ブレンド・ソウル

野鈴呼

文字の大きさ
10 / 16
人間界

「ソラ」

しおりを挟む
 仕事を早めに終え、エバイとセンジは三階のルーフバルコニーへ出た。

 暗くなりかけた街は次第に灯りが増えていく。出来上がった完璧な夜景より、センジはこの時間帯の未完成な眺めが好きだった。

 イスに腰かけたエバイの横を通り過ぎ、センジはバルコニーの柵から街を見下ろした。

 二階のキッチンからは、ラズベリーのはしゃぎ声が響いてくる。料理に奮闘するシルクを手伝っているのかジャマしているのか、とにかく楽しそうで度合家ではすっかり日常化したにぎやかさだ。

 しかし、エバイとセンジ二人は楽しく……という訳にはいかなかった。


「ラズの話からすると、シルクの中にはシルクとは別のもうひとつの人格があるってことだよな……」

「そう決めつけるのは早すぎるぞ、センジ。ドアのすき間から廊下をのぞいただけなら、他に誰か居てもラズには見えなかった可能性もあるからな」

「その誰かが吸血魔族で、シルクが密談していたとでも言いてえのかよ。アニキははなからシルクを疑ってたもんな」

 ともし頃の街に背を向け、センジはエバイの方に向き直った。エバイもセンジに目を向けた。

「けどアニキ。二重人格ならシルクの記憶が欠落してるのも納得できるんじゃね?」

「だったらこの半年の間、俺たちはその人格に全く気が付かなかったってのか?」

「気づかなかったんじゃなくて、うちへ来てからは別の人格が出てなかったんじゃねえのか? 昨夜が初めてだったんだよ」

「んだ。センジの言う通り、うちはぼちぼち平和だで別人格の出番はなかったのかもしれねえな」

 軒先にぶら下がっていたバットチッカが、それとなく二人の会話に入ってきた。

「出番……?」エバイは眉根を寄せた。

「多重人格ってのはたいていの場合、主の人格が現実から逃げてえ時に別人格が表に出てくるもんだべよ。シルクはうちへ来てからこの半年間、逃げたくなる程のつらいことはなかったんじゃねえだか? だからずっと主の人格のままいられたんだべ?」

「じゃあ、なんだって今さら……」

 エバイの疑問にセンジは答えるのをしぶったが、バットチッカは淡々と答えた。

「エバイ、そりゃ多分、おめえさのせいだべさ」

「俺……?」当然、エバイは怪訝そうな顔つきになる。

 バットチッカはエバイの前にあるテーブルに舞い降りた。

「ここでの暮らしは平和でも、半年経っても変わらねえエバイの態度には、シルクも少なからず傷ついていたはずだ。おそらく別人格はシルクの心さ守るために出てきたんじゃねえだか? むろん今の段階では憶測に過ぎねえけどよ」

 バットチッカが説明すると、エバイは黙り込んだ。

「憶測……そうだよな。だからアニキ、俺は確かめてえ。シルクに別の人格があるなら、シルクはこれまでよっぽどつらい思いをしてきたってことだろ? それならその人格ごとシルクの全部、抱きしめてやりてえからよ」

 単なる同情ではなかった。妹になったシルクの過去に何があったのか、その過去を引きずり現在いまのシルクに何が起こっているのか……思わず熱くなったセンジを、エバイとバットチッカはそろってガン見した。

