この夢が醒めるまで──図書室から始まる恋の物語

蒼村 咲

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第23話 危機

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 向こうの端から走ってくる人影が見えた。すらりと高い背に、見覚えのある制服姿──。

(まさか……)

 目を凝らしてみるけれど、まだ顔はわからない。でも顔がわからなくても、それが誰なのかはわかる。

「──!」

 わかった──「彼」が私に気づいたのが、わかった。
 でも彼が足をさらに速めた瞬間、別の人影が間に立ちはだかる。同時に、横に立っていた女性が私の肩を抱いた。

「……お前か」

 佐伯先輩はその場に立ち止まり、そう呟いた。目の前の男が誰かをわかっている──やはり二人には面識があるのだ。
 と、佐伯先輩がこちらを見た。私は「大丈夫だ」と伝えたくてうなずく。そのメッセージは無事に届いたらしく、佐伯先輩の表情が少しだけ和らいだ。が、それが何かの引き金を引いてしまったようだ。

「こんな状況でよそ見とはいい度胸、だよなあ!?」

 そう叫びながら、男が佐伯先輩に殴りかかる。

「あっ!」

 一瞬のことで、そう叫ぶのが精一杯だった。せめて「危ない!」と叫べたら佐伯先輩に危険を知らせることができたのに。
 でもそんな心配は無用だった。佐伯先輩は不意を突かれた様子もなく、相手のこぶしを軽くいなす。
 そこへまた胸ぐらをつかもうと別の手が飛んできて、佐伯先輩はそれも躱した。

(何よ……これ……)

 目の前でこんな、殴り合いみたいな喧嘩が起きるなんて、それもその片方が佐伯先輩だなんて、悪い夢を見ているとしか思えなかった。
 でもこの状況を招いたのが自分の不注意だったという自覚が、私にそんな現実逃避を許さない。

「おい! ちゃんとやれよ! 馬鹿みたいだろ、俺が……」

 男はなおも怒鳴りながら手や足を繰り出し続けている。けれど佐伯先輩は、それを全て避けたりいなしたりするだけなのだ。ずっと見ているけど、自分からは一度もやり返していない。

「馬鹿以外の何なんだよ」

 佐伯先輩は静かにそう吐き出した。その声のあまりの冷たさに、直接言われたわけではない私までもがぞっとする。
 でもその声音にも、極度の興奮状態にある男は何も感じないらしかった。

「何だと!?」

 男はまた、力と勢いに任せて佐伯先輩に殴りかかる。今までで一番速い。佐伯先輩は少しバランスを崩しながらもなんとかそれを躱し、厳しい表情をゆがませた。

「だってそうだろう! 関係ない人を巻き込んでこんな……!」

(──あ)

 佐伯先輩の「関係ない人」という言葉で私のことを思い出したのだろう、男は勢いよくこちらを振り返った。ばっちりと目が合う。

(来る……こっちに……!)

 それからはまるでスローモーションだった。男が体を急旋回させてこちらに向かってくるのも、男の意図に気づいた佐伯先輩が「しまった」という表情に変わるのも、この目にはっきりと見えた。

「っ!」

 でもそれは実際には一瞬のことで、私は男から逃れることはおろか、その場から動くことすらできなかった。
 男は女性から私を引き離し、佐伯先輩と女性の両方から距離をとる。半ば引きずられるようにして走らされ、両手が使えないせいで転びそうになりながらも私はなんとかバランスを保った。

「富永さん!」
「研吾!」

 二人の叫び声が重なる。それもそのはず、男はどこからか取り出したカッターナイフを私の首筋に突きつけたのだ。男の荒い呼吸が私の髪にかかるのを感じる。

(大丈夫……怖くない……)

 私は心の中で自分に言い聞かせた。心臓は肋骨を突き破りそうな勢いで暴れているけれど、体は震えていない。まだ、大丈夫。
 この男のもともとの目的は私を殺すことじゃない。これは感情が高ぶったせいでとってしまった突発的な行動だろう。それなら、下手に刺激さえしなければ大丈夫なはずだ。

(大丈夫……大丈夫……)

 自己暗示が効いてきたのか、少しまわりを見る余裕が出てきた。
 女性は悲痛な表情になるあまりほとんど涙目だ。一方佐伯先輩は、私が今まで一度も見たことのない形相でこちらを──男を睨みつけている。

「こいつの喉突いてやるからな!」

 男が怒鳴る。

(なんでそうなるの……)

 いろんなことに鈍い私だけど、どうやらこれは本格的にまずいかもしれないとわかってきた。

(もしほんとに刺されたらどうなるんだろ。やっぱり死ぬ? 出血云々よりも気管が傷つくことの方がまずいのかな……肺に穴あいたら死ぬって言うもんな……っていうかカッターナイフの切れ味ってどんなもんなんだろ? 切れ味悪い方が逆に痛いよね……)

 本能的な現実逃避なのか何なのか、現状を置き去りにして思考がどんどん回っていく。
 が、それは佐伯先輩が一歩前に踏み出したことで中断された。私の意識は瞬時に、現在の危機的状況に向く。

「……要求は」

 佐伯先輩が短く聞く。すると男は私を捕らえている左手に力を込めた。同時に、右手に握られたカッターナイフが首筋に近づく。

「こいつを殺す。お前が本気になるように」
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