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「えっ!結婚前提に!?」
「ちょっ、香苗、声大きいよ…!」
しーっ!と私が人差し指を口元に立てると、工藤香苗は、はっとしたような表情を浮かべてから、ごめんごめんと手を合わせた。
金曜日の夕方という時間のせいもあって店内はざわざわと騒がしいから、誰もこちらを気にすることはなかったけれど、ひやっとする。
香苗とは大学の学部が同じで、お互いサークルにも入っていないことから、なんとなく仲良くなったけれど、こんな風に二人だけで飲みに来るのは久しぶりだった。大学に入学してから知り合ったけれど、なんでも話せる大切な友人。
香苗はにやにやしながら、シーザーサラダを口に運ぶ。
「で、その幼馴染みは今お隣さんってわけか。情熱的だねぇ」
「情熱的って…突然のこと過ぎてまだちょっと実感がわかないよ。13年間も連絡とってなかったし」
「でもさ、沙耶も一人暮らしのところ、昔から知ってる男の人が近くに住んでたら安心じゃない?」
「そりゃそうだけど…」
確かに困った時など、すぐ隣に知り合いが住んでいるというのは心強い。
しかも、再会してからというもの、夕飯はほぼ毎日一緒に食べているし、時間が合えば二人で映画のDVDを見たりショッピングに出かけたりしている。秋斗の『新婚生活の予行練習』などというわけのわからなかったセリフもあながち間違ってはいない状況ではある。
始めの1週間くらいは恥ずかしくて直視できなかった甘い微笑みも、彼の素直な愛情表現なのかもしれないと、今ではなんとなく受け入れることができるようになった。
でも。
「あっ、でもさ、幼馴染みってことは、同い年だよね。大学とかは行ってないの?」
「大学?行ってる、と思うけど…」
枝豆を片手にハイボールのグラスを持った香苗の言葉で、はっとする。うっかりふわふわとした気持ちになっていた。
「…もしかして知らないの?」
「う、うん…」
香苗に言われて初めて気付いた。
秋斗に関することを、私はほとんど知らない。
そういえば、引っ越してきて荷物をほどいたあの時以外、一緒に過ごすのはいつも私の部屋で、秋斗の部屋に足を踏み入れたことはない。大量のカップ麺を見たのも、玄関先でちらっと中を覗いたときだけだ。
幼馴染みなんて言っても、小さい頃を知っているだけで、中学生の頃の彼のことも、高校生の頃の彼のことも知らない。
― 急に現れて、もしかすると急にまたいなくなるのかもしれない。
「あ、でもさ、ほら!荷物の整理とか一緒にしたんでしょ?だったら別に何か秘密があるとかじゃないって!休学してるとか留学してたとか、いろいろ理由はあるんじゃない?気になるんなら聞いてみなよ。大体、別に大学行ってなくたって素敵な人なんでしょ。羨ましいよ!」
けらけらと笑いながらハイボールをあおる。香苗は元々酒豪だから、酔っての言葉ではないだろうし、慰めるために言っているわけでもなさそうだった。確かに、何気なく聞いてみればいいとは思う。
ただ、芽生えた不安は自分が思うよりも簡単に心に広がる。
——だめだめ!こんなことでもやもや考えるなんて!
体質的にお酒があまり飲めないせいで、いつもカクテルやチューハイを1杯空けることで精一杯の私がカシスオレンジをぐいっと一気に飲み干すと、香苗はおっ!珍しいねーなんて嬉しそうにする。
「あー、あたしも彼にそういう甘いこと言ってほしいわ。酔った勢いでもいいからさぁ」
新しい飲み物を頼もうとメニューに手を伸ばしたところで、注文しておいた玉子焼きがテーブルに並べられた。
* * *
「ちょっと、沙耶!大丈夫?」
体に思うように力が入らず、おまけに倦怠感もあって、覚束無い足元のまま店の外へ出る。
途中から、頭がふわふわして体が熱いことも感じていたけれど、なんだかどんどんお酒が進んでしまった理由は自分でもなんとなくわかる。しかし、今となっては後の祭りである。
明らかに飲み過ぎた。
大学に入学したばかりで親睦を深めようと開催された同じ学部の飲み会で、適量がわからなかったせいでどんどん飲んでしまった時以来かもしれないというほど。
そういえば、その時に酔っぱらってふらふらになった私を心配した香苗が、自分の住んでいるマンションに連れ帰って介抱してくれたことからますます仲良くなったのだった。
「ごめん香苗ー、お金払うー」
「あー、もう!そんなの今度でいいよ!送ってあげたいけど、今日はあたしも終電危ないし…」
「だいじょーぶ!一人でもちゃんと帰れるってばぁ」
「沙耶が大丈夫って言うときは大抵大丈夫じゃないんだよなぁ…あっ!そうだ!」
香苗が私の鞄をごそごそ漁り、見つけたスマホを操作しているのが見えるけれど、ぼーっとそれを眺めることしかできない。「うわ、ロックかけてないの?セキュリティー管理ちゃんとしなよー」と言われて、曖昧に返事を返す。
「えーっと、確か野宮くんだよね…あ、あったあった」
そのまま手を引かれて、居酒屋のそばのベンチに座った。
隣に並んで座った香苗の肩に頭を預けると、強烈な睡魔に襲われる。
いい友達を持ったなぁと思うと、目を閉じたまま自然と頬が緩む。
「香苗~、大好きだよぉ~」
「はいはいありがと。…あ、もしもし?突然すみません。ええと、私、沙耶の友人の工藤と言います」
お酒を飲むと確実に飲まれてしまう。でも、いろいろなことを忘れてしまえるから幸せだと思った。今日はぐっすり眠れそうだ。
そこで意識は一旦途絶えた。
