ブレンド・ソウル

野鈴呼

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魔界の少女

「ドリンケルツ城」

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 人間と魔族――

 生まれつき備わった性質も生きる世界も異なるが、一部の人間は魔界に住み、双方の血を受け継ぐ混血ブレンドも存在する。

 魔族は生来せいらい特殊な能力があり、人間と比べ繁殖力は低いが一人一人の寿命じんせいは途方もなくながい。いくつかの種類に分類される全魔族の共通点だ。

 最も一般的なのは「グラム」と呼ばれる芒星ぼうせい魔族で、彼らは[火・水・土・風・光りなど]自然エレメントのいずれかを一定の時間あやつる魔力ちからを持っている。

 ただ、個々の魔力は決して平等ではなく、強弱、巧拙こうせつに大きな差があり、全てのエレメントをゼロからつくり出し永続的に意のままあやつる事が可能なのは、極めて能力の高い者に限られていた。


 *  *  *  *  *  *  *


 魔界、グラム大陸――

 グラムいちの大国、ドリンガデス国を統治するのは、ブルヴァオンレ=ガフェルズ王だ。

 ブルヴァオンレには王妃マーデリンとの間に生まれたギリザンジェロとドラジャロシー、さらに、二人目のきさきシフォンネとの間に生まれたタグラス、三人の息子がいる。

 本来なら次期王となるのは長男のギリザンジェロ、もしくは次男のドラジャロシーだが、上の二人の王子は玉座を争い常にいがみ合っており、そろって道徳心が著しく欠如している。そのせいか、ブルヴァオンレは世継ぎの正式な発表をいっさいしていなかった。


 ドリンガデス国の首都、ノミモンド。

 連なる山々から成るドリンケルツ城はあまりにも雄大で、誰もが息をのむ程の大パノラマだ。

 そのドリンケルツ城のかなめであるインリオだけ聳立しょうりつする巨大な岩山の王城で、中腹より上は王家一族の居住域となっている。


 青白く、なまめかしい満月の夜。

 第一王子のギリザンジェロは月の光りにいざなわれ自室の露台ろだいに立ち、懸想けそうする他国の王女への熱情をつのらせていた。

 怪奇なまでに鮮明な、ギリザンジェロのブラッドレッドの目に映る月は、まさに血の色に染まっている。

「おお、愛しのリカチアンヌ。君の瞳を想う度に我が胸は締めつけられ、せつなさに苦しみもだえるが続く。君をあますところなく想う度、頭までをも締めつけられ腹には刺し込むような痛みが走り、身体中の節々ふしぶしが悲鳴を上げ、は、肺が、肺が……ゲ、ゲホッ、ゲホォォ――ッ!」

 ギリザンジェロは突如激しくむせ込み始め、露台をいつくばってもがき苦しんだ。苦しみながらも、月をつかもうとでもするように高々と片手を夜空に伸ばし、突っぱっている。

「王子ぃ~、本当にリカチアンヌ姫のこと、お好きなんですかぁ??」

 すぐそばで仕えていた少女、サファイアが無関心丸出しで言い放ち、ギリザンジェロの苦痛の叫びを無視して無情にもその場からさっさと立ち去った。

「冗談じゃないわよ。王子のくだらないロマンスごっこに付き合わされるなんてさっ」

 岩壁の割れ目をなぞりながら、サファイアはふんわりした長い髪を揺らして足どり軽やかに広い廊下を過ぎて行く。

 青い目、ピンク色の髪、ほっそりした体型、見た目には可憐で愛らしい少女だが、彼女は第一王子ギリザンジェロの護衛をつとめる楯守じゅんしゅシェードの一人である。

 楯守シェードは優秀な者ほど、王や王位継承順位が高い王子に付く事を許されていた。


 †    †    †    †    †    †    †    †    †


「あ~、疲れたっ。早く温泉につかりたいっっ」

 一日の楽しみである温泉を求めてサファイアは廊下をひたすら走り続け、最初の角を曲がると階段を一気に駆け下りた。階段を下りきって石橋に出ると、足元がぼんやりと明るくなった。

