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意地でもお礼を受け取って欲しい雀と、頑なに断る老夫婦の話
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しとしとと小雨の降る山里の夕暮れ時、薄紅に染まる雲が田畑の向こうに静かに沈みつつあった。瓦屋根の小さな家に灯る灯火が、早くも夜の帳の準備を整えている。
その家に住むのは年老いた夫婦。名を庄作とお咲といった。貧しいながらも心優しく、己の手で米を育て、粗末ながらも互いに支え合いながら暮らしていた。
その日、庄作はふと庭先で一羽の雀を見つけた。小さな体を震わせながら、今にも命が消え入りそうな儚い姿だった。胸のあたりの羽がちぎれ、血が滲んでいる。
「かわいそうになぁ……どうしたんじゃ、おまえ」
庄作はそっと両手ですくい上げ、優しく撫でた。雀はか細い声で鳴き、ふるふると小さな羽を震わせた。
「よしよし、大丈夫じゃ。うちで手当てをしてやるぞ」
お咲も籠を用意し、米のとぎ汁を温め、雀に飲ませた。夫婦の温かな世話を受け、雀は次第に元気を取り戻した。
それから数日が経った。
ある朝、雀はピョンと庄作の肩に飛び乗り、嬉しそうにチュンチュンと鳴いた。羽の傷もすっかり癒えている。
「おまえ、もう飛べるようになったんじゃな」
庄作が微笑むと、雀は名残惜しそうに夫婦の肩を行ったり来たりしてから、ついに空へと飛び立っていった。
お咲はその小さな背中を見送りながら、しみじみとつぶやいた。
「きっと、元気に暮らしてくれるとええな」
夫婦はそれだけで十分だった。雀を助けたことで心が満たされる。それが何よりの喜びだった。
しかし、その数日後のことだった。
突然、庭の向こうからチュンチュンと賑やかな鳴き声が響いた。見ると、先日助けた雀が何十羽もの仲間を引き連れ、賑やかに飛び回っていた。
そして、その中心にいたのは、かの助けた雀。だが、その姿は先日とは違う。
美しい絹のような羽を持ち、目には光が宿っている。まるで仙人のような、神々しささえ漂っていた。
雀は夫婦の前に降り立つと、ちょこんと頭を下げ、甲高い声で言った。
「庄作さま、お咲さま。この度のご恩に報いるために、どうか我らの巣へお越しくださいませ!」
夫婦は顔を見合わせた。
「巣へ……?」
雀は頷き、羽をばたつかせた。
「ええ、あなたがたは大変な善人。我らの国で、ぜひともお礼をさせていただきたいのです」
庄作はぽりぽりと頭を掻いた。
「いや、そりゃありがたいが、別にお礼なんぞ望んで助けたわけじゃないんじゃがの」
お咲も静かに頷いた。
「雀を助けるのに、褒美なんぞいらんよ」
しかし、雀はぷるぷると首を振った。
「それでは、こちらの気が済みません!」
夫婦は苦笑した。なんと律儀な雀だろう。しかし、どう説得すればいいものか……。
それが、この不思議な騒動の始まりであった。
雀たちは夫婦をどうしても巣へ招こうと、一斉にチュンチュンと鳴き交わした。その声はまるで風が葉を揺らす音のように重なり合い、軽やかで、しかしどこか懇願の色を帯びていた。
「お願いです、せめて一度だけでも!」
助けた雀が夫婦の手をついばみ、可愛らしく首を傾げた。そこまで言われては、さすがの庄作も根負けした。
「まぁ、そこまで言うんなら、ちょっとくらい顔を出してみるかのぉ」
お咲も同意した。
「そうじゃな。どんな巣なのか、ちょっと見せてもらおうかねぇ」
雀たちは喜び、夫婦の周りを飛び回った。そして、不思議なことが起こった。
