嘘つきな社長の容赦ない溺愛

里崎雅

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1巻

1-3

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 面白そうに笑う部長とは違って、鎌田はどこか呆れ顔をしている。

「おかしいですか? そんな風に考えるの」
「うーん、おかしくはないわよ。確かに仕事をがんばってそれなりの成果を上げられたら、社長に認めてもらえるチャンスだってあるかもしれない。でも北山ちゃんみたいな新人が、仕事でそれだけの成果を出すのって難しくないかしら」
「う……それは、その通りなんですけど……」
「しかも、北山ちゃんが認めてほしいのはあの西大路社長でしょ?」
「はい、そうです」

 勢いよく頷く小春に、ばかねえ、と言って鎌田がため息を吐く。

「西大路社長がいつまでもうちの会社にいるわけがないじゃない。彼の社長職は、買収後の社内が落ち着くまでの一時的なもので、すぐに別の人が社長に就任すると思うわよ?」
「ええっ……そうなんですか!?」
「普通、そう思うでしょ」

 当然とばかりに言われ、小春は驚きで目を丸くした。そんなこと、考えもしなかった。

「あんなにデキる人が、一子会社にずっと留まっているわけないじゃない。次期社長に相応ふさわしい人が見つかったら、とっとと退任すると思うわよ。むしろもう人選はできてて、準備を進めているんじゃないかしら」
(そんな……)

 そうなったら、悟に会える機会すらなくなってしまう。

「北山ちゃんが社長を気にする気持ちはわかるけどね。カリスマ性のあるイケメンだし♪」

 鎌田が気落ちした小春の肩をぽんぽんといたわるように叩いた。
 コツコツがんばっていつか認めてもらおう、なんて悠長なことを言ってる場合ではなくなってしまった。これは、なんとかして彼に会う機会をもっと作らなければいけない。

「まあでも、社長のために仕事をがんばるなんて素晴らしいじゃないか。社長に会った時には伝えておくよ」
「えっ、部長は社長とお会いする機会があるんですか?」

 勢い込んで尋ねる小春に、部長はゆっくり首を横に振った。

「いいや。就任の挨拶あいさつ以来、見かけたことはないけどね」

 それなら、小春と大して変わらない。

「機会があれば……よろしくお願いします」

 力なく笑って自分のデスクに向かうと同時に、心の中でふつふつ闘志が沸き上がってきた。

(なんとしても……同じ会社にいる間に、社長を落とさなきゃ!)
「それじゃあ、北山ちゃん。これ、今日の作業ね。がんばって、いつか社長に認めてもらえたらいいわね!」

 鎌田がデスクに置いた資料の量に引きつりながら、小春は胸の奥で闘志を燃やしていた。


「北山さん、お使い頼まれてくれない?」

 部長に声をかけられ、小春はモニターとにらめっこしていた顔を上げて勢いよく返事をした。

「はいっ行きます! どこですか?」
「営業部にサンプルを届けてほしいんだ。新商品のプロトタイプ、一度見てみたいと言われたのを忘れてたよ」

 営業部は、小春のいる商品開発部より二階下の三階フロアにある。社長室のある最上階ではなかったことを残念に思いながらも、すぐさま立ち上がる。
 タンタンライフ本社の部署は細かく二十以上に分かれていて、十階建てのビル内でもかなり入り組んで配置されていた。だが小春はその全てをすっかり頭に入れている。

「わかりました。行ってきます」
「あ、そのついでに、総務へ寄って赤ボールペンの替え芯五本とセロテープをもらってきてくれるかな?」

 すかさず他の人から雑用を頼まれた。総務部があるのは六階。ついででもなんでもないけれど、これもこころよく引き受ける。

「了解しました」

 通常業務で、社長室へお使いに行くことなど皆無だ。つまり、同じ会社にいても相変わらず悟とは会えずにいる。
 しかし、どこにチャンスがあるかわからない。何事も前向きにとらえて、とにかく行動あるのみと決めていた。
 部長からサンプルを受け取った小春がフロアを出ようとしたところ、背後から鎌田の容赦ない声が飛んできた。

「また行き先を間違えるんじゃないわよー。『方向音痴の北山さん』」
(う……)

 これは絶対にバレてる、と小春は振り向かずに胸の辺りを手で押さえる。
 実は雑用でお使いを頼まれる度に、間違えたフリをして最上階に行っていたのだ。

(まあ、その都度、秘書課のお姉さま方に見つかって笑顔ですごまれているんだけど)

