32 / 127
いてもいい①
しおりを挟む気の遠くなるような静寂。
深夜、妙に目が冴えて眠れず私は裏口から外へと出た。
少し離れた所に小さな噴水がありその手前にベンチが置いてある。
すっかり夏になったとはいえ夜は肌寒く上着を持ってきたらよかったなと思いながら、長時間いるわけでもないかとそのまま座って背もたれに背を預け頭上を見上げた。
三日月が夜空に浮かび上がり、星々が瞬く。
澄明な空気が頬を撫で、息をするたびに肺まで綺麗になっていくようで静かに呼吸を繰り返した。
今日の昼は伯爵領から出て初めて王都の街を散策をした。
今まで休みはあったのだけど、少しでも早く業務内容を覚えたくてこそこそ仕事をしていたら、そのことがばれてフェリクス様に怒られたのが昨日。
朝は騎士たちの食事の準備などもあるので気になると言ったら、昼からは絶対休むことを約束させられた。
最初は仕事が気になってそんな気分ではなかったけど、徐々に王都の街に行くことも楽しみにしていたことを思い出した。
せっかくなのだからと楽しもうと気持ちを切り替え、うきうきとした気持ちのまま出かけた。
「いまだに信じられない」
今、ここにこうしていることが。
ひとりになると余計にそう感じる。
憧れの地。ずっとこの日を夢みていたと、店構えだけでもオシャレで見ているだけで楽しかった。
そもそもそういったこととは無縁の生活だったので、やっと自由になれたのだと感動とともにようやく王都に来たのだと実感できた。
だけど、記憶に残る母と一緒に並んで買った当たりくじのあるアメを購入してその場で食べただけで終わった。
しかも、今回ははずれでそれ以上何かあるわけでもなく、他に何かを買うということもなく帰ってきた。
物も人も多くどれもこれも興味深い物ばかりだったけれど、見ているだけで思考がぐるぐるする。
目端が利くフェリクス様が必要だろうと用意してくれた可愛い服を着て、誰に監視されることもなく好きなようにしていい。一か月前までの自分では考えられないようなことだ。
ずっと伯爵家から出られたら何をしよう、何ができるかなと夢想していた。
だけど、いざそうなると具体的なものが浮かばない。
無事王都にたどり着き職を見つけることもできて自由なはずなのに、その自由に、身動きできる現実に、怖くなった。
そう怖くなったのだ。
ただ、私はあの場から逃げたかっただけ。いつもギリギリのなんかを感じそれが壊れる前に離れたかっただけ。
――劇的に何かが変わるわけじゃないのね。
部屋にしまっている石を思い出し、小さく息をついた。
王都で倒れていた時に持っていた石は、母の機転で伯爵たちに見つかることなく奪われることもなくここまで持って来ることができた。
王都に来たかった理由には、その石が何か導いてくれるかもと思ったのもあった。
母も最終的に何かあったら王都に行ってみなさいと言っていたのもあって、家を出るなら王都一択だった。
一度来たことのある王都なら何か見つかるかも、夢中とは言わなくても好きなものが増えたら人生が楽しいものになるのだろうかと思った。
けれど、王都にという目標を達成した後は何もない。そこから特別な欲求は生まれない。
感情を出さないように生きてきたから、どれだけ綺麗なものを見てもどこか他人事のようにそれらを見ている感覚があった。
疑いもなく日常ががらりと音もなく変わる経験は、どれだけ前を向こうと意気込んでいても根付いてしまって、楽しもうと思ってすぐ楽しめる性格にもなれず変われるものではないのだろう。
それを自分で分析してしまっていることが、なんだか虚しい。
もっと素直にいろいろ喜びたいのにすぐに思考してしまう自分に嫌気が差す。
「ふぅー。そう簡単にはいかないのね」
環境が変わったからといってすぐにコミュ力がつくわけではないように、生きていくだけで精一杯だった私に物欲がすぐに湧くわけでもなかった。
いつか奪われるかも、壊れるかもと思うと、楽しむ気持ちがしぼんでしまった。
いざ手に入れると手に入れた分だけ今の騎士たちによくしてもらっている安穏な生活が壊れてしまうのではないかと怖じ気づいた。
今、何か新しいものを手に入れることでそういったことが減るわけではないのに、褪せてしまうようなどうしようもない気持ちが支配して店に入ろうと踏み出していた一歩を地につけることなく引き返していた。
「なんで、こうなっちゃうのかな」
この前泣いたことだってそうだ。
私の気持ちなのに、喜ぶ気持ちがあるのに、尻込みするような感情が湧き出てくるのを止められない。
私が昼から王都の街に出ると知った騎士たちは楽しんでおいでと言ってくれたのに、心の底から楽しめなくてせっかくお出かけ用の衣装までを用意してもらったのにと思うと申し訳ない気持ちになる。
夜空に浮かぶ淡い光をぼんやりと眺めていると、頭上に影が差した。
263
あなたにおすすめの小説
実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~
空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」
氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。
「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」
ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。
成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。