「わあっ、見事な白満月ホワイトフルムーン!!」

 夜空を見上げてほんの少し足を止めたサファイアだったが、橋の向こう側に見慣れた人影を見つけると、

「ゼスタフェさんだ!」

 白い月の誘惑を振り切ってすぐにまた駆け出した。サファイアの目には、もう他に何も入らない。

 
 向かいの岩山の前でサファイアを待っていたのは、上司のゼスタフェ=ゴールレンドだった。

「サファ、何も変わりはなかったか?」

「はい! 王子はお変わりなく、いっこうに進歩もみられず、今なおガングーグ国の王女を想い全身で苦しんでおられます!」

「……」返す言葉も出ないのか、ゼスタフェの口元が数秒ほど時を止めた。

 サファイアの鼓動がトクトクと早くなる。走って来たせいではない。自分に向けられているであろうゼスタフェの無言の視線に、胸の高鳴りがおさえきれなくなっていたのだ。

 ゼスタフェの前髪は長く両目に覆いかぶさっており、その前髪のすき間から感じる視線は普通に見つめられるよりもずっと刺激的だ。

「まあいい。ご苦労だったな。ゆっくり休めよ」

 ゼスタフェは優しくそう告げた後、サファイアがたった今駆けて来た石橋を足音もたてず静かに戻って行った。

「お、お疲れさまでしたっ。ゼスタフェさん!」

 ゼスタフェの背中を見送りながら、サファイアは慌てて片手を胸に当て、敬意を示した。

 月光に当てられ、ゼスタフェが羽織っているロングベストのブルーが映える。白いサテンのシャツはそであらめのギャザーが寄せられ、腰ヒモとネイビーブルーのゆるやかなズボンが、たわいない風にわずかにはためいている。

 そのスマートながらも屈強な男らしい後ろ姿が見えなくなった頃には、サファイアの高鳴る胸にせつない気持ちが込み上げていた。

「あたしも王子とおんなじか。いつまでも一方通行なんだよね……」

 サファイアはゼスタフェに片想いしているが、彼はつゆほども気づいていない。聡明なゼスタフェの頭にあるのは任務の事だけなのだ。

 ゼスタフェは楯守と鉾狩ぼうしゅ、全シェードを総括する責任者であり、おのれ自身もブルヴァオンレ王専属の有能なシェードである。


 岩山の中にある石階段をのぼり、サファイアはデコボコ道を歩いて行く。

 向かい側の王城、インリオ嶽とはまるで比較にならないが、それでも十分な高さと広さがあるこの長大な洞窟は「シェードの住処すみか」となっている。

 赤いわくの木製のドア。そこがサファイアの部屋だ。

「遅かったじゃないのさ。またギリザ王子の恋文づくりに付き合わされてたの?」

 シェード仲間のグレースが、上の階から下りて来た。彼女は第二王子ドラジャロシーの楯守シェードだ。

 からかうようなグレースの言い方に、サファイアはムッとした。

「グレース。アンタはずいぶんと早かったんだね。そんなにヒマなわけぇ?」髪をかき上げ、サファイアは負けじと嫌味で返した。

「ヒマなワケないでしょっ。こっちはドラジャ王子の気まぐれに振り回されっぱなしでクタクタなんだからっ。おまけに今度は狩りに出かけるなんて言い出す始末だし。もお~、イライラしちゃうっっ」グレースは紫色の目を三角にした。

「相当きちゃってるね、アンタ。まあ王子なんてたいてい気まぐれで自分勝手なもんだけどさ。仕方ないんじゃない? 狩りだのクラブ通いだの、他にすることなくて時間もてあましてんだから」

