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試行錯誤するA君編

144 プラチナの輝き

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 会議室のドアを開けた私は、ハッと息を飲んだ。大きな水色の円形のテーブルが置いてあるが、その奥の壁は一面窓になっていて、そこから青空が広がっていたからだ。

 エレベータから見えた街並みとは違い、今は青空しか見えない。そんなに高いところに位置していたか。早歩きで窓際まで行って景色を眺めると、眼下にはユークの街並みと、奥には焦げた焼け野原が見えた。以前お昼休みによく行っていた、あの崖も見える。

 焦げた野原は少しづつ、サウザンドリーフの住人により、緑が生まれ始めていた。私の隣にやって来たジェームスさんも、景色に目を奪われたようだった。

「おお、これはなんと……壮大な光景だ!普段水中で過ごしている僕は、ちょっと足がすくむけど。」

 少し笑ってしまった。確かに高い場所だから、私もちょっと落ち着かない。「そう言ってくれて嬉しいわ。」そう言ったのはテーブルに座る、ミラー夫人だった。赤い手帳に万年筆で書き込みながら言った。

「私の自慢の街ですから。」

 するとドアから、スコピオ博士とタマラ採掘隊のタールが入って来た。タールは紺のスーツ姿で、「よっ」と軽く挨拶をして、一番近くの席に座ったが、そこのテーブルの上には別の人の名前が書いてあるプレートが置いてあった。それをスコピオ博士に注意されたタールは自分の席を探した。

 会議の時間が迫って来たのもあり、アーネル、それから顔を知っている中年男性と、髭の生えたおじいさん、ライネット博士が続々と入室した。私も自分の席を探して、そこに座った。私の右隣はスコピオ博士だった。テーブルの上のネームプレートを見ると、私の左隣はジェーンの様だが、メンバーが殆ど揃っているのに、彼はまだ姿を見せていない。

 大丈夫かな?結構重症化して、あの多目的トイレで動けなくなってるんじゃないかな?いやまさか、あれはただのお腹の冷えだとケイト先生も言っていたから、時間が解決するさ。そう考えていると、隣のスコピオ博士が私に話しかけてきた。

「ようキルディア!さっきジェーン様をお姫様抱っこして、ダッシュしてるの見かけたけどさ、ジェーン様はどうしたんだよ?まさかこの高さから下に落として無いよな?はは!」

 スコピオ博士の発言に、何があったんだと会議室がどよめいた。私は苦笑いしながら答えた。

「はは……その手があったね。いや、すぐに来ると思います。ちょっと彼、お腹の調子が悪いみたいで。」

 私の発言に反応したのはミラー夫人だった。心配そうな顔をしている。

「あらやだ、そうだったの?カーネルさん、何かおたくに、いい物無かったかしら?あ、でも今は持っていないわよね?」

 ミラー夫人がカーネルと呼んだ人物は、夫人の隣に座っている白ひげのおじいさんのことだった。小柄で、ニコニコと優しそうなその雰囲気は、一瞬見ただけで彼に対する好感度が上がる程だった。一体彼は何者なんだろうか、どこかの有識者かな?

 カーネルさんは立ち上がり、自分のウェストポーチをゴソゴソと漁り、一つの小瓶を取り出すと、それをテーブル越しに私に差し出してくれた。私はテーブルをぐるりと回り、直接受け取りに行った。

「あ、ありがとうございます、これはお薬?いいんですか?」

「いいよ~」カーネルさんは答えた。「おじいちゃんたくさん持ってるからね~。」

 すごい、癒し系なおじいさんだ。私は微笑みながら頂いた瓶を見た。そこには『満員電車のレスキュー隊ポンポンペイン』と書いてあった。

「満員電車……あ!これはホームセンタービャッコの商品だ!」

 それは常日頃からクラースさんが愛用しているホームセンターの名前だった。帝国内でも有名なそのホームセンターは、各街にその支店があり、大きな倉庫がそのままお店の建物になっていて、そこに行けばなんでも手に入るというお店だ。

 特にクラースさんも気に入っているのが、ビャッコのオリジナル商品で、この薬もそのオリジナル商品だ。くっつく君や、キュアクリームもそうだ。こんなのものあるのか、と瓶を眺めていると、ミラー夫人が教えてくれた。

「彼はホームセンタービャッコの社長さんで、カーネルさんよ。ほらエストリーに来てくれた元新光騎士団のご家族さんを、トラックで運んでる会社。」

 私は驚きながらカーネルさんと熱い握手をした。まさか彼が社長さんだったとは!

