春を数える

桔梗透

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「もう4月かぁ」
そう呟いた僕の視線の先には、今日の日付を示した目覚まし時計がある。

xxxx年4月1日

春休みという学生にとっての夢の時間が終わりを告げる日。
僕は重い体を起こして、朝の身支度を始める。

今日からまたいつも通りの日々が始まるのだ。
服を着替え、朝食を済ませると、珈琲を飲む。
その過程に何も僕は感じない。これがルーティンなのだから。

ベランダに干しっぱなしだった洗濯物を取り入れる為にベランダに出る。
一瞬、機械を通した人の声が遠くで聞こえて、辺りを見渡したが、目の前に広がったのは、家とビルが並ぶだけの殺風景。気に止める必要も無い、いつも通りの風景だ。

さっさと洗濯物を抱えて、部屋に入ろうとすると、足に何かが当たって音を立てた。

「なんだこれ」

足元を見ると、錆びたジョウロが倒れている。
何のために置いてあったのかも分からない。
とりあえず邪魔だったから、持って中に入った。

ちょうどゴミ出しの日だったし、ラッキーだ。
そう思って、玄関先に置くと、タイミング良くインターフォンが鳴る。

僕は思わず、笑みを浮かべ、そのまま扉の方へ行き、扉を開けた。
僕を尋ねてくる人物なんて、一人しかいない。

「おはよ」

扉を開けると、白いワンピースに身を包んだ彼女がいる。彼女は、僕の姿を見ると、にかっと微笑み、「おはよ」と言うと、同時に僕の手を握りしめた。

彼女の手の温もりが直に伝わる。

「急に握られたらびっくりするじゃん」
少しからかうように言うと、彼女はこう返す。

「いいじゃん、『幸せ』なんだもん」

『幸せ』

その言葉に引き出されるように、1年前、彼女と出会った時のことを思い出す。

彼女と出会ってからというもの、僕の世界は一変した。
なんと言っても1番の変化は、今の僕の居場所を見つけたことにあると思う。

この一年間、僕の生活は幸せに包まれていた。

あの時、学生服を着ていた彼女の名前は、「咲良」。
咲良は、僕が中学の時から付き合っている恋人だった。

もちろん、僕はそれをすぐには信じられなかった。

何故、そんなに都合よく彼女が現れたのか?
何故、記憶の中の彼女と瓜二つの姿で現れたのか?
彼女と言うなら、何故これまで現れなかったのか?

それは違和感を通り越して、少し不気味な気もした。

咲良はそんな僕の問いに答える。
彼女は、 桜があったあの空き地に住んでいた僕の同い年で、両親の仕事の都合で、海外に行くことになり、家族で引越し、数年間、海外で暮らしていたらしい。

海外への引越しの時、彼女は僕に別れを切り出し、一切の連絡を絶った。
ちょうど、僕が記憶を無くす直前のことだ。
何年も離れ離れになることを考えて、彼女はそう決断したらしい。

でも、彼女はそれと同時に約束を残した。

「それでも、もし貴方が私と『幸せ』になりたいと思ってくれるなら、xxxx年の4月1日に、この場所で再会しよ」

そして、去年、彼女は大学を卒業し、就職のために戻ってきた。
だから、僕たちは再会したというわけだ。

出来すぎていると思った。

記憶の中の彼女に居なくなって欲しくないと思う気持ち。
何故、僕が春という季節に気持ちを動かされるのか。
僕の記憶喪失の時に彼女がいなかったのか。

それらを一応説明できるものではあった。
でも、あまりにも綺麗すぎると思った。記憶を無くしている僕からしたら、それは過去の僕が体験したことであり、今の僕にとっては実感のない他者の出来事なのだから、当然なのかもしれない。

ただ、その反面、彼女が僕の恋人という事実だけは、しっくりくるものがあった。
彼女が微笑む度、桜が見せた彼女の記憶と重なる。
そして、僕はどうしようもないくらい満たされたような気持ちになるのだ。

これが好きになるのかはわからない。でも、そうとしか表現できない体験だった。

だから、彼女の言葉に身を委ねたい自分もいたし、違和感を無視できない自分もいた。

もどかしさが僕の心を揺さぶる。

結局、今の僕はどうしたいのか。

ずっと過去に囚われているのは嫌だったし、早く違和感から開放されたかった。でも、過去に縋らないと今の僕は存在してられない気がした。

多分、1番不自然なのは僕なのだろう。結局、過去も今も受け入れられない。変わらないといけないのはわかっているのに、変わろうとしない。
きっと僕は道に迷っている。同じような道を何度も何度も繰り返し歩いている。そして、自ら進むべき道も決められない。だから、僕は変われない。


