2043 ーリテラ・ノヴァの予言ー

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Chapter6 Deeeeep★Oracle

#22 倫理法務部

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 倫理法務部の扉をノックして中に入ると、ぶ厚い法関連書籍や資料、書類がぎっしりと並んだ棚がまず一番に目に入る。時代を遡ったようなその部屋の奥、執務室に一番近い席で、奏さんが椅子から腰を浮かせた。

 ヒョロっと背の高い奏さんはモデルスタイルで足が長く、座っている時と立っている時でずいぶん印象が変わる。匠真と身長だけでなく年も同じくらいだが、肩幅は彼の半分ほどしかないのではというくらい華奢な骨格。頬骨の突き出た青白い顔が、今朝はいっそう疲れて見えた。

「お疲れさまです。佐伯部長は中でお待ちです。それと、倫理法務部門でも今回の件について状況整理し、D-Baseにアップしました。ひとまず佐伯部長とおふたりにアクセス権限がありますので、このあと確認してもらって、問題なければ社内全体で共有します。
 朝になってから例のサイトがまたおかしな変更をしてて、ついさっきバタバタと書き上げたばかりで……」

 うんざりした表情の奏さんに、「肖像権絡みですよね」と糸井部長が労うように言う。

「はい。これだけやらかしてるのを見ると、蓋を開けてみたらサイト管理者が高校生や中学生だった、なんてこともあるかもしれません。ネットリテラシーが学校で教育されてるとはいえ、みんながみんな真面目に授業を受けてるわけじゃないでしょうし、反抗期の子どもは『ルールを破ることがカッコいい』ものですから」

「たしかに。しかし、大人だからちゃんとしてるってわけでもないでしょう?」

「そうですよね。Pitterユーザーの半分はまともじゃない気がします。まあ、そういうユーザーが目立つだけなんでしょうけど」

 奏さんは覇気のない顔つきでぼやくと、もう一度「佐伯部長がお待ちですので」と会釈して着席した。そして、書類と本に埋もれるようにしてパソコンに向かう。

 このデジタル時代にあってデスクに紙の書類が積み上がっているのが、コンテンツ・キュレーション部の景色と違うところだった。万が一の時のバックアップは紙。いつだったか、「デジタルとアナログは対立するものではなく相互補完的な関係なんだ」とAIチームの合田部長が言っていた。

 そのまま行き過ぎようとしたが、ふと、秦さんの机の端に鎮座する書類の山に目がとまった。

 1番上の紙には『倫理法務部 状況報告書(仮)/件名: Pitter上の「AI翻案予言」騒動および関連サイト「Deeeeep★Oracle」について』とある。どうやら、さっき奏さんが言っていた状況報告書のようだ。

「行くよ、本宮さん」

 糸井部長に声をかけられ、慌てて後を追いかける。ノックをするとすぐに中から返事があったが、佐伯部長はパソコンモニターに視線を向けたまま私たちを迎え入れた。「すぐ終わるから」とキーボードを叩く手は止まらない。

 倫理法務部のフロアと同じように、執務室の至るとこに紙の書類があった。それらはすべてファイルやケースで整理され、いかにも佐伯部長らしい空間だ。

 じきに打鍵音が止まり、部長はタブレットを手に立ち上がる。

「そっちのテーブルで話しましょう。キュレ部からの報告書は目を通したから、ふたりはD-Baseを確認して。秦君から『倫理法務部 状況報告書(仮)』という文書の共有通知が届いてるはずだから」

 そう言いながら佐伯部長が向かったのは、外部とのオンラインミーティング時に使用する専用スペース。四人用ダイニングテーブルくらいの大きさの机と、椅子が一脚。背後の壁にはDRIのロゴが描かれた幕が吊るされ、対面には大型モニターが掛けられている。

 外部とのオンライン会議はほぼパソコン画面で済ませ、壁の大型モニターを使うことはほとんどないらしい。しかし、今のような社内の少人数ミーティングで利用することはよくあった。

 糸井部長と私は机の下から折りたたみスツールを出し、カメラと照明を縁に寄せて、佐伯部長と向い合せに座る。
 
「モニターに出すまでもないから、それぞれタブレットで確認してちょうだい」

 佐伯部長を含め、3人がそれぞれ自らのタブレットでD-Baseを開く。通知から共有データに移動すると、やはり、先ほど秦さんの席にあった紙の書類と同じ文章があった。

 件名は『Pitter上の「AI翻案予言」騒動および関連サイト「Deeeeep★Oracle」について』。この2件の騒動の概要と法的リスクの洗い出しがされている。

 まず、AI翻案予言が的中したというポストが「#ハヤト文体」のタグをつけて拡散した件について。これに対しては『虚偽情報(デマ)の拡散を助長しており、弊社の信用失墜に繋がるリスクがある。』としている。

 特に、AI翻案抜粋として投稿された文章については、先日の臨時会議で指摘された「パーソナライズ翻案を非公開選択したことによる、DRIのデータベースに存在しない翻案」のことについても言及されていた。

 すなわち、今回の件はAI翻案抜粋として投稿された文章が商用利用には該当しないため、利用規約の範囲内での利用にあたるが、今後問題が起きたとしても、その投稿文がリテラ・ノヴァにより生成されたものかどうかの確認が困難になるということ。つまり、デマや誤解を否定・修正することが難しいということだ。

 次に『Deeeeep★Oracle』の問題点について。

 ひとつは、商標登録された『Deeeeep』の名前を使用したことによる商標権侵害にあたる点。

 次に、リテラ・ノヴァのコモンズ・ギャラリーへのリンクを掲載したことで、消費者に対してDRIの公式関連サイトと誤解を与える可能性があり、これは不正競争防止法上の問題が生じる可能性があるという点。

 みっつ目としては、平井颯人の所属事務所が法的措置をとる可能性について。DRIとしては、第三者としてSLNの動きを注視する必要があり、現状、当該サイトは平井颯人の肖像権侵害と著作権侵害に該当するとみられる。

 A4用紙1枚で収まるこの報告書の最後には、緊急度が「中」と判断されるということに加え、推奨対応として次の4点が挙げられていた。

 SLN(スターライト・ネクスト)への情報提供、サイト運営者への警告、リテラ・ノヴァ内での注意喚起、そして、AIチームによるアルゴリズムの見直し。最後の項目を読んだ瞬間、合田部長の諦めと苦悶が入り混じった表情が頭を過った。

 タブレットから顔をあげると、いつからこちらを見ていたのか佐伯部長と目が合い、その不意打ちに心臓が跳ねる。

「ふたりとも読み終えたようね。この件については、今のところDRIが主体で動く状況にはないというのが私の見解です。
 ただし、状況をしっかり把握し、特にスターライト・ネクストとの情報共有には細心の注意を払ってください。砂川マネージャーにサイトのことを報告したという話だったけど、対応については、その後向こうから何か連絡があったかしら?」

「いえ。方針が決まったら連絡をくださるということでしたが、まだ」

「昨日の時点では様子見するつもりだったのかもしれないわね。それが、今朝になって平井先生の写真がサイトに使われてるのを見て、改めて対応を検討しているのかも」

 佐伯部長は思案するように口元に手をあてる。その時、私の隣でタブレットを操作していた糸井部長が「あれ?」と抜けたような声を漏らした。

「何かあった?」

「見てください。サイトにアクセスできなくなってます」

 糸井部長がテーブル中央に差し出したタブレットには、『サイト改修のお知らせ』を報せる文章が表示されていた。それはいかにもアマチュアサイトらしい、白一色の画面に明朝体の文字だけが無機質に並んでいるものだった。

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