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【おまけの話】
3 レネと王様とマーマレードたち
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それから三日後のこと。
外からメイド達のかしましい笑い声が聞こえて来るので、レネは思わず公務の手を止めて、三階の執務室の窓から中庭を見下ろした。
夏の昼間の鋭い光りを避けるように、木陰に四、五人の少女が固まって、何か話しをしている。
中心にいるのはカミルだ。
今日は非番なのだろう。夏らしいノースリーブのギンガムチェック・ワンピースを着ていた。いつもは垂らしている髪の毛を、黒いリボンでポニーテールにまとめている。白いうなじが涼しげだ。
おおかた母親か同僚に仕事の話でもあったのだろう。それかファナの様子でも見に来たか。
休日にご苦労なことだと、心の中で呟いてレネは仕事に戻ろうと――……、
「――――ほう」
その背中に、ぼそりと低い声が掛かった。
「ぅわあぁ!?」
驚いて、レネは跳び上がって振り返った。
本気で口から心臓が飛び出るかと思った。
背後に立っていたのは、濃紺の髪に金の目をした、二十代半ば程の青年。
すらりとした長身で、小柄なレネより頭一つ分は大きい。
髪も目の色も違うのに、全体の雰囲気がどことなくヴォルフに似ている。
「これはこれは……興味深いな」
それに声も。
「おま……っ! 気配を殺して後ろに立つなっ!」
未だ早鐘のように打つ胸を押さえて、レネは大きく息をついた。
それから唇の端を上げて笑うと、相手の肩を拳で軽く突く。
「いつ帰ってきたんだ、ジーク」
『ジークフリート・ヴィリー・クロネリアス・ティーヴァル』――ヴォルフの兄にして獣人の国の現国王である。
四日前から北の山間の村々へ、視察に行っていた。
帰りは今日の夜だと聞いていたのだが。
「ついさっきだ。何一つ問題がなかったから、予定が繰り上がった」
金の目を細めて、わずかに笑う。
「今年は麦が豊作だ。私の可愛い弟の婚約者の国へ少し送っても十分に余りあるだろう」
「あー……、」
ネモフィラ公国が日照りに悩まされている話は、レネも聞いていた。
だが――……、
(あのお姫さまが、麦なんか送って喜ぶかねぇ)
三ヶ月前に見たカロリーナの姿が頭に浮かぶ。
「……まあ、それはヴォルフとファナティアスに相談してからだな」
とりあえず問題を先送りするレネ。
ジークは一つ頷くと、意味ありげな視線を窓の外に送った。
「昔、私が『生涯妻を娶るつもりはない』と言った時のことを覚えているか」
「えぇ……?」
二年前に崩御した前王は、暗君として有名だった。
先々代――ヴォルフの祖父の代から仕えていたレネは、前王のあまりの愚かさに一度城を出て行ったことがある。
我慢の限界を超え、もう宮仕えを辞めて隠居し森の中にでも引きこもろうと思ったのだ。
それを追いかけてきたのがジークだった。
彼は言った。
「私はお前が誇れる王になる。だから、私に仕えろ」
と。
それでレネは今ここにいる。
国でもなく民でもなく、ただジークに仕えるために。
それが確か、彼が十三の誕生日を迎える少し前の事で。
直後の元服の儀の時に、先ほどのあの『結婚しない』宣言を集まった記者達の前でしたのだ。
当時はかなりバッシングもあった。
だが、レネにはその気持ちが理解できた。
彼の父王は、女性関係でも問題を抱えていた人だったから。
息子としてそれを間近で見ていて、色々と思うところがあったのだろう。
……まあ、馬鹿正直に新聞に載るように言わなくてもいいのにな、とは思ったが。
「あー……、ゴシップ紙にお前とデキてるって書かれたこと、一生忘れねーわ」
「そっちじゃない。」
レネの言葉に王様は憮然とした表情をなさった。
「お前は私に言ったんだ。
『このまま大人になるのか。それともお前の価値観を全部ひっくり返す様な運命のつがいが現れるのか。どっちにしても見物だ』とな」
ジークがニヤリと笑う。
窓の外に視線を送って。
「その言葉、そっくりそのまま返すぞ」
「んー……」
レネは肯定も否定もせず、ぽりぽりと頬を掻いて少し笑った。
険のない柔らかな表情だった。