雀たちが一斉に羽ばたいたかと思うと、夫婦の足元にやわらかな風が巻き起こった。瞬く間に視界がぼやけ、気づけば二人はどこか異世界のような場所に立っていた。
目の前には、見渡す限りの緑の森。光が差し込む先には、小さな神殿のような建物が並び、鳥たちが賑やかに暮らしていた。
「ここが、我らの国でございます!」
雀が誇らしげに羽を広げると、ほかの雀たちも一斉にチュンチュンとさえずった。
夫婦は驚き、目を丸くした。
「ほぉ……こりゃまた、えらい立派なもんじゃのぉ」
お咲も感心しながら、羽のように軽やかな階段を踏みしめた。
「ほんに……まるで夢の国みたいじゃ」
すると、助けた雀が一歩前に出て、小さな翅を震わせた。
「さて、ご招待の目的ですが……どうか、この中からお好きな褒美をお選びください!」
その瞬間、夫婦の前に大きな箱が二つ、すっと差し出された。
ひとつは小ぶりの箱。黒塗りで、つややかに光っている。
もうひとつは大きな箱。金箔が施され、煌びやかで豪奢な装飾が施されていた。
「どちらでも、お好きな方を!」
雀はにこにこと笑っている。しかし、夫婦は顔を見合わせた。
庄作は腕を組み、首を振った。
「いやいや、こりゃ困った……。わしら、褒美をもらおうとは思っておらんのじゃが……」
お咲も申し訳なさそうに小さく笑った。
「雀を助けたのは、当たり前のことじゃ。対価が欲しくてしたわけじゃないよ」
雀は驚いたように目を丸くし、それから慌てたように翼をばたつかせた。
「で、でも、それではこちらが申し訳ないのです!」
「いやいや、気にすることはない。助けたいと思うたから助けただけで、それに何かを求めるのは道理に合わん」
庄作はどこまでも穏やかに言った。
「それでも!」
雀はますます懇願するような目つきで、箱を押し出した。
「どうか、どうか、受け取ってください!」
「いや、いらん」
「そんな……!」
頑なに受け取らぬ夫婦と、どうしても受け取ってほしい雀。
事態は、思わぬ方向へと転がり始めていた。
「どうか、どうか、受け取ってください!」
雀は必死で箱を押し出した。しかし庄作は腕を組み、目を細めたまま微動だにしない。
「いや、いらん」
お咲もふわりと笑いながら、そっと手を振った。
「雀を助けるのに、見返りはいらんよ」
その瞬間、雀たちの間にざわめきが走った。
「受け取らない!?」「まさかそんな!」
小さな鳥たちが一斉に羽をばたつかせ、チュンチュンと騒ぎ始める。
「こんなこと、我らの国では前代未聞です!」
「もらわないなんて、そんなことあるのか?」
「ええい、どうにかして受け取らせねば!」
雀たちはお互いに相談を始め、空中で小さな円を作る。夫婦はぽかんとその様子を見つめていた。
「こりゃ、えらいことになったのう……」
「まさか、こんなに困らせることになるとは思わなんだねぇ……」
すると、助けた雀が意を決したように羽を大きく広げた。
「それでは、こうしましょう!」
雀はひと呼吸置き、夫婦を真っ直ぐに見つめた。
「この褒美は、あなたがたのこれからの暮らしを守るものです。ただの贈り物ではありません。これは、あなたがたへの感謝の証。受け取ることは、私たちにとって大事な儀式なのです!」
夫婦は顔を見合わせた。
「……儀式?」
「ええ、もしあなたがたがこれを受け取らなければ、我ら雀の国の恩義は宙に浮いてしまいます。それでは、こちらの気持ちが報われません!」
庄作は頭をぽりぽりと掻いた。
「そりゃまた……えらい律儀な話じゃのう」
「私たちは、善意をただの一方通行にしたくはないのです。どうか、どうか!」
雀は頭を下げ、涙を浮かべているようにも見えた。
お咲は困ったように微笑んだ。
