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02 逃避行の始まり

11 ブラッディーナイト(昼)

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 フーベルトはとっさにソファーを飛び越えて後ろに隠れた。
 スマホもポケットの中に押し込む。

 店内に入ってきたのは一人の少女だ。
 黒いフード付きのパーカーと短いスカート。
 一般人のようにも見える。
 だが、銃声が鳴り響くこの状況で、避難もせず外を歩き回っている一般人がいるわけがない。
 たぶん軍人だ。
 年齢は高校生ぐらいに見えるが、軍の一員なら18歳未満と言うことはないはず。

 少女は、タン、タン、タン、とリズムよくジャンプして、中央の高台の上に飛び乗った。
 フーベルトの方を指さし、叫ぶ。

「イエーイ! 煙突掃除はやってるか? おまえの家の屋根の上で、エリマキトカゲが交尾しているぞ!」

 どんなボロ家だよ!
 フーベルトは思わずツッコミの声を上げそうになったが、こらえた。
 このままでは完全に向こうのペースに呑まれる。
 謎の少女は胸を張り自己紹介する。

「あたしはシューマッハ・テリブル・テレブレス。人類で最もブルーなおまえに死を告げに来た美少女だ! さあ、死に方を選ばせてやる!」

「……自分で自分を美少女って言うのはやめろ!」

 一応、これには返事をしておきながら、フーベルトはこの後の方針を考える。
 今の状況でミーナがトイレにいる事がバレたら厄介なことになる。
 トイレは出口が一つしかない。逃げ場を失う。

「何がいけないのかなー? 美少女が事実を言ってるだけじゃん!」

 相手もすぐ攻撃せずに話しかけてくる。
 それに乗ってみることにした。

「過度な自画自賛は、良くないだろう」

「いけなくないよ! おまえだって、自分を世界一の美少年と名乗る権利はある。まあ、確実に反論を受けるだろうけどな!」

「さすがに少年って年じゃないんだがな」

「ってかさ……そもそも、あんた誰なの? なんで標的と一緒に逃げてるの? ロリコンなの? 名乗って?」

「ノー」

 とっさに答えてしまってから、これは失策だと気づいた。
 シューマッハは首を傾げる。

「いや、ノーじゃなくて名前を聞いてるんだけど……んー?」

「……」

「もしかして、最近、あの頭が固いバカに尋問されたとか?」

「誰の話をしているのか、よくわからないな」

 たぶん確実にプロトのことを言っているのだろうと思った。
 だが、認めてしまうと、様々な問題が発生する。
 とぼけるしかない。

「ははーん?」

 シューマッハは床を見ている。
 フーベルトがその視線を追うと、紙切れが落ちていた。抗ヒッグス薬の説明書だ。

「何これ笑えるー。やっぱロリコンじゃん! でも純愛だねー。頑張ってあの娘を助けようとしてるんだ。あたしは絶対無理だと思うけどなー」

「どうかな? 前例がない行動は、成功する直前までそう言われ続ける物だからな」

「愛の力は死すら乗り超えるってか? 現実はシンデレラじゃねーんだよ!」

「……?」

 何がシンデレラなのか意味不明だった。
 一回死んで生き返るのは白雪姫だ。

「さてと、無駄話はこれぐらいにしてっと、ターゲットはそこに隠れているのかな? 今から殺すよ!」

 シューマッハの左右に赤い光が伸びた。
 光の出所は両手。光の双剣だ。
 その刃は、花のように儚く脆く、生まれるそばから散っていく。

 フーベルトもホルスターからアヌビス拳銃を抜き、床に向けて構える。
 アヌビス拳銃は弾が五発しか入らない。
 威力は大きいが反動も大きく、連射もできない。
 はっきり言って対人戦闘に向いた武器ではなかった。

 最大の問題は、威力が強すぎること。
 胴体に当たれば人間は一撃で死ぬ。手加減のしようがない。

 軍のやり方は少々問題がある。
 フーベルトは以前からそう思っていた。
 それでも、今、道理を外れているのはフーベルトの方だ。
 シューマッハは殺していい相手ではない。
 だがフーベルトには銃しか武器がない。

「守ると決めた。おまえ如きに負ける気はしない」

「あはは、そういうの大好き! その薄っぺらいメッキみたいな決心がフェイルノートの前でも剥がれないといいけどねー」

「黙れ、このサディストが!」

「偽善者はっ、滅べぇ!」

 シューマッハは大きく一歩目を踏み出し、両手の光剣の刃をこすり合わせる。
 剣と剣が触れ合った所から火花が散り、それが礫のように飛んでくる。
 フーベルトは横に飛びのいて避ける。
 盾にしていたソファーが一瞬でバラバラになり、その背後の壁すらもボロボロに破壊された。
 棚にあったアルコール飲料か何かが砕け散る。

 シューマッハはニヤリと笑う。

「おー、やるじゃん。これ避けたのは、あなたで五十九人目だよ」

「意外と多いな。いちいち数えてるのか?」

「ううん、適当に言ってるだけ」

 遠距離攻撃を隠しているのはフーベルトにも見当がついていた。
 近接攻撃しかできないなら銃を持った相手に堂々と姿を晒すわけがない。
 そもそもフェイルノートは弓の名前だ。偽装になっていない。

