上 下
235 / 253
交差する、最後の戦い編

235 重たいドアノブ

しおりを挟む
 もう無理だ~もう無理!もう氷出ないし……どうしよう!

 城下の様子はどうなっただろうか。もうPCやウォッフォンで確認する暇も僕には無くて、状況が把握出来ていない。だが、僕の執務室のドアをノックする音が、ぽつぽつと減ってきている。氷漬けのドアは少しだけ開いたまま、僕が出した氷の塊で動かなくなっている。

 途中、炎タイプの魔術兵が来たときは終わりだと思ったけど、机の引き出しの中に何かないかと思って探ると、魔銃タイプの、手のひらサイズの放射器があった。

 それを使って自分の氷の威力を増幅させて、今まで何とか耐えてこれたのだ。きっとLOZが城に入ってきたのだろう、だから人数が割かれて、ここにいる兵も、下に行ったんだ。

 城内で交戦が始まった。ああ、本当にこの場所で死ぬかと思っていたが、LOZの彼らが来てくれている。もしかしたら、僕は生きて、この戦の終わりを迎える事が出来るかもな。

「ああ……キルディア、今どこだろう。早く来てくれないかな。」

 まるで隠れんぼで鬼から隠れているときの様に、緊張と興奮で、僕の下半身がゾワゾワした。気が付けば、ドアはもう静かになっていた。そろりそろりと、近付いて、耳を付けてみたが、人の気配が無かった。ふう、ほっと一息ついて、僕はソファで少し休む事にした。体を休めて、魔力の回復を試みる事にしたのだ。

 城下の民は、LOZを助けてくれただろうか。でもまあ、僕の言うことなんか信じないだろうな、だって悪政を執行した張本人なのだから。そう考えて、自分で笑ってしまった。

 今までろくに、何もしてこなかったくせに、こんな時に限って、助けを請うなんて、それこそ馬鹿馬鹿しいって話だ。そう、僕は愚かで、無力な男なのだ。まるで赤ちゃん、いや違うか。赤ちゃんは愚かではない。

「チェイス様、チェイス様。」

 ドアの隙間から声がした。聞き覚えのある声だ。僕は警戒しつつ、ドアの隙間を覗いた。廊下で腰を低くして、ドアから僕を呼んだのは、いつも僕のことをこの部屋で監視していて、さっきも僕の防具の装着を手伝ってくれた、騎士だった。僕は、戸惑いながら聞いた。

「な、何?君は……こんなところで、どうしたの?」

「現在、城の中庭に侵入してきたLOZとの戦闘に、兵を割かれており、城内は静まっております。今の内なら、窓からでも逃げる事が可能です。なので、こっそり迎えに来ました。」

「え?何で?僕を監視していたのでしょう?僕が逃げたら、君は責められるんだよ?」

 その騎士は、辺りをキョロキョロ確認してから、僕を手招いた。

「今なら誰も近くにおりません!陛下も今は、最上階の自室で待機をしています!私が先導しますから、今の内に、謁見の間の窓から、逃げる事が出来ます!そうすれば、チェイス様だけでも、LOZに!」

「で、でも、どうしてそんなこと、君が?」

「ここ数日間、チェイス様と一日中共に過ごして、私は監視している身だと言うのに、気遣って頂いて。どうしても、あなた様がそんなに悪く思えないのです。ここは私が援護しますから、どうか、城の外へお逃げを。ここにいては、騎士に殺されるか、流れ弾に遭うか……!いえ、私が、そうはさせません!さあ、私に続いて、早く!」

 辺りを気にしながら、手招きを続けてくれている。彼が、僕を逃してくれるのか。これは幸いだ。ここにいても、いつかは僕の魔力が尽きる。その瞬間が、僕の死際になるだろう。それにいつかは陛下に、誰かに殺されるなんて、やっぱり嫌だ。もう一度、キルディアにも、民にも会いたい。

 迷った挙句、僕はドアの氷を解除した。そして執務室から出ると、辺りを見回した。

「本当だ、誰もいなくなってるね。」

 しかし、下の階からは発砲音や、ぶつかり合う金属音が聞こえている。僕のことを導いてくれる騎士は、周りに誰もいないことを確認してから、僕のことをこまめに手招いてくれる。