「あ、いやいや、カン違いすんなよっ。抱きしめるってのは受け入れるって意味だからなっっ」

 一人と一匹の無言の圧力がすさまじい。センジが慌てて言い直した直後、二階からラズベリーの呼び声がした。

「みんなぁ~! ごはんできたよぉ~!」


 †    †    †    †    †    †    †    †    †


 一家そろっての夕食、その後リビングでの団欒も、いつも通り平穏に過ごせた。

 昨夜の出来事をシルクに直接きかないよう、ラズベリーには念を押していた。当のシルクはもちろん、出かけていたロンヤも何も知らない。

 夜の9時過ぎ、ラズベリーは昨晩寝不足のせいか目をこすりつつ自室へ行き、ロンヤは本日二度目の浴室へ、シルクは乾燥した食器を片づけにキッチンへ向かった。
 
「手伝うぜ、シルク」センジは後ろから声をかけた。

「センジさんはくつろいでてください。これは私の仕事ですから」

「みんなの仕事だよ。お前がうちへ来るまでは男三人で交代でやってたんだぜ」

「いいんです。私、お世話になってるのになんの役にも立てていないから……」

「そんなことねえって」

 センジはシルクのすぐ横に立ち、シルクの手から食器を取って棚へと運んだ。一瞬手と手が触れ合うと、シルクはニコッと笑みを浮かべた。

 この時、センジはじゃっかん違和感を感じた。

「なあ、シルク。夜はよく眠れてんのか?」

「眠れてますけど……どうしてですか?」

「ラズの奴、寝相悪いからよ。一緒に寝てて大丈夫か?」

「あ、それなら、どうにか大丈夫です」

 たわいない、短いやりとりの中、センジは確信した。

「なあ、シルク」

「はい?」

「今のお前、いったい何者なんだ?」
 
 センジが問いかけると、シルクの動きがピタリと止まり、家中の空気が一気に引いていく感覚におちいった。

「……何者って、どういう意味ですか?」

「お前、シルクじゃねえんだろ?」

「え……」

 シルクはセンジを見つめ、口ごもった。亜麻色の目がどこか挑戦的にキラッと光っている。

「ど、どうしたんですか? センジさん。私が私じゃないなんて……どうしちゃったんですか?」

「そうゆうのいいからよ。だってお前、がんばってシルクぶっててもボロが出ちまってるんだよなぁ。だからムリすんなって」

 この状況を、エバイとバットチッカはリビングから無言で注視していた。

 ――そして、“彼女”は唐突に現れた。

「ふぅ~ん……食事も団欒も本物のシルクだったのに、お皿しまってるちょっとの間でよく見抜いたね、センジくん。あたしのどこがいけなかったのぉ?」

 センジの前に立っているのは外見も声も間違いなくシルクだ。しかし、目つき、表情、仕草、物言い、かもし出す雰囲気、それら全てが明らかにシルクとは別人だった。

「どこが? そうだな。まず、恥じらいってやつがねえとこだな。接近しても手に触れても、お前全然へっちゃらだっただろ? “シルク”ならそんなのあり得ねえし、アニキがつくったおきても常に気にしていたはずだ」

「あっそ。で? 他には?」“彼女”はキッチンカウンターにもたれ、かったるそうに髪の毛先をいじった。

「ラズのことだよ」

「ラズ? あのチビか。やっぱあいつ“あたしら”の会話聞いてたんだ」

「聞いてたのは聞いてたが……そうじゃなくてよ。お前さっき言ったろ? 寝相悪いラズと一緒に寝るの『どうにか大丈夫』ってよ。シルクだったらそんな言い方は絶対ぜってえしねえよ」

「はあ~? なんなのよ、『シルクなら』『シルクだったら』っていちいち面倒くさいなぁ~」

 イラつきを隠せず、“彼女”は指に巻きつけた髪をピンピンと引っぱっている。

「だいたいお前お前って失礼じゃない? あたしには『ソラ』って名前があるんですけどっ」

「ソラ……!?」センジだけではなく、エバイとバットチッカも声を重ねた。

「ソラって……別人格にも名前があんのかよっ?」

「あるに決まってんでしょっ。なかったらややこしいじゃん。『シルク1』『シルク2』って呼ぶつもりか、このバカッ!!」

「バ、バカ……?」急激に口が悪くなった別人格のソラに、センジは唖然とした。

「バカはバカ! アンタのことだよ、センジくん! 恥じらいとかなんとかキモいこと言いやがってさぁ。キモついでに言わせてもらうとね、アンタが日頃からシルクをスケベ面で見てんのバレバレなんだからねっ、エロバカセンジ!!」ソラはセンジに目も当てられないひどい罵声をあびせた。

「だ、黙って聞いてりゃこのクソガールがっ! てめえみてえな性悪少女があつかましくシルクを乗っとってんじゃねえよっ! とっとと引っ込んでシルクを返しやがれ!!」センジはソッコー、ブチギレた。

