この夢が醒めるまで──図書室から始まる恋の物語

蒼村 咲

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第40話 まさかの危機

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「そうだ、富永さん。辻先生に聞いたんだけど、蔵書整理の日が決まったみたい」

 期末テストを五日後に控えた金曜日、校門をくぐったところで佐伯先輩が言った。
 テスト一週間前になると放課後の部活が停止になるけど、テスト三日前からは図書館も閉鎖される。そんなわけで、期末テストまでに佐伯先輩と一緒に帰れるのは今日が最後だった。

「いつなんですか?」

 部外者ながらボランティアとして参加させてもらえそうな図書室の蔵書整理は、なんだかんだで私がこの夏一番楽しみにしているイベントの一つだったりする。日付を聞いたらさっそく手帳に書き込まなければ。

「七月の二十九、三十、三十一日だって」
「え」

 佐伯先輩が立てた三本指を凝視したまま私は固まってしまった。
 そんな、よりによってその三日間だなんて。

「どうかした?」

 佐伯先輩も立ち止まり、不思議そうに私の顔を覗き込む。普段ならどぎまぎしてしまうところだけど、今はそれどころじゃなかった。

「それ、私危機かもしれません……」

 七月末の三日間──それは期末テストが赤点だった場合の補習の日程なのだった。
 担任の先生から受けた説明によれば、うちの学校には追試のシステムがない。赤点も病欠や忌引きでテスト自体を受けられなかった生徒もみんな一緒に強制的に補習を受けなければならないのだ。
 この間、期末テスト前というだけで図書館が異常に混みあっていた理由が分かった。中間テストの赤点には課されない補習が、期末テストにはあるのだ。

「危機って? どうしたの?」

 佐伯先輩はなおも不思議そうだった。きっと、そもそも赤点という発想がないに違いない。いや、むしろ佐伯先輩の辞書に「赤点」の文字はないと言う方が適切だろうか。

「テストが……」

 私は諦めてその一言を絞り出した。
 すると佐伯先輩の顔に納得の色が浮かぶ。

「ああ、赤点の危機ってこと?」

 どうやら佐伯先輩の辞書にも「赤点」は載っているらしい。
 はい、まさにその通りですと心の中で念じながらうなだれる。

「私、数学だけはほんとにこの学校のレベルじゃないんですよ……」

 なんだか本当に泣きたくなりながら言うと、佐伯先輩はふたたび首を傾げた。

「ん? どういうこと?」

 たぶん、佐伯先輩のようになんでもまんべんなくできてしまう人にはあまり想像できないのだろうけど。私はため息を何とか飲み込んで説明を始めた。

 うちはまあそれなりのレベルの学校なので、入試でだいたい八割くらいは得点しなければ合格できないと言われている。
 でも入試結果開示によれば、私の数学の得点は五割弱だった。つまり私は、残りの国語、社会、理科、英語全てで数学の失点をカバーし、総合点でなんとか滑り込んだのだ。
 自分でもどうして数学だけがこんなにも苦手なのか理解できないけど、苦手なものはしょうがない。中間テストではなんとか赤点を回避したものの、範囲の関係で応用が増える期末テストは──…。

「なるほどね。でも意外だな。富永さんってどの教科もまんべんなくできそうな感じなのに」

 どの教科もまんべんなくできる佐伯先輩にそう思ってもらえていたのは光栄だけど、現実はそう甘くはないのだ。

「数学と体育以外はまあそんな感じなんですけど……それを補って余りあるレベルの苦手さなんですその二つは」

 中学の時だって、技能的には五段階評価のDレベルながら、真面目に取り組んでいるからというお情けでCをもらっているような感じだったのだ。なんだか自分でも悲しくなってくるけど。

「そういえば、前図書館で勉強した時も数学の教科書見ながら難しい顔してたもんね」

 佐伯先輩は何気ない調子で言ったが、私はどきりとしてしまう。

「み、見てたんですか……」

 絶対に、次の週の授業で習うページの複雑すぎる計算式を見なかったことにしたあの時だ。

「よし。また勉強会しよっか。早速明日とか空いてる?」

 まさかあの瞬間を見られていたとは……余計なことをしないでさっさと英語に切り替えればよかった──なんてことを悶々と考えていた私は、危うく佐伯先輩の提案を聞き逃すところだった。

「えっ? いえ、空いてますけど……いいんですか?」

 言葉では「勉強会」と言いながらも、佐伯先輩の申し出は実質私に数学を教えようか、というものだ。受験生にそこまでしてもらっていいのだろうかと気持ちが揺れる。けれど佐伯先輩は純粋に不思議そうな顔をしている。

「え? どうして?」

「だって……受験勉強とかお忙しいんじゃないかと思って……」

 あの時だって、予備校を放り出させてしまったことには私も引け目を感じているのだ。私がそばにいることでは佐伯先輩にプラスの影響なんてないかもしれない。それでもマイナスの影響を与えることになるのは嫌だった。

「……それは、僕にはたった一日休憩を挟んだくらいでただちに影響が出るような受験勉強の仕方しかできてないってことでいい?」

 佐伯先輩が「そんな風に思われていたなんて心外だ」といわんばかりの口調で言う。

「いえっ、そういうわけじゃ……」

 慌てて首を振ると、佐伯先輩は可笑しそうに笑った。

「嘘、冗談だよ。大事な彼女が困ってるのに放ってなんておけないでしょ」
「……!」

 からかわれたことに憤りたいはずなのに、「大事な彼女」なんて言ってもらってはもう手も足も出ない。
 佐伯先輩はそれをわかったうえで言っている気がして、いつものことながら私はレベルの差を感じずにはいられないのだった。
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