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「また、外を走る回収車の数が多くなったな」と、ベランダから見える景色に意識を向けながら、手元の植木鉢に水をやる。春は出会いと別れの季節なんていうもんだから、自然と花の回収車も増えてくる。せっかく気分の良い朝が、回収車の放送に、少し害されたような気がして、また違和感だけが残る。
僕は、いつも,違和感に囚われている。それはもしかしたら、ぽっかりと空いた僕の記憶に関係しているのかもしれない。
僕は、学生時代の記憶が抜け落ちている。具体的には、中学校から高校生の記憶が全くないのだ。後から分かったことだが、高校卒業の年に事故にあって、記憶障害が生じたらしい。でも、それ自体、はっきりとした証拠も残っておらず、結局のところわからない。
分かっているのは、僕が今も生きているという事実だ。それ以外はなんだか、空虚な気もする。
僕はそんなことを思いながら、植木鉢に咲いた橘の白い花びらを見つめた。陽の光が少し当たった橘の花が少し輝いて見える。僕の植木鉢には、いつも橘しか咲かなかった。
橘に与えられた意味は、追憶。つまり、過去に思いを馳せる花だ。
でも、僕には思いを馳せれる過去がない。
なのに、橘だけが咲き続ける。それが、僕の違和感の大部分を占めていたと思う。
花が、僕に過去を突きつけてくる。でも、記憶喪失の僕は、何もできない。過去という空白のページの前で、ただ立ち尽くしかできないのだ。
だから、僕の心は、何か大事なものが欠けている。
それが悲しいとも思えない。
ただ、わからないという空虚感と、心が感じ取ってしまう違和感だけが僕を支配していて、その違和感の正体をずっと僕は探し続けている。
僕は、室内に戻り部屋の戸締りを始めた。
今日から、また大学に行かなければならない。この世界のそういうところは全く変わっていない。
花が感情と記憶を保持してくれるなら、知識も保持してくれたらよかったのに。
そんな愚痴をこぼしながらも,「まぁいいか」と大学へ向かう。
この世界は、生きている状態を保つだけでも、やらなければならないことが多すぎる。でも、みんなそういうことには蓋をして、視界に入れないように生きている。いや、見ようとしても、大事な部分は刈り取られてしまうから、結局考えるだけ無駄なのだ。幸せだけを心の拠り所にしていれば、間違えることはない。違和感くらいなら、目を瞑っていれば、気になることもない。
僕もそうだ。大学という敷かれたレールに安心感を覚える。そこにいけば、やることが与えられるのだ。その時だけは、違和感から解放される。なんて、楽なのだろう。まるで、植物のように、栄養をとり、いつも通りそこにいれば、時間は経ち、それなりの花が咲く。
今日も気付けば、大学の授業は終わっていた。手元には資料とメモ。頭の中には、意味を持たない単語の羅列だけが残っている。
「帰ったら見直さないと」と、口に出してみるが、多分、学期末までやらない。口に出すのは、そういう自分もいたってことの存在証明で、単なる自己満足だ。
そそくさと荷物をまとめて大学を出る。大学には、友達がいない。
別に、僕がひとりぼっちというわけじゃない。
僕が友達を作りたいと思っていないだけだ。
僕の通っている大学は、そこそこ有名な大学で、同期は数え切れないほどいる。だからといって、僕は周りの人達と仲良くなれる自信はなかった。
帰る前に少しお腹が空いた僕は、購買へ向かおうと、食堂の側を通り抜けた。視界の端に、新作メニューに並ぶ学生の列と、びっしりと学生で埋まったテーブルが見える。会話の内容はわからないが、ガラスの扉越しでもわかるくらい、がやがやとしているのは一目瞭然だった。
まさに絵に描いたような楽しいキャンパスライフがそこにある。和気藹々と話す学生たち、時間を忘れてしまうほどの楽しい時間。でも、僕にはそれが違和感でしかなかった。だって、いつ見たって、誰を見たって、その顔には笑顔しかないから。