「ただの狩りじゃないんだよ、サファ。今回の狩りってのはね……」

 グレースがサファイアに近づき耳擦みみこすりすると、サファイアは驚き思わず声を上げた。

「――人間界!?」

「バカッ。声が大きいってば!」

 グレースは反射的にサファイアの口を押さえ、誰も居ないか辺りを気にしながらドアをあけると、そのままサファイアを部屋の中へと押し続け自分も一緒に入り込んだ。

「ちょっ、グレース!!」

 グレースの指はサファイアの口だけでなく目の下までをも押さえつけている。あせったサファイアは、グレースの手を強く払いのけた。

「グレースったら! これはあたしの『特別』なんだから気を付けてよっ!」

「これって……? ああ、そのちっぽけな石のこと?」

 サファイアの目尻の下に飾りつけてある、極々小さな二つのブルーサファイアの石。それはサファイアにとって、どんなに高価な物より大切な大切な宝物だった。

「そんなもん、どこでだって買えるじゃない。あきれちゃうわねぇ」

 細長い腕でグレースは木のイスを引き寄せ、腰をかけて足を重ねた。部屋にある家具は全て、クルミの木でつくられている。

「それより、さっきの話の続きは?」

 出窓の奥ゆき部分にチョコンとお尻を乗せ、サファイアはきいた。

「誰にも内緒だよ。ギリザ王子にも、ナウくんにもだよ」

「了解っっ」

「ゼスタフェさんにもだよ」グレースはにんまりと、見透かしたような目になった。

「なによ? その目つきっっ」

「アンタがゼスタフェさんに惚れてることくらいお見通しなんだからね。ほぉ~んと分かりやすいんだから。いっそのこと告っちゃえばいいのに」

「そ、そんなんじゃないよっ。ゼスタフェさんはあたしをシェードに育ててくれた恩師だから尊敬してるってゆうか、憧れてるってゆうか……」

 と言いながら、サファイアの頭の中はゼスタフェでいっぱいになり、秘めたる胸の内をコントロール出来なくなっていた。

「告るなんて……あたしなんかムリムリムリムリッ。シェードの絶対的エースなんだよ? 恋敵ライバル半端ないし、中には王族の人もいるんだよ? ああ~ でも、ゼスタフェさんてマジかっこいいよねぇ~ たねだってブロンザイトのイメージで超しぶいしさぁ。カフェブラウンの髪はサイドにブロンズ色がまじってて、それがまたたまらないんだわぁ~」

 温泉につかる前から、サファイアの肌は最高潮に火照ほてっていた。

「さっすがカラーフェチの種マニア。サファ、アンタやっぱ変態だね」グレースは逆に冷めきっている。

「だ、誰が変態だっっ。人をちゃかしてストレス発散するのやめてよねっ。とにかく、告るなんて絶対あり得ないんだから……」

「はいはい。それよりサファ、時々ごろつきの連中が人間界へ出向いてるって噂は知ってるでしょ?」

 恋心をいじっておきながら、下を向いてモジモジ指をからめるサファイアを歯牙しがにもかけず、グレースはいきなり本題に突入した。

「と、唐突だね。まあ、その噂なら聞いたことはあるけど。魔界は取り締まりゆるゆるだもんね。けどさぁ~、あいつら程度の魔力でもジオードつくって異世界に行けるなんて、意外だわ」

「最近はエネルギーゾーンのパワーが増してるみたいだからつくりやすくなってるんじゃない? まあどうせ、窮屈でたいしたことないジオードだろうけどね」

「で? そいつらがどおかしたの?」

「妙なことにさぁ、魔界に戻って来ない奴らがけっこういるらしいんだよ」

「人間界が気に入ったってこと? 永住でも決めたの?」

「平和だね、サファ。そうじゃなくてさ。戻って来ない奴らは、人間界あっちでみんなられちまったってことなんだよ」

「……どおゆうこと?」

「にぶいねぇ。つまり、人間界にもとんでもなく強い戦士が居るってことさ。戻って来た奴の証言では、その戦士はオレンジ色の種を持ってたとかなんとか……」

「……オレンジ?」サファイアの脳裏に、不意に一人の少年の顔がよぎった。

(ひょっとして……)