「よし、誰もおりません。この隙に、一階に降りましょう!」

「分かった。」

 彼なら信用しても良さそうだ。吹き抜けのホールに着いた。この階段を下りれば、城の中庭へと繋がっている通路、それから反対側には広々とした神々しい空間の、謁見の間がある。中に入れば美しい彫刻で彩られた空間があり、真ん中にはポツンと、いかにも王様らしい椅子が置いてある部屋だ。

 その部屋の窓は大きい。ちょっとだけ開ければ、細い僕はすり抜けられる。誰も気付きはしないだろう。彼がいてくれて、良かったかもしれないと思いながら、僕は彼に続いて、階段を降りた。途中の手すり、流れ弾が当たったようで、欠けていた。何だか、本当にこの城が戦場なのだと、ゴクリと、生唾を飲み込んだ。

 彼が立ち止まった。僕も立ち止まる。彼は、入り口方面の通路をじっと見ていて、通路の先の戦っている騎士達が、こちらを見ていないことを確認すると、僕のことを見ながら手招いた。

「あと少しです!さあ!」

「うん。」

 僕はついて行く。城の入り口で交戦している部隊は、本当に気付いていないようだった。これなら僕は、誰にも見つからずに謁見の間から外に出られるだろう。空気に馴染むが如く、気配を消して、僕は謁見の間の大きな扉の前に立つ事が出来た。彼がそこで、膝をつき、座った。

「私は、チェイス様が逃げ切るまで、見張りをしております。……これが、私とチェイス様の最後のやり取りとなるでしょう。どうか、どうか、LOZと共に、民をお守りください。」

 最後だって!?そんな事、到底受け入れられない僕は、首を思いっきり振って、彼の肩に手を置いた。兜で表情は見えないが、その奥の瞳は泣いているように思えた。放ってなど、おけないよ。

「どうして?君も一緒に来てくれ!僕と一緒に、ここから逃げようよ。」

「……私は、ネビリス様に身命を捧げた、新光騎士団の騎士です。この場所で、最後まで戦いたいのです。私の自尊心が、逃げることを許さないのです。」

「そ、そうなのかい……。」

 騎士の自尊心とやら、僕はまるで知らないから、それ以上彼にかける言葉など見つからなかった。そして、僕は金色のドアノブに手を掛けた。いつもは開きっぱなしの扉だったから、このドアノブを触るのは初めてだった。

 でも、何だか、この金のドアノブが重く感じる。捻って回すタイプなので、一応捻っては見たが、何だか、僕の心の奥で引っかかるものがあった。この扉を開けてはいけない、この状況が、この空気が、僕のことを背後から羽交い締めにしていて、僕は呼吸を忘れて、考えにふけった。

 これは違う気がした。これは、違う。呪いを掛けられたものに触ってしまったかのように、ふっと手を離して、僕は後退りをし、その手を胸に寄せて、首を振った。

 兵が僕を見ている。

「どうしたのです?お時間が。」

「……君、僕を騙そうとしたろ?」

 兵は無言になった。僕は後退りをゆっくりとしながら、彼に言った。

「君は今、確かにこう言った。ネビリス皇帝に身命を捧げていると。なのに君は、戦の邪魔をした、重罪人の僕を助けてくれるのかい?随分と、陛下にとっては身勝手な行動をするものだなぁ。」

「そ、そんな……確かに心構えはそうではあります。しかし、私は本当にチェイス様にお逃げ頂きたくて!」

「そっか、ありがとう。じゃあ僕は、別のルートから逃げるよ。ここまで連れてきてくれて、本当にありがとうね。」

 彼にバイバイ、と手を振ってから、僕は踵を返して、城の正面への通路に向かった。交戦している兵が居るが、その途中の窓から出てしまえば、あとは生垣の中を通って、LOZ側へと行ける。万が一騎士に出会したとしても、言い訳ぐらいどうとでもなるさ。

 通路の向こう側はどうなっているか確認したいと思った僕は、ちょっと爪先立ちをして、中庭の方を見ようとした。剣を掲げた英雄像があり、その奥にLOZの兵達が戦っているのが見える。

 そしてその中に、ヴァルガ騎士団長とキルディアの姿があったのだ。ああ!とうとうこの時がきた!僕はすぐに笑顔になって、キルディアがどうにか僕を見つけてくれないだろうかと、興奮した。何だか、ワクワクしてくるなんて、この状況なのに、おかし