「センジ。別の人格ごと抱きしめてやるんじゃなかったのか?」「んだんだ」エバイとバットチッカはセンジを冷視している。

「だ、抱きしめられっか、こんな可愛げねえのっっ!!」

「可愛げなくて悪かったわねぇ。フン、なにさ。下心ありありのエロ男っっ。でも……エバイくんも人ごとじゃないよ? 男なんてみんなおんなじ生き物なんだからさぁ~」ソラはヒョイっとカウンターにお尻を乗せた。

「シルクを出せとか言われてもあたしがムリヤリ閉じ込めてるワケじゃないよ。あの子は自分の意思で奥に引きこもってんだ。いっつもそうだよ。耐えられない苦痛なんかあると全部あたしに押しつけて自分は逃げちゃうんだから。里親になったオッサンに変なことされそうになった時だってそうだったよ。だからあたしが代わりに魔力でオッサン倒してやったんだ。そしたら施設に戻されちゃって……」

 ソラの話を聞き、センジはショックを受けた。まさかシルクがそんな目にあっていようとは……エバイも険しい顔つきになっている。

「とはいえ、変な里親ばっかりでもなかったけどね。シルクはかなり情緒不安定だったから、まともな里親に引き取られてもあの子自身に問題ありで施設に返されることが多くてさぁ。だけどここへ来てからはホント、ずっと穏やかに過ごせてたんだけどなぁ~」

「……俺のせいだって言いてんだろ?」エバイがボソッとつぶやいた。

「分かってんじゃん。そっ、エバイくん、アンタのせいだよ。アンタってばホント、シルクに冷たいんだもんなぁ~」

「それよりソラ、お前は知ってるのか? 北欧シセドのペネブイクのやかたで、“お前ら”が倒れていた理由を」

「へぇ~、エバイくん。あたしを『ソラ』って呼んでくれるんだぁ。シルクのことは名前で呼んだりしないくせに。これじゃあますますシルクがひがんじゃってもっと奥にこもっちゃうかもよ?」ソラは足をブラブラ揺らしてニヤついた。

 ソラと名乗るこの人格、シルクの心を守るというより面白がっている感じだ。

「あのいえでシルクが倒れてた理由? さあねぇ。そんなの“本人”にききなよ」

「シルクは覚えちゃいねえんだよっ。お前は覚えてんだろっ? じらしてねえでさっさと話せ!!」なおもセンジはキレ気味で声を荒げた。

「センジ、うるさいだよ。腹立つのは同意だが、とりあえず落ち着くだ。ラズが目ぇ覚ましちまうべ?」バットチッカがセンジの肩に飛んで来た。

 バットチッカになだめられ、センジはひと呼吸ついて声のトーンをやや下げた。

「……それじゃあ、昨夜のことはどうなんだ? お前シルクともめてたんだろ? 泣かせたんだろ? シルクとなにがあったんだ?」

「あの子が勝手に泣いたんだよ。あたしが久々表に出ようとしたら珍しく拒否っちゃって。だからケンカになっただけ。あ、それからさぁ、エバイくんにこれだけは忠告しとくけど、シルクをうちから追い出したりしない方がいいよ?」

「あ? 追い出すつもりなら最初から…… なんだよ。ソラ、お前やっぱりなんか知ってんのか?」エバイは目元を曇らせた。

「だからぁ~、言ったでしょ? 思い出した時“本人”にききなって。あたしもそこんとこはわきまえてるから勝手にペラペラしゃべるワケにはいかないの。ペネブイクの件は……」

 そこまで言いかけて、突然ソラは炭酸の抜けたソーダみたいに生気をなくし、ぼんやりとエバイを眺めて数秒後、静かに目を閉じた。そして、カウンターに座ったままいきなり、コクリコクリと舟をこぎ始めた。

「え? おいっ。なんだよ急にっっ!?」

 前のめりになり、ソラは眠りこけている。カウンターから落っこちるすんでのところ、センジは慌ててソラを両腕で受け止めた。

「アニキ、緊急事態だ。いいだろ?」

「わざわざきいてねえでここに連れて来い」エバイは立ち上がり、ソファを空けた。センジはソラを抱き上げ、リビングのソファに連れて行くと割れ物を扱うように丁重に寝かせた。
 
 眠り顔はシルクに戻っているようだ。

「どうなってんだ? ソラって奴は引っ込んだのか……?」

「みてえだな」

 スヤスヤと寝入っているシルクを目に映し、センジは複雑な気持ちになっていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...