「俺の好きな絵、知ってるよね?」
「『私の幸福な貴婦人』だろう」
突然の質問に、ジークはちらりとレネを見た。
その油彩画は、黒髪に黒いドレス黒いベールの妙齢の女性が、腕を組み微笑んでいる上半身の肖像画だ。
およそ四百年ほど前の宮廷画家が描いたといわれているが、詳細は分かっていない。謎多き一枚である。
「そうそれ。彼女、その絵に似てるなって。最近思って画集を引っ張り出して見てみたんだけれど――……、」
レネはひょいと肩をすくめた。
「これがぜーんぜん似てないの。それどころかあんなに魅力的だと思ってたその絵が、急に色あせて見えるし」
腕を組んで「困ったもんだ」と笑うレネは、全然困っていなさそうだった。
「彼女の方がずっと生き生きしてるし、輝いてるし、」
――美しいし、という言葉はさすがに飲み込んだ。
ジークには、言わなくてももう十二分に伝わっただろう。
案の定王様は少し呆れた様な顔をして、
「そりゃあ当然、四百年前の絵よりは生き生きしているだろう……」
「そうか。そうだよねぇ」
レネは実に楽しそうにくつくつ笑ってから、窓の外を見た。
「知ってた? マーマレードって、同じに見えても本当は全部違うんだってさ」
ジークもレネの視線の先を辿る。
中庭の木の下で、同じような年頃、同じような恰好の少女達が談笑していた。
中央のカミル一人だけがワンピースの私服姿だ。
「彼女らの違いなら、私にもすぐに区別が付きそうだが」
「本当に?」
聞き返す友の目を、王様は伺うように見詰めた。
「レネ、彼女はファナティアスと同じ年頃だな」
「そうだねぇ」
「ファナティアスは、私の弟と婚約した」
つまりは、彼女にも縁談の一つや二つ、来てもおかしくはないと。
ジークの言いたいことを覚って、レネは眉根を寄せて黙り込んだ。
「それにもう一つ。
彼女はファナティアスに心酔しているそうじゃないか」
金色の目が、いたずらっぽく輝く。
「ずいぶんと強力なライバルだな」
ニヤリと笑ってそう言って、王様は背中越しにひらひらと手を振ると、部屋を出て行った。
後に残されたレネは、よろりと机に手を付くと、
「あ゛ー……」
言葉にならない声で呻いた。
外からメイド達のかしましい笑い声が聞こえて来るので、レネは思わず公務の手を止めて、三階の執務室の窓から中庭を見下ろした。
夏の昼間の鋭い光りを避けるように、木陰に四、五人の少女が固まって、何か話しをしている。
中心にいるのはカミルだ。
今日は非番なのだろう。夏らしいノースリーブのギンガムチェック・ワンピースを着ていた。いつもは垂らしている髪の毛を、黒いリボンでポニーテールにまとめている。白いうなじが涼しげだ。
おおかた母親か同僚に仕事の話でもあったのだろう。それかファナの様子でも見に来たか。
休日にご苦労なことだと、心の中で呟いてレネは仕事に戻ろうと――……、
「――――ほう」
その背中に、ぼそりと低い声が掛かった。
「ぅわあぁ!?」
驚いて、レネは跳び上がって振り返った。
本気で口から心臓が飛び出るかと思った。
背後に立っていたのは、濃紺の髪に金の目をした、二十代半ば程の青年。
すらりとした長身で、小柄なレネより頭一つ分は大きい。
髪も目の色も違うのに、全体の雰囲気がどことなくヴォルフに似ている。
「これはこれは……興味深いな」
それに声も。
「おま……っ! 気配を殺して後ろに立つなっ!」
未だ早鐘のように打つ胸を押さえて、レネは大きく息をついた。
それから唇の端を上げて笑うと、相手の肩を拳で軽く突く。
「いつ帰ってきたんだ、ジーク」
『ジークフリート・ヴィリー・クロネリアス・ティーヴァル』――ヴォルフの兄にして獣人の国の現国王である。
四日前から北の山間の村々へ、視察に行っていた。
帰りは今日の夜だと聞いていたのだが。
「ついさっきだ。何一つ問題がなかったから、予定が繰り上がった」
金の目を細めて、わずかに笑う。
「今年は麦が豊作だ。私の可愛い弟の婚約者の国へ少し送っても十分に余りあるだろう」
「あー……、」
ネモフィラ公国が日照りに悩まされている話は、レネも聞いていた。
だが――……、
(あのお姫さまが、麦なんか送って喜ぶかねぇ)
三ヶ月前に見たカロリーナの姿が頭に浮かぶ。