「そんなに言われたら、さすがに……」
庄作は唸りながら、じっくりと考え込む。そして、お咲と相談し、小さな箱の方をそっと手に取った。
「ほいじゃあ、せめてこれだけでも」
その瞬間、雀たちは一斉に喜びの声を上げた。
「受け取ってくれた!」
「これで我らの心も晴れる!」
「よかった、よかった!」
夫婦はなんだかおかしくなり、ついくすくすと笑ってしまった。
「まるで、こっちが困らせたみたいじゃのう」
「ほんに、世話が焼ける雀たちじゃこと……」
しかし、それで終わりではなかった。
帰宅後、夫婦がそっと箱を開けると、中からは美しい金貨がこぼれ出た。
「こりゃあ……!」
お咲は驚き、庄作も目を丸くした。
しかし、次の瞬間、夫婦は顔を見合わせ、ため息をついた。
「……どうしたもんかのう?」
二人の前には、煌めく黄金があったが、彼らの心には少しの重みがあった。
――雀たちの恩をどうすればいいのか。
庄作とお咲は、しばし黙って箱の中の金貨を見つめていた。
「こりゃあ……どうしたもんかのう?」
お咲がため息まじりに言うと、庄作も腕を組み、深々と唸った。
「まさか、こんな大層なもんが入っとるとはの……雀たちは本気でわしらを裕福にするつもりじゃったんじゃな」
お咲は箱の端をそっとなでながら、苦笑した。
「……ありがたい話じゃが、やっぱり、ちと落ち着かんねぇ」
庄作は頷き、しばらく考えた末、ぽつりと言った。
「わしらには、これほどの金は必要ない。けれど、雀たちの心を無にするのも違う気がするのう……」
二人は納屋に金貨の入った箱をしまい、夜が更けるまで話し合った。
翌朝、まだ陽も昇りきらぬうちに、庄作とお咲は家を出た。目指すのは、山の中に広がる雀たちの国だった。
「おーい、雀たちよ!」
庄作の声が山に響くと、すぐにチュンチュンと軽やかな鳴き声が返ってきた。
「庄作さま! お咲さま!」
助けた雀が嬉しそうに羽をばたつかせながら、仲間たちと共に飛び回った。
「どうしました?」
庄作は腰に手を当て、にやりと笑った。
「いやな、実は相談があるんじゃ」
雀たちは首を傾げた。お咲もにこりと笑い、そっと切り出した。
「頂いた金貨をな、おまえたちの国のために使わせてもらえんかと思っての」
「我らの……国のため?」
助けた雀が目をぱちくりさせると、庄作は頷いた。
「おまえたちの巣をもっと頑丈に作り直したり、食料を増やしたり、病気になった雀を手当てする場所を作ったり……」
「わしらには、贅沢なんぞいらんのじゃ。そのかわり、おまえたちがもっと安心して暮らせるようにしたいんじゃが、どうじゃろう?」
雀たちは一斉にざわめいた。
「そんなことを……!」
「わしらのために……?」
「でも、それではお二人のためにならないのでは?」
助けた雀が戸惑いながら言うと、庄作はにっと笑い、お咲も優しく微笑んだ。
「おまえたちが元気に暮らしてくれたら、それがわしらにとって一番の喜びじゃよ」
雀たちは感動したように、しばらく何も言えなかった。そして次の瞬間、彼らは一斉に空を舞い、喜びのさえずりを響かせた。
「ありがとうございます!」
「なんて素晴らしいご夫婦だ!」
「これで我らの国ももっと良くなるぞ!」
庄作とお咲はそんな雀たちを見上げ、微笑んだ。
「さて、それじゃあ早速、巣の改築から始めるとするかの」
「うんうん、柱を丈夫にして、雨風に負けんようにしようねぇ」
こうして、夫婦はもらった金貨をすべて雀たちのために使うことにした。
それからというもの、雀の国はますます栄え、より多くの雀たちが安心して暮らせるようになった。
巣は頑丈に作り直され、病気の雀のための小さな療養所も建てられ、食べ物の貯蔵庫までできた。
