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恐怖を乗り越えろ!激流編
91 引っ張りだこの姉さん
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もしかしたらこれが、嫌な予感というものなのかな。私はカウンターの向こうのタージュ博士を見た。タージュ博士は画面をじっと食い入るように見つめながら、笑いを堪えている。
因みに、ぐんぐんと視聴率が上がっていく。姉さんがクラースさんの後ろを付いて歩いて行き、誰もいない廊下の隅で、クラースさんが立ち止まってしまった。何これ、何この、ねえちょっと!
「え!?ちょっと何!?」
「アリス、静かに!」
タージュ博士が私に叫んだ。ちょっと真剣に見過ぎでしょ……いやいやいや、姉さんのそういう事情は知りたくない!しかも一定時間が経つのに、何故か視点が、ゲイルさんの方に行かないのだ。もうやだ、色々ともうやだ。
姉さんは笑いを含んだ声で、クラースさんに話しかけた。
『何よ、クラース。改まっちゃって。あなた最近おかしいわね。なんていうか、この間も丁度同じタイミングで仕事上がったからって一緒に帰ったけど、何も話さなかったじゃない。てっきり嫌われているのかと思っていたわ。でもそれにしては、業務中に話しかけてくるし……よ、よく分からないのよ。今日もこんなところまで連れ出して。』
ぐえええ……!だから身内のそういうの嫌なんだってば!放送中の画面を消そうとしたら、ラブ博士に無言で腕を掴まれてしまった。ちきしょーめ。
クラースさんが、ぽりぽりと人差し指で鼻の頭を掻いている。そして言った。
『楽しめそうな話題の一つ二つ、何も思い浮かばなくて済まなかった……俺は話すのが、あまり得意ではなくてな……実は、言っておきたいんだ。実は……。』
『な、何よ?』
クラースさんのやろうとしていることは、この若輩者の私にだって分かる。そこらの中学院生よりも下手くそでしょ。私は来たるべき瞬間に備えて、両手で顔を覆い、指の隙間から、じっと姉さん視点を見ている。隣にキハシ君が椅子をスライドさせてきて、参加した。気付けば今は、電話がピタリと止んでいる。もうやだ。
それに言葉を飲み込んでばかりで、何も話そうとしないクラースさんに、ちょっとイライラする。姉さんも同じなのか、先に声を出した。
『ねえ、何よ。やっぱり私が気に入らないんでしょう?もしかして、あの研究所には産業医なんて必要ないって思っているのかしら?仕方ないじゃない、昔の職員が多かった頃の名残で私は残っているし……もう再就職は難しいのよ。色々と事情があるから。』
『違う、ソーライにはケイトが必要だ。俺やキリーの怪我を、誰が治してくれる?ケイトがいるから、俺は多少の無茶が出来るんだ……す、すぐに終わる。俺の話はもう直ぐ終わるから、聞いてくれ。』
意を決した表情で、クラースさんが姉さんを見つめている。
『……この戦、もしかしたら俺は帰って来ない可能性がある。相手にはヴァルガ騎士団長、それに俺の兄貴が居る。兄貴は強い。だから、俺みたいに民間の傭兵じゃなくて、騎士になれたんだ。』
『何を弱気なこと言っているのよ、あなたらしく無い。いつものどっしりと構えたあなたは、どこに行ったのかしら?ふふ。』
『すまんな、ケイトの前では、俺は正直になれる。いや、正直でいたい。だから、もしこの戦で、俺が命を落としたら……そうなっては、本当のことが言えないんだ。そうなってはケイトに本当の事を言えないで終わることになる。それは避けたい。』
『何よ、改まって……。』
『ケイト』
『はい?』
はい?じゃ無いよ姉さん。明らかにクラースさんの顔が真っ赤なのに。
『う、う、美しいケイト……。』
ぶっと吹いてしまった。いやいやいや、ちょっと待ってよ。これユーク中の人が見てるということも知らずに、クラースさんは真っ赤な顔をして、しかも立膝をついたのだ。そして姉さんを見上げて、姉さんの手を取った。ああ、二人のことは応援してるけど、応援してるけれども!