 優雅に微笑んでいる彼女たちの目はまったく笑っておらず、通してもらえた試しがない。そんなことを繰り返しているうちに『方向音痴の北山』という通り名がついてしまった。

(いや、方向音痴で済ませてもらえているなら、まだセーフだよね)

 残業帰りの深夜、誰にも見つからずに社長室の前まで行って悟に会えたことは、本当に奇跡だったと、いまさらのように思い知る。
 小春みたいな新人が社長に接するチャンスは、限りなくゼロに近いのを痛感しながら、営業部のフロアに入っていった。

「商品開発部の北山です。新商品のサンプルをお持ちしました」

 大人しく営業部に直行した小春は、事務担当の女性社員にサンプルの入った紙袋を渡した。母親ほどの年齢の女性社員がそれを受け取りながら、気の毒そうに小春を見てくる。

「ご苦労様。商品開発部のお使いは、いつも決まってあなたねえ。新入社員だから仕方ないかもしれないけど、たまには別の人に代わってもらいなさいよ」

 女性社員から同情に満ちた眼差しを向けられて、慌てて首を横に振る。

「いえ、大丈夫です! 私、お使いをしたくてしてるんですから」

 強がっていると思われたのか、そっと手の平に飴玉を載せられた。彼女には、来る度にこうしてお菓子をもらっていて、逆に申し訳なかったりする。
 お礼を言って営業部を出た小春は、そのままエレベーターで六階に上がり総務部に寄った。頼まれた文房具をもらい商品開発部へと戻る。行きがけに鎌田から釘を刺されたこともあり、さすがに寄り道はしなかった。

(会社以外で何か、先生に近づく方法を探した方がいいかもしれない……)

 そんなことを考えながらフロアに戻ると、待ち構えていたように同僚たちが一斉に小春を見た。

「あ、戻ってきた」
「え……もしかして私、何かやらかしちゃいましたか?」

 最近は少しずつミスも減ってきたけれど、何か抜けていたのだろうか。焦って自分のデスクに戻った小春に、部長が笑いながら首を振った。

「ああ、いやいや。北山さん、社長に認められたいって言っていただろ? その意欲を買って、ひとつ仕事をやってもらおうかと思って。データ送っておいたから、見てみて」

 コンコンとモニターを指さされ、急いでノートパソコンを開く。小春のアドレスに送られてきたのは、新商品開発プロジェクトと書かれた文書だった。

「うちがインハートウエスト社の傘下に入って、新たに立ち上げるデジタルカタログの目玉商品を考える企画だ。メインターゲットは今までの三十代以上じゃなく、十代から二十代前半の若者となる。ネットでの購入がメインになるから、それに合った新商品の開発、もしくは発掘をしてほしい」
「デジタルってことは、紙のカタログはやめるんですか?」

 毎回カタログが届くのを楽しみにしていた母を思うと、少し複雑な気持ちになる。

「それは上層部が決めることだから、まだなんとも言えないな。ただ今回のデジタルカタログは若者をターゲットにしているから。試験的な意味合いを含めて、Webとアプリのみでの展開らしい」
「うちの部署で二十代前半って言ったら、北山ちゃんしかいないからねー。どう、やる?」

 みんなからの視線を受けつつ、小春は即答した。

「やります!」

 悟に認めてほしい気持ちももちろんあるが、初めて任された大きな企画に嬉しさが込み上げる。
 小春の返事に、部長が満足げに頷いた。

「そう言うと思ったよ。じゃあひとまず、一週間以内に企画書をまとめて提出してね」
「一週間……」

 こういった企画の作業には慣れていないから、一週間が長いのか短いのかよくわからない。
 けれど、やるしかない。

「追加の資料も全部送っておくよ。パソコン上で動かせるアプリのベータ版ももらってるから、それを見てまずはイメージをつかんでみて。わからないことがあったら、鎌田さんに聞いてね」
「はい!」
「普通なら新人には回ってこない仕事よー? 北山ちゃんのやる気を買われたんだから、がんばってね!」

 ニヤリと笑いながら、隣の席の鎌田が小春の肩を叩く。他の先輩たちにも次々と応援の声をかけられ、そのことが素直に嬉しかった。
 自分にとっては、かなり大きなチャンスだ。悟のそばに行くために、ほんの一歩でも前進するきっかけになるなら、全力で打ち込みたい。