そして、庄作とお咲はというと……
相変わらず、貧しいながらも穏やかな暮らしを続けていた。
しかし、ふと庭を見れば、いつも雀たちが賑やかに飛び回り、嬉しそうに夫婦を見つめている。
「それで、わしらは十分じゃのう」
「ほんにほんに、これ以上の幸せはないねぇ」
そう言って、二人は顔を見合わせ、笑い合った。
それから幾年かが過ぎた。
雀の国はかつてないほどに豊かになった。強い風が吹こうとも巣はびくともせず、食料庫には一年中穀物が蓄えられ、病気になった雀も安心して療養できる場所があった。
すべて、庄作とお咲が贈った金貨のおかげだった。
ある日、助けた雀がふわりと夫婦の庭に降り立ち、丁寧に頭を下げた。
「庄作さま、お咲さま……あなたがたのおかげで、我らの国はとても豊かになりました」
庄作は軒先に腰を下ろし、ゆっくりと煙草をふかした。
「そりゃあ、何よりじゃのう」
お咲も小さく笑いながら、雀の頭を優しく撫でた。
「みんな元気にしておるかね?」
「ええ、とても!」
雀は嬉しそうに胸を張り、それから、ふと真剣な顔になった。
「それで……」
庄作は煙をくゆらせながら、ちらりと雀を見た。
「……なんじゃ?」
雀はふるふると小さな体を震わせた後、深く頭を下げた。
「この度のご恩に報いるために、どうか、どうか、お礼を受け取っていただきたいのです!」
お咲は驚き、庄作は思わず煙草を落としそうになった。
「……またか?」
「また、じゃありません! 今度こそ、本当に受け取っていただきたいのです!」
助けた雀は必死だった。その瞳には、本気の、本気の願いが宿っている。
庄作はお咲と顔を見合わせた。
お咲もまた、くすくすと笑いながら、静かに首を傾げた。
「さてさて……今度は、どうしたもんかのう?」
夫婦の笑みの中に、やさしい光が宿っていた。
その家に住むのは年老いた夫婦。名を庄作とお咲といった。貧しいながらも心優しく、己の手で米を育て、粗末ながらも互いに支え合いながら暮らしていた。
その日、庄作はふと庭先で一羽の雀を見つけた。小さな体を震わせながら、今にも命が消え入りそうな儚い姿だった。胸のあたりの羽がちぎれ、血が滲んでいる。
「かわいそうになぁ……どうしたんじゃ、おまえ」
庄作はそっと両手ですくい上げ、優しく撫でた。雀はか細い声で鳴き、ふるふると小さな羽を震わせた。
「よしよし、大丈夫じゃ。うちで手当てをしてやるぞ」
お咲も籠を用意し、米のとぎ汁を温め、雀に飲ませた。夫婦の温かな世話を受け、雀は次第に元気を取り戻した。
それから数日が経った。
ある朝、雀はピョンと庄作の肩に飛び乗り、嬉しそうにチュンチュンと鳴いた。羽の傷もすっかり癒えている。
「おまえ、もう飛べるようになったんじゃな」
庄作が微笑むと、雀は名残惜しそうに夫婦の肩を行ったり来たりしてから、ついに空へと飛び立っていった。
お咲はその小さな背中を見送りながら、しみじみとつぶやいた。
「きっと、元気に暮らしてくれるとええな」
夫婦はそれだけで十分だった。雀を助けたことで心が満たされる。それが何よりの喜びだった。
しかし、その数日後のことだった。
突然、庭の向こうからチュンチュンと賑やかな鳴き声が響いた。見ると、先日助けた雀が何十羽もの仲間を引き連れ、賑やかに飛び回っていた。
そして、その中心にいたのは、かの助けた雀。だが、その姿は先日とは違う。
美しい絹のような羽を持ち、目には光が宿っている。まるで仙人のような、神々しささえ漂っていた。
雀は夫婦の前に降り立つと、ちょこんと頭を下げ、甲高い声で言った。