「どした? サファ? ボーッとしちゃって」

「あ……ごめん。でもさ、信じられないよ。だって人間ってのは種も魔力も持たない無力な種族なんだよ?」

「だから謎なんだよ。でもってさ、その話がドラジャ王子の耳にも届いちゃって興味津々になっちゃってさぁ。多分どこぞのホステスが情報源なんだろうけど、王子ったら『人間界は自分が征服するんだ』って豪語しちゃって、こっちは大迷惑だよっっ」

「王とギリザ王子がいる限り、国は制覇できないもんね」

「な、なに言ってんだよ! 王は別として、ギリザ王子はまだ分かんないじゃん!」

 つい本音をもらしたサファイアに、グレースが眉間にシワを寄せて反論した。

「なんで? 長男だから一番の王位継承者でしょ? 魔力だって上だしさ。おつむの方はちょっぴり下かもだけど」

「ドラジャ王子だって魔力は日々、上達してるんだからっ。ガングーグ国の年上王女にのぼせ上がってるギリザ王子の方が、よっぽどヤバいんじゃないの!?」

 なんだかんだ不満はあっても、やはり自分が直々に仕える王子に対してはグレースもそれなりに思い入れがあるらしい。この後、互いの王子についての言い合いでどれだけ時間をムダにしたのだろう。満月はすっかり高くなっていた。

「あ~あ。明日も早いからもう寝るわ。サファ、アンタは朝番でしょ? ジャマしたね」

 グレースはドアの前で立ち止まり、そして、サファイアの方に向き直るともう一度釘を刺した。

「人間界の話、ぜ――ったいに他言無用だよ」

「誰にも言わないから安心しなってば」

「口の軽いシェードはシェード失格だからね」グレースはツンとして、ドアをあけて出て行った。

「それじゃあ、あたしにベラベラしゃべったアンタはなんなの?」

 パタンと閉じられたドアに問いかけてみたが、むろん答えが返ってくるはずもない。

「それにしても、人間が種を持ってるなんてあり得ないし、魔族より強いなんてこともあり得ない。だとしたら、人間界に住む魔族の仕業だよね……? もしくは魔族の血を引いた…… まさか、まさかだけど、あいつじゃないよね? ううん、違うよ。ごろつきの連中同士で殺り合った可能性だってあるんだし」

 サファイアはブツクサとつぶやき部屋の隅から隅を何度もウロウロした。グレースの話を聞き、その昔、魔界から人間界へ移住したと伝え聞いている幼なじみの混血ブレンドの少年を思い出したのだ。

「でも万が一、万が一あいつだったら……センジだったりしたら……」

 石橋でゼスタフェの視線を感じた時みたいに、サファイアの心臓が早鐘を打つ。

「……ヤだ。どうしよ。会いたくなっちゃったじゃん」

 現在いまも変わらず大好きな幼なじみの少年センジが無性に懐かしくなり、サファイアは涙目になった。

「んなワケないか。バカバカッ。ひたってる場合じゃないってば。とっととお風呂入って寝なきゃ朝番だってのに起きられないよっ」

 サファイアは深呼吸を繰り返して動悸どうきを整え、両目をめいっぱい見開いて涙を乾かした。チェストの引き出しから着替えを取り出し洞窟の温泉へと小走りになる。

 今夜の入浴タイムは最高だった。仲良しだったセンジと、親切にしてくれたセンジの母ベクセナ、二人と過ごしたほんのひと時の幸せな子供時代を回想して、温泉の湯以上のポカポカ効果を得られたからだ。

(あたしが王家のシェードになってるなんて、センジの奴ぶったまげるよね? あの派手なオレンジ色の目、まん丸くしてさっっ)

 身体の芯まで温まり、サファイアはぐっすり熟睡できた。期待していたものの、センジやベクセナが夢に出てくる事はかなわなかったが……


 *  *  *  *  *  *  *

 
 満月が薄くなり、ドリンケルツ城全域が白白しらじら明けに包まれる頃――

 第一王子のギリザンジェロはロングコートのえりを立て、王城インリオ嶽の城内をツカツカと勇ましく歩いていた。

「なになに? やけに早起きじゃん!」

 朝番で城内を見回っていたサファイアは、こちらに向かって来るギリザンジェロを目にするや、特に理由はないが岩壁の狭間はざまにとっさに身をひそめた。

 長身長足のギリザンジェロの一歩は歩幅が大きく、終わりの見えない永路のごとき廊下をぐんぐんぐんぐんかなりの速度で進んでいる。コートがひるがえるたび、裏地にある蜘蛛の巣がらの刺繍が目につき気味が悪い。


