ブレンド・ソウル

野鈴呼

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人間界・其の壱

「ソラ」

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 仕事を早めに終え、エバイとセンジは三階のルーフバルコニーへ出た。

 暗くなりかけた街は次第に灯りが増えていく。出来上がった完璧な夜景より、センジはこの時間帯の未完成な眺めが好きだった。

 イスに腰かけたエバイの横を通り過ぎ、センジはバルコニーの柵から街を見下ろした。

 二階のキッチンからは、ラズベリーのはしゃぎ声が響いてくる。料理に奮闘するシルクを手伝っているのかジャマしているのか、とにかく楽しそうで度合家ではすっかり日常化したにぎやかさだ。

 しかし、エバイとセンジ二人は楽しく……という訳にはいかなかった。


「ラズの話からすると、シルクの中にはシルクとは別のもうひとつの人格があるってことだよな……」

「そう決めつけるのは早すぎるぞ、センジ。ドアのすき間から廊下をのぞいただけなら、他に誰か居てもラズには見えなかった可能性もあるからな」

「その誰かが吸血魔族で、シルクが密談していたとでも言いてえのかよ。アニキははなからシルクを疑ってたもんな」

 ともし頃の街に背を向け、センジはエバイの方に向き直った。エバイもセンジに目を向けた。

「けどアニキ。二重人格ならシルクの記憶が欠落してるのも納得できるんじゃね?」

「だったらこの半年の間、俺たちはその人格に全く気が付かなかったってのか?」

「気づかなかったんじゃなくて、うちへ来てからは別の人格が出てなかったんじゃねえのか? 昨夜が初めてだったんだよ」

「んだ。センジの言う通り、うちはぼちぼち平和だで別人格の出番はなかったのかもしれねえな」

 軒先にぶら下がっていたバットチッカが、それとなく二人の会話に入ってきた。

「出番……?」エバイは眉根を寄せた。

「多重人格ってのはたいていの場合、主の人格が現実から逃げてえ時に別人格が表に出てくるもんだべよ。シルクはうちへ来てからこの半年間、逃げたくなる程のつらいことはなかったんじゃねえだか? だからずっと主の人格のままいられたんだべ?」

「じゃあ、なんだって今さら……」

 エバイの疑問にセンジは答えるのをしぶったが、バットチッカは淡々と答えた。

「エバイ、そりゃ多分、おめえさのせいだべさ」

「俺……?」当然、エバイは怪訝そうな顔つきになる。

 バットチッカはエバイの前にあるテーブルに舞い降りた。

「ここでの暮らしは平和でも、半年経っても変わらねえエバイの態度には、シルクも少なからず傷ついていたはずだ。おそらく別人格はシルクの心さ守るために出てきたんじゃねえだか? むろん今の段階では憶測に過ぎねえけどよ」

 バットチッカが説明すると、エバイは黙り込んだ。

「憶測……そうだよな。だからアニキ、俺は確かめてえ。シルクに別の人格があるなら、シルクはこれまでよっぽどつらい思いをしてきたってことだろ? それならその人格ごとシルクの全部、抱きしめてやりてえからよ」

 単なる同情ではなかった。妹になったシルクの過去に何があったのか、その過去を引きずり現在いまのシルクに何が起こっているのか……思わず熱くなったセンジを、エバイとバットチッカはそろってガン見した。