『な、何これは……。一体どうしたのよ、今日のあなたは変だわ。』
『俺は……俺は、俺は!……一目会った時から、ケ、ケイトのことがす『ああ!ここにいましたね!試しに銃剣の刃を出してみたのですが、その際に指が切れてしまいました。少し診てもらえませんか?』
今、姉さんの視点カメラには、ドアップのジェーンが映っている。もう笑いすぎて、頬もお腹も痛い。ジェーンの肩をクラースさんが掴んで振り返らせると、クラースさんはジェーンに荒々しく何かを手渡した。
『ほら!これでも使っていろ、全く!』
『ああ、キュアクリームですね、なるほど。』
『クラース、ちょっと悪いけれど、私ヴィノの医師と話す事があるのよ。また今度でいいかしら?失礼するわね。』
姉さんは戸惑うクラースさんを置いて、歩き出してしまった。ロビーにはみんなの落胆の声が響いた。するとすぐに電話が鳴り響き出して、キハシ君が対応している。前を見れば、タージュ博士が背もたれに体を沈めて、ため息をついていた。
「ああ、そうだったのか~。クラースはケイトが好きだったんだなぁ。アリスは知っていたのかい?」
「まあそうですね。姉さんが夜遅くなった時は、クラースさんが家まで送ってくれるし。そうかなと思ってた。もし姉さんがキリーと帰りが一緒になっても、それが深夜なら送ってくれるんですよ?キリーと帰り道が全く一緒なのは博士知ってますよね?キリーという最強のボディガードがいるのに、意地でも家の玄関まで送るんですもん。」
「はは」タージュ博士が笑った。「そうか、そんなに大事に思っているのか。」
まあ、姉さんには幸せになって欲しいから、相手がクラースさんなら、きっと姉さんのことを大切にしてくれるだろうとは思う。そしたら一緒に住むことになるのかな、私の居場所はそこにあるのかな。少し、不安になってしまった。
『ケイト、少し話があります。今、手を離せますか?』
「あれれ?今度は部長だ。」
確かに、画面からジェーンの声がした。青いローブのおじいさんと話し終えた姉さんが、今度は立ち上がってジェーンを見た。
『いいわよ、何だか今日は、引っ張りだこの気分ね。さて、何の用かしら?』
『ここでは人気が多い、少し移動を願います。』
え?また?嘘でしょ……?てっきりジェーンはキリーのことが……!いや、でも彼には奥さんがいたんだった。じゃあ何の話だろう。姉さんはグレン研究所の食堂と思われる場所を、ジェーンと共に出て、廊下をまっすぐに進み、また人気の無い階段下へと連れて行かれた。ジェーンが振り返った。
『此処でなら誰にも聞かれないでしょう。』
『そうだと思うわ。それで、何の話かしら?』
『あなたは医師です。この現象についてもご存知かと。』
『はい。それは何かしら?』
何だ、クラースさんと同じことをするんじゃなかったのか。安心した。現象って何だろう、それにしてもジェーンの声がボソボソ小さいので、私が音量を上げようとしたら、その前にラブ博士がささっと音量を上げてしまった。
『実は……近頃、キルディアとの間に、妙な間が流れるのです。それまでは他愛のない雑談をしていたのですが、急に静かになり、互いに目を合わせては逸らす。そして何と称するのが適切なのか、互いに動揺しているのか、分かりません。そのような間が生まれます。』
『ジェーン……』
姉さん、どういう意味のジェーン……なのだろう。でもでも私が思ったよりも、ジェーンもキリーも不器用なのかもしれない。今のこのくだりをリンさんが知ったら超興奮するだろうなぁ。と思って、私はジェーンが話し始めた辺りから、画面キャプチャーをしている。これで何度でも見れるからね、リンさん。
そしてジェーンはいつもの無表情で、姉さんに聞いた。
『彼女は、私に対して、何かを遠慮しているのでしょうか?私はお恥ずかしい事ながら、どうも人の心が理解出来ない。もし彼女が私に対して苦手意識があったり、そういう事で、私の前で戸惑うような仕草を取っているのなら、私は彼女の負担になりたくはありません。距離を置くべきかと。』
『ジェーン……』
わお。ちなみにだけど、今もまた電話がピタリと止んでいる。ロビーにいる皆も、それぞれにやけていたり、真剣な顔をしながら、じっと映像を見ている。私は笑いをこらえていた。ジェーンは一度、うん、と頷いて続きを話した。
『どうやら彼女も、この妙な空気の正体が掴めていないようです。私は調べておくといいましたが、いくらWEBで検索してもヒットせず、また心理学の書籍でも、この空気の正体は書いてありませんでした。私の調べ方が悪いのか、もしやあなたならご存知かと思いました。これは何かの病気ではありませんか?』
