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始めは正直、面倒くさいなと思った。
吉村と出会った当時の俺は、大きめの仕事を次々と任され始めているところで。
補佐なんて言ったって、教育係的な役目だろう。自分の仕事に加えて後輩の指導までしなくちゃいけなくなるなんて負担がデカ過ぎる。
でも。
「少しでも澤田先輩の力になれるように、頑張ります」
吉村はいつも前向きで真面目で、よく気がつく後輩だった。仕事に慣れてからも「いつもたくさんお世話になってますから」とわざわざ手伝いにきたり、先回りして済ませておいてくれたりすることがよくあった。
仕事に集中すると自分のことについては疎かになりがちな俺の性格を察して、「澤田先輩が倒れたら元も子もないですよ」と差し入れをしてくれることもあり、それはそれは助かったのを覚えている。
見た目は可愛い系なのになかなかガッツがあって、取引先に連れて行くと老若男女問わず気に入られるところももって生まれた資質だと思う。…妙に距離感を詰めてこようとするやつからは、上司である俺が常にガードしていたが。
そんなとき、たまたま上司たちとの飲み会に同席しなくてはいけなくなった。俺がプロジェクトリーダーになったお祝いなどと適当な理由をつけられたが、どうせ小間使いが欲しいだけだろうと思い、俺一人で参加するつもりだった。しかしそのことを話すと、吉村も来ると言う。
「先輩が一番若手だから、逆にいろいろ頼まれちゃいますよ。せっかくのお祝いなのに楽しめないんじゃもったいないです。私もいた方が絶対に便利だと思います」
そもそも上司ばかりの席で手放しで楽しく飲めるわけもないのだが、そこまで言うならと同行してもらうことにした。
そこで話題になったのが「営業としての自分の売りは何か」だった。
「澤田の売りはやっぱ見た目じゃない?」
「イケメンだし脚長いし背高いし、爽やかだもんなあ」
どうでもいい講評を聴きながら、愛想笑いを顔に貼り付ける。適度に謙遜しながら適当に相槌を打つが、仰る通り、俺の見た目はまあまあいい。初対面の相手と接するとき、そのことが多少なりともプラスに働いている自覚はある。
吉村はというと、店員さんから受け取ったドリンクを運んだり、グラスを片付けたりしている。
「まあ でも真面目な話、出来るだけ直接会いに行くようにしてます。足で稼ぐみたいな。フットワークの軽さなら負けません」
「おー確かに。それ大事だよ」
「若いから動きも速いよな」
「やっぱ若いって大事だな」
いいことも悪いことも、何でもかんでも「若いから」でまとめようとするのは愚かだなと思いながら、「これからもいろいろとご指導ください」とにこやかに返すと、さらりと話題が変わる。
結局、その疲れる飲み会は一番上の上司があっさりと潰れてお開きとなった。
次の日。
いつも二人で行なっている朝の簡単な打ち合わせの後、「昨日の飲み会、ありがとな」と声を掛けると吉村は眉間に皺を寄せる。
「…なんかあった?」
解散してからは、ちゃんと上の人たちをタクシーに乗せて、吉村のことも駅まで送ったから、何かトラブルが起きているはずはないのだがと思いつつ尋ねる。
すると。
「…澤田先輩の売りは、あんなもんじゃないですよね」
「え?」
「わかりやすい指示とか、整理された引き継ぎ資料とか、ちょっと難しそうな相手先へのフォローとか、澤田先輩だからできてることたくさんあります」
「おお…?」
「忙しくてもちゃんと話聞いてくれたり、周りのこと気遣いながら進捗状況確認したり、なんていうか…そういうすごいところがたくさんあって、だからプロジェクトリーダーにも選ばれたのに、ルックスとフットワークの軽さだけなんて一体どこを見て…!?」
そこまで聞いて、昨日の飲み会の話だと気付く。まあ、上司たちは既に酔っていたし、大事な役目を任せてくれているということは総合的に評価してくれているのだろうということも分かっていたから、全く気にしていなかった。
だから改めて言われて、逆にちょっと恥ずかしくなるけれど、とりあえず吉村の考える俺の「売り」はどこまで出てくるのか気になって、黙って聞き続けてみる。
