インフル病みの壱郎さん

悪魔ベリアル

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壱郎の身体は、虚空へと上昇を続けていた。
視界はぼんやりと白く、何も見えない。
ただ、体が上昇していく感覚だけを感じる。
一定速で、グングン引き上げられる上昇負荷をその身に受けていた。
だが、身体に当たるはずの風は感じない。

ふいにその進行方向が反転する感覚。
彼の肉体を引き上げる力が消え、ジェットコースターに乗った時の落下感覚が壱郎の肉体を包む。
内臓を抉られる様な感覚が、彼の体内に湧き上がった。

どすんっと身を打つ感覚に壱郎は驚愕する。

狭いパーテーションで区切られた、安価な個室。
夢から覚めた壱郎は、ボンヤリと周囲の光景を眺めていた。
変な夢を見た後に感じる独特な感覚が、脳内に充満している。

ざわりっ、と背中から寒気が壱郎を舐めた。
思考がまとまらず、朦朧とした感じ。
何とか睡魔と悪夢から、その身と意識を引き剥がす。
壱郎の内側から感じる震え、血が足りない感覚。

「…まいったなぁ~…、調子が悪くなってきたぞ…っ。」

壁に寄り掛かって寝ていた体を起こし、自分の体調を確認する。
じんわりと感じる倦怠感と脱力感。
それが薄衣の様に壱郎の身体を包む。

「ちくしょう…、風邪か??このマンガ喫茶内でうつされたのかな…?」
独り言を呟きつつ、彼は垂れて来た鼻水をテッシュで拭う。

本当なら、今頃は自宅で寝ていた筈だった。
同棲している恋人のヒヨリが、今夜は外泊して欲しいと壱郎に懇願して来たのだ。
何でも、古い友人が泊まりに来たいらしい。

それ自体は、まあいい。

だが、先週も"父親"が上京するからと、壱郎は外泊を強いられた。
そして今週は、"友人"である。

「まったく…、確かに外ヅラが良い女だけれど…。」
「何か…、俺って月イチで自宅から追い出されてないか…?」

テッシュをゴミ箱へ突っ込み、彼はその場へ座り直す。
身体を動かすと、ぐわんっと身体と意識の位置がズレる感覚。
体感的にかなり熱が上がっている気がする。

とりあえず、熱覚ましの薬が欲しい。
だが、時間は深夜2時。
薬局なんて、とうに閉店している時刻だ。

フロントで貰えるか…?
いや、市販薬とはいえ、そんな無責任に薬をくれるなんてしないだろう。
そんな、色々と思考を巡らせるのすら、億劫になってくる。
壱郎は、半ば無意識に軽く咳ばらいをした。

「…"咳をしても独り"…か…。」
「なんか、そんな詩を残した人が居なかったっけ…?」

簡素な仕切りで囲われた"個室"。
板1枚の机とタワー型PC。
PCのモニターには、Windowsのスクリーンセーバーの景色が投影されている。

彼が閉じ込められた個室の周りには、壱郎と同じ様な"泊り客"も多数いる筈だ。
だが、マンガ喫茶内は物音ひとつせずに、シンっと静まり返っていた。
まるで、独房に居るかの様な気にさせられる。
壱郎の身体を炙る寒気とは別に、シンシンとした底冷えの様な感覚が、彼の心を冷やす。

「…なーんか、納得いかねぇなぁ…っ!」
今置かれた状況に対して抵抗したい気持ちが、冷え切った心の内でボッと灯る。

体調は最悪。
それに引きずられて、壱郎の意識もネガティブになって行く。
恋人のヒヨリとは、もう付き合って2年になる。
壱郎個人としては、結婚する事も視野に入れていた。

先週の"父親"が来訪した時だって、壱郎は正式に挨拶しても良かったぐらいだ。

だが、ヒヨリの父親が来る晩は、壱郎は外泊してくれとヒヨリから懇願された。
ヒヨリの親族と壱郎は、それまで会ったことはない。
それゆえに、彼女としては、時期尚早と判断したのかも知れない。

確かに、娘の自宅に泊まりに行ったら、見知らぬ"彼氏"と同居していた。
そんな事があれば、父親としてはショックを受けるだろう。

だから、俺を外へ追い出すのは、しょうがない事と云える。
でも、先週泊まりに来たのは、本当に"父親"だったのだろうか?

熱で思考停止しかかっていた壱郎の脳裏に、そんな思いが泡の様に湧き上がった。

今週、ヒヨリと一緒に居る相手が"友人"ではなかったら?
月イチで自宅に返して貰えないなんて、普通あるだろうか…?

「大体…、あの部屋は、俺名義で借りているんだぞ…?」
「どうして、家主の俺がこんなトコで一夜を明かさないといけないんだ…?」

病の熱で火照る壱郎の脳髄を更に別の熱が炙り始める。

「もしかして…、浮気をしてるんじゃ…?」

そんな考えが、壱郎の頭蓋骨の内側へスライムの様にベッタリと張り付く。
その気持ち悪い考えが、正常な思考の末に到達した事なのか。
病魔が彼の肉体を侵食している為に生じた譫言なのか。
今の壱郎には判断するだけのリソースは無かった。

冷たく細い針金が、背中や肩の中へ滑り込む様な悪寒。
頭蓋骨の内部で、脳髄がユラユラと揺れ動く感覚。
倦怠感は壱郎の身を鉛の様に重くさせ、思考もまとまらなくなって行く。

「…くそぅっ、こんな事が許せるか…っ!!」
「突撃して、確かめてやるっ!!」

壱郎はフラフラな体で身支度を整え、支払いを済ませてマンガ喫茶から退店する。
深夜の夜風が体に心地よかったが、病を抱えて歩き出すとそんな気分はすぐに霧散した。

人通りも車も通らない、深夜の街。
壱郎は独り、重く大きな病を背負って歩く。
その病は歩くたび、彼の背中で大きくなり、重さを増して行った。
何とかタクシー乗り場に辿り着き、病で衰弱し切った彼はタクシーへ転がり込んだ。
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