「あ、いやいや、カン違いすんなよっ。抱きしめるってのは受け入れるって意味だからなっっ」

 一人と一匹の無言の圧力がすさまじい。センジが慌てて言い直した直後、二階からラズベリーの呼び声がした。

「みんなぁ~! ごはんできたよぉ~!」


 †    †    †    †    †    †    †    †    †


 一家そろっての夕食、その後リビングでの団欒も、いつも通り平穏に過ごせた。

 昨夜の出来事をシルクに直接きかないよう、ラズベリーには念を押していた。当のシルクはもちろん、出かけていたロンヤも何も知らない。

 夜の9時過ぎ、ラズベリーは昨晩寝不足のせいか目をこすりつつ自室へ行き、ロンヤは本日二度目の浴室へ、シルクは乾燥した食器を片づけにキッチンへ向かった。
 
「手伝うぜ、シルク」センジは後ろから声をかけた。

「センジさんはくつろいでてください。これは私の仕事ですから」

「みんなの仕事だよ。お前がうちへ来るまでは男三人で交代でやってたんだぜ」

「いいんです。私、お世話になってるのになんの役にも立てていないから……」

「そんなことねえって」

 センジはシルクのすぐ横に立ち、シルクの手から食器を取って棚へと運んだ。一瞬手と手が触れ合うと、シルクはニコッと笑みを浮かべた。

 この時、センジはじゃっかん違和感を感じた。

「なあ、シルク。夜はよく眠れてんのか?」

「眠れてますけど……どうしてですか?」

「ラズの奴、寝相悪いからよ。一緒に寝てて大丈夫か?」

「あ、それなら、どうにか大丈夫です」

 たわいない、短いやりとりの中、センジは確信した。

「なあ、シルク」

「はい?」

「今のお前、いったい何者なんだ?」
 
 センジが問いかけると、シルクの動きがピタリと止まり、家中の空気が一気に引いていく感覚におちいった。

「……何者って、どういう意味ですか?」

「お前、シルクじゃねえんだろ?」

「え……」

 シルクはセンジを見つめ、口ごもった。亜麻色の目がどこか挑戦的にキラッと光っている。

「ど、どうしたんですか? センジさん。私が私じゃないなんて……どうしちゃったんですか?」

「そうゆうのいいからよ。だってお前、がんばってシルクぶっててもボロが出ちまってるんだよなぁ。だからムリすんなって」

 この状況を、エバイとバットチッカはリビングから無言で注視していた。

 ――そして、“彼女”は唐突に現れた。

「ふぅ~ん……食事も団欒も本物のシルクだったのに、お皿しまってるちょっとの間でよく見抜いたね、センジくん。あたしのどこがいけなかったのぉ?」

 センジの前に立っているのは外見も声も間違いなくシルクだ。しかし、目つき、表情、仕草、物言い、かもし出す雰囲気、それら全てが明らかにシルクとは別人だった。

「どこが? そうだな。まず、恥じらいってやつがねえとこだな。接近しても手に触れても、お前全然へっちゃらだっただろ? “シルク”ならそんなのあり得ねえし、アニキがつくったおきても常に気にしていたはずだ」

「あっそ。で? 他には?」“彼女”はキッチンカウンターにもたれ、かったるそうに髪の毛先をいじった。

「ラズのことだよ」

「ラズ? あのチビか。やっぱあいつ“あたしら”の会話聞いてたんだ」

「聞いてたのは聞いてたが……そうじゃなくてよ。お前さっき言ったろ? 寝相悪いラズと一緒に寝るの『どうにか大丈夫』ってよ。シルクだったらそんな言い方は絶対ぜってえしねえよ」

「はあ~? なんなのよ、『シルクなら』『シルクだったら』っていちいち面倒くさいなぁ~」

 イラつきを隠せず、“彼女”は指に巻きつけた髪をピンピンと引っぱっている。

「だいたいお前お前って失礼じゃない? あたしには『ソラ』って名前があるんですけどっ」

「ソラ……!?」センジだけではなく、エバイとバットチッカも声を重ねた。

「ソラって……別人格にも名前があんのかよっ?」

「あるに決まってんでしょっ。なかったらややこしいじゃん。『シルク1』『シルク2』って呼ぶつもりか、このバカッ!!」

「バ、バカ……?」急激に口が悪くなった別人格のソラに、センジは唖然とした。

「バカはバカ! アンタのことだよ、センジくん! 恥じらいとかなんとかキモいこと言いやがってさぁ。キモついでに言わせてもらうとね、アンタが日頃からシルクをスケベ面で見てんのバレバレなんだからねっ、エロバカセンジ!!」ソラはセンジに目も当てられないひどい罵声をあびせた。

「だ、黙って聞いてりゃこのクソガールがっ! てめえみてえな性悪少女があつかましくシルクを乗っとってんじゃねえよっ! とっとと引っ込んでシルクを返しやがれ!!」センジはソッコー、ブチギレた。