「視野広いし、字も綺麗だし、疲れてるときにお菓子くれるし、ちゃんと相手の好みを覚えてるのもすごいなって思うし、この間ペン忘れたときにさっと貸してくれたのも助かりました」
そこまで聞いて、思わず吹き出してしまう。
「なんですか」
「いや、もういいよ。吉村がそんなに怒るところじゃない」
「…怒るっていうか、嫌だったんです」
「ありがとな。今度同じこと聞かれたら、吉村に話振ることにするわ」
まるで自分のことのように不快感を露わにされるとは。おまけにこんなに褒められるとも思っていなかったから、素直に嬉しくて。それは褒めるポイントか?と思うものも混じっていたけれど、ああそんな些細なことに気付いてもらえているんだなと、なんだか報われるような気持ちになったのも覚えている。それからは、彼女の信頼に応えられるように、憧れを壊さないようにと、これまで以上に仕事に真摯に取り組めるようになったのも事実だ。
だから、そろそろ補佐を外れるかという話が出たときには、ただただ 寂しいと思ってしまって。始めは面倒だと思っていたし、最初から一人立ちのための準備期間だということはわかっていたのに、残念な気持ちになっている自分に驚く。
でも自分が彼女に「可愛い後輩」以上の気持ちを抱いているということに、気付いていないわけではなかった。とはいえ、一番近くで一緒に仕事をしている先輩に告られるなんて、もしその気がなかったら相当やり辛いだろう。となると、もし伝えるとしても補佐を外れた後にすべきだ。
そんな呑気なことを考えていたある日、吉村はいつもとちょっと違う雰囲気の恰好で出勤してきた。いつもはシャツにジャケットを着ていることが多いが、今日はふわりとしたブラウスを着ているし、髪も何やら綺麗な感じでアップにしている。全体的にいつもよりも華やかな印象。
「なんか今日、いつもとちょっと違う?」
「…変ですかね?」
「いや、全然。いいと思う」
めちゃくちゃ似合う。すげーいい。最高。
…と、言いたかったけれど、コンプライアンス的によくないかなと思って、それだけ言って口を噤む。
「実は今日、夜に予定があって」
ん?予定?
一瞬、誰かと打ち合わせでもあったかと考えたけれど、思い当たらなかった。夜ということは仕事の後。こんな風に着飾るということは、まさか。
こちらの妙な焦燥感を悟らせることがないように、努めて軽い感じで尋ねる。
「おー…もしかしてデート?」
「うーんと、まあ………はい」
照れくさそうに小さく頷いたときの微笑みは、他の男によるものなのに、やっぱりそれはそれは可愛くて。
その時の自分が一体どんな表情を浮かべていたのかは、思い出すこともできない。とりあえず「よかったじゃん」とか適当に返すことができたような、できなかったような。
*
ベッドサイドランプの灯りだけの部屋で、俺の腕を枕にして、すやすやと寝息を立てる彼女の髪を指で梳くように頭を撫でる。頬を指先でふにふにとつつくと、口元がむにゃむにゃ動いた。どうしよう、たまらなく愛おしい。
どうにかして忘れようとしていた恋心がこんな形で報われるとは思っていなかった。
吉村に別の男が出来たと知ったあの時のことを思い出すと、頭を後ろからがんと殴られたような気持ちになる。あんな思いはもうしたくない。
もう離さない。せっかく実った今を大事にしていこうと強く思う。
すると、そんな俺の圧が伝わってしまったのか、吉村がもぞもぞと身動ぎをする。
「ん……」
「悪い。起こした?」
「…今何時…?」
「1時過ぎかな」
寝惚けているのか敬語がとれている。やや掠れてしまった声で「夜中…?」と尋ねてくる吐息が首元にあたってくすぐったい。
「…顔も体もぐちゃぐちゃ」
「一緒に風呂入る?」
「うん…でもメイク落としとか化粧水とか持ってない…」
額にかかっていたさらさらの黒髪をよけるように頭を撫でると、気持ちよさそうに目を閉じる。猫みたいだ。
「一応あるけど。銘柄にこだわりなければそれ使えば?」
「ないです、けど…」
あ、敬語に戻った。
何やら躊躇う様子の彼女の足先を、あたためるように自分の足で挟む。
「遠慮しなくていいよ」
「遠慮っていうか、その…」
