ドジで何もできない使用人は、完璧で美しい執事から溺愛される

すいかちゃん

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第六章

美しく完璧な執事は、月を見上げて微笑む

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「ん」
布団の中で目を覚ました陽太は、横にいない恋人に慌てて起き上がった。いつの間にか窓が開いていて、輝く満月が顔を覗かせていた。そして、窓辺には愛しくてならない恋人・智樹が立っている。
(綺麗だな…)
月光を浴びているためか、亜麻色の髪は金色に輝いているようにも見えた。ふと、優しい眼差しが振り向く。
「起こしたか」
低いが柔らかなトーン。微かに掠れた声は、先程までの濃密な時間を思い起こさせ、陽太は頬を赤く染めた。
「眠れないの?」
側に寄れば、何も言わずに抱き締めてくれる。なんの匂いかはわからないが、智樹からはいい匂いがした。
「…月が、あんまり綺麗だったからな」
確かに、今夜の月はいつもより綺麗だ。その輝きは、ある男の存在を思い起こさせる。
「ねぇ。涼雅さんとはいつから友達なの?」
「友達?」
陽太の言葉に、智樹は眉を寄せた。智樹の中では、涼雅は『友』という認識はない。が、それを陽太に説明するのは面倒だと智樹は口を噤んだ。
「いつ、出会ったの?」
「初めて会ったのは、8年ぐらい前だ。出会いは、最悪だったがな」
当時を思い出し、智樹がクックッと笑う。

それは、夏が過ぎようとしていた頃だった。月が美しく輝く夜。漆黒の影が風のように早く庭園を横切った。おそらく、普通の人間ならばその姿を捉える事は出来なかっただろう。
影は、迷う事なくある部屋へと向かっていた。
音も立てず、ゆっくりと手が窓に触れた瞬間。
「そこまでだ」
智樹が、その手を掴んだのだ。
「何者だ」
機械的な、感情のない声。だが、智樹が影の正体を知ろうとした瞬間。
「そこまで」
低く渋みがある声が辺りに響いた。智樹が振り向けば、50代そこそこの男が悠然と立っていた。智樹の背筋を冷たい汗が流れる。
(相変わらず、気配すら感じさせない)
深山源造。平野家前当主に仕えている男で、智樹にとっては武芸の師でもある。
「相変わらず、無駄な動きがありませんね」
「恐れ入ります」
源造は、ニッコリと微笑んだ。が、その瞳は決して笑ってはいない。智樹は、緊張した面持ちで影から離れた。
「こんな奴がいるなんて、聞いてねーぞっ」
影が振り向き、源造に向って食って掛かる。が、簡単にその身体はねじ伏せられた。
「いててててててててっ」
「言えば試験にならんだろ」
呆れたように源造が言う。気のせいか、その眼差しにはどこか愛おしさが感じられた。
「今日は、聡真様にこれの紹介をしに参りました」
「これとはなんだよっ。このクソ親父っ」
「親父?」
男の言葉に智樹は首を捻った。源造は独身であり、子などいないはずだ。だが、深入りする事は執事としてあってはならない。何も言わず、智樹は2人を聡真の寝室へと案内した。
「聡真様。ご無沙汰しております」
障子を開けずに、源造は深々と頭を下げた。そして、後ろで控える男を振り向く。
「私の息子で、深山涼雅といいます。まだまだ未熟ですが、お役に立つでしょう」
源造に視線で促され、涼雅は躊躇いがちに頭を下げた。
「涼雅、です。初めまして」
黒い頭巾を目深に被っているため、表情はよくわからない。ただ、スッと通った鼻筋がやたらと目立っていた。しばらく間があってから、スッと便箋が流れてきた。