「庄作さま、お咲さま。この度のご恩に報いるために、どうか我らの巣へお越しくださいませ!」
夫婦は顔を見合わせた。
「巣へ……?」
雀は頷き、羽をばたつかせた。
「ええ、あなたがたは大変な善人。我らの国で、ぜひともお礼をさせていただきたいのです」
庄作はぽりぽりと頭を掻いた。
「いや、そりゃありがたいが、別にお礼なんぞ望んで助けたわけじゃないんじゃがの」
お咲も静かに頷いた。
「雀を助けるのに、褒美なんぞいらんよ」
しかし、雀はぷるぷると首を振った。
「それでは、こちらの気が済みません!」
夫婦は苦笑した。なんと律儀な雀だろう。しかし、どう説得すればいいものか……。
それが、この不思議な騒動の始まりであった。
雀たちは夫婦をどうしても巣へ招こうと、一斉にチュンチュンと鳴き交わした。その声はまるで風が葉を揺らす音のように重なり合い、軽やかで、しかしどこか懇願の色を帯びていた。
「お願いです、せめて一度だけでも!」
助けた雀が夫婦の手をついばみ、可愛らしく首を傾げた。そこまで言われては、さすがの庄作も根負けした。
「まぁ、そこまで言うんなら、ちょっとくらい顔を出してみるかのぉ」
お咲も同意した。
「そうじゃな。どんな巣なのか、ちょっと見せてもらおうかねぇ」
雀たちは喜び、夫婦の周りを飛び回った。そして、不思議なことが起こった。
雀たちが一斉に羽ばたいたかと思うと、夫婦の足元にやわらかな風が巻き起こった。瞬く間に視界がぼやけ、気づけば二人はどこか異世界のような場所に立っていた。
目の前には、見渡す限りの緑の森。光が差し込む先には、小さな神殿のような建物が並び、鳥たちが賑やかに暮らしていた。
「ここが、我らの国でございます!」
雀が誇らしげに羽を広げると、ほかの雀たちも一斉にチュンチュンとさえずった。
夫婦は驚き、目を丸くした。
「ほぉ……こりゃまた、えらい立派なもんじゃのぉ」
お咲も感心しながら、羽のように軽やかな階段を踏みしめた。
「ほんに……まるで夢の国みたいじゃ」
すると、助けた雀が一歩前に出て、小さな翅を震わせた。
「さて、ご招待の目的ですが……どうか、この中からお好きな褒美をお選びください!」
その瞬間、夫婦の前に大きな箱が二つ、すっと差し出された。
ひとつは小ぶりの箱。黒塗りで、つややかに光っている。
もうひとつは大きな箱。金箔が施され、煌びやかで豪奢な装飾が施されていた。
「どちらでも、お好きな方を!」
雀はにこにこと笑っている。しかし、夫婦は顔を見合わせた。
庄作は腕を組み、首を振った。
「いやいや、こりゃ困った……。わしら、褒美をもらおうとは思っておらんのじゃが……」
お咲も申し訳なさそうに小さく笑った。
「雀を助けたのは、当たり前のことじゃ。対価が欲しくてしたわけじゃないよ」
雀は驚いたように目を丸くし、それから慌てたように翼をばたつかせた。
「で、でも、それではこちらが申し訳ないのです!」
「いやいや、気にすることはない。助けたいと思うたから助けただけで、それに何かを求めるのは道理に合わん」
庄作はどこまでも穏やかに言った。
「それでも!」
雀はますます懇願するような目つきで、箱を押し出した。
「どうか、どうか、受け取ってください!」
「いや、いらん」
「そんな……!」
頑なに受け取らぬ夫婦と、どうしても受け取ってほしい雀。
事態は、思わぬ方向へと転がり始めていた。
「どうか、どうか、受け取ってください!」
雀は必死で箱を押し出した。しかし庄作は腕を組み、目を細めたまま微動だにしない。
「いや、いらん」
お咲もふわりと笑いながら、そっと手を振った。
「雀を助けるのに、見返りはいらんよ」