せっかく転生したのにモブにすらなれない……はずが溺愛ルートなんて信じられません
嘉月
恋愛
隣国の貴族令嬢である主人公は交換留学生としてやってきた学園でイケメン達と恋に落ちていく。
人気の乙女ゲーム「秘密のエルドラド」のメイン攻略キャラは王立学園の生徒会長にして王弟、氷の殿下こと、クライブ・フォン・ガウンデール。
転生したのはそのゲームの世界なのに……私はモブですらないらしい。
せめて学園の生徒1くらいにはなりたかったけど、どうしようもないので地に足つけてしっかり生きていくつもりです。
少しだけ改題しました。ご迷惑をお掛けしますがよろしくお願いします。
酒飲み聖女は気だるげな騎士団長に秘密を握られています〜完璧じゃなくても愛してるって正気ですか!?〜
鳥花風星
恋愛
太陽の光に当たって透けるような銀髪、紫水晶のような美しい瞳、均整の取れた体つき、女性なら誰もが羨むような見た目でうっとりするほどの完璧な聖女。この国の聖女は、清楚で見た目も中身も美しく、誰もが羨む存在でなければいけない。聖女リリアは、ずっとみんなの理想の「聖女様」でいることに専念してきた。
そんな完璧な聖女であるリリアには誰にも知られてはいけない秘密があった。その秘密は完璧に隠し通され、絶対に誰にも知られないはずだった。だが、そんなある日、騎士団長のセルにその秘密を知られてしまう。
秘密がばれてしまったら、完璧な聖女としての立場が危うく、国民もがっかりさせてしまう。秘密をばらさないようにとセルに懇願するリリアだが、セルは秘密をばらされたくなければ婚約してほしいと言ってきた。
一途な騎士団長といつの間にか逃げられなくなっていた聖女のラブストーリー。
◇氷雨そら様主催「愛が重いヒーロー企画」参加作品です。
【書籍化決定】愛など初めからありませんが。
ましろ
恋愛
お金で売られるように嫁がされた。
お相手はバツイチ子持ちの伯爵32歳。
「君は子供の面倒だけ見てくれればいい」
「要するに貴方様は幸せ家族の演技をしろと仰るのですよね?ですが、子供達にその様な演技力はありますでしょうか?」
「……何を言っている?」
仕事一筋の鈍感不器用夫に嫁いだミッシェルの未来はいかに?
✻基本ゆるふわ設定。箸休め程度に楽しんでいただけると幸いです。
聖女の力は「美味しいご飯」です!~追放されたお人好し令嬢、辺境でイケメン騎士団長ともふもふ達の胃袋掴み(物理)スローライフ始めます~
夏見ナイ
恋愛
侯爵令嬢リリアーナは、王太子に「地味で役立たず」と婚約破棄され、食糧難と魔物に脅かされる最果ての辺境へ追放される。しかし彼女には秘密があった。それは前世日本の記憶と、食べた者を癒し強化する【奇跡の料理】を作る力!
絶望的な状況でもお人好しなリリアーナは、得意の料理で人々を助け始める。温かいスープは病人を癒し、栄養満点のシチューは騎士を強くする。その噂は「氷の辺境伯」兼騎士団長アレクシスの耳にも届き…。
最初は警戒していた彼も、彼女の料理とひたむきな人柄に胃袋も心も掴まれ、不器用ながらも溺愛するように!? さらに、美味しい匂いに誘われたもふもふ聖獣たちも仲間入り!
追放令嬢が料理で辺境を豊かにし、冷徹騎士団長にもふもふ達にも愛され幸せを掴む、異世界クッキング&溺愛スローライフ! 王都への爽快ざまぁも?
辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました
腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。
しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。
そのご寵愛、理由が分かりません
秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。
幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに——
「君との婚約はなかったことに」
卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り!
え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー!
領地に帰ってスローライフしよう!
そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて——
「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」
……は???
お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!?
刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり——
気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。
でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……?
夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー!
理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。
※毎朝6時、夕方18時更新!
※他のサイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる