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第四話
秘めたる想い
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怜希の新作『蜜室の恋』は、発売されるや否や大評判となった。報われない愛と淫らな欲望は、多くの女性から支持を得た。なかでも、美しい主人が目隠しをされ、柱に括られながら犯される場面はかなりのリアリティーがあったらしい。続編を希望する声は、日に日に高まっていった。
「続編、ですか」
思わぬ提案に怜希は難しい顔をした。
物語のラスト。主人は去ろうとする下男を呼び止める。自ら帯紐を外し、下男に自分を抱くように懇願するところで終わる。
「読者は、その先を知りたがっているんだよ」
編集長の岡野慶宗は、渋る怜希をなんとか説得しようと試みた。これまで恋愛小説とは無縁だった怜希が書くからこそ、話題性も高いのだ。ここで第二弾を出せば更なる飛躍が望める。
「わかりました」
怜希の言葉に岡野はホッとした。無表情だが、機嫌は悪くないらしい。
10年前に初めて会ったから、怜希はどこか不思議な空気をまとっていた。造形は美しいが、それだけだ。喜怒哀楽もほとんど感じないし、食欲や性欲とも無縁に思えた。
(まるでロボットだな)
だが、ここ最近の怜希は少し違うように見えた。眼差しや態度に、感情が見え隠れするのだ。ふと岡野は怜希の視線の先を追った。そこには、やたらと背が高い男が庭掃除をしている。癖毛らしい長髪に、浅黒い肌。野性的な横顔とは裏腹に、仕事はとても丁寧だ。
「誰だい?」
この家で怜希以外の人間を見たのは初めてだ。人嫌いかと思うぐらい、怜希は他人を寄せ付けない。肉親とでさえ、ほとんど交流がない。
「将太といいます。下働きとして雇っているんです」
スラスラ答えた怜希に、岡野は一瞬で嘘だと見抜いた。そして、嘘をついてまで庇ったとなると…。
(へぇ)
岡野は全てを察して、それ以上何も言わなかった。誰にも興味を示さなかった怜希。その怜希が感情的になるなんて、よほどの相手なのだろう。
岡野は二、三個注文をつけると帰っていった。岡野が帰り際、怜希はある事を頼んだ。頼み事の内容に、岡野は一瞬だけ驚いた顔を見せる。が、すぐに表情を和らげた。
「ずいぶん、変わったね」
「え?」
怜希がどういう意味か尋ねる前に、岡野はさっさと歩いていってしまった。
(変わった?私が?)
岡野に言われ、怜希は無意識に玄関の鏡を見た。そこには、確かに以前の自分とは何かが違っていた。
青白かった肌は血色も良くなり、髪はきちんと整えられている。
(将太が食事や身の回りの世話をしてくれているからだ)
将太は見かけによらず、実にマメな男だった。これまで、怜希は食事にはあまり興味はなかった。ご飯と漬物があれば、それで構わないと思っていた。そう伝えたところ、将太はかなり呆れていた。今では、3食バランスがとれた食事ができている。
(ずっとここにいてくれと言ったら、どうするだろうか)
いつか、将太はここを出ていく。
小説が完成したら自由にするという約束をしたのだ。それを反古にはできない。だが、抱かれる度にもっとと願ってしまう。男に抱かれて、こんな気持ちになるとは思わなかった。いや、将太だからなのだろう。怜希には、まだ将太にすら言っていない事がある。
(この気持ちが、好きという事なのだろうか)
怜希はこれまで人を好きになった事がない。幼い頃から、楽しみといえば本を読む事だけだった。外に遊びに行く事もせず、朝から晩まで歴史書や大衆小説を読み漁った。子供らしくない言葉遣いで、両親からも『可愛げがない』と言われた。
他人と接するのは、面倒なだけだと思っていた。だが、将太を見てからその考えは変わった。
(この気持ちは、伝えない方がいいだろう)
将太を、自由にしてやりたかった。
怜希は、引き出しから原稿用紙を出すと万年筆を走らせた。誰にも、将太にすら伝えない気持ち。だが、形としてどうしても残しておきたかった気持ち。いつか将太が去っていっても、彼の事を忘れないために。
「怜希。客は?」
ドタドタという足音に、怜希は慌てて原稿を引き出しに入れた。引き出しのパタンという音と、ガラッと引き戸が開く音はほぼ同時だった。
「さっき帰ったよ」
「なんだ、せっかく作ったのに」
将太の手には、皿に盛られた大盛りの大学芋。甘い香りに、怜希の興味はそそられた。実は、大学芋は食べた事がないのだ。
「はぁ。食べた事ないのか?こんな美味いものを」
