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Chapter13 渦中
#86 批判されるタイミング
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「京スポ記事のことですか?」
執務室に入ってすぐ、私はある程度の確信を持って佐伯部長に問いかけた。しかし、返ってきたのは「そのつもりではなかったんだけど」という意外な言葉。
「本宮さんを呼んだのは、惣領君がまとめてくれた新田君絡みの投稿を共有しようと思ったから。でも、待ってる間に京スポの記事がアップされたの」
「私も記事のことは今知ったところです。ざっと目を通して、ここに来る前に惣領君にも伝えておきました。新田君の家にはもうすぐ着くみたいです」
部長たちは蒼君のことを失念していたのか、「あっ」と声を漏らした。
「ありがとう。新田君がもう記事を読んだかどうかはわからないけど、惣領君たちには伝えておくべきだったわね。それにしても……」
佐伯部長は、困惑を隠さずにため息をつく。普段きっちり表情管理をしているだけに、状況の悪さがヒシヒシと伝わってきた。
「あの、佐伯部長。新田君はどうなるんでしょうか? こういう記事、訴えたりできないんですか?」
「できるかできないかで言えば、名誉毀損で訴えることは可能。法的にはね。でも、現実的ではないし、新田君にとってもダメージが大きすぎる」
「ダメージって、金銭的な問題ですか?」
「ええ」と、部長は重々しくうなずく。
「訴訟となれば時間も費用もかかる。新田君の名前がさらに世間に広まることになるし、今回の件が何度も蒸し返されることになるわ。
今回のことは、不正アクセスの件とは違って私の判断ミスね。事件への彼の関与がわかった時点で謹慎処分にしておけば、こんなふうに隠蔽を疑われることはなかった」
「しかし」と、合田部長は反論する。
「新田にやらせていたのは、DRIの業務ではなく捜査協力です。脆弱性パッチなんかもさせましたが、それも新田の協力が緊急で必要だからそうするほかなった。だから、あれが通常勤務ではなく、聴取及び捜査協力のためであったと説明すべきです」
合田部長は京スポへの怒りを滲ませた。佐伯部長は刹那思案し、「そうね」と手元でメモをとる。
「いずれにせよ、世間がこれ以上騒ぎ立てないよう、どういう形で謹慎までの経緯を公表するかは考えなければいけないわ。今は何をやっても批判されるタイミングだから」
「ですね」と同意したのは糸井部長。
「こっちが無反応でいれば世間は忘れるかもしれませんが、それはそれで信用を失います。新田君にとっても良くありません。難しいところですね」
「ひとまず、事件から無期限謹慎処分までの空白期間については、サイト上に掲載している事件の経緯説明文に追記としてあげることにしましょう。
しかし、〈翻案予言bot〉とKの関係性についてまでうちで釈明することはできないわ。私たちは結城先生が主犯だとわかっているけど、事件に関することはうちからは言えない。新田君には、今は耐えてもらうしかないわね」
「自業自得とはいえ、やりきれんな」
合田部長はもどかしそうに頭をかいた。私の口からもつられて愚痴がこぼれ出る。
「結局、また『捜査中のため』ってことですよね?」
つい口調が皮肉っぽくなり、佐伯部長が苦笑を浮かべた。
「もどかしいのはわかるけど、新田君のためでもあるの。DRIのためでもあるしね。
新田君のことはできる限りフォローするつもりよ。本人が訴訟を考えるなら協力するし、そうでなくても、彼が一人で抱え込まないように、できる限りのことはしましょう」
佐伯部長は眼鏡を外して眉間を抑えた。ここしばらく気の休まる暇もなかっただろうし、合田部長が佐伯部長に向ける眼差しも心配そうだ。
「佐伯部長。〈漆黒の夜【公式】〉は、この状況を見て『制裁だ』と笑ってるようなやつです。一体どんな人間がこんなことをしているのかはわかりませんが、相手がうちを標的にしているのは間違いない。
インサイト・エンジンの状況を考えると、ランサム攻撃を仕掛けてこないとも限らないので、AIチームはデータを人質にとられないよう尽力します。まあ、相手にはうちに搾り取る金がないこともわかってるでしょうけど」
合田部長の最後の軽口に、佐伯部長は表情を緩めた。私もそれで気が緩んだのかもしれない。その直後に佐伯部長が発した言葉に、一瞬頭が真っ白になった。
「そろそろ、パーソナライズ翻案のこともちゃんと検討しないといけないわね」
糸井部長と合田部長は予期していたのか、それとも私がいないうちにすでに話題にしていたのか、「ですね」とうなずいた。部長3人の視線がこちらに向けられ、佐伯部長の唇が動きかけて、私は慌てて口を開く。
「それは……、どうして、今、その話をされるんですか? 新田君のこととは別問題ですよね?」
悪あがきだとわかっていた。
蓮見部長の言った、「うちの社是は『AIと人が織りなす、豊かなコモンズの創造』であって、そこに『パーソナル』という言葉は出てこない」という言葉がぐるぐると頭の中をまわっている。
「本宮さん。新田君が新文部というコミュニティでやったのは、PitterにAI翻案抜粋を投稿するよう勧めただけじゃないの。彼は、Deeeeep解散を想起させる偽のAI翻案抜粋を新文部に書き込んでる。ああいった文章も、今のリテラ・ノヴァのシステムではうちのAI翻案ではないと証明することができないのよ」
「でも、あの文章は結城先生自身が自分の創作だと認めました」
「今回はね。でも、また同じことが起きないとは限らないでしょう? 犯人が名乗りでなければ、うちは打つ手がなくなるの」