もしかしたら、幸せ以外が用意されていないこの世の中じゃ、笑顔じゃない僕の方がおかしいのかもしれない。でも、本当に皆は幸せなんだろうか。
確かに苦しみや辛さは感じない。でも、それは存在しないというわけじゃない。
どんな感情であれ、植木鉢に花は咲く。苦しみや辛さはそこにあったのだ。心の中にちゃんと、その感情はあったはずなのだ。でも、人々から感情たちは奪われる。そして、心には違和感が生まれる。あったはずのものがなくなってしまった空虚感に飲まれる。
その空虚感こそが、僕の違和感なのだ。僕たちは、「苦しみ」という言葉を知っているはずなのに、それがどのような状態を指すのかを説明できない。僕たちは、違和感を表現する言葉を失ってしまった。だから、人々は幸せで、その違和感を埋めようとする。他人の感情と記憶で、失った何かを埋めようとする。あの食堂で交わされる会話も、もう誰の幸せなのかわからない。
だから、僕は友達を作れない。僕にとっては周りの笑顔が、本物なのか偽物なのかもわからない。もはや、真偽なんてどうでもいいことなのかもしれない。でも、僕はそういう違和感に囚われている。
購買のセルフレジで会計を済ませた僕は、大学を後にした。途中で、何人かの学生とすれ違った。でも、僕は多分、誰の視界にも映っていないだろう。たぶん、彼らからしたら、僕の方が「おかしい」やつだと思われているに違いない。
少し日が落ち始めて、辺りが夕日で染まり始めた帰り道。僕は、いつもとは違う道を歩いていた。風通しの良い河川敷。僕が見たいものはそこにある。僕がこの世界で生きていられる理由がそこにある。
「今が見頃だな」
僕の目の前に広がったのは、歩道の脇にずっと並んだ桜だった。
満開の桜が帰り道を彩る。
夕日に当てられた淡いピンクの花びらが、紅く色づいている。
僕はこの瞬間が大好きだ。
静かな空間と、微かに聞こえる鳥の声、沈む夕日と、ゆらゆら揺れる川の水面。
そして、春に咲いては、知らぬうちに散ってゆく桜。
「なんて、美しいのだろう」
自然は、僕が知り得ない部分でも変化し続けている。同じ瞬間など存在しない。意識した時には、見える世界は変わっているのだから。
だからこそ、僕は美しいと思う。幸せという枠に縛られ、変化を拒み続けるこの世界で、変化を望んだ者だけが見ることのできる美しさ。
春が来るたび、僕はこの場所で桜を見ていた。毎年違う形で、僕の心を埋めてくれるこの景色が、僕の生きがいのようなものになっていたと思う。
ただ、一つだけ許せなかったのは、この景色の中にいる僕が、ずっと変われないままでいることだ。
何度、春を数えても、僕はいつも同じところで止まっている。目の前にある景色は変わり続けているのに、それを見ている僕はいつも変わらない。違和感に囚われて、前に進めない僕がそこにいるだけだ。
「僕もこの風景の一部になりたい」
季節に合わせて花を咲かせ、雨に打たれて、風に吹かれて、それが自然の摂理であるかのように散ってゆく。
永遠はない、ただ僕は自然に生きていたかった。
そんなことを思いながら、ゆっくりと桜並木を歩いていると、急に風に吹かれた。
風が思ったよりも強く、桜の花びらが巻き上がる。
そして、風が止み、頭の上からひらひらと花びらが舞い降りてくる。
そんな情景につい僕は意識を奪われていた。
意識をぼーっと漂わせていると、目の前に一枚の花びらが左右に大きく揺れながら、落ちてくる。
出遅れたのだろうか、周りの花びらはすっかり地面に落ちてしまったというのに、その花びらは宙に浮くかの如く、僕の目の前を漂っている。
そんな花びらに僕は触れてみたいと思った。
手を伸ばして、その花びらを受け止めようとする。
そうすると、花びらはまるで意思を持っているかのように、すっぽりと僕の手のひらの上に収まった。
小さな花びらが肌に触れる感覚は、ほとんどない。
でも、僕はその時、確かに感じた。