 シューマッハは、今度こそ本当にお立ち台からこっちに跳んでくる。

「くそっ、本当にやる気か!」

 フーベルトは壁の方へと後退しながらシールドデバイスを起動する。
 空中に現れた光の壁を、シューマッハはフェイルノートで切り裂いて飛び込んでくる。障壁と刃が打ち消しあって一瞬だけ剣が消えた。
 だがシューマッハは光が消えた右手で殴りつけてくる。

 フーベルトは近くにあった棚のビール瓶を投げつける。
 シューマッハは足の先で床を蹴るような動きで飛びのき、ゴロゴロと転がって逃げた。追い打ちで飲料を投げ続ける。いくつかの瓶は割れ、床にビールが広がる。
 シューマッハは少し離れた所で光剣を再生させ、フーベルトが投げつけるビール瓶を片っ端から切り捨てた。
 距離が最初と同じに戻った。

 フーベルトは呼び掛けてみる。
「なあ、おまえ一人だと絶対に勝ち目がないんじゃないか?」

「なんでそう思うわけ?」

「その武器とこっちのシールドはお互いに打ち消しあう。つまり魔術では互角。それなら銃がある分こっちが強い。違うか?」

「どうかなぁ?」

 シューマッハは楽しそうな笑顔で答える。
 銃で撃たれても当たらないと思っているようだ。
 そして、シールドを破った先での格闘戦で有利を取れる自信もあるのだろう。

 フーベルトが観察する限り、シューマッハは両手に長さ二十センチほどの棒を握っていて、そこから光剣を発生させている。
 たぶん、この棒は別の武器――例えば仕込みナイフか何かにもなっていて、光の剣が消えている間も攻撃が可能なのかもしれない。

 考えようによっては、どの距離でもフーベルトが不利だ。
 フーベルトは、シューマッハの足元めがけて、一発撃つ。

 轟音、床材が砕け散る。
 シューマッハは、素早く飛びのいて、近くにあったテーブルの上に飛び乗った。
 フーベルトは挑発してみる。

「……仲間を呼んできてもいいんだぞ」

「なんでぇ? 私が有利なのに?」

 そう言いながらも、シューマッハは一瞬、意識を逸らした、ように見えた。
 その隙をつく。
 フーベルトはテーブルの脚を打ち抜く。即座にもう一発。これは胴体への直撃を狙った。

「うおっと?」

 シューマッハは崩れるテーブルを蹴って、お立ち台の上に飛び移る。
 そして、フーベルトを挑発するように右手の光剣を突き付ける。

「ちょっとー。お兄さんひどくない? さっきから体の中心線を外して撃ってるよね……最初はフェイントかと思ったんだけどさ……もしかして、舐めプなの?」

「今のは一応当てる気だったんだが?」

「いやいや、隠してもわかるよ? 脊椎に当たりそうだと思って、一瞬ためらったでしょ? 私を殺したら追手が容赦なくなるかもとか、そんな甘えた考えで裏切ってるわけ?」

「さあな……」

「困るんだよなぁ。……手加減しても勝てるとか思ってんじゃねーぞこら!」

 シューマッハは両手の光剣を体の前で交差させるように構えた。吹き出す光の量が増える。

 だが、果たしてそうなのかとフーベルトは考える。
 シューマッハの攻め手は微妙だ。今すぐ殺さなければという焦りが見えない。
 だからと言って、見逃すというほどやる気がないわけでもない。

 殺すか殺さないか迷っているのは、シューマッハも同じかもしれない。フーベルトはそう思った。
 結局の所、統合軍はダイルと戦う軍であって、軍人同士で殺しあうことを意識の外に置いている。
 殺す覚悟を持ってやっている人間はあまり多くない。

 フーベルトはアヌビス拳銃を構える。
 どうせ当てる気で撃っても避けられる。それなら……この銃は武器として不足だ。
 銃口を、シューマッハの頭上辺りの天井に向けた。

「おい、知ってるか?」

「何を?」

「天井のミラーボールもどき、あれって魔術で動いてるらしいぞ」

「は? マジで?」

 もちろん嘘だが、シューマッハの意識が一瞬だけ逸れた。
 撃つ。
 撃ったのは隣のスプリンクラーだ。天井から大量の水が噴き出す。シューマッハは慌てて飛びのいたが、もう服はずぶ濡れだった。

「はぁ? 何これ。もしかして、水を被ればフェイルノートが使えなくなるとか思ってた?」

「まさか……だが、おまえの負けは確定した」

 フーベルトは拳銃をホルスターに戻す。
 弾はまだ一発残っていたが、この場ではもう必要ない。

「あーあ。武器まで収めちゃったし。そーゆーの、マナー違反なんですけど?」

「なんのマナーだよ」

 スプリンクラーから水が出てこなくなる。誰かが送水を止めたのか、あるいは何かの機械が、火事ではないと判断して自動停止したのか。
 フーベルトは近くにあった椅子を拾って盾のように構え、トイレに向かって叫ぶ。