「私、がんばります!」

 部署のみんなの期待とみずからの野望のために、小春は声高に宣言した。


 が、しかし――
 部長からひとまずの企画書提出期限と言われた日を控えたある夜。

「あー……うー……」

 定時をとっくに過ぎたフロアで一人、小春はパソコンとにらめっこをしながらうめき声を上げていた。小春を気にしつつも、部長は娘の誕生日だから、と帰ってしまい、つい先ほどまで残ってくれていた鎌田も『用事があるから、ごめんね』と言って帰ってしまった。
 北山ちゃんも帰るよ! と散々かされたが、このまま家に帰っても落ち着かない……と鎌田に泣きつきなんとか残業することを許してもらったのだ。
 新企画に対し、どうにかなるだろうと甘く見ていたのは否定できない。
 ファッションが主流の若者向けネット販売。そこへ雑貨に強いタンタンライフが乗り出すのだから、まずは世間の注目を集められるような目玉商品を開発、もしくは発掘する、というのが今回の企画の趣旨だ。膨大な資料とカタログに埋もれながら、小春は再びうめき声を上げる。
 うちでしか扱っていない商品はたくさんあるし、それをカタログから探すのは簡単だ。けれど、そんなことは誰にでも思いつくのではないか、と悩み出し行き詰まってしまった。
 人脈も情報量も他の社員より圧倒的に劣る小春が、商品の発掘をするのは難しい。だからといって、商品を一から開発するほどのアイデアもなかった。
 日に日に本当にできるのかという不安が大きくなってきて、そんな小春を周りが心配しているのも感じる。経験不足はいなめない。けれど、やっぱりできませんとさじを投げるのもいやだった。
 一向に見えてこない答えに、小春はため息を吐いた。結局、残業をしたところでダラダラと時間ばかりが過ぎていく。

(もう帰ろうかな……)

 ついそんな後ろ向きな気持ちになり、小春はぶんぶんと頭を振った。そして、椅子から立ち上がると両手を上げストレッチをして、気持ちを切り替える。
 頼み込んで残業をさせてもらっているのだから、何かヒントだけでもつかまなければ申し訳ない。
 もう一度、過去のカタログを漁ってみようか……と思った時、フロアに誰かが入ってくる気配がした。何気なく後ろを振り向いた小春は、直後、ぴたりと動きを止める。
 てっきり他の部署の人だと思っていたのに、そこにいたのは、ずっと会いたくてたまらなかった人だった。

「せんせ……」

 ネイビーの上質なスーツに身を包んだ悟は、商品開発部のエリアまで歩いてくると足を止めた。そして、じろりと小春を見やる。

「またこんな遅くまで残業か? 責任者はどうした」

 その厳しい口調に、ハッとする。
 咄嗟とっさに辺りを見回したところ、このフロアには他の部署も含めて小春たち以外誰もいないようだ。だが、どこに人の目があるかわからない。

「しゃ、社長、お疲れ様です。その……部長は今日、娘さんの誕生日なので先に帰っていただきました。どうしても残って仕事をしたいというのは、私のままなので」

 小春を残して帰ることを最後まで気にかけてくれた部長に、迷惑はかけられない。きっぱり弁明したが、悟は納得のいかない様子でさらに質問を重ねてきた。

「それなら、他の社員が残るべきだろう。こんな時間まで新人社員一人に残業をさせるなんて、何かあったらどう責任を取る」
「少し前……ほんのちょっと前まで、先輩も一緒だったんです。早く帰れと言われたのに、私が勝手に残っているだけで……あ、でも、私ももう帰ろうと思ってたところでっ」

 どうしよう。自分のせいで、先輩や上司に迷惑をかけてしまうかもしれない。前にも注意されたのに、と焦りながら必死に言い訳をする小春に、悟は呆れた様子で小さく息を吐いた。

「……お前は、相変わらずだな」

 ぽつりとこぼされた悟の言葉。

「え?」

 思わず顔を上げると、小春の顔をじっと見つめる悟と目が合った。しかし、それも一瞬のことで、すぐに視線を外されてしまう。

「もう帰ろうと思ってた、なんてどうせ嘘だろう」

 そう言って、悟は無言で小春の隣の席から椅子を引き寄せて座った。どうしたのだろうときょとんとしていると、突然何かを放り投げられる。慌ててキャッチすると、それはほのかに温かいコーヒーの缶だった。

「カフェオレ……?」
「間違って買ったから一本やるよ。俺はブラックしか飲まないから」

 知ってる、と心の中で頷く。てっきり注意がすんだら出て行ってしまうと思ったのに、なんの気まぐれか知らないがこの場に残ってくれた。もう少し、悟と一緒の時間を過ごせる。
 間違って買ったのが小春の好きなカフェオレだったのは偶然だろうけど、こうして久しぶりに悟と話ができることが嬉しくてたまらない。

