短篇集

睦月遥

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意地でもお礼を受け取って欲しい雀と、頑なに断る老夫婦の話

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しとしとと小雨の降る山里の夕暮れ時、薄紅に染まる雲が田畑の向こうに静かに沈みつつあった。瓦屋根の小さな家に灯る灯火が、早くも夜の帳の準備を整えている。

その家に住むのは年老いた夫婦。名を庄作とお咲といった。貧しいながらも心優しく、己の手で米を育て、粗末ながらも互いに支え合いながら暮らしていた。

その日、庄作はふと庭先で一羽の雀を見つけた。小さな体を震わせながら、今にも命が消え入りそうな儚い姿だった。胸のあたりの羽がちぎれ、血が滲んでいる。

「かわいそうになぁ……どうしたんじゃ、おまえ」

庄作はそっと両手ですくい上げ、優しく撫でた。雀はか細い声で鳴き、ふるふると小さな羽を震わせた。

「よしよし、大丈夫じゃ。うちで手当てをしてやるぞ」

お咲も籠を用意し、米のとぎ汁を温め、雀に飲ませた。夫婦の温かな世話を受け、雀は次第に元気を取り戻した。

それから数日が経った。

ある朝、雀はピョンと庄作の肩に飛び乗り、嬉しそうにチュンチュンと鳴いた。羽の傷もすっかり癒えている。

「おまえ、もう飛べるようになったんじゃな」

庄作が微笑むと、雀は名残惜しそうに夫婦の肩を行ったり来たりしてから、ついに空へと飛び立っていった。

お咲はその小さな背中を見送りながら、しみじみとつぶやいた。

「きっと、元気に暮らしてくれるとええな」

夫婦はそれだけで十分だった。雀を助けたことで心が満たされる。それが何よりの喜びだった。

しかし、その数日後のことだった。

突然、庭の向こうからチュンチュンと賑やかな鳴き声が響いた。見ると、先日助けた雀が何十羽もの仲間を引き連れ、賑やかに飛び回っていた。

そして、その中心にいたのは、かの助けた雀。だが、その姿は先日とは違う。

美しい絹のような羽を持ち、目には光が宿っている。まるで仙人のような、神々しささえ漂っていた。

雀は夫婦の前に降り立つと、ちょこんと頭を下げ、甲高い声で言った。

「庄作さま、お咲さま。この度のご恩に報いるために、どうか我らの巣へお越しくださいませ!」

夫婦は顔を見合わせた。

「巣へ……?」

雀は頷き、羽をばたつかせた。

「ええ、あなたがたは大変な善人。我らの国で、ぜひともお礼をさせていただきたいのです」

庄作はぽりぽりと頭を掻いた。

「いや、そりゃありがたいが、別にお礼なんぞ望んで助けたわけじゃないんじゃがの」

お咲も静かに頷いた。

「雀を助けるのに、褒美なんぞいらんよ」

しかし、雀はぷるぷると首を振った。

「それでは、こちらの気が済みません!」

夫婦は苦笑した。なんと律儀な雀だろう。しかし、どう説得すればいいものか……。

それが、この不思議な騒動の始まりであった。


雀たちは夫婦をどうしても巣へ招こうと、一斉にチュンチュンと鳴き交わした。その声はまるで風が葉を揺らす音のように重なり合い、軽やかで、しかしどこか懇願の色を帯びていた。