『よろしく頼むよ。わからない事があったら、智樹に聞くといい』

涼雅は目を瞠ると、後ろで控えている智樹を睨んだ。
「なんだよ、あれっ。あれが挨拶かってーんだっ」
聡真が源造に話があるというため、智樹と涼雅はひとまず居間へと向った。高級なソファにドカッと座った涼雅が、溜まっていた鬱憤を吐き出す。
「言葉を慎め。旦那様の事は聞いているはずだ」
智樹が諌めれば、涼雅がチッと舌打ちをする。
「人嫌いのご主人様だろ?聞いてるよ。だがな、あの態度はないだろ。オレは、あんな奴のために命をかけたくはない」
「貴様…っ」
思わずカッとなり、智樹が涼雅の胸倉を掴んだ瞬間。黒い頭巾がハラリと落ちた。智樹の亜麻色の瞳が大きく見開かれる。パサリと音を立てて、金色の長い髪が広がった。そして、振り向いた涼雅の瞳は青かった。智樹は、らしくなく動揺していた。
「そんなに、珍しいか?」
ボソッと涼雅が呟いた。昭和初期。外国の血が流れる子供は、周囲から嫌煙されがちだった。智樹は、コホンッと咳払いをすると頭巾を涼雅に返した。
「すまなかった」
「いーよ。慣れてる」
涼雅は頭巾を被ると、苦笑を浮かべた。
それから、智樹と涼雅は度々顔を合わせる事になった。どういうわけか、聡真が涼雅をかなり気に入ったようで度々屋敷に呼ぶようになったからだ。
「全く。旦那様は、お前のどこを気に入ったんだか」
涼雅が持ってきた梅大福を皿に盛ると、智樹が呆れたように言う。
「知るかよ。あのな、オレだって好きで来てるわけじゃねぇよ」
不貞腐れたようにそっぽを向いた涼雅だが、ふと智樹の横顔を見つめた。
「なんだ?」
「お前ってさ。恋とかした事あんの?誰かを愛しいとか思わねーの?」
聞かれた智樹は、不思議そうに涼雅を見つめる。
「なぜ恋などする必要がある?私は、旦那様を守るためだけにここにいるのだ」
智樹の答えに、涼雅は二の句が継げなかった。美しいが、人形のように無表情な智樹。性欲さえないように思えた。
「じゃあ、オレの方が一歩リードだな。誰かを好きになるっていうのは、すごい力をくれるんだぜ」
威張って言った涼雅は、智樹の反応を窺った。どうせ、『馬鹿馬鹿しい』と一笑すると思ったのだ。だが、意外にも智樹はやや寂しそうな顔をしていた。
「私には、誰かを愛するという感情はわからない。こんな私は、人間としての大切なものが欠落しているのかもしれない」
智樹がポツリと言う。幼い頃から聡真の執事になるために育てられた智樹。祖父や父親からは、感情を捨てるようにと言われてきた。
「人を愛するという事がどんな気持ちなのか、私にはきっと永遠にわからないのだろう」
智樹の呟きに、涼雅は思わず身を乗り出した。
「お前にもそのうちわかる。全てをかけてでも守りたいって気持ちが…っ」
そう言った涼雅は、まるで月のように眩しいと智樹は思った。キラキラしていて、まるで内面から光っているようだ。
「お前にはいるのか?そういう相手が」
「いるよ」
涼雅が呟く。どこか切なそうに…。
「あいつのためなら、オレは…」
言いかけた涼雅は口をつぐんだ。智樹も、視線を庭の方へと移す。
(2人?いや、3人か)
微かに聞こえる足音と話し声。その音は、決して近づいてはこなかった。智樹がフッと溜め息をつく。
「またか」
「あいつら、誰だ?」
「おそらく、どこぞの金持ちが雇った密偵だろう。旦那様を探っているんだ」
若くして平野家を継いだ聡真は、社交界では噂の的だ。妙齢となっても嫁をとらず、執事と2人暮らし。屋敷には人を寄せ付けず、何もかもが謎めいている。周りの興味をそそるのも仕方ない。
「なんとかしなくていーのかよ」
「お前には関係ない」
ピシャッと言い捨てて、智樹は背中を向けた。挑むような涼雅の眼差しには、気づかないフリをして。

(見てろよ。智樹の奴)
闇に紛れて、涼雅は男達を密かにつけた。ずさんなのか、単にドジなのか。男達は、ゆったりとした足取りで歩いていく。
(いつもいつも澄ました顔をしやがって)
涼雅は、智樹の言動にいちいち腹を立てていた。どこか見下されているようで、惨めな気持ちになるのだ。
(オレとあいつの差を、見せつけてやる…っ)
黒頭巾を被った涼雅は、屋根の上からそっと男達の動きに目を光らせた。男達はキョロキョロと周囲を見回すと、やがて路地を慌てたように曲がった。
「しまった…っ」
見失ってはならないと、涼雅も路地を曲がった。その瞬間。
「え?」
そこには、男達が待ち構えていた。涼雅は、自分が罠にハマった事をこの時になってやっと気がついたのだ。急いで逃げようとした瞬間。何かが口元を覆った。

