彼と彼女の話

篠宮華

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おかえりなさい

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 ただ、好きで。きっと、それだけで十分。







 

「んぅ…っ、圭一さっ…」

 大きな掌が、胸の先端を掠めるように通り過ぎていった。もう既に立ち上がったそこは、彼の唾液でてらてらと光っている。足の間も十分すぎるほど濡れそぼっている。何度も恥ずかしくなるような声をあげて、何度も達してしまいそうになるのに、その直前で彼は動くのをやめてしまうのだ。
 ぎりぎりまで高められた後にされる、焦らすような触れ方によって生まれるもどかし過ぎる快感。それをどうにかやり過ごすため、私は片手でひとつにまとめられていた腕を振り解き、彼の首裏に腕を回す。すると、耳元に熱い吐息と囁くような声がかかった。

「彩花、それじゃキスできない」
「だっ…て、圭一さんが…」
「僕が、何?」
「焦らして、ばっかりで…」

…ちゃんと触ってくれないから。

 そんなことを言おうものならこの人はきっと、嬉しそうな顔をして、「もしかしてそれは、おねだりかな?」と、今度は私を激しく抱くのだろう。
 口に出せずに黙っていると、彼は私を抱き締め、そのまま身体を起こした。

「彩花が可愛いから仕方ない」
「また…そんなこと言って」
「だってほら、」
「ひゃ…あああっ…!」

 急に腰がぐっと持ち上げられて、入り口から指とは違う、大きな質量がずぶずぶと入り込んできた。
 待ち望んだ刺激なのに、あまりに突然過ぎて、全身にぎゅっと力が入る。重力に逆らえない自分の身体の重みと、下から突き上げられる甘い衝撃で、大きな快楽の波が押し寄せる。奥をがつがつと穿たれて、上り詰めていくような感覚の後、背中がぐぐっと弓なりに反った。全身から汗がふき出して、どっと倦怠感が押し寄せる。
 彼は何かを堪えるように、眉間に皺を寄せながら小さく笑う。

「…イった?中、すごい締まってる」
「はぁっ…だ……て、急に…」
「でもごめんね。僕はまだだから、ちょっと付き合って」
「へ?あ…やぁん!」

 今度は身体を押し倒すように横たえられ、入ったままの彼のものが律動を始めた。
 指を絡められ、ベッドに縫いとめるようにのしかかってくる、その身体の重みが心地いい。けれど、さっき1度達したばかりの身体に与えられるにしては大きすぎる快感に、我慢できずに大きな嬌声をあげてしまうと、その声を飲み込んでしまうように彼は唇を重ねた。

「んっ…んん…っ!」

 激しい口づけ。
 初めて深い深いキスをしたときに、彼の腕にしがみついたまま、軽い酸欠のような状態になった。その時は「次はちゃんと鼻で息をするんだよ」と、おかしそうに笑われたけれど、何度も経験する中で今は自然に出来るようになった。
 キスの合間に一生懸命鼻で呼吸をしていると、唇をそっと離してから蕩けるような甘い微笑みを顔に浮かべた彼が、腰の動きを止めずに言った。

「彩花のそういう律儀なところ、好きだよ」
「ん…こ、子ども扱い、しない、でっ…!」
「子ども扱いなんてしてないよ。子どもにこんなことしない」
「んぅ…や、はげし…っ!」

 私の小さな抗議に対する反論のように、腰の動きが大きく、少し乱暴になった。

「こんなにいやらしくて、体力消耗するようなこと、子ども相手にすると思う?」
「し、ない…けどっ!」
「彩花だからするんだよ。大好きな君だから」
「ひあぁ…っ!!」
「これまでも、これからも。一生、君にしかしない」

 その大きな質量が奥を抉るようにぐぐっと押し付けられる。

「ぃやぁ…んん…っ」
「愛してる、誰よりも」
「わ、たし、も…っ!」

 麻薬のような言葉。
 これがあるから、私はこの腕の中にずっといたいと思える。










「彩花、起きられる?」
「んー…」

 ショーツとTシャツだけという無防備な格好のまま、いつもの香りがするベッドに横になっていると、身体も気持ちも甘く溶けて沈んでいくような気がする。一方の彼はというと、ボクサーパンツの上に、スエットのズボンだけを履いて、手にペットボトルを持っていた。

「だるそうだね。ミネラルウォーター持ってきたけど、飲む?」
「…ほしいです」

 ベッドの脇に座った圭一さんに手を伸ばすと、彼は私の腕を引っ張ってゆっくり抱き起こしてから、当たり前のようにそれを口に含んだ。
 そしてそのまま、同じく当たり前のように自分の口で私の口を塞ぐ。
 くぴり。
 口移しで与えられた水は、ほんの少しぬるい。

「圭一さん、それ好きですね」
「口移しするときの、唇が触れる直前の彩花の顔が好きなんだよ」
「うわ、ちょっと変態っぽいです」

 私の言葉に嬉しそうに笑って、「変態でいいから、もう1回見せて」と圭一さんはぐっとミネラルウォーターを煽る。ごつごつした喉仏をうっとりと見つめてから、私は彼の肩に自分の手を沿わせる。やっぱり水はなんだかぬるかった。

「…ねえ」
「ん?」
「…旦那様は、欲求不満なんですか?」

 理系の大学で准教授をしている圭一さんと、図書館で働いている私が、こんな風にちゃんと触れ合うのは久しぶりだ。ここのところ、彼は学会や大会などで留守にすることが多かった。帰ってくるなり、玄関先でぎゅーっと抱き締められ、荷物の解体など後回しで寝室に運ばれた。

「誰よりも大切な奥さんと愛を育む時間がなかなかとれなかったら…充電したいと思うでしょう」

 そう。彼は、私の夫。正式に婚姻関係を結んでいる、旦那様なのだ。
 出会いは、大学のキャンパス内。授業の課題のために、私が大学構内で植物を探していたところで、倒れかけていた彼を見つけたのがきっかけ。
 何でも、研究に没頭しすぎて飲まず食わずだった上、寝不足が続いていたところに、何を思ったか、ちょっと散歩でも、と外に出た時のことだったらしい。
 くたびれた白いシャツに何だか汚れたスラックスのズボン、ぼさっとした髪型、隈が出来た顔。幸い、ポケットの中に入っていたお財布に入っている免許証や名刺を見て(当時はまだ非常勤講師だったけれど)、すぐに研究室の人に来てもらうことができたけれど、ぱっと見て、完全に不審者だと思ったのをよく覚えている。
 私は教育学部に所属していたから、あまり具体的な研究の助けになることは出来ないけれど、彼はいつも私の話を聞くと「新鮮な考え方だな。彩花と話すと目から鱗が落ちる」と笑う。時にはそのまま書斎へ篭り、次の日まで出てこなくなることもある。割と没頭すると周りが見えなくなるタイプだ。

「今回の発表は彩花が話してくれたことがきっかけで思いついた説だったから、発表しながら、会いたい会いたい、こんなところにいるなんて不本意だってずっと思ってたんだ」

 圭一さんは私の髪を優しく梳きながら微笑む。

「私も会いたかったけど……でも、ちゃんとお仕事してください。上の空で話すと相手に伝わりますよ?」
「その辺は大丈夫。‘真面目で研究熱心な桐原先生’で通ってるからね」

 この世界は研究内容以上にコネクションが大事なんだとか、偶然空きのポストがあったから運がよかったからとか、彼は冗談めかしてよく話す。もちろん、そういう要素も関係あるのだろうとは思うけれど、なんだかんだいっても業界ではかなり優秀な研究者だということを私はよく知っている。
 私は、真似をするように、彼の頭を撫でた。

「お疲れ様でした。‘桐原先生’」

 甘えるように肩に顔を埋める彼の背中をとんとんと叩く。年の差も、この距離だと全く気にならない。少し身体を離して、頬に軽くキスをすると、彼は少し照れたように笑った。

 こうして、私と彼の甘い時間は過ぎていく。



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