『そうね。』
そうねって何?病気なの?私は笑ってしまった。タージュ博士もグフッと笑っていた。そして我々は姉さんの回答を待っている。姉さんはすぐに答えた。
『ジェーン、空気、というのは、キリーとの間に流れる、妙な雰囲気を指しているのよね?』
『はい。仰る通りです。』
『その空気が流れた時、あなたはどう思うの?』
『どう……でしょうか』ジェーンが目を丸くして、首を傾げた。『返答に困ります。そうですね、私は、未だ経験したことのないものを目の当たりにして、あたかも魔王や死神に出くわしたかの如く、ただ慄く心地になります。次の瞬間には、何事もなかったかのように、私は思考することだけを行いますが。』
『ああ、ジェーン。なるほどね、あなたもキリーも、きっと自分の気持ちを流す癖が、身に付いてしまっているのよ。それでは自分を自分で虐めているようなものだわ。もし次に同じことが起きたら、怖いでしょうけれど、勇気を出して、あなた自身の気持ちに焦点を当ててみて頂戴。とか言う私も、常に完璧にそれを出来ているのかと聞かれれば、そんなことは無いけれど、でも……自分の気持ちが何か、それを受け止めてあげれば、きっとその妙な空気の正体も掴めると思うわ。だからキリーと距離を置かなくても大丈夫よ。』
『そう、ですか。承知致しました。あなたの助言を参考にします。』
『さて!』姉さんがジェーンの背中を押して、歩き始めた。『もう時間が迫っているわ。皆のところに行きましょう。それにしてもそうだったのね。そこまでキリーのことが好きだったとは。』
『は?』
「ぶっ」
思わず吹いてしまった。ジェーンの引きつった顔が、画面いっぱいに映されている。それもそうだ、姉さん急にぶっ込みすぎでしょ……!
『私がいつそんなことを言いましたか?』
『あらあらごめんなさい、冗談よ、冗談!』
『……。』
ジェーンはちょっとだけ姉さんを睨んでから、先を歩き始めた。姉さんは小走りでジェーンの隣に行き、そして話しかけた。
『因みにあなた、パスコードがジェーディアって本当なの?』
『……解除した場合、その間抜け面を、自動的にポータルにアップする仕組みになっております。』
『ああそうなの……。』
どうして聞いちゃったんだろう、内緒にする条件で、私が姉さんに教えたのに。かく言う私も、内緒にする条件で、キリーから教えてもらったんだけどね……。もしかしたら戦いから帰ったら、キリーはジェーンに怒られるかもしれない。
何だか、急に熱いココアが飲みたくなって、カウンター内の湯沸かし器の方へと向かった。
因みに、ぐんぐんと視聴率が上がっていく。姉さんがクラースさんの後ろを付いて歩いて行き、誰もいない廊下の隅で、クラースさんが立ち止まってしまった。何これ、何この、ねえちょっと!
「え!?ちょっと何!?」
「アリス、静かに!」
タージュ博士が私に叫んだ。ちょっと真剣に見過ぎでしょ……いやいやいや、姉さんのそういう事情は知りたくない!しかも一定時間が経つのに、何故か視点が、ゲイルさんの方に行かないのだ。もうやだ、色々ともうやだ。
姉さんは笑いを含んだ声で、クラースさんに話しかけた。
『何よ、クラース。改まっちゃって。あなた最近おかしいわね。なんていうか、この間も丁度同じタイミングで仕事上がったからって一緒に帰ったけど、何も話さなかったじゃない。てっきり嫌われているのかと思っていたわ。でもそれにしては、業務中に話しかけてくるし……よ、よく分からないのよ。今日もこんなところまで連れ出して。』
ぐえええ……!だから身内のそういうの嫌なんだってば!放送中の画面を消そうとしたら、ラブ博士に無言で腕を掴まれてしまった。ちきしょーめ。
クラースさんが、ぽりぽりと人差し指で鼻の頭を掻いている。そして言った。
『楽しめそうな話題の一つ二つ、何も思い浮かばなくて済まなかった……俺は話すのが、あまり得意ではなくてな……実は、言っておきたいんだ。実は……。』
『な、何よ?』
クラースさんのやろうとしていることは、この若輩者の私にだって分かる。そこらの中学院生よりも下手くそでしょ。私は来たるべき瞬間に備えて、両手で顔を覆い、指の隙間から、じっと姉さん視点を見ている。隣にキハシ君が椅子をスライドさせてきて、参加した。気付けば今は、電話がピタリと止んでいる。もうやだ。