「……まあ、それはヴォルフとファナティアスに相談してからだな」
とりあえず問題を先送りするレネ。
ジークは一つ頷くと、意味ありげな視線を窓の外に送った。
「昔、私が『生涯妻を娶るつもりはない』と言った時のことを覚えているか」
「えぇ……?」
二年前に崩御した前王は、暗君として有名だった。
先々代――ヴォルフの祖父の代から仕えていたレネは、前王のあまりの愚かさに一度城を出て行ったことがある。
我慢の限界を超え、もう宮仕えを辞めて隠居し森の中にでも引きこもろうと思ったのだ。
それを追いかけてきたのがジークだった。
彼は言った。
「私はお前が誇れる王になる。だから、私に仕えろ」
と。
それでレネは今ここにいる。
国でもなく民でもなく、ただジークに仕えるために。
それが確か、彼が十三の誕生日を迎える少し前の事で。
直後の元服の儀の時に、先ほどのあの『結婚しない』宣言を集まった記者達の前でしたのだ。
当時はかなりバッシングもあった。
だが、レネにはその気持ちが理解できた。
彼の父王は、女性関係でも問題を抱えていた人だったから。
息子としてそれを間近で見ていて、色々と思うところがあったのだろう。
……まあ、馬鹿正直に新聞に載るように言わなくてもいいのにな、とは思ったが。
「あー……、ゴシップ紙にお前とデキてるって書かれたこと、一生忘れねーわ」
「そっちじゃない。」
レネの言葉に王様は憮然とした表情をなさった。
「お前は私に言ったんだ。
『このまま大人になるのか。それともお前の価値観を全部ひっくり返す様な運命のつがいが現れるのか。どっちにしても見物だ』とな」
ジークがニヤリと笑う。
窓の外に視線を送って。
「その言葉、そっくりそのまま返すぞ」
「んー……」
レネは肯定も否定もせず、ぽりぽりと頬を掻いて少し笑った。
険のない柔らかな表情だった。
「俺の好きな絵、知ってるよね?」
「『私の幸福な貴婦人』だろう」
突然の質問に、ジークはちらりとレネを見た。
その油彩画は、黒髪に黒いドレス黒いベールの妙齢の女性が、腕を組み微笑んでいる上半身の肖像画だ。
およそ四百年ほど前の宮廷画家が描いたといわれているが、詳細は分かっていない。謎多き一枚である。
「そうそれ。彼女、その絵に似てるなって。最近思って画集を引っ張り出して見てみたんだけれど――……、」
レネはひょいと肩をすくめた。
「これがぜーんぜん似てないの。それどころかあんなに魅力的だと思ってたその絵が、急に色あせて見えるし」
腕を組んで「困ったもんだ」と笑うレネは、全然困っていなさそうだった。
「彼女の方がずっと生き生きしてるし、輝いてるし、」
――美しいし、という言葉はさすがに飲み込んだ。
ジークには、言わなくてももう十二分に伝わっただろう。
案の定王様は少し呆れた様な顔をして、
「そりゃあ当然、四百年前の絵よりは生き生きしているだろう……」
「そうか。そうだよねぇ」
レネは実に楽しそうにくつくつ笑ってから、窓の外を見た。
「知ってた? マーマレードって、同じに見えても本当は全部違うんだってさ」
ジークもレネの視線の先を辿る。
中庭の木の下で、同じような年頃、同じような恰好の少女達が談笑していた。
中央のカミル一人だけがワンピースの私服姿だ。
「彼女らの違いなら、私にもすぐに区別が付きそうだが」
「本当に?」
聞き返す友の目を、王様は伺うように見詰めた。
「レネ、彼女はファナティアスと同じ年頃だな」
「そうだねぇ」
「ファナティアスは、私の弟と婚約した」
つまりは、彼女にも縁談の一つや二つ、来てもおかしくはないと。
ジークの言いたいことを覚って、レネは眉根を寄せて黙り込んだ。
「それにもう一つ。
彼女はファナティアスに心酔しているそうじゃないか」
金色の目が、いたずらっぽく輝く。
「ずいぶんと強力なライバルだな」
ニヤリと笑ってそう言って、王様は背中越しにひらひらと手を振ると、部屋を出て行った。
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言葉にならない声で呻いた。
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