「センジ。別の人格ごと抱きしめてやるんじゃなかったのか?」「んだんだ」エバイとバットチッカはセンジを冷視している。

「だ、抱きしめられっか、こんな可愛げねえのっっ!!」

「可愛げなくて悪かったわねぇ。フン、なにさ。下心ありありのエロ男っっ。でも……エバイくんも人ごとじゃないよ? 男なんてみんなおんなじ生き物なんだからさぁ~」ソラはヒョイっとカウンターにお尻を乗せた。

「シルクを出せとか言われてもあたしがムリヤリ閉じ込めてるワケじゃないよ。あの子は自分の意思で奥に引きこもってんだ。いっつもそうだよ。耐えられない苦痛なんかあると全部あたしに押しつけて自分は逃げちゃうんだから。里親になったオッサンに変なことされそうになった時だってそうだったよ。だからあたしが代わりに魔力でオッサン倒してやったんだ。そしたら施設に戻されちゃって……」

 ソラの話を聞き、センジはショックを受けた。まさかシルクがそんな目にあっていようとは……エバイも険しい顔つきになっている。

「とはいえ、変な里親ばっかりでもなかったけどね。シルクはかなり情緒不安定だったから、まともな里親に引き取られてもあの子自身に問題ありで施設に返されることが多くてさぁ。だけどここへ来てからはホント、ずっと穏やかに過ごせてたんだけどなぁ~」

「……俺のせいだって言いてんだろ?」エバイがボソッとつぶやいた。

「分かってんじゃん。そっ、エバイくん、アンタのせいだよ。アンタってばホント、シルクに冷たいんだもんなぁ~」

「それよりソラ、お前は知ってるのか? 北欧シセドのペネブイクのやかたで、“お前ら”が倒れていた理由を」

「へぇ~、エバイくん。あたしを『ソラ』って呼んでくれるんだぁ。シルクのことは名前で呼んだりしないくせに。これじゃあますますシルクがひがんじゃってもっと奥にこもっちゃうかもよ?」ソラは足をブラブラ揺らしてニヤついた。

 ソラと名乗るこの人格、シルクの心を守るというより面白がっている感じだ。

「あのいえでシルクが倒れてた理由? さあねぇ。そんなの“本人”にききなよ」

「シルクは覚えちゃいねえんだよっ。お前は覚えてんだろっ? じらしてねえでさっさと話せ!!」なおもセンジはキレ気味で声を荒げた。

「センジ、うるさいだよ。腹立つのは同意だが、とりあえず落ち着くだ。ラズが目ぇ覚ましちまうべ?」バットチッカがセンジの肩に飛んで来た。

 バットチッカになだめられ、センジはひと呼吸ついて声のトーンをやや下げた。

「……それじゃあ、昨夜のことはどうなんだ? お前シルクともめてたんだろ? 泣かせたんだろ? シルクとなにがあったんだ?」

「あの子が勝手に泣いたんだよ。あたしが久々表に出ようとしたら珍しく拒否っちゃって。だからケンカになっただけ。あ、それからさぁ、エバイくんにこれだけは忠告しとくけど、シルクをうちから追い出したりしない方がいいよ?」

「あ? 追い出すつもりなら最初から…… なんだよ。ソラ、お前やっぱりなんか知ってんのか?」エバイは目元を曇らせた。

「だからぁ~、言ったでしょ? 思い出した時“本人”にききなって。あたしもそこんとこはわきまえてるから勝手にペラペラしゃべるワケにはいかないの。ペネブイクの件は……」

 そこまで言いかけて、突然ソラは炭酸の抜けたソーダみたいに生気をなくし、ぼんやりとエバイを眺めて数秒後、静かに目を閉じた。そして、カウンターに座ったままいきなり、コクリコクリと舟をこぎ始めた。

「え? おいっ。なんだよ急にっっ!?」

 前のめりになり、ソラは眠りこけている。カウンターから落っこちるすんでのところ、センジは慌ててソラを両腕で受け止めた。

「アニキ、緊急事態だ。いいだろ?」

「わざわざきいてねえでここに連れて来い」エバイは立ち上がり、ソファを空けた。センジはソラを抱き上げ、リビングのソファに連れて行くと割れ物を扱うように丁重に寝かせた。
 
 眠り顔はシルクに戻っているようだ。

「どうなってんだ? ソラって奴は引っ込んだのか……?」

「みてえだな」

 スヤスヤと寝入っているシルクを目に映し、センジは複雑な気持ちになっていた。
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