身に覚えがないはずなのに、確かに僕の中にあったもの。
心をキュッと締め付けるような、あの感覚。
そして、違和感の正体。
「失った記憶だ」
花びらが、そっと風に流されて手を離れた。
僕は、ハッとなって、必死に花びらを追いかける。
なぜ、僕がこんなに必死なのかはわからない。
傍目から見たら、これこそおかしいやつだ。
でも、僕は確信していた。きっとそこに僕の求めるものがある気がした。
だから、僕はただ花びらに導かれるがままに走った。
どんどん、花びらは河川敷を離れて、住宅地も離れていく。
そして、花びらは役目を終えたかのように地面に落ちた。
そこは、テープが貼られた空き地だった。
周りにも家は建っているが、そこだけポツンと開けていて、人の気配が全くない。
まるで、空白がそこにあるようだった。
そして、その空白を埋めるように、花びらの主が立っていた。
「こんなところにも桜があったんだ」
一本だけ、確かにそこに立っている。
僕は誘い込まれるように、その空き地に足を踏み入れる。
ザクザクと荒い地面を踏み締める度に、心臓の鼓動もそれに合わせて動く。
そして、僕は桜の木にそっと手を当てた。
僕の頭にその花が持つ感情と記憶が流れてくる。
どれも身に覚えのない感情と記憶ばかり。
でも、一つだけ脳裏に焼きつくものがあった。
黒髪の女の子が僕に微笑んでいる。
そして、そんな彼女の様子に僕は悲しさを感じている。
消えてほしくない。
手を伸ばしても届かない。
非力な僕では何もできない。
なぜだ。
こんな記憶も感情も知らない。
でも、心地よいくらいに、その微笑みは僕の心の空白を埋めてくれる。
僕の違和感に揺らぎが生じた瞬間だった。
夕日は段々遠のいていく。
一日の終わりがやってくる。
それと同時に、今年も春が終わろうとしていた。
また来年も春がやってくる。そして、その春はどの春とも違う。
今年も同じように春を数えるつもりだった。
記憶がなくなったあの頃から、僕は春を数えているのだから。
でも、今年は真っ白だった僕の心が少し色付いている。
それは、僕にとっての変化が始まった春の訪れだった。
僕は、いつも,違和感に囚われている。それはもしかしたら、ぽっかりと空いた僕の記憶に関係しているのかもしれない。
僕は、学生時代の記憶が抜け落ちている。具体的には、中学校から高校生の記憶が全くないのだ。後から分かったことだが、高校卒業の年に事故にあって、記憶障害が生じたらしい。でも、それ自体、はっきりとした証拠も残っておらず、結局のところわからない。
分かっているのは、僕が今も生きているという事実だ。それ以外はなんだか、空虚な気もする。
僕はそんなことを思いながら、植木鉢に咲いた橘の白い花びらを見つめた。陽の光が少し当たった橘の花が少し輝いて見える。僕の植木鉢には、いつも橘しか咲かなかった。
橘に与えられた意味は、追憶。つまり、過去に思いを馳せる花だ。
でも、僕には思いを馳せれる過去がない。
なのに、橘だけが咲き続ける。それが、僕の違和感の大部分を占めていたと思う。
花が、僕に過去を突きつけてくる。でも、記憶喪失の僕は、何もできない。過去という空白のページの前で、ただ立ち尽くしかできないのだ。
だから、僕の心は、何か大事なものが欠けている。
それが悲しいとも思えない。
ただ、わからないという空虚感と、心が感じ取ってしまう違和感だけが僕を支配していて、その違和感の正体をずっと僕は探し続けている。
僕は、室内に戻り部屋の戸締りを始めた。
今日から、また大学に行かなければならない。この世界のそういうところは全く変わっていない。
花が感情と記憶を保持してくれるなら、知識も保持してくれたらよかったのに。
そんな愚痴をこぼしながらも,「まぁいいか」と大学へ向かう。