「王子、おはようございます」

 すれ違う者たちが次々に頭を下げてかしこまるが、ギリザンジェロは祖父から父、父から自分へ受け継がれたという鋭い目でまっすぐ正面を見据え、とり澄ました顔つきでロングブーツの音を響かせ突き進んでいる。

「こんな早朝に、どこ行くんだろ?」

 自分がひそんでいる岩壁をギリザンジェロが通り過ぎると、サファイアは気になりコッソリ後をつけた。

 大ホールの超ワイドな階段を越え、まだまだどんどん進んで行き、ギリザンジェロは父王ブルヴァオンレの寝室にたどり着いた。


「おはようございます。ギリザンジェロさま」

 いかめしい、寝室の大きな扉の横から、王のシェードであるゼスタフェが現れた。

 太い円柱の陰から盗み見ていたサファイアは、

(きゃっ! ゼスタフェさんだ! 今朝も一段とステキ!!)自らの心臓をギュッと押さえ、脳内で小躍りした。

「ゼスタフェ。父上はこちらか? それとも、あちらか?」ギリザンジェロはゼスタフェに確かめた。

「あちらでございます」

「チッ。またか……」舌うちするや、握り拳をガチガチに固め、ギリザンジェロは王不在に対するイラつきをあらわにした。

 “あちら”とは、第二王妃シフォンネの城だ。ギリザンジェロは日頃からよく文句を垂れている。「クソ親父め。若い二番手のつまにイカれやがって。スケベジジイめが!」と……


「王子。王はこちらではなく、あちらですが」

 ゼスタフェが、ギリザンジェロの鬱積うっせきを見抜いたような声つきで再度伝えた。

「あ、ああ。分かっている」

「このような朝早くに、王に何かご用でもおありでしたか?」

「大ありだ。でなければ、わざわざ父上の寝室へやになど参らぬわ」

 握り拳を崩し、ギリザンジェロは不意に窓の方へと歩み寄った。その窓からは、城で最大のボツオール橋が見渡せる。サファイアが居る円柱からもしっかりと見渡せる。

 まだ薄暗いボツオール橋に、白いコートの男と二人の男女が立っている。第二王子のドラジャロシーと、ドラジャロシーの楯守シェード、マキシリュとグレースだ。彼らはこれから出かけようとしているみたいだが、心なしかドラジャロシーには闘志らしき気勢が遠目からでも見てとれる。

「あいつら、なにをするつもりか……」

 窓から橋を見下ろし三人の動きを注意深くうかがっているギリザンジェロを、どうやらゼスタフェはいぶかしんでいるようだった。

「いかがしましたか、王子」

「ど、どうもせぬわ。ゼスタフェ、父上がお帰りになっても俺が来たことは言わずとも良い」

 そう言い置くや、ギリザンジェロはそそくさと寝室脇の狭い階段を下りて行った。
 
 窓から吹く朝の風がゼスタフェの前髪を軽く巻き上げ、普段は隠されているブロンズ色の目が一閃いっせんした。

(きゃああっっ!! ゼスタフェさんの目だぁ!! なんてラッキーデイ!!)