反論できずに口を継ぐんだ。気まずい沈黙はほんの数秒しか続かず、私のスマホが手の中で鳴りはじめる。画面には『惣領蒼』と表示されていた。
執務室に入ってすぐ、私はある程度の確信を持って佐伯部長に問いかけた。しかし、返ってきたのは「そのつもりではなかったんだけど」という意外な言葉。
「本宮さんを呼んだのは、惣領君がまとめてくれた新田君絡みの投稿を共有しようと思ったから。でも、待ってる間に京スポの記事がアップされたの」
「私も記事のことは今知ったところです。ざっと目を通して、ここに来る前に惣領君にも伝えておきました。新田君の家にはもうすぐ着くみたいです」
部長たちは蒼君のことを失念していたのか、「あっ」と声を漏らした。
「ありがとう。新田君がもう記事を読んだかどうかはわからないけど、惣領君たちには伝えておくべきだったわね。それにしても……」
佐伯部長は、困惑を隠さずにため息をつく。普段きっちり表情管理をしているだけに、状況の悪さがヒシヒシと伝わってきた。
「あの、佐伯部長。新田君はどうなるんでしょうか? こういう記事、訴えたりできないんですか?」
「できるかできないかで言えば、名誉毀損で訴えることは可能。法的にはね。でも、現実的ではないし、新田君にとってもダメージが大きすぎる」
「ダメージって、金銭的な問題ですか?」
「ええ」と、部長は重々しくうなずく。
「訴訟となれば時間も費用もかかる。新田君の名前がさらに世間に広まることになるし、今回の件が何度も蒸し返されることになるわ。
今回のことは、不正アクセスの件とは違って私の判断ミスね。事件への彼の関与がわかった時点で謹慎処分にしておけば、こんなふうに隠蔽を疑われることはなかった」
「しかし」と、合田部長は反論する。
「新田にやらせていたのは、DRIの業務ではなく捜査協力です。脆弱性パッチなんかもさせましたが、それも新田の協力が緊急で必要だからそうするほかなった。だから、あれが通常勤務ではなく、聴取及び捜査協力のためであったと説明すべきです」
合田部長は京スポへの怒りを滲ませた。佐伯部長は刹那思案し、「そうね」と手元でメモをとる。
「いずれにせよ、世間がこれ以上騒ぎ立てないよう、どういう形で謹慎までの経緯を公表するかは考えなければいけないわ。今は何をやっても批判されるタイミングだから」
「ですね」と同意したのは糸井部長。
「こっちが無反応でいれば世間は忘れるかもしれませんが、それはそれで信用を失います。新田君にとっても良くありません。難しいところですね」
「ひとまず、事件から無期限謹慎処分までの空白期間については、サイト上に掲載している事件の経緯説明文に追記としてあげることにしましょう。
しかし、〈翻案予言bot〉とKの関係性についてまでうちで釈明することはできないわ。私たちは結城先生が主犯だとわかっているけど、事件に関することはうちからは言えない。新田君には、今は耐えてもらうしかないわね」
「自業自得とはいえ、やりきれんな」
合田部長はもどかしそうに頭をかいた。私の口からもつられて愚痴がこぼれ出る。
「結局、また『捜査中のため』ってことですよね?」
つい口調が皮肉っぽくなり、佐伯部長が苦笑を浮かべた。
「もどかしいのはわかるけど、新田君のためでもあるの。DRIのためでもあるしね。
新田君のことはできる限りフォローするつもりよ。本人が訴訟を考えるなら協力するし、そうでなくても、彼が一人で抱え込まないように、できる限りのことはしましょう」
佐伯部長は眼鏡を外して眉間を抑えた。ここしばらく気の休まる暇もなかっただろうし、合田部長が佐伯部長に向ける眼差しも心配そうだ。
「佐伯部長。〈漆黒の夜【公式】〉は、この状況を見て『制裁だ』と笑ってるようなやつです。一体どんな人間がこんなことをしているのかはわかりませんが、相手がうちを標的にしているのは間違いない。
インサイト・エンジンの状況を考えると、ランサム攻撃を仕掛けてこないとも限らないので、AIチームはデータを人質にとられないよう尽力します。まあ、相手にはうちに搾り取る金がないこともわかってるでしょうけど」
合田部長の最後の軽口に、佐伯部長は表情を緩めた。私もそれで気が緩んだのかもしれない。その直後に佐伯部長が発した言葉に、一瞬頭が真っ白になった。
「そろそろ、パーソナライズ翻案のこともちゃんと検討しないといけないわね」
糸井部長と合田部長は予期していたのか、それとも私がいないうちにすでに話題にしていたのか、「ですね」とうなずいた。部長3人の視線がこちらに向けられ、佐伯部長の唇が動きかけて、私は慌てて口を開く。
「それは……、どうして、今、その話をされるんですか? 新田君のこととは別問題ですよね?」
悪あがきだとわかっていた。
蓮見部長の言った、「うちの社是は『AIと人が織りなす、豊かなコモンズの創造』であって、そこに『パーソナル』という言葉は出てこない」という言葉がぐるぐると頭の中をまわっている。
「本宮さん。新田君が新文部というコミュニティでやったのは、PitterにAI翻案抜粋を投稿するよう勧めただけじゃないの。彼は、Deeeeep解散を想起させる偽のAI翻案抜粋を新文部に書き込んでる。ああいった文章も、今のリテラ・ノヴァのシステムではうちのAI翻案ではないと証明することができないのよ」
「でも、あの文章は結城先生自身が自分の創作だと認めました」
「今回はね。でも、また同じことが起きないとは限らないでしょう? 犯人が名乗りでなければ、うちは打つ手がなくなるの」
反論できずに口を継ぐんだ。気まずい沈黙はほんの数秒しか続かず、私のスマホが手の中で鳴りはじめる。画面には『惣領蒼』と表示されていた。
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