この世界は、生きている状態を保つだけでも、やらなければならないことが多すぎる。でも、みんなそういうことには蓋をして、視界に入れないように生きている。いや、見ようとしても、大事な部分は刈り取られてしまうから、結局考えるだけ無駄なのだ。幸せだけを心の拠り所にしていれば、間違えることはない。違和感くらいなら、目を瞑っていれば、気になることもない。
僕もそうだ。大学という敷かれたレールに安心感を覚える。そこにいけば、やることが与えられるのだ。その時だけは、違和感から解放される。なんて、楽なのだろう。まるで、植物のように、栄養をとり、いつも通りそこにいれば、時間は経ち、それなりの花が咲く。
今日も気付けば、大学の授業は終わっていた。手元には資料とメモ。頭の中には、意味を持たない単語の羅列だけが残っている。
「帰ったら見直さないと」と、口に出してみるが、多分、学期末までやらない。口に出すのは、そういう自分もいたってことの存在証明で、単なる自己満足だ。
そそくさと荷物をまとめて大学を出る。大学には、友達がいない。
別に、僕がひとりぼっちというわけじゃない。
僕が友達を作りたいと思っていないだけだ。
僕の通っている大学は、そこそこ有名な大学で、同期は数え切れないほどいる。だからといって、僕は周りの人達と仲良くなれる自信はなかった。
帰る前に少しお腹が空いた僕は、購買へ向かおうと、食堂の側を通り抜けた。視界の端に、新作メニューに並ぶ学生の列と、びっしりと学生で埋まったテーブルが見える。会話の内容はわからないが、ガラスの扉越しでもわかるくらい、がやがやとしているのは一目瞭然だった。
まさに絵に描いたような楽しいキャンパスライフがそこにある。和気藹々と話す学生たち、時間を忘れてしまうほどの楽しい時間。でも、僕にはそれが違和感でしかなかった。だって、いつ見たって、誰を見たって、その顔には笑顔しかないから。
もしかしたら、幸せ以外が用意されていないこの世の中じゃ、笑顔じゃない僕の方がおかしいのかもしれない。でも、本当に皆は幸せなんだろうか。
確かに苦しみや辛さは感じない。でも、それは存在しないというわけじゃない。
どんな感情であれ、植木鉢に花は咲く。苦しみや辛さはそこにあったのだ。心の中にちゃんと、その感情はあったはずなのだ。でも、人々から感情たちは奪われる。そして、心には違和感が生まれる。あったはずのものがなくなってしまった空虚感に飲まれる。
その空虚感こそが、僕の違和感なのだ。僕たちは、「苦しみ」という言葉を知っているはずなのに、それがどのような状態を指すのかを説明できない。僕たちは、違和感を表現する言葉を失ってしまった。だから、人々は幸せで、その違和感を埋めようとする。他人の感情と記憶で、失った何かを埋めようとする。あの食堂で交わされる会話も、もう誰の幸せなのかわからない。
だから、僕は友達を作れない。僕にとっては周りの笑顔が、本物なのか偽物なのかもわからない。もはや、真偽なんてどうでもいいことなのかもしれない。でも、僕はそういう違和感に囚われている。
購買のセルフレジで会計を済ませた僕は、大学を後にした。途中で、何人かの学生とすれ違った。でも、僕は多分、誰の視界にも映っていないだろう。たぶん、彼らからしたら、僕の方が「おかしい」やつだと思われているに違いない。
少し日が落ち始めて、辺りが夕日で染まり始めた帰り道。僕は、いつもとは違う道を歩いていた。風通しの良い河川敷。僕が見たいものはそこにある。僕がこの世界で生きていられる理由がそこにある。
「今が見頃だな」
僕の目の前に広がったのは、歩道の脇にずっと並んだ桜だった。
満開の桜が帰り道を彩る。
夕日に当てられた淡いピンクの花びらが、紅く色づいている。
僕はこの瞬間が大好きだ。
静かな空間と、微かに聞こえる鳥の声、沈む夕日と、ゆらゆら揺れる川の水面。
そして、春に咲いては、知らぬうちに散ってゆく桜。
「なんて、美しいのだろう」
自然は、僕が知り得ない部分でも変化し続けている。同じ瞬間など存在しない。意識した時には、見える世界は変わっているのだから。