 サファイアの心臓はもうこれ以上押さえようがない程にとどろいた。だが、ゼスタフェの理知的な目は思いのほか冷たい光りを灯していた。少々意外ではあるものの、それがなおさらかっこ良かった。

 ゼスタフェはおもむろに、階段とは逆の、ギリザンジェロがやって来た方向に歩き出した。サファイアは素早くサッと顔を引っ込め円柱の裏側に忍んだのだが……

「サファ、王子から目を離すなよ」通りすがり、ゼスタフェはそう呼びかけた。

「へっっ!? あ、えっ、はい!!」つい反射的に、サファイアは返事をしていた。ゼスタフェには最初からバレバレだったらしい。

「トホホ……せっかくラッキーだったのに、ゼスタフェさんにのぞき見なんてみっともないことしてんのバレちゃってたよ……」サファイアはカクっと首を折り曲げた。


 †    †    †    †    †    †    †    †    †


「ギリザ王子っ。おはようございますっ」サファイアは息を切らしてギリザンジェロに追いついた。

「サファイアか。なんだ、朝番か?」
 
「はいっ。王子、お早いですね? お身体は良くなられましたかぁ?」

「俺はあれからひと晩中のたうちまわっていた。それ程までにリカチアンヌを想っておるのだ。そしてついに意を決し、彼女のことを話そうと父上の寝室へやへ……  いや、今は父上よりドラジャロシーだ。奴はなにかはかりごとを巡らせておる。早起きが苦手なあいつがこんな朝っぱらから出かけるなどよほどの悪だくみに違いない」

 ギリザンジェロは、手っ取り早い近道ルートで表のボツオール橋へと急いだ。サファイアもピッタリついて行く。

「クソッ。遅かったか」

 橋には、すでにドラジャロシー達の姿はなかった。

「ヤッバ。人間界に行っちゃったワケ……?」うっかりこぼしたサファイアの独り言を聞くや、ギリザンジェロは驚愕の大声を張り上げた。

「に、人間界だとっっ!?」

 ギリザンジェロの声がそこいら中にこだますると、サファイアはビクッと身をこわばらせ動けなくなっていた。
 
「それはまことか!? サファイア!! なにゆえ奴は人間界に興味を持ったのだ!? 奴は人間界へ行ったのか!?」ギリザンジェロはサファイアに迫り、問いただした。
 
「お、お、王子っっ。落ち着いてくださいっっ。えっと、その、これは昨夜みた夢の話でありまして……そおだっ、王子っ。お身体は良くなられましたかぁっ?」

「先ほどもきいたわっっ!!」

 サファイアは目玉を右往左往上下に泳がせ分かりやすく動揺した。必死でごまかそうとしているのはギリザンジェロも一目瞭然だろう。

「サファイア!! 温泉休暇が欲しければ隠さずに申せ!!」

「は、は、はいっっ!! ドラジャ王子は人間界に潜伏なさるそおでございますぅ!!」今度は、サファイアの声がそこいら中にこだました。

(ゲッ……!! あたしのバカ!!)

 温泉という目先の欲望にあっさり負けたサファイアは、ヨロヨロと橋の欄干らんかんに寄りかかった。ギリザンジェロの瞳孔がパァッと開き、血のごとく赤い虹彩こうさい爛々らんらんと輝いている。

「……人間界に潜伏だと? なるほど、愚弟ぐていのたくらみそうなことよ」

 ギリザンジェロは拳であごを支え、しばらく黙り込んだ。サファイアはグレースとの約束をこんなにも簡単に破ってしまい、ただただ自分が情けなくうなだれるよりほかなかった。

(あ、あたし……シェード失格だ)

 気が付くと、ギリザンジェロの足音がどんどん遠のいて行く。

「王子……! ちょっ、どちらへ行かれるんですか!?」
  
 サファイアが頭を上げた時にはもう、ギリザンジェロは橋を渡りきっていた。これから先どうなるのか、ギリザンジェロがどのような行動に出るのか、サファイアは不安でたまらない。

「人間界へ行くぞ。ドラジャロシーの暴走を止められるのはこの俺しかおるまいに。サファイア、朝番が終わり次第お前も支度しておけ。ナウントレイにもそのように伝えよ」

「で、ですが、王には……!?」

「父上にはこれから許可をいただいてこよう」

「これからって…… えっと、シフォンネさまのお城まで……?」

 サファイアの懸念をよそに、ギリザンジェロは空におぼろげに残る月をあおぎつつ足を早めた。

「フン。愚かな弟には賢い兄が必要であろうに」
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