「先生……覚えてますか? 昔、数学の教科担当室で、一度だけコーヒーをれてもらったことがあるんです」
「……」

 悟は何も言わずに、もうひとつ持っていた缶コーヒーのプルタブを開けた。その姿を見ながら、小春も椅子に座り直してカフェオレのプルタブを開ける。

(あの時の先生、冷蔵庫から購買で買った牛乳を出して、わざわざカフェオレにしてくれたんだよね……)

 コーヒーの味は好きだけど、甘くないと飲めないと言った小春に「お子様だな」と言って笑った悟。けれども彼は小春のために、わざわざミルクと砂糖をたくさん入れたカフェオレを作ってくれたのだ。
 そんなことを思い出しながらカフェオレを飲んでいると、ふと悟が、小春が開きっぱなしにしていたパソコンに目を向けた。

「残業の理由はそれか。新しく開発中のアプリ」
「あ、はい。今、そのプロジェクトの企画に関わらせてもらっていて……って、アプリのことを知ってるんですか?」
「知ってるも何も。このアプリを開発したのは俺だからな」

 さらりと言われた事実に、驚愕きょうがくする。

「社長って、そんなことまでするんですか?」
「そんなことってなんだよ」

 思わず昔みたいに問い返してしまった小春に、悟が苦笑いをする。

「いえ、なんていうか……社長って、決裁書類にハンコ押したり偉い人と会食したりするだけで、こういう実務には関わらないものかと」
「すごい偏見だな。俺は社長だが、同時にシステムエンジニアでもあるんだぞ」

 そう言いながら、すぐそばまで来た悟がじっとモニターを見る。その横顔に、小春の視線が釘付けになった。四年の歳月を経て少しだけしわの刻まれた目元。本当に先生がいるんだ……という感慨と共にぼーっと見とれてしまう。

「おい」

 悟が不意にこちらを向いて、どきっと胸が高鳴った。

「はっ、はい」
「アプリに問題があるわけじゃないだろう。だとしたらお前は、何が引っかかってこんなに遅くまで残業をしているんだ?」
「あ……」

 悟から仕事の質問をされている――小春は急いで頭を切り替えた。

「イメージが上手うまつかめなくて。……ファッション通販だったらあのアプリ、グルメ通販だったらあのサイト、みたいに……生活雑貨の通販を代表するアプリを作ろうとしているのは理解しています」
「お前が関わる作業は?」
「カタログの目玉となる商品の、開発か発掘をするというものです」
「なるほど。で、どちらか決めたのか?」
「経験のない私が、今から新商品の開発をするのは難しいと思います。きっと、アプリの完成には間に合いません」

 悟の質問に答えることで、小春の頭がどんどん整理されていく。

「だとしたら、発掘しかないな」

 確認するように言われ、小春は深く頷いた。

「はい。それで、タンタンライフ独自の雑貨の中から、目玉となる商品を見つければいいと思ったんです。うちの元々のメインターゲットは三十代以上の女性で、紙のカタログを見て買う人がほとんど。逆に今回のメインターゲットである十代から二十代の若者はあまりカタログを見ていないと思うので、既存の商品も新しく感じてもらえるかなって……」
「だったら、なぜそれをしない?」

 小春にその意思はないと、この短い会話で既に見抜かれたようだ。

「その程度なら……他の人も思いつくと思いまして。どうせやるなら、絶対に採用されるものにしたいから……」

 新人のくせに、と思われるかもしれない。けれど、それが本心だった。
 無難に企画をまとめて部長に提出するだけなら、既にできていただろう。そうすれば、ひとまず小春のやる気も認めてもらえたかもしれない。
 でも、それではだめなのだ。そんな無難な企画では、社長の悟までは届かない。
 新商品の開発はできなくても、誰もが驚く良品を――
 そんな風に思えば思うほど、どんどん行き詰まって身動きできなくなってしまった。

「なるほどな」

 腕組みをして小春の話を聞いていた悟は、そう言うと黙り込んでしまう。
 新人のくせに大きなことを、と呆れられたのだろうか。いや、小春の知っている悟は、決してそんな風には思わないという確信があった。

「……だけど、気持ちばっかり先走ってしまって……このままだと期限までに企画書すら提出できないで終わっちゃいそうなんです」

 ははは、と小春は力なく笑った。
『最初から完璧な資料を作ろうとしちゃダメ、五十パーセントの仕上がりでもいいから期日通りに出す方が大事よ』と、鎌田にはアドバイスされた。それなのに、今の小春は完全にその逆になってしまっている。
 その時、しばらく無言でいた悟が、おもむろに口を開いた。