だからこそ、僕は美しいと思う。幸せという枠に縛られ、変化を拒み続けるこの世界で、変化を望んだ者だけが見ることのできる美しさ。
春が来るたび、僕はこの場所で桜を見ていた。毎年違う形で、僕の心を埋めてくれるこの景色が、僕の生きがいのようなものになっていたと思う。
ただ、一つだけ許せなかったのは、この景色の中にいる僕が、ずっと変われないままでいることだ。
何度、春を数えても、僕はいつも同じところで止まっている。目の前にある景色は変わり続けているのに、それを見ている僕はいつも変わらない。違和感に囚われて、前に進めない僕がそこにいるだけだ。
「僕もこの風景の一部になりたい」
季節に合わせて花を咲かせ、雨に打たれて、風に吹かれて、それが自然の摂理であるかのように散ってゆく。
永遠はない、ただ僕は自然に生きていたかった。
そんなことを思いながら、ゆっくりと桜並木を歩いていると、急に風に吹かれた。
風が思ったよりも強く、桜の花びらが巻き上がる。
そして、風が止み、頭の上からひらひらと花びらが舞い降りてくる。
そんな情景につい僕は意識を奪われていた。
意識をぼーっと漂わせていると、目の前に一枚の花びらが左右に大きく揺れながら、落ちてくる。
出遅れたのだろうか、周りの花びらはすっかり地面に落ちてしまったというのに、その花びらは宙に浮くかの如く、僕の目の前を漂っている。
そんな花びらに僕は触れてみたいと思った。
手を伸ばして、その花びらを受け止めようとする。
そうすると、花びらはまるで意思を持っているかのように、すっぽりと僕の手のひらの上に収まった。
小さな花びらが肌に触れる感覚は、ほとんどない。
でも、僕はその時、確かに感じた。
身に覚えがないはずなのに、確かに僕の中にあったもの。
心をキュッと締め付けるような、あの感覚。
そして、違和感の正体。
「失った記憶だ」
花びらが、そっと風に流されて手を離れた。
僕は、ハッとなって、必死に花びらを追いかける。
なぜ、僕がこんなに必死なのかはわからない。
傍目から見たら、これこそおかしいやつだ。
でも、僕は確信していた。きっとそこに僕の求めるものがある気がした。
だから、僕はただ花びらに導かれるがままに走った。
どんどん、花びらは河川敷を離れて、住宅地も離れていく。
そして、花びらは役目を終えたかのように地面に落ちた。
そこは、テープが貼られた空き地だった。
周りにも家は建っているが、そこだけポツンと開けていて、人の気配が全くない。
まるで、空白がそこにあるようだった。
そして、その空白を埋めるように、花びらの主が立っていた。
「こんなところにも桜があったんだ」
一本だけ、確かにそこに立っている。
僕は誘い込まれるように、その空き地に足を踏み入れる。
ザクザクと荒い地面を踏み締める度に、心臓の鼓動もそれに合わせて動く。
そして、僕は桜の木にそっと手を当てた。
僕の頭にその花が持つ感情と記憶が流れてくる。
どれも身に覚えのない感情と記憶ばかり。
でも、一つだけ脳裏に焼きつくものがあった。
黒髪の女の子が僕に微笑んでいる。
そして、そんな彼女の様子に僕は悲しさを感じている。
消えてほしくない。
手を伸ばしても届かない。
非力な僕では何もできない。
なぜだ。
こんな記憶も感情も知らない。
でも、心地よいくらいに、その微笑みは僕の心の空白を埋めてくれる。
僕の違和感に揺らぎが生じた瞬間だった。
夕日は段々遠のいていく。
一日の終わりがやってくる。
それと同時に、今年も春が終わろうとしていた。
また来年も春がやってくる。そして、その春はどの春とも違う。
今年も同じように春を数えるつもりだった。
記憶がなくなったあの頃から、僕は春を数えているのだから。
でも、今年は真っ白だった僕の心が少し色付いている。
それは、僕にとっての変化が始まった春の訪れだった。
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