その瞬間、雀たちの間にざわめきが走った。
「受け取らない!?」「まさかそんな!」
小さな鳥たちが一斉に羽をばたつかせ、チュンチュンと騒ぎ始める。
「こんなこと、我らの国では前代未聞です!」
「もらわないなんて、そんなことあるのか?」
「ええい、どうにかして受け取らせねば!」
雀たちはお互いに相談を始め、空中で小さな円を作る。夫婦はぽかんとその様子を見つめていた。
「こりゃ、えらいことになったのう……」
「まさか、こんなに困らせることになるとは思わなんだねぇ……」
すると、助けた雀が意を決したように羽を大きく広げた。
「それでは、こうしましょう!」
雀はひと呼吸置き、夫婦を真っ直ぐに見つめた。
「この褒美は、あなたがたのこれからの暮らしを守るものです。ただの贈り物ではありません。これは、あなたがたへの感謝の証。受け取ることは、私たちにとって大事な儀式なのです!」
夫婦は顔を見合わせた。
「……儀式?」
「ええ、もしあなたがたがこれを受け取らなければ、我ら雀の国の恩義は宙に浮いてしまいます。それでは、こちらの気持ちが報われません!」
庄作は頭をぽりぽりと掻いた。
「そりゃまた……えらい律儀な話じゃのう」
「私たちは、善意をただの一方通行にしたくはないのです。どうか、どうか!」
雀は頭を下げ、涙を浮かべているようにも見えた。
お咲は困ったように微笑んだ。
「そんなに言われたら、さすがに……」
庄作は唸りながら、じっくりと考え込む。そして、お咲と相談し、小さな箱の方をそっと手に取った。
「ほいじゃあ、せめてこれだけでも」
その瞬間、雀たちは一斉に喜びの声を上げた。
「受け取ってくれた!」
「これで我らの心も晴れる!」
「よかった、よかった!」
夫婦はなんだかおかしくなり、ついくすくすと笑ってしまった。
「まるで、こっちが困らせたみたいじゃのう」
「ほんに、世話が焼ける雀たちじゃこと……」
しかし、それで終わりではなかった。
帰宅後、夫婦がそっと箱を開けると、中からは美しい金貨がこぼれ出た。
「こりゃあ……!」
お咲は驚き、庄作も目を丸くした。
しかし、次の瞬間、夫婦は顔を見合わせ、ため息をついた。
「……どうしたもんかのう?」
二人の前には、煌めく黄金があったが、彼らの心には少しの重みがあった。
――雀たちの恩をどうすればいいのか。
庄作とお咲は、しばし黙って箱の中の金貨を見つめていた。
「こりゃあ……どうしたもんかのう?」
お咲がため息まじりに言うと、庄作も腕を組み、深々と唸った。
「まさか、こんな大層なもんが入っとるとはの……雀たちは本気でわしらを裕福にするつもりじゃったんじゃな」
お咲は箱の端をそっとなでながら、苦笑した。
「……ありがたい話じゃが、やっぱり、ちと落ち着かんねぇ」
庄作は頷き、しばらく考えた末、ぽつりと言った。
「わしらには、これほどの金は必要ない。けれど、雀たちの心を無にするのも違う気がするのう……」
二人は納屋に金貨の入った箱をしまい、夜が更けるまで話し合った。
翌朝、まだ陽も昇りきらぬうちに、庄作とお咲は家を出た。目指すのは、山の中に広がる雀たちの国だった。
「おーい、雀たちよ!」
庄作の声が山に響くと、すぐにチュンチュンと軽やかな鳴き声が返ってきた。
「庄作さま! お咲さま!」
助けた雀が嬉しそうに羽をばたつかせながら、仲間たちと共に飛び回った。
「どうしました?」
庄作は腰に手を当て、にやりと笑った。
「いやな、実は相談があるんじゃ」
雀たちは首を傾げた。お咲もにこりと笑い、そっと切り出した。
「頂いた金貨をな、おまえたちの国のために使わせてもらえんかと思っての」
「我らの……国のため?」