「おお!あなたが!ああ……今日はクラースさんも連れてくるべきだった。絶対に喜ぶはずなのに!」

 するとカーネルさんが笑顔を消して反応した。

「クラース?それはクラース・エレノア・アッシュフィールドさんのことかね?ユークアイランド市パイル通り三丁目の。」

「え!?そ、そうです!そうですけど……ご存知にしては、とてもよく知っていますね。はは。」

 彼の言った住所の方に、確かにクラースさんの家がある。一度食事しに行ったことがあるが、パイル通りにある花屋さんの裏に、彼の住んでいるメゾネットタイプの家があり、彼はその二階部分に、ルームメイト二人と、でっかいサボテンと一緒に住んでいるのだ。ちなみに食事は宅配ピザで美味しかった。そんな思い出だ。

「おお、そうかそうか……」カーネルさんは満足げに頷いた。「もちろん知っているとも!彼はこのユークアイランド本店のお得意様でな、この帝国で随一プラチナ会員のカードを持っているお客様なのだ!」

「そんなにプラチナってレアだったの……。」

 どれだけ買い物をすればプラチナカードが貰えるんだろうか。そんじょそこらの買い物の仕方では貰えはしないだろうに。そう考えながら苦笑いしていると、私の背中を誰かにべシンと叩かれた。後ろにいたミラー夫人だった。

「ほらほら!早くそれを持って行ってあげなさい!あなたの大切な執事さんが困ってるんでしょ?」

「執事ではないです、彼は秘書……でもまあ、これを渡して来ます。ありがとうございます!」

 私は会議室から出た。するとすぐに会議室内から会話が聞こえたので、ちょっと立ち止まってしまった。この扉、意外と薄いのか、それかミラー夫人の声がでかいのか……ミラー夫人の声が聞こえた。

「……ねえねえ、やっぱりあの二人って、できてるのかしら?」

 ぶっ……吹きそうになった。何という噂話をしているんだ。私とジェーンができている訳が無い、連日のニュースで彼に妻がいるのを知っているだろうが。だが、同居してることも、お休みのハグしてることも、それを問い詰められたら、何を言っても言い訳がましくなるかもしれない。

 すると、カーネルさんの声が聞こえた。

「まあまあ、若い二人が仲良しこよしでいい事ではないですか。ギルバート騎士団長にも、信頼の置ける軍師が見つかったのです。その点だって、我々からしたら頼もしい。ジェーンさんが来たら、これからのお話をしようじゃないですか。それと……さっきから震えているあなたは、ライネットさん、ですか?」

 カーネルさんが話しかけたのは、ライネット博士に間違いない。彼は以前とは違い、今日はお茶ばかり飲んで、物静かに過ごしている。一体どうしたのか、するとアーネルの声がした。

「ふふふ、なんでもライネット博士は、ギルバート騎士団長のファンみたいですよ。博士は帝国立天文台の所長さんです。ですよね、博士?」

「あ、ああ……。」

「なるほど」

 私は小声で呟いたが、同じタイミングでミラー夫人も同じ言葉を呟いた。何だかそう聞いてしまうと会議室に戻りづらい……ジェーンが平気になったら一緒に戻ろう、そうしようと、私はその場を後にした。

*********

 その日、快晴のすっきりした天気だった。そんな素敵な日にも関わらず、僕は帝国立図書館に入り浸っている。早朝の開館時間から入って、もう五時間になる。

 僕はずっと戦術の勉強をしている。こんなものを今更読んだからって、何かが変わるものではないかもしれない。でも、努力をしないでまた負ける、その恐ろしさに打ち勝つ方法を、これ以外に僕は知らなかった。

 ページをめくる度に、これらが全て、もう既にジェーンの頭に入っていたのだろうと思うと、過去の僕はとても愚かだったことに気付く。

 元帥としての覚悟が足りなかったのだ。今はそれがある。もう二度と、同じ結果は起きないだろう。

 現在、古書のエリアには利用者が僕しか居ない。僕は古の戦略術の本を読み終えると、机に積んである本をまた一冊手に取り、ページを捲った。するとウォッフォンのバイブレーションが震えた。僕はメールを読んだ。

『昼過ぎに話したいことがある。お前は確か、図書館だったな。すまないが、俺のところまで来てくれるか?』

 それはネビリス皇帝からのものだった。僕はすぐに返事をした。

『承知致しました。それでは十三時に陛下の執務室に伺います。よろしいでしょうか?』

 すぐに返事が返って来た。

『それでいい。いつも来てもらって悪いな。ヴァルガとシルヴァも、一緒に話をしよう。』

 僕は了承の旨を伝え、ウォッフォンを閉じた。ああ、その話し合いのメンバーが嫌だ、本当に嫌だ。きっと光の神殿でのことを責められるのかもしれない。それに関して陛下は今まで何も言ってこなかったが、これから僕に罰を与えるのかもしれない。誰か、背中に乗っかってるのかな、それぐらいに体が一気に重くなった。

 それでも本を読み続けた。これはしなければならない、僕の使命だ。ジェーンに勝ちたい。あの日から、その思いばかりが胸から取れない。飄々ひょうひょうと僕の策を見抜いて行動出来たことも、彼女の側にずっと居られることも、僕はあまり良く思えない。

 そんなムカつく彼に、ただ一泡吹かせたい。そんな、子どもじみた理由を、僕は人生で初めて持てたのだ。そう考えると、僕のことを刺激してくれるこの仕事も、意外と悪くないのかもしれない。

「はあ……。」

 雑念が多すぎた。僕は一度深呼吸をして、また兵法を頭に叩き込んだ。
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