「食べてみたい」
行儀は悪いと思ったが、怜希は指で大学芋を掴み口に頬張った。甘く香ばしい味に、気がつくと指まで丁寧に舐めていた。傍らでゴクリと喉が鳴る。顔を上げれば、将太に唇を塞がれた。
「んっ、ん…っ、んんっ」
壁に押し付けられ、舌を強く吸われた。苦しさから将太の胸を叩けば、やっと口が解放された。
「誘惑、うまくなったな」
誉められても、怜希にはちんぷんかんぷんだ。
「誘惑?何がだ?」
「無意識だったのか?」
将太は楽しそうに笑うと、膝頭で怜希の下半身を刺激してきた。
「あ…っ」
そのまま膝がゆっくりと円を描く。両手をバンザイの状態で固定され、将太に激しく口づけされる。怜希は、将太の指に舌に甘い声を上げながら身体を開いていった。
「どっちが男娼なのか、わかんねぇな」
苦笑と共に額に唇が寄せられる。怜希はぼんやりと将太を見上げた。慈しむような優しい眼差し、将太に愛されていると勘違いしてしまいそうだ。
「そういゃあ、続編が決まったんだって?良かったじゃねぇか」
将太が、まるで自分の手柄のように笑う。
「お前のおかげだ」
怜希は立ち上がると、気だるい身体にシャツを羽織った。
「しばらく執筆が忙しくなる。声をかけるな」
「へーいへい」
将太とは、主と所有物という関係を貫こうと怜希は考えていた。だが、共に生活し、笑い、身体を繋げる度に怜希の心が揺れる。将太を自分だけのものにしたくなる。
(バカだな…)
そんな事ができるはずないのに…。怜希は、真っ白な原稿用紙に向かい合い大きなため息を吐いた。
それから数ヵ月後。
『蜜室の恋』の続編は完成した。
そして、将太の仕事も終わる事となった。
「約束通りだ。お前を自由にする」
怜希の言葉に、将太が驚いたように顔を上げる。
「ありがとう。お前のおかげで、満足できる作品が書けた」
「…ああ」
怜希が、用意しておいた封筒を渡す。
「礼金と、揚羽さんの居場所が書いてある地図だ」
怜希の言葉に、将太はかなり動揺したらしい。
「会いたいんだろう?」
一緒に生活するなかで、怜希はずっと気がついていた。将太が何を欲しているのかを。自分を捨てていった母親を、ずっと追い求めているのだと。
「文句でもなんでも言ってやれ」
「わ、わかったよ。気が向いたらな」
面倒くさそうに顔を上げた将太は、ハッと目を見開く。
「どうかしたのか?」
「あ、いや。じゃな」
将太が逃げるように去っていく。その背中を、怜希は縋るように見つめ続けた。もし、怜希が玄関の鏡を見ていたら気がついただろう。瞳から涙が零れている事に…。
(たった数ヵ月の恋か)
だが、その数ヵ月は宝物のような日々になったと怜希は思った。
「続編、ですか」
思わぬ提案に怜希は難しい顔をした。
物語のラスト。主人は去ろうとする下男を呼び止める。自ら帯紐を外し、下男に自分を抱くように懇願するところで終わる。
「読者は、その先を知りたがっているんだよ」
編集長の岡野慶宗は、渋る怜希をなんとか説得しようと試みた。これまで恋愛小説とは無縁だった怜希が書くからこそ、話題性も高いのだ。ここで第二弾を出せば更なる飛躍が望める。
「わかりました」
怜希の言葉に岡野はホッとした。無表情だが、機嫌は悪くないらしい。
10年前に初めて会ったから、怜希はどこか不思議な空気をまとっていた。造形は美しいが、それだけだ。喜怒哀楽もほとんど感じないし、食欲や性欲とも無縁に思えた。
(まるでロボットだな)
だが、ここ最近の怜希は少し違うように見えた。眼差しや態度に、感情が見え隠れするのだ。ふと岡野は怜希の視線の先を追った。そこには、やたらと背が高い男が庭掃除をしている。癖毛らしい長髪に、浅黒い肌。野性的な横顔とは裏腹に、仕事はとても丁寧だ。
「誰だい?」
この家で怜希以外の人間を見たのは初めてだ。人嫌いかと思うぐらい、怜希は他人を寄せ付けない。肉親とでさえ、ほとんど交流がない。
「将太といいます。下働きとして雇っているんです」
スラスラ答えた怜希に、岡野は一瞬で嘘だと見抜いた。そして、嘘をついてまで庇ったとなると…。
(へぇ)
岡野は全てを察して、それ以上何も言わなかった。誰にも興味を示さなかった怜希。その怜希が感情的になるなんて、よほどの相手なのだろう。
岡野は二、三個注文をつけると帰っていった。岡野が帰り際、怜希はある事を頼んだ。頼み事の内容に、岡野は一瞬だけ驚いた顔を見せる。が、すぐに表情を和らげた。
「ずいぶん、変わったね」
「え?」
怜希がどういう意味か尋ねる前に、岡野はさっさと歩いていってしまった。
(変わった?私が?)