「何?」
珍しく歯切れが悪いので、「ちゃんと言わないとこのままもう一回抱く」と言うと、慌てたように顔を上げた。
「……元カノさんの置いてったやつとかじゃない、ですか?」
「いや?出張とか研修のときにたまたまもらった試供品みたいなやつ。なんか結構いいブランドのらしかったから、母親とか姉貴とかが使うかなって思ってとっといた」
「そうですか…」
「ちなみに彼女はもう何年もいなかったし、家に入れたのは吉村が初めて」
「そう、ですか…」
同じ「そうですか」なのに、一方は安心したようで、もう一方は明らかに嬉しそうだ。
素直だし、考えていることもわかりやすいなと思う。しかし今度はちょっとしょんぼりしたように言う。
「…私、こういうところがよくないのかな。気にし過ぎっていうか」
「どこが?恋人の前の相手のもの使うなんて嫌に決まってんじゃん」
もう一度その体を抱き締め直して、彼女の額にちゅっと軽くキスをする。
「菜緒はもう俺のだもん」
すると、ちょっとバツが悪そうだった表情が少し緩むから、そんなところまで可愛いなと思う。
「澤田先…ま、誠さんも、私のってことですか?」
「当たり前じゃん」
「そっか…」
えへへと照れくさそうに笑って、彼女はもう一度「誠さん」と俺の名前を呼ぶ。
「これから、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
細い腕が背中に回されて、しがみつくように抱きつかれる。あたたかい…が、それ以上に柔らかい胸が押しつけられてたまらない。
「よし、風呂入ろ。で、もっかいしよ」
「え」
「可愛い彼女に裸で抱きつかれたから勃った」
すると、俺のその言葉を聞いて頬を赤らめ、ちょっと逡巡しながら、「…あんまり激しくしないでくださいね」と目を伏せるけれど、どう見ても逆効果だ。希望には応えられないかもしれないような気がしている。でも。
「大事に、優しくする」
真面目な恋愛がなんなのかはわからないけれど、彼女への気持ちが、大きくて甘くて幸せなものだということはよくわかるから。
腕の中で ふにゃりと微笑む彼女に微笑み返して、俺はもう一度その額にキスをした。
吉村と出会った当時の俺は、大きめの仕事を次々と任され始めているところで。
補佐なんて言ったって、教育係的な役目だろう。自分の仕事に加えて後輩の指導までしなくちゃいけなくなるなんて負担がデカ過ぎる。
でも。
「少しでも澤田先輩の力になれるように、頑張ります」
吉村はいつも前向きで真面目で、よく気がつく後輩だった。仕事に慣れてからも「いつもたくさんお世話になってますから」とわざわざ手伝いにきたり、先回りして済ませておいてくれたりすることがよくあった。
仕事に集中すると自分のことについては疎かになりがちな俺の性格を察して、「澤田先輩が倒れたら元も子もないですよ」と差し入れをしてくれることもあり、それはそれは助かったのを覚えている。
見た目は可愛い系なのになかなかガッツがあって、取引先に連れて行くと老若男女問わず気に入られるところももって生まれた資質だと思う。…妙に距離感を詰めてこようとするやつからは、上司である俺が常にガードしていたが。
そんなとき、たまたま上司たちとの飲み会に同席しなくてはいけなくなった。俺がプロジェクトリーダーになったお祝いなどと適当な理由をつけられたが、どうせ小間使いが欲しいだけだろうと思い、俺一人で参加するつもりだった。しかしそのことを話すと、吉村も来ると言う。
「先輩が一番若手だから、逆にいろいろ頼まれちゃいますよ。せっかくのお祝いなのに楽しめないんじゃもったいないです。私もいた方が絶対に便利だと思います」
そもそも上司ばかりの席で手放しで楽しく飲めるわけもないのだが、そこまで言うならと同行してもらうことにした。
そこで話題になったのが「営業としての自分の売りは何か」だった。
「澤田の売りはやっぱ見た目じゃない?」
「イケメンだし脚長いし背高いし、爽やかだもんなあ」
どうでもいい講評を聴きながら、愛想笑いを顔に貼り付ける。適度に謙遜しながら適当に相槌を打つが、仰る通り、俺の見た目はまあまあいい。初対面の相手と接するとき、そのことが多少なりともプラスに働いている自覚はある。