「なら、貴方が答えを見つけれるまで、私が傍にいてあげる。」
その場で立ち尽くすしか無かった僕に、咲良はそう呟いた。

あぁ、その時だ。

初めて、僕が受け入れられた気がした。
何者にもなれない今の僕を、曖昧な僕自身を、彼女は否定しなかった。
そっと包み込むように、彼女は僕に言葉をかけた。

僕はただ深く頷いた。
違和感が消えたわけじゃない。
でも、それが包み隠されてしまうほどに心が満たされていた。
彼女となら、僕は本当の幸せを見つけられると思ってしまった。
僕はもう既に彼女に対する違和感を受け入れてしまっていたのかもしれない。

その日から、僕と彼女の生活が始まった。
僕たちは思い出の場所を巡り始める。

ある日は、僕たちの通っていた学校に忍び込んで、教室で半日過ごした。
彼女は出会った時と同じように、学生服を着ていた。
彼女いわく、これはコスプレのようなものらしい。

「これの方が、貴方もきっとあの頃を思い出せると思うから」
咲良はそう言いながら、ノリノリで僕にも市販の学生服を着させようとする。
僕は抵抗を示しながらも、彼女の押しに負けて、結局着ることになる。

鏡に映る学生服の自分。記憶をなくした頃に見た卒業アルバムの自分と重ねる。シュッとした顔立ち、少し角張った肩、あの頃とは別人の僕がいる。もう、あの頃の僕はいないのかもしれない。

彼女は僕の手を引いて、学校を案内する。担任の先生が可愛くて人気だった話、国語の授業はいつもつまらなくて寝ていた話、部活動のサッカーで優勝した話。

僕のようで僕じゃない誰かの話…。
でも、彼女が言葉を重ねる度、過去の自分は本当にそうだったように思えてくる。

学校の屋上に連れてきて、彼女は少し俯いて、顔を隠し言う。

「ここで貴方が私に告白したの」

「…」

何も言えなかった。たしかに身体は覚えている。
彼女の言葉に嘘がないことはわかる。
でも、何故か記憶には靄がかかっているようで、完全には実感が持てない。
まるで夢のようで、過去の僕と今の僕では住んでいる世界が違うような気がした。

黙る僕をみた彼女は、また微笑んだ。
その笑みに、また僕の心は揺れ動かされる。

「そう言われても、困惑しちゃうよね。」
彼女は気まずそうに、少し考えた後、言葉を続けた。

「なら、私ともう一度デートしよっか。過去じゃなくて、今の貴方と最初からデートして、貴方だけの答えを見つけたらいいの。」

何故そんなに自然に言葉が出てくるのだろう。彼女の言葉はこれまでの僕を疑ってしまうくらいに、すっと中に入り込んでくる。違和感まで通り抜けて、僕に直接響く。

不思議だった。周りの人間の言葉はずっと信じられなかった。管理された幸せの上にべっとり張り付いた言葉。その言葉がしっくりくるように、彼らの言葉には生きた感情を感じられない。でも、彼女の言葉には確かな感情の重みを感じる。力を持った言葉のひとつひとつが僕を揺さぶってくる。

僕たちはデートした。
カラオケ、水族館、動物園、遊園地、映画館……定番所はもちろん回った。

旅行もした。
学生の頃は出来なかった泊まりでの旅行。
沢山歩いて、疲れて、そしてホテルで2人過ごした。 

僕の中でぽっかりと空いていた穴が彼女との思い出で埋まっていく。
僕は幸せだった。時間も忘れて、ずっと彼女といたいと思えた。
彼女と一緒にいることが僕の本当の幸せなんだと確信した。

大学へ行こうとしていた僕を迎えに来た彼女が僕に言う。

「貴方の答えは見つかった?」

その言葉に僕は言う。

「うん、もちろん。今日、あの場所で待ち合わせよう。」
彼女は満足げに頷き、僕を見送ってくれる。

ずっと過去に囚われていた。もう、過去なんていらない。
違和感はもう僕には関係ない。
だって、今の僕には幸せがあるから。

憂鬱な大学への道のりも、今日だけは身体が軽く感じた。
周りの会話も左から右へ流れていく。
彼らの笑顔も、今日はなんだか僕を後押ししてくれているようだった。

今日、僕は告白する
彼女と再開したあの場所で
彼女との約束を果たすために…

そんな想いを胸に僕は大学へと足を運んだ。
行きの河川敷には、満開の桜が僕を出迎えてくれる。
僕にとっての新しい春が始まった瞬間だったと思う。
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