婚約破棄された地味令嬢、実は美貌を隠していただけでした

かきんとう

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 王都でも指折りの名門、ローゼンベルク公爵家の大広間に、重苦しい空気が満ちていた。磨き上げられた床に反射するシャンデリアの光はいつもと変わらぬはずなのに、その場に集う貴族たちの視線はどこか好奇と期待に満ちていて、まるで見世物を待つ観客のようだった。

 その中心に立たされているのは、ひとりの令嬢。

 栗色の髪はきっちりと後ろで束ねられ、華やかさとは程遠い質素なドレス。顔立ちは整っているはずなのに、厚めの前髪と控えめな表情のせいで、印象はどうにも薄い。社交界では“地味令嬢”と呼ばれている少女――リシェル・エヴァンズである。

「リシェル・エヴァンズ」

 壇上から、冷ややかな声が降ってきた。

 この国の第一王子、アルフォンス殿下。

 金の髪、青い瞳、整った顔立ち。誰もが認める美貌の持ち主であり、同時に社交界でもっとも注目される人物。その隣には、淡い桃色のドレスを身にまとった令嬢が寄り添っていた。

 セリーナ・バルディア子爵令嬢。

 最近、殿下と親しくしていることで有名な女性だ。

「君との婚約を、本日をもって破棄する」

 ざわり、と会場が揺れた。

 だがリシェルは、驚いた様子も見せず、ただ静かに頭を下げた。

「承知いたしました、殿下」

 その落ち着いた返答に、周囲の視線が一斉に集まる。

 泣き崩れるでもなく、取り乱すでもなく、まるで最初から分かっていたかのような態度。

 アルフォンスはわずかに眉をひそめた。

「理由を聞かないのか?」

「必要ございません。殿下のお気持ちは、以前から感じておりましたので」

 静かな声。

 責めるでも、縋るでもない。

 ただ事実を述べるような響き。

 その淡々とした態度に、逆にアルフォンスの胸の奥がざわついた。

「……そうか。では、これで終わりだ」

「はい。これまでお世話になりました」

 リシェルは深く一礼した。

 それだけ。

 涙ひとつ見せない。

 会場の貴族たちは、戸惑いと失望を隠せなかった。

 もっと劇的な場面を期待していたのに、あまりにもあっさりしているからだ。

 だが――。

 その時だった。

「……あら」

 小さな声が、リシェルの口から漏れた。

 彼女は顔を上げ、ゆっくりと周囲を見渡す。

 そして、ふっと息を吐いた。

「ようやく、終わりましたわね」

 その言葉は、誰に向けたものでもない独り言だった。

 だが、その瞬間。

 彼女は髪を留めていた飾りを外した。

 さらり、と。

 栗色の髪がほどけ、背中へ流れ落ちる。

 同時に、彼女は前髪を軽くかき上げた。

 それだけの仕草。

 なのに――。

 会場の空気が、一変した。

「……え?」

 誰かが、呆然と声を漏らす。

 今まで“地味”としか言われなかった令嬢の顔が、まるで別人のように現れたからだ。

 整った輪郭。

 長いまつげ。

 澄んだ琥珀色の瞳。

 そして、柔らかく微笑む唇。

 それは、誰もが息を呑むほどの――美貌だった。

「……な……」

 アルフォンスの口が、わずかに開く。

 見慣れていたはずの婚約者が、まるで初めて見る女性のように映っている。

 リシェルは、そんな彼をちらりと見て、小さく首を傾げた。

「何か?」

「君……その……」

 言葉が出てこない。

 彼女は、くすりと笑った。

「少し、髪型を変えただけですわ」

 さらりと言う。

 だが、誰の目にも明らかだった。

 それは“少し”ではない。

 まるで封印が解けたかのように、彼女の魅力が一気に溢れ出している。

 セリーナが、慌てて口を開いた。

「な、なによ……! そんなの、今さら――」

 だが言葉は続かない。

 周囲の視線が、完全にリシェルへ向いているからだ。

 それは羨望。

 驚愕。

 そして、純粋な賞賛。

 リシェルは軽くスカートをつまみ、優雅に礼をした。

「それでは、私はこれで失礼いたします」

 その所作は、以前よりもはるかに洗練されていた。

 静かに歩き出す。

 背筋はまっすぐ。

 足取りは軽やか。

 誰もが、ただ見送るしかなかった。

 扉が閉まる。

 その瞬間。

 会場は爆発したようなざわめきに包まれた。

「今の……誰だ?」

「エヴァンズ令嬢だろう!?」

「嘘だろう……あんなに美しかったのか?」

 アルフォンスは、呆然と立ち尽くしていた。

 胸の奥に、今まで感じたことのない感情が芽生えている。

 後悔。

 そして――。

 強烈な興味。

 ◇

 王城を出たリシェルは、夜風に髪を揺らしながら、ひとり歩いていた。

 月明かりが、彼女の横顔を柔らかく照らす。

「ふう……」

 小さく息を吐く。

 肩の力が抜けた。

「やっと、自由ですわ」

 心からの言葉だった。

 婚約が決まったのは、まだ十歳の頃。

 それ以来ずっと、“王子の婚約者として相応しくあること”を求められてきた。

 目立たないように。

 慎ましく。

 控えめに。

 そして――。

 余計な注目を集めないように。

 だから彼女は、自ら美しさを隠した。

 髪型を地味にし。

 化粧を控え。

 服装も質素に。

 すべては、平穏に過ごすため。

 だが。

 婚約がなくなった今。

 もう、その必要はない。

「さて……これから、どうしましょう」

 考えながら歩いていると。

「――リシェル嬢?」

 聞き慣れた声がした。

 振り返る。

 そこに立っていたのは。

「……ルーカス様」

 長身の青年。

 柔らかな茶色の髪に、穏やかな灰色の瞳。

 王都でも人気の高い若き伯爵――ルーカス・グレインだった。

 彼は目を見開いていた。

「驚いた……本当に君なのか?」

「ええ」

 リシェルは微笑む。

 ルーカスは数秒、言葉を失ったまま彼女を見つめていた。

 そして、ふっと笑った。

「なるほど。やっと本来の姿を見せてくれたわけだ」

「……気づいていらしたのですか?」

「少しだけね」

 彼は肩をすくめる。

「君の立ち居振る舞いは、ずっと美しかったから。外見だけが不自然だった」

 リシェルは目を瞬かせた。

 そんなことを言われたのは、初めてだった。

「……ありがとうございます」

「それで?」

 ルーカスは一歩近づく。

「これからどうするつもりだい?」

「まだ決めておりません」

「なら――」

 彼は少しだけ躊躇い、しかし真剣な目で言った。

「私と食事でもどうかな」

「……食事?」

「うん。祝いだよ」

 穏やかな笑み。

「婚約解消の」

 リシェルは、一瞬きょとんとした。

 そして。

 くすり、と笑った。

「面白いお祝いですわね」

「嫌かい?」

「いいえ」

 彼女は首を横に振る。

 胸の奥が、ほんのり温かくなっている。

「ぜひ、ご一緒させてください」

 その返事を聞いたルーカスは、どこか安心したように微笑んだ。

 ふたりは並んで歩き出す。

 夜の街を。

 静かに。

 ゆっくりと。

 

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