吉村はというと、店員さんから受け取ったドリンクを運んだり、グラスを片付けたりしている。
「まあ でも真面目な話、出来るだけ直接会いに行くようにしてます。足で稼ぐみたいな。フットワークの軽さなら負けません」
「おー確かに。それ大事だよ」
「若いから動きも速いよな」
「やっぱ若いって大事だな」
いいことも悪いことも、何でもかんでも「若いから」でまとめようとするのは愚かだなと思いながら、「これからもいろいろとご指導ください」とにこやかに返すと、さらりと話題が変わる。
結局、その疲れる飲み会は一番上の上司があっさりと潰れてお開きとなった。
次の日。
いつも二人で行なっている朝の簡単な打ち合わせの後、「昨日の飲み会、ありがとな」と声を掛けると吉村は眉間に皺を寄せる。
「…なんかあった?」
解散してからは、ちゃんと上の人たちをタクシーに乗せて、吉村のことも駅まで送ったから、何かトラブルが起きているはずはないのだがと思いつつ尋ねる。
すると。
「…澤田先輩の売りは、あんなもんじゃないですよね」
「え?」
「わかりやすい指示とか、整理された引き継ぎ資料とか、ちょっと難しそうな相手先へのフォローとか、澤田先輩だからできてることたくさんあります」
「おお…?」
「忙しくてもちゃんと話聞いてくれたり、周りのこと気遣いながら進捗状況確認したり、なんていうか…そういうすごいところがたくさんあって、だからプロジェクトリーダーにも選ばれたのに、ルックスとフットワークの軽さだけなんて一体どこを見て…!?」
そこまで聞いて、昨日の飲み会の話だと気付く。まあ、上司たちは既に酔っていたし、大事な役目を任せてくれているということは総合的に評価してくれているのだろうということも分かっていたから、全く気にしていなかった。
だから改めて言われて、逆にちょっと恥ずかしくなるけれど、とりあえず吉村の考える俺の「売り」はどこまで出てくるのか気になって、黙って聞き続けてみる。
「視野広いし、字も綺麗だし、疲れてるときにお菓子くれるし、ちゃんと相手の好みを覚えてるのもすごいなって思うし、この間ペン忘れたときにさっと貸してくれたのも助かりました」
そこまで聞いて、思わず吹き出してしまう。
「なんですか」
「いや、もういいよ。吉村がそんなに怒るところじゃない」
「…怒るっていうか、嫌だったんです」
「ありがとな。今度同じこと聞かれたら、吉村に話振ることにするわ」
まるで自分のことのように不快感を露わにされるとは。おまけにこんなに褒められるとも思っていなかったから、素直に嬉しくて。それは褒めるポイントか?と思うものも混じっていたけれど、ああそんな些細なことに気付いてもらえているんだなと、なんだか報われるような気持ちになったのも覚えている。それからは、彼女の信頼に応えられるように、憧れを壊さないようにと、これまで以上に仕事に真摯に取り組めるようになったのも事実だ。
だから、そろそろ補佐を外れるかという話が出たときには、ただただ 寂しいと思ってしまって。始めは面倒だと思っていたし、最初から一人立ちのための準備期間だということはわかっていたのに、残念な気持ちになっている自分に驚く。
でも自分が彼女に「可愛い後輩」以上の気持ちを抱いているということに、気付いていないわけではなかった。とはいえ、一番近くで一緒に仕事をしている先輩に告られるなんて、もしその気がなかったら相当やり辛いだろう。となると、もし伝えるとしても補佐を外れた後にすべきだ。
そんな呑気なことを考えていたある日、吉村はいつもとちょっと違う雰囲気の恰好で出勤してきた。いつもはシャツにジャケットを着ていることが多いが、今日はふわりとしたブラウスを着ているし、髪も何やら綺麗な感じでアップにしている。全体的にいつもよりも華やかな印象。
「なんか今日、いつもとちょっと違う?」
「…変ですかね?」
「いや、全然。いいと思う」
めちゃくちゃ似合う。すげーいい。最高。
…と、言いたかったけれど、コンプライアンス的によくないかなと思って、それだけ言って口を噤む。
「実は今日、夜に予定があって」
ん?予定?