「チェイス」

 今一番聴きたくないランキング第一位の声だった。恐る恐る振り向くと、そこには先程の兵と、ネビリス皇帝が立っていた。陛下は、硬い昆布でもかじっているかのように、歯を食いしばった表情をしていて、その顔面には血管がいくつも浮き上がっている。人って本気で怒ったら、こんな顔ができるんだ。知りたく無かったな。

「チェイス……謁見の間に来てくれなかったのだな。お前は冷たい人間だ。」

 僕は、ここで気持ちで負けてはいけないと、拳をぎゅっと握りしめて答えた。

「やっぱり、謁見の間で、僕が来るのを待っていたのですね。僕と仲のいい、その兵士を利用したんだ。」

 陛下の隣にいる彼は、何も反応せずに、僕をじっと見ていた。やはり彼は、心の隅まで新光騎士団の騎士だったのだ。簡単に彼を信じて、ここまで来てしまった僕は、迂闊だった。

 陛下は僕に魔術を放つ為に、手のひらを向けた。僕も携帯用の放射器を構える。

「その道具を持っても、ドアを凍らすのに精一杯だったお前に、一体何ができると言うのだ。」

「……僕だって、全力で戦える。彼女らのように。」

「チェイス。お前のせいで、この城下はめちゃくちゃになってしまった。折角俺が用意した新光騎士団の民兵だって、お前の言葉でLOZへ投降してしまった。城下の民も、お前のせいでLOZの手伝いをしている。本当に、めちゃくちゃにしてくれた。」

 そうだったのか……!民は、僕を信じて寝返ってくれたのか!ああ、僕自身、城内の暮らしに苦しみながらも、民と向き合ってきた、それがこんな形で報われるとは!酷い人間だと思われて終わりだと思っていたのに、皆はまだ僕を信じてくれていたか!素直に、嬉しかった。

 ならば、絶対にここから出たい。

「チェイス!」陛下が怒鳴った。「お前だけは殺す!絶対に、この場で殺してやる!すぐにだ!」

 陛下は炎の魔弾を僕に放った。ならばと僕は、放射器で氷を噴射して、それを打ち消そうとしたが、僕の氷はすぐにシュッと音を立てて溶けてしまい、更に炎の弾は勢い衰えることなく、僕の腕に着弾した。熱い!焼けている!僕は痛くて、よろけた。

「うっ!」

「はっはっは!やはり軍師は軍師のようだな、赤子のように弱い。だがチェイスよ、もっと、もっと生きたまま俺を楽しませてくれよ。だが、時間がないな。」

「ぐっ!ううう!」

 走って近づいて来た陛下に放射器を浴びせようとしたが、僕の手が蹴られて、放射器が吹き飛んでしまった。どうしようと怯んでいる隙に、陛下が僕の首を絞めた。片手だけど、物凄い力だった。首の骨が折れそうだ。

 これではもう、僕は数秒たりとも、持たない。無理だ。意識が遠のきそう……その時、声が聞こえた。

『チェイス。』

 誰だ?……だが、聞き覚えはある。ポケットに入っているキルディアちゃんの声だ。しかし最近はキルディアの声以外にも、誰か別の女性の声で話す事がある。その別の人の声だった。この極限状態で、何を僕に言おうと言うのか。

『チェイス、やりたいことをやって、よく頑張ったね。私はあなたを誇りに思っているわ。』

 喉から酸素を得られなくて、僕の肺が小刻みに震えている。頭の片隅に、優しいカスタードの香りを思い出した。その時に、この声の正体を思い出した。

 お母さんだった。僕が小さい頃に、家を出て行ってしまったから、あまり記憶にはないけれど、僕をここまで導いてくれたのは、お母さんだったのだ。きっと、お母さんの優しい記憶が、どこか頭の片隅に残っていて、この窮地で、僕の背中を押してくれたに違いない。

 あなたは、お父さん以外の誰かと一緒にいることを選んで、幸せになりましたか?僕は、LOZに行くことを選んで、とても幸せでした。と、微笑んだ。

「何をニヤニヤと気色の悪い奴め。くそ、あれはギルバート……チッ!時間が無い。」

 陛下は僕の首を掴んだまま、僕の体を持ち上げて、銃口を僕の胸にピタリとくっつけた。彼は今から、僕の心を破壊するらしい。キルディア、今までありがとう。

「さようならチェイス、お前の死顔は、醜いぞ。」

 僕は目を閉じた。
しおりを挟む

処理中です...