「お願いです、せめて一度だけでも!」

助けた雀が夫婦の手をついばみ、可愛らしく首を傾げた。そこまで言われては、さすがの庄作も根負けした。

「まぁ、そこまで言うんなら、ちょっとくらい顔を出してみるかのぉ」

お咲も同意した。

「そうじゃな。どんな巣なのか、ちょっと見せてもらおうかねぇ」

雀たちは喜び、夫婦の周りを飛び回った。そして、不思議なことが起こった。

雀たちが一斉に羽ばたいたかと思うと、夫婦の足元にやわらかな風が巻き起こった。瞬く間に視界がぼやけ、気づけば二人はどこか異世界のような場所に立っていた。

目の前には、見渡す限りの緑の森。光が差し込む先には、小さな神殿のような建物が並び、鳥たちが賑やかに暮らしていた。

「ここが、我らの国でございます!」

雀が誇らしげに羽を広げると、ほかの雀たちも一斉にチュンチュンとさえずった。

夫婦は驚き、目を丸くした。

「ほぉ……こりゃまた、えらい立派なもんじゃのぉ」

お咲も感心しながら、羽のように軽やかな階段を踏みしめた。

「ほんに……まるで夢の国みたいじゃ」

すると、助けた雀が一歩前に出て、小さな翅を震わせた。

「さて、ご招待の目的ですが……どうか、この中からお好きな褒美をお選びください!」

その瞬間、夫婦の前に大きな箱が二つ、すっと差し出された。

ひとつは小ぶりの箱。黒塗りで、つややかに光っている。
もうひとつは大きな箱。金箔が施され、煌びやかで豪奢な装飾が施されていた。

「どちらでも、お好きな方を!」

雀はにこにこと笑っている。しかし、夫婦は顔を見合わせた。

庄作は腕を組み、首を振った。

「いやいや、こりゃ困った……。わしら、褒美をもらおうとは思っておらんのじゃが……」

お咲も申し訳なさそうに小さく笑った。

「雀を助けたのは、当たり前のことじゃ。対価が欲しくてしたわけじゃないよ」

雀は驚いたように目を丸くし、それから慌てたように翼をばたつかせた。

「で、でも、それではこちらが申し訳ないのです!」

「いやいや、気にすることはない。助けたいと思うたから助けただけで、それに何かを求めるのは道理に合わん」

庄作はどこまでも穏やかに言った。

「それでも!」

雀はますます懇願するような目つきで、箱を押し出した。

「どうか、どうか、受け取ってください!」

「いや、いらん」

「そんな……!」

頑なに受け取らぬ夫婦と、どうしても受け取ってほしい雀。

事態は、思わぬ方向へと転がり始めていた。


「どうか、どうか、受け取ってください!」

雀は必死で箱を押し出した。しかし庄作は腕を組み、目を細めたまま微動だにしない。

「いや、いらん」

お咲もふわりと笑いながら、そっと手を振った。

「雀を助けるのに、見返りはいらんよ」

その瞬間、雀たちの間にざわめきが走った。

「受け取らない!?」「まさかそんな!」

小さな鳥たちが一斉に羽をばたつかせ、チュンチュンと騒ぎ始める。

「こんなこと、我らの国では前代未聞です!」

「もらわないなんて、そんなことあるのか?」

「ええい、どうにかして受け取らせねば!」

雀たちはお互いに相談を始め、空中で小さな円を作る。夫婦はぽかんとその様子を見つめていた。

「こりゃ、えらいことになったのう……」

「まさか、こんなに困らせることになるとは思わなんだねぇ……」

すると、助けた雀が意を決したように羽を大きく広げた。

「それでは、こうしましょう!」

雀はひと呼吸置き、夫婦を真っ直ぐに見つめた。

「この褒美は、あなたがたのこれからの暮らしを守るものです。ただの贈り物ではありません。これは、あなたがたへの感謝の証。受け取ることは、私たちにとって大事な儀式なのです!」