「オレを、どうするつもりだ」
目が覚めた涼雅は、特に驚かなかった。柱に身体を括られた涼雅に、男達が下卑た眼差しを向けてくる。
「思わぬ拾い物をしたよ」
ヒョロッとした男が、涼雅の頭巾を脱がせた。そして、金色の髪に口笛を吹く。
「初めて見たぜ。奇麗な色だな」
「なぁ。ここで楽しもうぜ」
「お前、本当に好きだよな。男やるの」
「お前らは知らねーんだよ。女よりも、ずっと気持ちいいぜ」
小太りの男が、服の上から身体を撫で回してくる。股関の辺りを執拗に触られ、涼雅はムカムカしてきた。が、ここで怒鳴ったり苛立っては退路を失う。ジッとチャンスを待った。
「あ…っ」
わざとらしく声を出せば、他の男達も興味をそそられたらしい。涼雅は、わざと艶っぽい視線を男達に向けた。
「お、男もちょっといいかもな」
「あ、ああ」
男達が、涼雅の方へと一歩進み出る。その様子に、涼雅はニヤッと笑った。
(ちょろいな)
涼雅の目的は、男達の後ろに誰がいるかを探る事だ。
「あの屋敷で、何をしてたんだ?」
3人の男達に、身体を弄られながら涼雅が尋ねる。肩や胸元が露わにされ、乳首や脇腹、その下に指が這わされる。
「屋敷の主を探れって言われたんだ」
「誰に?」
「増村家の当主だ」
行為に夢中になっている男達は、涼雅の質問にもスラスラと答えた。だが、男達の興奮があまりにも凄まじくなり涼雅は狼狽えた。
「ちょ…っ」
簡単に解けると思った紐は、肌に食い込んでビクともしなかった。ここまできて、やっと涼雅は自分の浅はかさに気がついた。
「さっさとやろうぜ」
男の一人が下着に指をかける。とうとう涼雅の身体から衣服が全て奪われてしまった。
「やめろ…っ」
涼雅が叫ぶのと同時に、プツッといきなり紐が切れた。そして、大きな黒いマントが涼雅の身体を包んだ。
「全く。お前は何をしているんだ」
そこには、いつもの燕尾服に身を包んだ智樹が呆れ顔で立っていた。その手には小さなナイフが握られている。
「なんだっ、てめぇはっ」
男達が智樹を取り囲む。だが、智樹は表情1つ変えずに軽々と男達の攻撃をかわした。
「貴様らに用はない」
智樹が音も立てずに、男達の間を擦り抜ける。智樹が通りすぎた後、男達はバタバタと倒れていった。その動きには一切の無駄がなく、涼雅は見惚れるだけだった。
「いつまでボサッとしてる。さっさと歩け」 
智樹に促され、涼雅はとぼとぼとその後ろを歩いた。
満月に照らされた道を歩きながら、涼雅は智樹の背中を見つめた。
「なんで助けに来た?」
涼雅の質問に智樹は答えなかった。
「なぁっ」
「私にも、わからない」
智樹が月を見上げた。その横顔は、とても優しかった。
「ただ、助けたかったんだ」
それからは、何も言わずに2人は歩いた。

「…陽太?」
規則正しく聞こえる寝息に、智樹はふと眉を寄せた。長い話に飽きたのか、陽太は眠っていた。そのあどけない寝顔に、智樹はフッと笑みを見せる。そのまま唇を寄せれば…。
「勝手にペラペラ喋るな」
満月をバックに、涼雅が憮然とした表情で立っていた。
「遅い」
「はいはい。ほらよ、頼まれてた調べ物」
茶封筒を受け取った智樹は、表情も変えずに頷いた。
「な?恋っていいものだろ?」
「うるさい」
「照れちゃって。かーわいい」
「うるさい」
決してベタベタした関係ではないが、智樹と涼雅は信頼という絆で結ばれていた。
「俺、お前が大嫌いだったんだぜ」
「私もだ」
顔を見合わせた2人は、互いに笑みを浮かべた。
「じゃな。椿が起きる前に戻らないと」
「ああ」
涼雅が去った後。智樹は、陽太を抱き締めたまま夜空を見上げた。黄金に輝く月が、いつもより近くに感じた。


























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