「……クラウドファンディングって、知ってるか」
「え? はい、もちろん……」

 いきなり聞かれ、小春は首をかしげながらも頷いた。
 クラウドファンディングとは、なんらかの理由で資金が不足しているプロジェクトに、他者がお金を出資するというシステムだ。専用のサイトがいくつかあり、日々、様々なプロジェクトがアップされている。

「他社に取り扱いのない目新しい物を探したいなら、そこを参考にするのもひとつの手だぞ。中には、企画が上手うまくいっても、販売ルートが確立していない商品もある」
「あ……」

 悟の言葉に、さっと小春の目の前がひらけたような気がした。
 ネットでは大変な盛り上がりを見せているクラウドファンディングだが、それが広く世間に浸透しているかというと、まだそうとも言えない。
 つまり探せば、あと一歩で頓挫とんざしてしまった商品や、はたまた商品化にはこぎつけたものの販売には至らなかった商品などがあるかもしれない。

「あ、ありがとうございます!」

 目を輝かせて横を見ると、悟はぐいっと缶コーヒーを飲み干して立ち上がった。

「礼を言われるようなことじゃない。あとはお前のがんばり次第だろ」

 そうして悟は、何か言いたげに小春を見下ろす。躊躇ためらうようにして口を開きかけたが、彼はすぐに厳しい表情を浮かべた。

「飲み終わったら、さっさと帰れよ。新人が最後まで残ってるのは、会社として好ましくないからな」
(もしかして、私が一人で残業しているのを知って、様子を見に来てくれたの……?)

 ふと、そんな考えが脳裏をよぎる。
 指先が震えるのを自覚しながら、小春はぎゅっと手を握りしめて目の前の悟を見つめた。

「あの……どうして私を、助けてくれるんですか?」
「社長として、こんな時間まで残っている新入社員をほっとけないだろ」

 相変わらず彼の口調は冷たい。だが、小春はめげなかった。
 聞きたいのは、社長としての考えじゃない。どうして、自分に声をかけて助言までしてくれたのかが知りたいのだ。
 小春は椅子から立ち上がり、こちらに背を向けて歩き出した悟に声をかけた。

「私が……私がこのプロジェクトでどうしても結果を出したいと思ったのは、社長に……先生に、少しでも近づきたかったからです!」

 フロアの出口に向かっていた悟の足が止まる。

「同じ会社にいるのに、全然会えなくて……それどころか、存在も、距離もすごく遠くて。私のことを見て欲しいのに、視界にも入れない。そんな状況を、どうにかしたくて……」

 お前は仕事をなんだと思っているんだ、と怒られるかもしれない。それでも自分の気持ちを伝えたくて、からになったカフェオレの缶を握りしめた。

「私……先生がこの会社にいるうちに、絶対に結果を出します。そして、そばに行って、私を認めてもらって、絶対に落としてみせますから!」
「……落とす」

 小さく声が聞こえたかと思うと、悟がこちらを振り返った。まだ彼は、「社長」としてのクールな顔を崩さない。それでも、探るように小春を見つめている。

「もう私……学生じゃありません。恋愛だってできます。元先生が相手でも、社長が相手でも、です! だから、待っててください」

 まっすぐ悟を見つめて言い切る。すると、そんな小春に向かって悟がふっと微笑んだ。

「お前は……本当に、変わらないな」

 柔らかな彼の表情に、小春の心臓が高鳴る。

(先生の雰囲気が、四年前に戻った……)
「それは、成長してないって、意味ですか……」

 息苦しさを感じながら、なんとか声を絞り出す。

「そうだな」

 さらりと言われて言葉に詰まると、彼の口元が楽しそうにゆるんだ。

「嘘だよ。ちゃんと成長してる。昔と変わらないまっすぐな部分を残したまま、ちゃんと成長しているよ」

 思わぬ言葉をかけられ、小春は息を呑んだ。こんな風に言ってもらえる日がくるなんて、思ってもみなかった。

「がんばっている生徒は、みんな可愛いもんだ。でも、教師だって人間だからな……特別、可愛いと思う生徒がいたっておかしくないだろう?」

 全身が心臓になったみたいにドキドキしてくる。

「そ、それは……なんの、話ですか」
「お前が、どうして助けてくれるのかって聞いたんだろ」
(じゃあ今の言葉は、その答え?)

 小春の頭が混乱してくる。もしかして、少しは期待していいのだろうか、それとも元生徒だから助けてくれただけなのだろうか。困惑する小春を楽しそうに眺めていた悟が、再び背を向ける。


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