一瞬、誰かと打ち合わせでもあったかと考えたけれど、思い当たらなかった。夜ということは仕事の後。こんな風に着飾るということは、まさか。
こちらの妙な焦燥感を悟らせることがないように、努めて軽い感じで尋ねる。
「おー…もしかしてデート?」
「うーんと、まあ………はい」
照れくさそうに小さく頷いたときの微笑みは、他の男によるものなのに、やっぱりそれはそれは可愛くて。
その時の自分が一体どんな表情を浮かべていたのかは、思い出すこともできない。とりあえず「よかったじゃん」とか適当に返すことができたような、できなかったような。
*
ベッドサイドランプの灯りだけの部屋で、俺の腕を枕にして、すやすやと寝息を立てる彼女の髪を指で梳くように頭を撫でる。頬を指先でふにふにとつつくと、口元がむにゃむにゃ動いた。どうしよう、たまらなく愛おしい。
どうにかして忘れようとしていた恋心がこんな形で報われるとは思っていなかった。
吉村に別の男が出来たと知ったあの時のことを思い出すと、頭を後ろからがんと殴られたような気持ちになる。あんな思いはもうしたくない。
もう離さない。せっかく実った今を大事にしていこうと強く思う。
すると、そんな俺の圧が伝わってしまったのか、吉村がもぞもぞと身動ぎをする。
「ん……」
「悪い。起こした?」
「…今何時…?」
「1時過ぎかな」
寝惚けているのか敬語がとれている。やや掠れてしまった声で「夜中…?」と尋ねてくる吐息が首元にあたってくすぐったい。
「…顔も体もぐちゃぐちゃ」
「一緒に風呂入る?」
「うん…でもメイク落としとか化粧水とか持ってない…」
額にかかっていたさらさらの黒髪をよけるように頭を撫でると、気持ちよさそうに目を閉じる。猫みたいだ。
「一応あるけど。銘柄にこだわりなければそれ使えば?」
「ないです、けど…」
あ、敬語に戻った。
何やら躊躇う様子の彼女の足先を、あたためるように自分の足で挟む。
「遠慮しなくていいよ」
「遠慮っていうか、その…」
「何?」
珍しく歯切れが悪いので、「ちゃんと言わないとこのままもう一回抱く」と言うと、慌てたように顔を上げた。
「……元カノさんの置いてったやつとかじゃない、ですか?」
「いや?出張とか研修のときにたまたまもらった試供品みたいなやつ。なんか結構いいブランドのらしかったから、母親とか姉貴とかが使うかなって思ってとっといた」
「そうですか…」
「ちなみに彼女はもう何年もいなかったし、家に入れたのは吉村が初めて」
「そう、ですか…」
同じ「そうですか」なのに、一方は安心したようで、もう一方は明らかに嬉しそうだ。
素直だし、考えていることもわかりやすいなと思う。しかし今度はちょっとしょんぼりしたように言う。
「…私、こういうところがよくないのかな。気にし過ぎっていうか」
「どこが?恋人の前の相手のもの使うなんて嫌に決まってんじゃん」
もう一度その体を抱き締め直して、彼女の額にちゅっと軽くキスをする。
「菜緒はもう俺のだもん」
すると、ちょっとバツが悪そうだった表情が少し緩むから、そんなところまで可愛いなと思う。
「澤田先…ま、誠さんも、私のってことですか?」
「当たり前じゃん」
「そっか…」
えへへと照れくさそうに笑って、彼女はもう一度「誠さん」と俺の名前を呼ぶ。
「これから、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
細い腕が背中に回されて、しがみつくように抱きつかれる。あたたかい…が、それ以上に柔らかい胸が押しつけられてたまらない。
「よし、風呂入ろ。で、もっかいしよ」
「え」
「可愛い彼女に裸で抱きつかれたから勃った」
すると、俺のその言葉を聞いて頬を赤らめ、ちょっと逡巡しながら、「…あんまり激しくしないでくださいね」と目を伏せるけれど、どう見ても逆効果だ。希望には応えられないかもしれないような気がしている。でも。
「大事に、優しくする」
真面目な恋愛がなんなのかはわからないけれど、彼女への気持ちが、大きくて甘くて幸せなものだということはよくわかるから。
腕の中で ふにゃりと微笑む彼女に微笑み返して、俺はもう一度その額にキスをした。
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