岡野に言われ、怜希は無意識に玄関の鏡を見た。そこには、確かに以前の自分とは何かが違っていた。
青白かった肌は血色も良くなり、髪はきちんと整えられている。
(将太が食事や身の回りの世話をしてくれているからだ)
将太は見かけによらず、実にマメな男だった。これまで、怜希は食事にはあまり興味はなかった。ご飯と漬物があれば、それで構わないと思っていた。そう伝えたところ、将太はかなり呆れていた。今では、3食バランスがとれた食事ができている。
(ずっとここにいてくれと言ったら、どうするだろうか)
いつか、将太はここを出ていく。
小説が完成したら自由にするという約束をしたのだ。それを反古にはできない。だが、抱かれる度にもっとと願ってしまう。男に抱かれて、こんな気持ちになるとは思わなかった。いや、将太だからなのだろう。怜希には、まだ将太にすら言っていない事がある。
(この気持ちが、好きという事なのだろうか)
怜希はこれまで人を好きになった事がない。幼い頃から、楽しみといえば本を読む事だけだった。外に遊びに行く事もせず、朝から晩まで歴史書や大衆小説を読み漁った。子供らしくない言葉遣いで、両親からも『可愛げがない』と言われた。
他人と接するのは、面倒なだけだと思っていた。だが、将太を見てからその考えは変わった。
(この気持ちは、伝えない方がいいだろう)
将太を、自由にしてやりたかった。
怜希は、引き出しから原稿用紙を出すと万年筆を走らせた。誰にも、将太にすら伝えない気持ち。だが、形としてどうしても残しておきたかった気持ち。いつか将太が去っていっても、彼の事を忘れないために。
「怜希。客は?」
ドタドタという足音に、怜希は慌てて原稿を引き出しに入れた。引き出しのパタンという音と、ガラッと引き戸が開く音はほぼ同時だった。
「さっき帰ったよ」
「なんだ、せっかく作ったのに」
将太の手には、皿に盛られた大盛りの大学芋。甘い香りに、怜希の興味はそそられた。実は、大学芋は食べた事がないのだ。
「はぁ。食べた事ないのか?こんな美味いものを」
「食べてみたい」
行儀は悪いと思ったが、怜希は指で大学芋を掴み口に頬張った。甘く香ばしい味に、気がつくと指まで丁寧に舐めていた。傍らでゴクリと喉が鳴る。顔を上げれば、将太に唇を塞がれた。
「んっ、ん…っ、んんっ」
壁に押し付けられ、舌を強く吸われた。苦しさから将太の胸を叩けば、やっと口が解放された。
「誘惑、うまくなったな」
誉められても、怜希にはちんぷんかんぷんだ。
「誘惑?何がだ?」
「無意識だったのか?」
将太は楽しそうに笑うと、膝頭で怜希の下半身を刺激してきた。
「あ…っ」
そのまま膝がゆっくりと円を描く。両手をバンザイの状態で固定され、将太に激しく口づけされる。怜希は、将太の指に舌に甘い声を上げながら身体を開いていった。
「どっちが男娼なのか、わかんねぇな」
苦笑と共に額に唇が寄せられる。怜希はぼんやりと将太を見上げた。慈しむような優しい眼差し、将太に愛されていると勘違いしてしまいそうだ。
「そういゃあ、続編が決まったんだって?良かったじゃねぇか」
将太が、まるで自分の手柄のように笑う。
「お前のおかげだ」
怜希は立ち上がると、気だるい身体にシャツを羽織った。
「しばらく執筆が忙しくなる。声をかけるな」
「へーいへい」
将太とは、主と所有物という関係を貫こうと怜希は考えていた。だが、共に生活し、笑い、身体を繋げる度に怜希の心が揺れる。将太を自分だけのものにしたくなる。
(バカだな…)
そんな事ができるはずないのに…。怜希は、真っ白な原稿用紙に向かい合い大きなため息を吐いた。
それから数ヵ月後。
『蜜室の恋』の続編は完成した。
そして、将太の仕事も終わる事となった。
「約束通りだ。お前を自由にする」
怜希の言葉に、将太が驚いたように顔を上げる。
「ありがとう。お前のおかげで、満足できる作品が書けた」
「…ああ」
怜希が、用意しておいた封筒を渡す。
「礼金と、揚羽さんの居場所が書いてある地図だ」
怜希の言葉に、将太はかなり動揺したらしい。
「会いたいんだろう?」
一緒に生活するなかで、怜希はずっと気がついていた。将太が何を欲しているのかを。自分を捨てていった母親を、ずっと追い求めているのだと。
「文句でもなんでも言ってやれ」
「わ、わかったよ。気が向いたらな」
面倒くさそうに顔を上げた将太は、ハッと目を見開く。
「どうかしたのか?」
「あ、いや。じゃな」
将太が逃げるように去っていく。その背中を、怜希は縋るように見つめ続けた。もし、怜希が玄関の鏡を見ていたら気がついただろう。瞳から涙が零れている事に…。
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