夫婦は顔を見合わせた。

「……儀式?」

「ええ、もしあなたがたがこれを受け取らなければ、我ら雀の国の恩義は宙に浮いてしまいます。それでは、こちらの気持ちが報われません!」

庄作は頭をぽりぽりと掻いた。

「そりゃまた……えらい律儀な話じゃのう」

「私たちは、善意をただの一方通行にしたくはないのです。どうか、どうか!」

雀は頭を下げ、涙を浮かべているようにも見えた。

お咲は困ったように微笑んだ。

「そんなに言われたら、さすがに……」

庄作は唸りながら、じっくりと考え込む。そして、お咲と相談し、小さな箱の方をそっと手に取った。

「ほいじゃあ、せめてこれだけでも」

その瞬間、雀たちは一斉に喜びの声を上げた。

「受け取ってくれた!」

「これで我らの心も晴れる!」

「よかった、よかった!」

夫婦はなんだかおかしくなり、ついくすくすと笑ってしまった。

「まるで、こっちが困らせたみたいじゃのう」

「ほんに、世話が焼ける雀たちじゃこと……」

しかし、それで終わりではなかった。

帰宅後、夫婦がそっと箱を開けると、中からは美しい金貨がこぼれ出た。

「こりゃあ……!」

お咲は驚き、庄作も目を丸くした。

しかし、次の瞬間、夫婦は顔を見合わせ、ため息をついた。

「……どうしたもんかのう?」

二人の前には、煌めく黄金があったが、彼らの心には少しの重みがあった。

――雀たちの恩をどうすればいいのか。

庄作とお咲は、しばし黙って箱の中の金貨を見つめていた。

「こりゃあ……どうしたもんかのう?」

お咲がため息まじりに言うと、庄作も腕を組み、深々と唸った。

「まさか、こんな大層なもんが入っとるとはの……雀たちは本気でわしらを裕福にするつもりじゃったんじゃな」

お咲は箱の端をそっとなでながら、苦笑した。

「……ありがたい話じゃが、やっぱり、ちと落ち着かんねぇ」

庄作は頷き、しばらく考えた末、ぽつりと言った。

「わしらには、これほどの金は必要ない。けれど、雀たちの心を無にするのも違う気がするのう……」

二人は納屋に金貨の入った箱をしまい、夜が更けるまで話し合った。

翌朝、まだ陽も昇りきらぬうちに、庄作とお咲は家を出た。目指すのは、山の中に広がる雀たちの国だった。

「おーい、雀たちよ!」

庄作の声が山に響くと、すぐにチュンチュンと軽やかな鳴き声が返ってきた。

「庄作さま! お咲さま!」

助けた雀が嬉しそうに羽をばたつかせながら、仲間たちと共に飛び回った。

「どうしました?」

庄作は腰に手を当て、にやりと笑った。

「いやな、実は相談があるんじゃ」

雀たちは首を傾げた。お咲もにこりと笑い、そっと切り出した。

「頂いた金貨をな、おまえたちの国のために使わせてもらえんかと思っての」

「我らの……国のため?」

助けた雀が目をぱちくりさせると、庄作は頷いた。

「おまえたちの巣をもっと頑丈に作り直したり、食料を増やしたり、病気になった雀を手当てする場所を作ったり……」

「わしらには、贅沢なんぞいらんのじゃ。そのかわり、おまえたちがもっと安心して暮らせるようにしたいんじゃが、どうじゃろう?」

雀たちは一斉にざわめいた。

「そんなことを……!」

「わしらのために……?」

「でも、それではお二人のためにならないのでは?」

助けた雀が戸惑いながら言うと、庄作はにっと笑い、お咲も優しく微笑んだ。

「おまえたちが元気に暮らしてくれたら、それがわしらにとって一番の喜びじゃよ」

雀たちは感動したように、しばらく何も言えなかった。そして次の瞬間、彼らは一斉に空を舞い、喜びのさえずりを響かせた。

「ありがとうございます!」

「なんて素晴らしいご夫婦だ!」

「これで我らの国ももっと良くなるぞ!」

庄作とお咲はそんな雀たちを見上げ、微笑んだ。

「さて、それじゃあ早速、巣の改築から始めるとするかの」

「うんうん、柱を丈夫にして、雨風に負けんようにしようねぇ」

こうして、夫婦はもらった金貨をすべて雀たちのために使うことにした。

それからというもの、雀の国はますます栄え、より多くの雀たちが安心して暮らせるようになった。

巣は頑丈に作り直され、病気の雀のための小さな療養所も建てられ、食べ物の貯蔵庫までできた。

そして、庄作とお咲はというと……

相変わらず、貧しいながらも穏やかな暮らしを続けていた。

しかし、ふと庭を見れば、いつも雀たちが賑やかに飛び回り、嬉しそうに夫婦を見つめている。

「それで、わしらは十分じゃのう」

「ほんにほんに、これ以上の幸せはないねぇ」

そう言って、二人は顔を見合わせ、笑い合った。




それから幾年かが過ぎた。

雀の国はかつてないほどに豊かになった。強い風が吹こうとも巣はびくともせず、食料庫には一年中穀物が蓄えられ、病気になった雀も安心して療養できる場所があった。

すべて、庄作とお咲が贈った金貨のおかげだった。

ある日、助けた雀がふわりと夫婦の庭に降り立ち、丁寧に頭を下げた。

「庄作さま、お咲さま……あなたがたのおかげで、我らの国はとても豊かになりました」

庄作は軒先に腰を下ろし、ゆっくりと煙草をふかした。

「そりゃあ、何よりじゃのう」

お咲も小さく笑いながら、雀の頭を優しく撫でた。

「みんな元気にしておるかね?」

「ええ、とても!」

雀は嬉しそうに胸を張り、それから、ふと真剣な顔になった。

「それで……」

庄作は煙をくゆらせながら、ちらりと雀を見た。

「……なんじゃ?」

雀はふるふると小さな体を震わせた後、深く頭を下げた。

「この度のご恩に報いるために、どうか、どうか、お礼を受け取っていただきたいのです!」

お咲は驚き、庄作は思わず煙草を落としそうになった。

「……またか?」

「また、じゃありません! 今度こそ、本当に受け取っていただきたいのです!」

助けた雀は必死だった。その瞳には、本気の、本気の願いが宿っている。

庄作はお咲と顔を見合わせた。

お咲もまた、くすくすと笑いながら、静かに首を傾げた。

「さてさて……今度は、どうしたもんかのう?」

夫婦の笑みの中に、やさしい光が宿っていた。
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