それに言葉を飲み込んでばかりで、何も話そうとしないクラースさんに、ちょっとイライラする。姉さんも同じなのか、先に声を出した。
『ねえ、何よ。やっぱり私が気に入らないんでしょう?もしかして、あの研究所には産業医なんて必要ないって思っているのかしら?仕方ないじゃない、昔の職員が多かった頃の名残で私は残っているし……もう再就職は難しいのよ。色々と事情があるから。』
『違う、ソーライにはケイトが必要だ。俺やキリーの怪我を、誰が治してくれる?ケイトがいるから、俺は多少の無茶が出来るんだ……す、すぐに終わる。俺の話はもう直ぐ終わるから、聞いてくれ。』
意を決した表情で、クラースさんが姉さんを見つめている。
『……この戦、もしかしたら俺は帰って来ない可能性がある。相手にはヴァルガ騎士団長、それに俺の兄貴が居る。兄貴は強い。だから、俺みたいに民間の傭兵じゃなくて、騎士になれたんだ。』
『何を弱気なこと言っているのよ、あなたらしく無い。いつものどっしりと構えたあなたは、どこに行ったのかしら?ふふ。』
『すまんな、ケイトの前では、俺は正直になれる。いや、正直でいたい。だから、もしこの戦で、俺が命を落としたら……そうなっては、本当のことが言えないんだ。そうなってはケイトに本当の事を言えないで終わることになる。それは避けたい。』
『何よ、改まって……。』
『ケイト』
『はい?』
はい?じゃ無いよ姉さん。明らかにクラースさんの顔が真っ赤なのに。
『う、う、美しいケイト……。』
ぶっと吹いてしまった。いやいやいや、ちょっと待ってよ。これユーク中の人が見てるということも知らずに、クラースさんは真っ赤な顔をして、しかも立膝をついたのだ。そして姉さんを見上げて、姉さんの手を取った。ああ、二人のことは応援してるけど、応援してるけれども!
『な、何これは……。一体どうしたのよ、今日のあなたは変だわ。』
『俺は……俺は、俺は!……一目会った時から、ケ、ケイトのことがす『ああ!ここにいましたね!試しに銃剣の刃を出してみたのですが、その際に指が切れてしまいました。少し診てもらえませんか?』
今、姉さんの視点カメラには、ドアップのジェーンが映っている。もう笑いすぎて、頬もお腹も痛い。ジェーンの肩をクラースさんが掴んで振り返らせると、クラースさんはジェーンに荒々しく何かを手渡した。
『ほら!これでも使っていろ、全く!』
『ああ、キュアクリームですね、なるほど。』
『クラース、ちょっと悪いけれど、私ヴィノの医師と話す事があるのよ。また今度でいいかしら?失礼するわね。』
姉さんは戸惑うクラースさんを置いて、歩き出してしまった。ロビーにはみんなの落胆の声が響いた。するとすぐに電話が鳴り響き出して、キハシ君が対応している。前を見れば、タージュ博士が背もたれに体を沈めて、ため息をついていた。
「ああ、そうだったのか~。クラースはケイトが好きだったんだなぁ。アリスは知っていたのかい?」
「まあそうですね。姉さんが夜遅くなった時は、クラースさんが家まで送ってくれるし。そうかなと思ってた。もし姉さんがキリーと帰りが一緒になっても、それが深夜なら送ってくれるんですよ?キリーと帰り道が全く一緒なのは博士知ってますよね?キリーという最強のボディガードがいるのに、意地でも家の玄関まで送るんですもん。」
「はは」タージュ博士が笑った。「そうか、そんなに大事に思っているのか。」
まあ、姉さんには幸せになって欲しいから、相手がクラースさんなら、きっと姉さんのことを大切にしてくれるだろうとは思う。そしたら一緒に住むことになるのかな、私の居場所はそこにあるのかな。少し、不安になってしまった。
『ケイト、少し話があります。今、手を離せますか?』
「あれれ?今度は部長だ。」
確かに、画面からジェーンの声がした。青いローブのおじいさんと話し終えた姉さんが、今度は立ち上がってジェーンを見た。
『いいわよ、何だか今日は、引っ張りだこの気分ね。さて、何の用かしら?』
『ここでは人気が多い、少し移動を願います。』
え?また?嘘でしょ……?てっきりジェーンはキリーのことが……!いや、でも彼には奥さんがいたんだった。じゃあ何の話だろう。姉さんはグレン研究所の食堂と思われる場所を、ジェーンと共に出て、廊下をまっすぐに進み、また人気の無い階段下へと連れて行かれた。ジェーンが振り返った。
『此処でなら誰にも聞かれないでしょう。』
『そうだと思うわ。それで、何の話かしら?』
『あなたは医師です。この現象についてもご存知かと。』
『はい。それは何かしら?』