「ちょっ、香苗、声大きいよ…!」
しーっ!と私が人差し指を口元に立てると、工藤香苗は、はっとしたような表情を浮かべてから、ごめんごめんと手を合わせた。
金曜日の夕方という時間のせいもあって店内はざわざわと騒がしいから、誰もこちらを気にすることはなかったけれど、ひやっとする。
香苗とは大学の学部が同じで、お互いサークルにも入っていないことから、なんとなく仲良くなったけれど、こんな風に二人だけで飲みに来るのは久しぶりだった。大学に入学してから知り合ったけれど、なんでも話せる大切な友人。
香苗はにやにやしながら、シーザーサラダを口に運ぶ。
「で、その幼馴染みは今お隣さんってわけか。情熱的だねぇ」
「情熱的って…突然のこと過ぎてまだちょっと実感がわかないよ。13年間も連絡とってなかったし」
「でもさ、沙耶も一人暮らしのところ、昔から知ってる男の人が近くに住んでたら安心じゃない?」
「そりゃそうだけど…」
確かに困った時など、すぐ隣に知り合いが住んでいるというのは心強い。
しかも、再会してからというもの、夕飯はほぼ毎日一緒に食べているし、時間が合えば二人で映画のDVDを見たりショッピングに出かけたりしている。秋斗の『新婚生活の予行練習』などというわけのわからなかったセリフもあながち間違ってはいない状況ではある。
始めの1週間くらいは恥ずかしくて直視できなかった甘い微笑みも、彼の素直な愛情表現なのかもしれないと、今ではなんとなく受け入れることができるようになった。
でも。
「あっ、でもさ、幼馴染みってことは、同い年だよね。大学とかは行ってないの?」
「大学?行ってる、と思うけど…」
枝豆を片手にハイボールのグラスを持った香苗の言葉で、はっとする。うっかりふわふわとした気持ちになっていた。
「…もしかして知らないの?」
「う、うん…」
香苗に言われて初めて気付いた。
秋斗に関することを、私はほとんど知らない。
そういえば、引っ越してきて荷物をほどいたあの時以外、一緒に過ごすのはいつも私の部屋で、秋斗の部屋に足を踏み入れたことはない。大量のカップ麺を見たのも、玄関先でちらっと中を覗いたときだけだ。
幼馴染みなんて言っても、小さい頃を知っているだけで、中学生の頃の彼のことも、高校生の頃の彼のことも知らない。
― 急に現れて、もしかすると急にまたいなくなるのかもしれない。
「あ、でもさ、ほら!荷物の整理とか一緒にしたんでしょ?だったら別に何か秘密があるとかじゃないって!休学してるとか留学してたとか、いろいろ理由はあるんじゃない?気になるんなら聞いてみなよ。大体、別に大学行ってなくたって素敵な人なんでしょ。羨ましいよ!」
けらけらと笑いながらハイボールをあおる。香苗は元々酒豪だから、酔っての言葉ではないだろうし、慰めるために言っているわけでもなさそうだった。確かに、何気なく聞いてみればいいとは思う。
ただ、芽生えた不安は自分が思うよりも簡単に心に広がる。
——だめだめ!こんなことでもやもや考えるなんて!
体質的にお酒があまり飲めないせいで、いつもカクテルやチューハイを1杯空けることで精一杯の私がカシスオレンジをぐいっと一気に飲み干すと、香苗はおっ!珍しいねーなんて嬉しそうにする。
「あー、あたしも彼にそういう甘いこと言ってほしいわ。酔った勢いでもいいからさぁ」
新しい飲み物を頼もうとメニューに手を伸ばしたところで、注文しておいた玉子焼きがテーブルに並べられた。
* * *
「ちょっと、沙耶!大丈夫?」
体に思うように力が入らず、おまけに倦怠感もあって、覚束無い足元のまま店の外へ出る。
途中から、頭がふわふわして体が熱いことも感じていたけれど、なんだかどんどんお酒が進んでしまった理由は自分でもなんとなくわかる。しかし、今となっては後の祭りである。
明らかに飲み過ぎた。
大学に入学したばかりで親睦を深めようと開催された同じ学部の飲み会で、適量がわからなかったせいでどんどん飲んでしまった時以来かもしれないというほど。
そういえば、その時に酔っぱらってふらふらになった私を心配した香苗が、自分の住んでいるマンションに連れ帰って介抱してくれたことからますます仲良くなったのだった。
「ごめん香苗ー、お金払うー」
「あー、もう!そんなの今度でいいよ!送ってあげたいけど、今日はあたしも終電危ないし…」
「だいじょーぶ!一人でもちゃんと帰れるってばぁ」
「沙耶が大丈夫って言うときは大抵大丈夫じゃないんだよなぁ…あっ!そうだ!」
香苗が私の鞄をごそごそ漁り、見つけたスマホを操作しているのが見えるけれど、ぼーっとそれを眺めることしかできない。「うわ、ロックかけてないの?セキュリティー管理ちゃんとしなよー」と言われて、曖昧に返事を返す。
「えーっと、確か野宮くんだよね…あ、あったあった」
そのまま手を引かれて、居酒屋のそばのベンチに座った。
隣に並んで座った香苗の肩に頭を預けると、強烈な睡魔に襲われる。
いい友達を持ったなぁと思うと、目を閉じたまま自然と頬が緩む。
「香苗~、大好きだよぉ~」
「はいはいありがと。…あ、もしもし?突然すみません。ええと、私、沙耶の友人の工藤と言います」
お酒を飲むと確実に飲まれてしまう。でも、いろいろなことを忘れてしまえるから幸せだと思った。今日はぐっすり眠れそうだ。
そこで意識は一旦途絶えた。
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