助けた雀が目をぱちくりさせると、庄作は頷いた。
「おまえたちの巣をもっと頑丈に作り直したり、食料を増やしたり、病気になった雀を手当てする場所を作ったり……」
「わしらには、贅沢なんぞいらんのじゃ。そのかわり、おまえたちがもっと安心して暮らせるようにしたいんじゃが、どうじゃろう?」
雀たちは一斉にざわめいた。
「そんなことを……!」
「わしらのために……?」
「でも、それではお二人のためにならないのでは?」
助けた雀が戸惑いながら言うと、庄作はにっと笑い、お咲も優しく微笑んだ。
「おまえたちが元気に暮らしてくれたら、それがわしらにとって一番の喜びじゃよ」
雀たちは感動したように、しばらく何も言えなかった。そして次の瞬間、彼らは一斉に空を舞い、喜びのさえずりを響かせた。
「ありがとうございます!」
「なんて素晴らしいご夫婦だ!」
「これで我らの国ももっと良くなるぞ!」
庄作とお咲はそんな雀たちを見上げ、微笑んだ。
「さて、それじゃあ早速、巣の改築から始めるとするかの」
「うんうん、柱を丈夫にして、雨風に負けんようにしようねぇ」
こうして、夫婦はもらった金貨をすべて雀たちのために使うことにした。
それからというもの、雀の国はますます栄え、より多くの雀たちが安心して暮らせるようになった。
巣は頑丈に作り直され、病気の雀のための小さな療養所も建てられ、食べ物の貯蔵庫までできた。
そして、庄作とお咲はというと……
相変わらず、貧しいながらも穏やかな暮らしを続けていた。
しかし、ふと庭を見れば、いつも雀たちが賑やかに飛び回り、嬉しそうに夫婦を見つめている。
「それで、わしらは十分じゃのう」
「ほんにほんに、これ以上の幸せはないねぇ」
そう言って、二人は顔を見合わせ、笑い合った。
それから幾年かが過ぎた。
雀の国はかつてないほどに豊かになった。強い風が吹こうとも巣はびくともせず、食料庫には一年中穀物が蓄えられ、病気になった雀も安心して療養できる場所があった。
すべて、庄作とお咲が贈った金貨のおかげだった。
ある日、助けた雀がふわりと夫婦の庭に降り立ち、丁寧に頭を下げた。
「庄作さま、お咲さま……あなたがたのおかげで、我らの国はとても豊かになりました」
庄作は軒先に腰を下ろし、ゆっくりと煙草をふかした。
「そりゃあ、何よりじゃのう」
お咲も小さく笑いながら、雀の頭を優しく撫でた。
「みんな元気にしておるかね?」
「ええ、とても!」
雀は嬉しそうに胸を張り、それから、ふと真剣な顔になった。
「それで……」
庄作は煙をくゆらせながら、ちらりと雀を見た。
「……なんじゃ?」
雀はふるふると小さな体を震わせた後、深く頭を下げた。
「この度のご恩に報いるために、どうか、どうか、お礼を受け取っていただきたいのです!」
お咲は驚き、庄作は思わず煙草を落としそうになった。
「……またか?」
「また、じゃありません! 今度こそ、本当に受け取っていただきたいのです!」
助けた雀は必死だった。その瞳には、本気の、本気の願いが宿っている。
庄作はお咲と顔を見合わせた。
お咲もまた、くすくすと笑いながら、静かに首を傾げた。
「さてさて……今度は、どうしたもんかのう?」
夫婦の笑みの中に、やさしい光が宿っていた。
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あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
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