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一つ目のパーツが入手困難編

31 ゲリラ帝都

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「ジェーンが用意したのは、どんな話題なの?」

「本能についてです。最近よく本能とは何か、その本質を考えますが、答えに辿り着くのはかなり困難だと思いました。定義によれば、本能とは生まれつき持っていて、非理性的で感覚的なものなのでしょうが、私にはそれは存在しません。代わりに、あなたには存分に備わっていると思えます。」

「……遠回しにバカにしてる?」

「どうして、そうなりますか?あなたにとって本能とは何か、それを聞いているだけですが。」

 私は考えた。普段あまり話題を振らない彼が、折角、話のトピックを用意してくれたのだから、乗りたい。だが、話題が少し難しい。本能とは何か、普段考えもしないことを論じろと言われても、何も浮かばない。少し考えた後に、私なりの考えを彼に伝えることにした。

「例えばさ、ある日の食事に、卵焼きに、卵コロッケに、卵サラダが一気に出てきたら、身体がぐわっと嫌な感じがするでしょう、それが本能なんじゃない?とてもいい匂いのする人間とすれ違ったら、何秒かは、その人の事で頭が一杯になる。私はそれが本能だと思うなぁ。」

「なるほど。確かに、卵ばかりの食事が出てきたら嫌な感覚がしますね。しかしそれは思考においても、卵ばかりの食事では、たんぱく質の過剰摂取が起きると考えられ、体に毒です。その点においても、避けるべきだと判断出来ますから、果たして本能で判断しているかは疑問です。しかし、匂いですか……私はいい匂いのする人間に出会った経験はありません。」

「そうなんだ、ケイト先生はフローラルのいい匂いがする。それからリンはトロピカルの甘い匂いがするし、クラースさんはシトラスの匂いがする。ジェーンは……」私はジェーンに鼻を近づけて匂いを嗅いだ。甘いような、爽やかな香りがした。

「ジェーンは、何だろう……海のそよ風のような、清らかな、いい匂いがする。」

「言われてみれば、確かに彼らは、あなたの言った通りの匂いがする。彼らは私と同様、香水をつけているようですし、それと体臭が混ざった匂いが発生しているのでしょう。確かに、人は無意識のうちに相手の匂いを嗅いで、自分と相性が良いのか判断すると、聞いたことがあります。それは本能に近いのかもしれない。どれ、あなたは……。」

 ジェーンが私の匂いを嗅いだ。

「ふふ、ココナッツの匂いです。この島に来てからと言うもの、私はココナッツの匂いが好きになりました。」

「へえ、じゃあ私は、ジェーンにとって良い匂いなの?」

「私が好きだと明言したのはココナッツであり、あなたの匂いではありません。嫌ですねえ色めき立っちゃって。あいた。」

 私はジェーンの足を踏んだ。話に付き合ってあげた結果がこれだ。またおちょくられてしまった。私に足を踏まれたのに、彼は隣で、満足気に微笑んでいる。もう何が何だか、彼は雲のように掴めない人だと思った。

 これ以上話したくないと思ったその時に、帝都行きの列車が到着した。ブルーで光り輝いているスマートなボディの車体を見て、以前、ケイト先生が興奮気味に写真を見せてくれたことを思い出した。なるほど、生で見ると写真では感じられない重厚感がある。素人目にもカッコよく思えた。その列車の五両目に、私とジェーンは荷物を持って乗り込んだ。

 チケットを見ながら、二人掛けの指定席に向かった。私は革製のボストンバッグで、ジェーンは黒いリュックの軽い荷物だったので、上の棚は使わずに、二人で席に着こうとした。

 その時、ジェーンが私の腕を引いて、彼の方へと引き寄せた。何が起きたのか、咄嗟のことで、頭が真っ白になったが、彼が窓側の席に座ったのを見て、その理由が判明すると、私はため息をついて、仕方なく彼の隣の、通路側の席に座った。彼はさっきから何なんだろうか、これが彼なりのはしゃぎ方なのだろうか、ジェーンは今、窓の外を覗いている。もう彼のことは諦めて、私は座席に深く座った。

 アクロスブルーラインは、ユークアイランドから帝都まで繋がっている鉄道で、最初は海の中のトンネルを通り、それからルミネラ平原の地下を通って、最後に帝都にある駅へと到着する。

 アクロスブルーラインの高速道路も同様の進路で、このトンネルは上が高速道路で、下が地下鉄と、二層になっている。そして海の中のトンネルの壁は、頑丈な素材の透明なガラスになっているお陰で、海の中の様子が見える。

 この景色を見たいが為だけに、この列車を利用する人も居るらしい。確かに、青い海の海底にピンクや黄色のサンゴ礁、色とりどりの鮮やかな魚たちが泳いでいる光景は綺麗だった。ジェーンも同じことを思っているのだろうか、電車に乗っている間は無言で、じっと窓の外を見つめ続けていた。

 その後、帝都には予定通り、数時間で到着した。地下鉄の駅から出て、久しぶりの帝都で、少しばかりゆっくりする筈が、突然の豪雨に見舞われた。

 この帝都で、今のルミネラ騎士団も使用している、ブレイブホースという馬型の乗り物をレンタルして、サウザンドリーフの森まで行こうと計画していたが、雨天の為に借りることが出来なかった。我々はこの街で足止めを食らってしまった。すぐに止むだろうか、ブレイブホースのレンタルショップの軒下で、土砂降りの雨を眺めながら、私達は立ち尽くした。

「これはこれは……予報では、終日晴れだと聞きましたが、国立気象観測所も、読み違えることがあるようですね、まあゲリラ豪雨だと思いますから、すぐに止むでしょう。」

「そうかな、このまま雨が止まなかったらどうしよう。」

「その場合は、歩いて行きますか?森まで。」

「ブレイブホースで六時間かかるのに、歩いたらどれくらい掛かるんだろう。」

「二日はかかるでしょうね。途中、野宿することも考慮して。」

「そう……。」

「キルディア、徒歩は冗談です。」

「でしょうね!ああ~ブレイブホースが無かったら、森まで行けないよ!」

 と、大声を出した時に、灰色の雲に覆われた空から轟きが響いた。レンタルショップの中から店の主人が慌てて出てきて、雨に打たれながら、ショップの前に置いてあった旗を畳み始めた。雨で彼の灰色のシャツが、もう半分まで濡れてしまっている。

「お客さん!こりゃ止まない雨だと、さっき観測所がニュース出してましたよ!ああもう、旗を乾かすのは大変だというのに、予報屋もしっかりして欲しいもんだ!兎に角、今日はもうブレイブホースは出せませんから、早めに何処か、宿を取ったほうが良いですよ!」

 と、彼は濡れた旗を胸に抱きかかえて、足早に店内へと入って行った。まだ昼だというのに、空は厚い雲に覆われていて、夜のような暗さだ。これは確かに、雨は止みそうにないと、私はため息をついた。

「キルディア、どうしましょう。ニュースを確認したところ、確かに明日の朝まで、この雨が続くそうです。ブレイブホースが使えないとなれば、平原を歩くしかない。ですがモンスターも出ますし、距離もあります、困難かと。ならば早めに宿を借りた方が宜しいかと思います。急な天候の変化ですから、早く決めなければ宿の空きもなくなります。」

「そうだね、」ふと、道路を渡った所にある、小さなログハウス風の宿屋が目に入った私は、それを指差した。「もうあそこでいいんじゃない?」

「そうですね、営業しているようですから、そこでいいでしょう。」

 私とジェーンは荷物が濡れないように胸に抱えて、急いで道路を横断して、その宿屋に入った。
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