「ミーナ! 動けるなら今すぐ出てこい!」

 ミーナは本当にすぐ出てきた。戦いの様子をトイレの入り口近くで隠れて見ていたらしい。

「はーい、ターゲット見っけー!」

 シューマッハが飛び出してくる。
 フーベルトはその軌道に割って入った。
 シールドと光剣がお互いを打ち消しあった。
 そして光剣が出るのとは逆側から飛び出してくるナイフの刃。
 フーベルトは手近にあった椅子で刃を受け止め、シューマッハを蹴り飛ばす。
 ミーナは刃物に怯えたか、足が止まった。

「ど、どうするんですか?」

「向うだ! 走れ!」

 スタッフルームと書かれた扉を指さす。ミーナは一瞬ためらった後、必死に走っていた。

「へぇー、それであんたは一人で残って私を食い止めようってんだ? カッコイーじゃん」

 シューマッハがあざ笑うように言ってくるが、無視した。
 視線を外さず、少しずつ後ろに下がる。

「んー? 残らないのかなぁ? それでも男かなぁ?」

 つまらない挑発だ。
 ターゲットを取り逃がす可能性に気づいて、シューマッハはようやく焦り始めたのかもしれない。

「最近は男女同権だからな。そういう発言はよくないぞ」

「あっはっは! いいよ、それじゃあ二人で仲良く逃げ惑えばいいじゃん!」

 シューマッハは、両手の光剣を振り上げると突っ込んできた。
 障壁と右手の光剣の片方が打ち消しあう。そして左手の光剣がその隙間に、一瞬遅れて入り込んでくる。

 フーベルトは、その場で後ろに倒れ込みそうな体勢で攻撃を避けて、次の仕込みナイフを椅子で防御する。
 シューマッハは下からの蹴りを放つが、それは半分消えたシールドに引っかかって軌道がぶれた。

「あれっ……」

 よろけるシューマッハ。動きが止まった蹴り足を、フーベルトは足で掬い上げ、そして足首を掴む。

「あっ? それはなくない?」

 シューマッハの顔に媚びるような笑みが浮かぶ。
 光剣が振られるが、さらに足を持ち上げると、シューマッハは悔しそうな顔になった。
 よほど器用か、自分の足を切りつける覚悟がなければ、この状態では戦えない。

「男女同権だ」

「おい、そういうの、やめろよ! パンツ見えるだろ!」

「なら次からはズボンをはいてこい」

 フーベルトは足を掴んだまま後ろに下がり、シューマッハが次の手を思いつく前に離した。

「うおっと!」

 シューマッハはよろめきながらも、なんとか転ぶのを避けた。
 フーベルトはその間に踵を返し、スタッフルームの扉へと走る。
 扉を入ってすぐの所に、アルコール飲料の箱が積みあがっていた。その箱で扉をふさぐ。
 ミーナが焦った顔で急かす。

「まずいですよ、あれ、絶対殺しに来てますよ……」

「わかってる、逃げるぞ」

 フーベルトはアヌビス拳銃を抜いて、シリンダーに焼夷弾を押し込む。
 ほぼ同時に、光の剣が扉を縦に真っ二つにした。瓶や缶が砕け散り、大量のアルコールが床に広がっていく。
 半壊した扉の脇から、シューマッハの顔が出てくる。

「それで? そこからどうするの? 本気出して攻撃して来いよぉ」

 フーベルトはそれを無視して、アヌビス拳銃を構えて床に撃った。
 焼夷弾は着弾と同時に炎を放ち、アルコールに引火する。

「げっ、てめぇ、何考えてんだ!」

 シューマッハの顔が引っ込む。
 フーベルトは手近にあった酒瓶を片っ端から壁に向かって投げた。炎が引火して広がっていく。
 扉から少し離れた壁から光剣が突き出て、人が通れるぐらいの穴を開けるが、その時には、その周辺も火の海だ。
 この炎を突破できるような準備はなかったのか、シューマッハの顔に本気の焦りが浮かんだ。

「ちょっ、マジで火事じゃん。なんでスプリンクラー作動しないの……あっ、てめぇ、さっきのはそう言うことかよ!」

 シューマッハが炎の向こうでギャアギャア騒いでいるが状況は確定した。炎は消えることなくどんどん広がっていく。ミーナが横から袖を引っ張る。

「あ、あの、フーベルトさん、これちょっとまずいんじゃ。私たちも逃げないと……」

「裏口はダメだ。確実に待ち伏せがいる。どこか他から出られる場所はないか?」

 シューマッハの態度を見る限り、絶対に外に仲間がいる。
 すぐ殺さなかったのは、裏口に追い込む気だったからに違いない。
 別の出口が必要だ。

「こっち、天井裏に上がれるはずです」

 ミーナの先導で点検口を開けて、二人で天井裏に上った。

「ここから逃げられますか?」

「どうかな? どこに出口があるかにもよるが……」

 埃がなくなっている跡がある。
 最近、整備員が何かの作業したのかもしれない。
 フーベルトはそれを辿ってみることにした。
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