何だ、クラースさんと同じことをするんじゃなかったのか。安心した。現象って何だろう、それにしてもジェーンの声がボソボソ小さいので、私が音量を上げようとしたら、その前にラブ博士がささっと音量を上げてしまった。
『実は……近頃、キルディアとの間に、妙な間が流れるのです。それまでは他愛のない雑談をしていたのですが、急に静かになり、互いに目を合わせては逸らす。そして何と称するのが適切なのか、互いに動揺しているのか、分かりません。そのような間が生まれます。』
『ジェーン……』
姉さん、どういう意味のジェーン……なのだろう。でもでも私が思ったよりも、ジェーンもキリーも不器用なのかもしれない。今のこのくだりをリンさんが知ったら超興奮するだろうなぁ。と思って、私はジェーンが話し始めた辺りから、画面キャプチャーをしている。これで何度でも見れるからね、リンさん。
そしてジェーンはいつもの無表情で、姉さんに聞いた。
『彼女は、私に対して、何かを遠慮しているのでしょうか?私はお恥ずかしい事ながら、どうも人の心が理解出来ない。もし彼女が私に対して苦手意識があったり、そういう事で、私の前で戸惑うような仕草を取っているのなら、私は彼女の負担になりたくはありません。距離を置くべきかと。』
『ジェーン……』
わお。ちなみにだけど、今もまた電話がピタリと止んでいる。ロビーにいる皆も、それぞれにやけていたり、真剣な顔をしながら、じっと映像を見ている。私は笑いをこらえていた。ジェーンは一度、うん、と頷いて続きを話した。
『どうやら彼女も、この妙な空気の正体が掴めていないようです。私は調べておくといいましたが、いくらWEBで検索してもヒットせず、また心理学の書籍でも、この空気の正体は書いてありませんでした。私の調べ方が悪いのか、もしやあなたならご存知かと思いました。これは何かの病気ではありませんか?』
『そうね。』
そうねって何?病気なの?私は笑ってしまった。タージュ博士もグフッと笑っていた。そして我々は姉さんの回答を待っている。姉さんはすぐに答えた。
『ジェーン、空気、というのは、キリーとの間に流れる、妙な雰囲気を指しているのよね?』
『はい。仰る通りです。』
『その空気が流れた時、あなたはどう思うの?』
『どう……でしょうか』ジェーンが目を丸くして、首を傾げた。『返答に困ります。そうですね、私は、未だ経験したことのないものを目の当たりにして、あたかも魔王や死神に出くわしたかの如く、ただ慄く心地になります。次の瞬間には、何事もなかったかのように、私は思考することだけを行いますが。』
『ああ、ジェーン。なるほどね、あなたもキリーも、きっと自分の気持ちを流す癖が、身に付いてしまっているのよ。それでは自分を自分で虐めているようなものだわ。もし次に同じことが起きたら、怖いでしょうけれど、勇気を出して、あなた自身の気持ちに焦点を当ててみて頂戴。とか言う私も、常に完璧にそれを出来ているのかと聞かれれば、そんなことは無いけれど、でも……自分の気持ちが何か、それを受け止めてあげれば、きっとその妙な空気の正体も掴めると思うわ。だからキリーと距離を置かなくても大丈夫よ。』
『そう、ですか。承知致しました。あなたの助言を参考にします。』
『さて!』姉さんがジェーンの背中を押して、歩き始めた。『もう時間が迫っているわ。皆のところに行きましょう。それにしてもそうだったのね。そこまでキリーのことが好きだったとは。』
『は?』
「ぶっ」
思わず吹いてしまった。ジェーンの引きつった顔が、画面いっぱいに映されている。それもそうだ、姉さん急にぶっ込みすぎでしょ……!
『私がいつそんなことを言いましたか?』
『あらあらごめんなさい、冗談よ、冗談!』
『……。』
ジェーンはちょっとだけ姉さんを睨んでから、先を歩き始めた。姉さんは小走りでジェーンの隣に行き、そして話しかけた。
『因みにあなた、パスコードがジェーディアって本当なの?』
『……解除した場合、その間抜け面を、自動的にポータルにアップする仕組みになっております。』
『ああそうなの……。』
どうして聞いちゃったんだろう、内緒にする条件で、私が姉さんに教えたのに。かく言う私も、内緒にする条件で、キリーから教えてもらったんだけどね……。もしかしたら戦いから帰ったら、キリーはジェーンに怒られるかもしれない。
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