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眠り姫の家

その7

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 先生に付いてやって来たのは、商店街の南の突き当たり――――音津ねづ神社でした。

 最初の石造りの鳥居をくぐり、神社にしては比較的短い石段を上り、更に二番目の鳥居をくぐります。

 すると狛犬の代わりに、向かい合う二匹のネズミの像が現れました。

 暗くて良く見えませんが、どうやら片方は巻物、もう片方は二胡の様な物を持っているようです。

 先生はその奥にある拝殿を右手に折れて素通りし、私宅へと向かいました。

 本殿の奥、塀の向こうに有るのは、ごくごく普通の二階建てのおウチです。

 ピンポ~ン!

 先生がチャイムを鳴らせば、しばしの間の後、

「……はーい!」

 ガラガラと玄関の引き戸を開けて、神社のおばさんが出てきました。
 
 小柄でいつも笑っているような顔をしたこのおばさんが、ハンニンだというのでしょうか?

 しかし先生は、

「あらユタカちゃん」

 顔のシワを笑みの形に深めるおばさんに、

「すみませんおばさん。アキラいますか?」

 無表情のまま言いました。

 アキラ……さん?

「はいはい居ますよ。
 アキラーっ! ユタカちゃんよーっ!
 さ、ユタカちゃん。上がって上がって――……」
「――待て! 待て待て待て!
 上がるんじゃねえぇっ!」

 おばさんの言葉が終わらぬうちに、

 ドタドタドタドタ!!

 物凄い勢いで二階の階段を降りて来る人がいます。
 髪を金髪に染めた大学生くらいのお兄さんです。

 ――――しかしそれよりもその後から来るものに、

『うわっ!? うわああぁっ!?』

 僕とシグレさんは声を揃え、体をのけ反らせて叫びました。

「何ですかアレ!
 何なんですかアレ!?」

 二足歩行のでっかいグレーの、ネズミですっ!!

 背丈は僕と同じくらいあります。

 着物を着て烏帽子を被り、左腰には巻物を差し、背中には二胡を背負っています。

「何なんだっ!?」
「何なんですかーっ!?」

 パニクる僕らを、おばさんと降りてきたアキラさんはぽかんと見つめています。

 どうやら二人には見えていないようです。

「落ち着け」

 小さい声で先生が言いました。
 真顔です。

「――あれは音津さんだ。
 近所に住む、ただの毛深いおじさんだ」

『嘘だあーっ!!』

 再びハモる僕とシグレさんの声。

 しかし先生はそれ以上説明する気はないようで、アキラさんに睨むような視線を向けました。

 それを受けて金髪アキラさん、無理矢理引きつった笑顔をおばさんに向けると、

「大丈夫だよ母さん。
 はっはっはっユタカちゃん・・・・・・ちょっと外で話そうか」

 先生が無言で頷いたので、僕らは神社の境内まで戻りました。

 ……やっぱりアキラさんの後ろを音津さんがついて来ます。

 歩幅が短いせいか小走りです。

 心配そうにオロオロと、先生とアキラさんを交互に見比べています。

 ……あ。転びました……。

 すっかり日の落ちた境内で、先生とアキラさん(と音津さん)は対峙しました。

「――で、何の用だよ?」
「うむ。ちょっとこれを届けようと思ってな」

 ツカツカと、先生は無造作にアキラさんに近くと――……、

 ボグっ!!

 ぐ、ぐ、

「グーで殴った!!」

 僕の心の声をシグレさんが代弁してくれました。

「――なななな、何するんだ、てめぇっ!!」

 殴られた左頬を庇いつつ、アキラさんが目を白黒させました。

 当然の反応です……。

 その後ろには、転んだせいでしょうか、それともアキラさんが殴られたからでしょうか、目にいっぱい涙を溜めた音津さん。

「――やかましい」

 低い低い声で先生が呟きました。

 殴ったはずみで乱れた髪の隙間から、鋭い瞳がギッとアキラさんを――その後ろの音津さんを捕らえました。

「お前の家のアホがやらかしてくれた。
 代わりに殴られておけ」
「な、何の話しだよ……!?」

 先生の迫力にアキラさんの勢いが弱くなります。

 先生は、ボロボロ涙を流している音津さんを、射殺すような視線で見詰めました。

「いいか。今回も――そしてこれからも、私の友人に何かあったら、
 私は お前を 許さない。
 決して、決してな……」

 噛んで含めるような彼女の言葉に、音津さんはしょぼんと耳を垂れさせました。

「行くぞ」

 一人と一匹に背を向ける先生を、僕らは慌てて追いかけました。

「――お、おい」

 石段を降り終えて、僕らはやっと先生に声をかける事が出来ました。

 シグレさんが様子を伺いつつ、先程の説明を求めます。

「さっきのでかいネズミが『犯人』なのか……?」
「そういう事だ」

 お店への道を進みながら、先生は前を見据えたまま頷きます。

「リセと母親の行動の共通項は、あの神社のアホネズミだ」

 ……アレって多分、神様か何かなんですよね?
 それを『アホネズミ』って、先生……。

「おそらく経緯はこうだ――……」

 商店街の入口。
 迷い無く進む先生の背中が、街灯のスポットライトを浴びて白く輝いています。

「リセの『学校へ行きたくない』という願いを聞いたアホネズミは、人の世のことわりも知らんのに、彼女を『迷ひ家』に招き入れた。
 リセが『混入』したことによって、彼女の理想、及びに馴染み深い姿へと『迷ひ家』は変化した」

 それがあの洋風な『迷ひ家』の正体ですね。

 商店街の店々は既にシャッターが降りています。

 代わりに街灯の下でぽつんと一台、屋台の飲み屋さんが開店の準備をしていました。

「リセの母親が言っていたな。
『5日前にリセの容態が急変した』と。
 そのままいけばおそらく彼女の肉体は機能を停止し、リセは永遠に『迷ひ家』に囚われるところだったのだろう」

 先生の予想に、僕は心臓を冷たい手でギュッと掴まれた思いでした。

「だが今度は彼女の母親が『リセを死なせないで』と願を掛けた。
 ここで矛盾が生じる。
 この矛盾を解消する為に――リセを生かしたまま『迷ひ家』を維持する為に、ネズミはあるモノを用意した――……」

 先生がスッ――……とこちらを、僕を指差しました。

「―――そう。
 君だよ、ヒカル君」
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