ごめん…」
「……いや、わかった。説明する」

 結局、当然のように繋がれた手はそのままで「外暑いから、とりあえずどっか入ろうぜ」と近くの喫茶店を指差す彼に、大人しくついて行くことにする。彼が今着ているTシャツは、今朝私が起きたときに着ていたものだろう。妙に恥ずかしくなって目を逸らした。


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