春を数える

桔梗透

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また、春がやってきた。
僕の生活は、いつもと変わらない。朝起きて、花に水をやり、大学に行き、ご飯を食べ、そして帰って寝る。
その繰り返し。

変化がないことは気楽だった。ただ、積み重ねるだけの単純作業。途中から、何も考えなくてもできるようになってゆく。

これが幸せというやつなのかもしれない。だって、どんなときだって、人の心の中には永遠を望む影が潜んでいるから。

急になくなることもない。
変わってしまうこともない。
奪われることもない。
減ることもない。

永遠という虚構にどっぷり浸かって、僕たちはつい安心してしまう。
だから、考えるのをやめてしまうのだろう。

僕はつい、自分がその状態に落ち入りそうになっていたことに気づき、恐ろしさを感じる。
自分に鞭を打つように、体を動かし、服を着替えた。

ベランダに出て、植木鉢に水をやる。
今日も僕の植木鉢には、いつも通り、橘の花が咲いていた。

「追憶」

僕はそう呟き、意識を記憶に照らし合わせる。
これは僕が、僕であるための儀式のようなものだ。

橘の花を見るたびに、日常に犯され、考えるのをやめていた僕に気がつく。

「黒髪の女の子が僕に微笑んでいる」

去年の春、あの空き地で巡り合った記憶。それが、僕の記憶であるという保証はどこにも無いはずなのに、僕の頭にすっぽり収まってしまったかのように、僕の頭から離れることがない。

過去に意識を向ける度、名前も顔も知らない彼女の微笑みが思い浮かぶ。

「君は誰なんだ」

僕はそれが知りたくて仕方がなかった。
失った記憶に繋がる唯一の道。
この記憶を辿っていくことが僕の違和感を晴らすことに繋がると、確信していた。

でも、一年経っても、彼女の微笑みの記憶以外、何も思い出せなかった。

「やっぱり、あの場所にいかないと」

僕は、そう言って家を後にした。向かうのはもちろん、あの空き地に咲く、一本の桜の木だ。

あの時は、花びらに導かれた。今日、僕はその時と同じ道を辿っている。
道が合っているか、周りを注意深く観察しながら、ゆっくりと進む。
知らない土地。
ずらっと並ぶ一軒家。
ポツンと錆びたブランコだけが取り残された公園。

風景をひとつひとつ確かめていくたびに、なんだか懐かしいような気分にさらされる。
目的の場所に近づくたび、その気持ちは強くなって、まるでずっと昔に、ここに来たことがあるような気までしてくる。

どこでもよく見る風景なのに、何故こんなにも愛おしいのだろう。

僕はまた歩みを進める。

そして交差点を曲がった時、学生服を着た男女二人とすれ違う。
帰り道だろうか。
男子は自転車を押しながら女子の横を歩いている。

つい、僕は彼らを目で追ってしまった。
それは一瞬見えた彼らの笑みがあまりにも自然だったから。

まるで、彼らは僕らとは違う世界を生きているようだった。
ころころと表情を変える彼女。それを見て幼い子のように笑う彼。

「こんな世界にも、まだこんな小さな幸せが隠れている」
そう思うと、僕はなんだか救われた気がした。

「本当の幸せ」

僕はそれが何か分からない。それが僕の違和感なような気もするし、違う気もする。

でも、ただ彼らには本当の幸せがあると感じた。
根拠なんてなくていい。
だって、そこに違和感はなかったから。

通りすぎる彼らを横目にただ僕は願う。

「その幸せが永遠でありますように」

この世界は違和感で溢れている。だからこそ、僕はそうやって祈ることしかできなかった。

その後、少し時間が経って、僕はあの空き地に着いた。
今年も桜がポツンと立っている。

僕は、周りに誰もいない事を確認すると、空き地に踏み入り、桜の傍に立つ。
そして、桜の木に触れる。

触れた瞬間、また彼女の微笑みが頭の中で再生された。
今回は、前よりも鮮明に。

知らない天井に、カーテンの下から差し込む白い光。
横になっている僕と、上から覗き込み、優しく微笑む彼女の顔。
そんな彼女の口がゆっくり動く。
僕はその口の動きに合わせて、口ずさむ。

「わ・す・れ・な・い・で」

ただ真っすぐ、僕の心に染みわたる透き通った声。
聞いたことないのに、とっても心地よい声。
その声に心を動かされてしまう。

「結局、彼女は誰なんだ」

僕と関係がある人には違いない。友達なのか、恋人なのか。
ずっと僕は、独りだったから思い当たる人物がいない。

結局そこに数時間立っていても、それ以上のことは思い出せなかった。
結局、彼女につながる手掛りの一つも得られない。

自分の非力さと、どうしようもないこの状況に、僕は立ち尽くすしかなかった。

「忘れないで」

その言葉が、記憶をなくしている僕への訴えのように反芻された。
頭の中で繰り返される彼女の声。
繰り返される度、頭に強く響く。
それに反響するように、胸の奥で、何かが蠢く音がした。

「どうしたらいいんだよ」

僕が僕じゃないみたいだ。

記憶にない過去の僕がどんなやつで、どんな生活をしていたのかは知らない。
側から見れば、その時の僕も、今の僕も、どちらも同じ僕なのかもしれないけれど、そうは思えない。

だって、僕はその時の僕を知らないんだから。

思い出せれば、どれほど幸せなのだろう。
多分、それは僕の願う本当の幸せだと思う。

でも、思い出せない。思い出せるわけが無い。
だって、失ったものが何かもわかっていないのに、僕は探し物をしているんだ。そんなの見つかるわけが無い。

今の僕は何者なんだ。
彼女の微笑みも植木鉢の橘も、僕を過去に繋ぎ止めようとする。
まるで、今の僕が不正解みたいじゃないか。

ずっと世界がおかしいのだと思ってきた。
幸せで全てを満たそうとする世界が間違っていると思ってきた。

でも、それと同時に、ずっと過去に囚われて、違和感なんて形のないものに固執している僕もおかしいと思う時があった。
失った何かがあるなら、別の幸せで埋めればいい。この世界にはその手段があるのだから。

でも、それもできなかった。それに縋ってしまってしまえば、違和感を感じて生きていた今の僕の全てが間違いになってしまう。

胸の奥から言葉が次々と溢れ出す。
自分でもびっくりするほどに、制御が効かなかった。

曖昧だ。

過去も思い出せないし、今の自分もはっきりと分からない。
幸せにもなりきれないし、絶望は感じさせてもらえない。

割り切れなさ。もしかしたら、それが僕の違和感の正体なのかもしれない。
そんなことまで浮かんでくると、何が僕の違和感なのかも分からなくなってくる。

僕は疲れきって、木陰に座り込んだ。

「誰でもいい、なんでもいいから、正解を教えてくれ」
それは僕の心からの本音だったと思う。何かに導かれるまま、生きていけるなら、それでもいいと思ってしまった。全てを諦めてしまえば、きっと楽だと思った。

その時、また強く風が吹いた。まるで、僕の想いに応えたように。
桜の花びらが目の前一面に広がって、視界を遮る。
思わず、手で顔を覆った。
指の隙間からかろうじて目の前の景色が見える。

前を横切る歩道に誰か立っている。
誰かの存在に気付いた僕は、目を凝らす。

細い手足、見慣れた学生服、少し短めのスカート
そして、長い黒髪

ハッとなって、立ち上がった。
視界が広がり、世界を映し出す。

「私を覚えてる?」

そう言って微笑む顔が、記憶と重なる。
まさに僕が失っていた記憶の中の彼女が目の前にいる。

まるで夢を見ているようだった。
自分の想いに呼応するように現れた彼女は、記憶と何1つ変わらない姿でそこにいた。

「どうして、君はここにいるんだ」
今まで以上に、僕は違和感を抱えている。
現れるはずのない彼女。
記憶と重なったはずの、微笑みが何故か少し歪んだ気がした。

彼女はそんな僕の方へ歩みを進めた。
一歩、また一歩と彼女が距離を詰める度に、僕の心臓の鼓動が早くなる。
つい、後ずさりした僕の背中が桜の木にぶつかる。

彼女は、そんな僕に近寄り、手が触れれる位の場所まで来ると、ゆっくりとその口を開いた。

「それが貴方との約束だから」

「約束…?」

彼女との記憶が無いのだから、もちろん知らない。
僕は恐る恐る問い返した。

「貴方と私で『幸せ』になろうっていう約束」

彼女はそう答えると、僕の反応を確かめるようにじっと僕の目を見つめた。

沈黙が流れる。僕はその視線が耐えられず、道路の脇に視線を逸らした。

「そっか、貴方は覚えていないんだ…」
そう言って俯く彼女、その顔に悲しみの色は見えない。
彼女は少し間を置いて、僕にまた微笑んだ。そして、言葉を繋げる。

「なら、私が貴方に教える。私が見てきた貴方を」

彼女の微笑みが記憶の中で再生される。
全く同じ姿、形をした彼女。
僕の求める過去がそこにある…はずなのに、僕は違和感を覚えている。

分からないという恐怖がさらに僕の違和感を加速させているようで、僕はその後、何も言うことが出来なかった。
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