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第二章 影の魔物
13. 聖女の徴(しるし)
しおりを挟む早暁。
リグナ・オルムガの山頂を覆っている白銀に輝く竜雲が、夜の淵に沈んでいた山肌とともに徐々に淡い茜色の光に照らし出されていく。
儀式の間、静かな祈りの中にあった王都ロームの街並みは、夜も明けきらぬうちから一転して喧騒に満ちていた。
一番目の鐘よりも早い時間から、教会の大鐘が一斉に鳴り響き、およそ二百年ぶりとなる聖女召喚の儀の成功を高らかに告げたからである。
それとほぼ同時刻、衆目を避けるように静々と王宮に向かう馬車の列があった。
彼らは、儀式が執り行われた聖竜神殿より、空間転移装置を使ってまずは麓にある小さな聖堂へ。その聖堂の地下には、パノン王国代々の国王とそれに連なる御霊が眠る墓所があるため、常から関係者以外の立ち入りは禁止され、厳重な警備体制が敷かれている。
そこから先へは、馬と数台の馬車を使ってあらかじめ封鎖されている道を通り、やがて王宮護衛師団の騎馬隊が整然と列を成して待つ王宮北門前の広場へとやってきた。
白い甲冑姿で馬車の列を守っていた聖竜騎士団の騎士たちは、同じく騎乗した金青色の甲冑姿の護衛師団の騎士たちと入れ替わるようにして、ゆっくりと隊列から離れていく。
最終的に、護衛師団の騎士たちに守られる形で王宮の北門をくぐった馬車の列が向かったのは、広大な庭園内にある白い正方形型の城館だった。
ここは王宮に招かれた賓客が宿泊する時に使用される迎賓館の一つで、中には広間のないこぢんまりとした造りだが、四方それぞれの壁面が建物の正面と言っていいほど洒落た意匠になっていて、見る者の目を楽しませている。
* * *
玄関ポーチの前で、騎士たちに先導されてきた馬車が次々に止まった。
先頭の馬車の御者台に乗っていた王宮護衛師団、副団長のカイル・ユーディが素早く降り立って馬車の扉を開くと、中から大勲章を首に提げ、深青色の護衛師団の礼服を纏った王太子が降りてきた。彼が公式の場でその礼服を着用しているのは、パノン王家に生まれた男子には一定の期間、形式的にではあるが護衛師団に入団するしきたりがあるためだ。
二台目の馬車からは、祭司用の法衣を纏った宰相が降り立つ。
ロルフ・ベルナーが御者を務めていた最後の馬車からは、女神官に付き添われた女性が、慣れない馬車の揺れに軽く酔ったのか、少し覚束ない足取りで降りてきた。
胸元や袖口に、銀糸で繊細に花の刺繍が施された白い衣装を着ている。
ヴェールを深く被っているせいで、顔は見えなかった。
──本当に、ゲームと同じ光景だな。
あの時は、身体が震えるほど緊張しきっていた聖女視点でこの場面を見ていたが、今の俺は聖女を出迎える側としてここにいる。
まったくの逆の立場からの視点に、ジスティが彼らに向かって進み出るその少しあとにつきながら、俺は不思議な感覚を味わっていた。
それにしても、彼女が着せられているものといい、まるで輿入れのようだと思うのは俺だけだろうか。
現に今、彼女の手を取って導くように歩き出したのは、ゲームにおける攻略対象の一人、王太子のエドアルド・ローレンス・パノリアだ。
明るい金髪は短く整えられ、すっと整った鼻梁と薄青の瞳がどうかすると冷たく見えがちだったが、物腰が堂々として落ち着いているため、今は穏やかな印象の方が勝っている。身長はジスティとほとんど同じぐらいでも、護衛師団長の鍛え抜かれた体躯に比べるとやや細身の体型ではあった。
ちなみに、王太子ルートに入った場合の聖女がエドアルドを呼ぶときの愛称は、セカンドネームから付けられた「ローリー」である。
この国の上流社会には、心を許した特に親しい相手にのみ、セカンドネームで呼ぶことを許すといった風習があり、その決定権も本人側にある。なので、直接呼びかけることはないにせよ、俺がこの愛称を使うのはさすがに憚られる。
「お帰りなさいませ、殿下」
ジスティは跪いて礼を執り、よく通る声でまずは王太子に向かって挨拶をする。
俺や他の出迎えの騎士たちも、団長に倣う様に一斉に跪き、礼を執った。
「また、このたびの聖女様のご召喚の儀につきましても、恙無く終えられましたこと、祝着至極に存じます」
「……ただいま戻った。出迎え大儀である」
鷹揚に返してから、エドアルドは傍らに立つ聖女を騎士たちに紹介する。
「まず皆に紹介しよう。こちらにおられる御方が、異なる世界から我が国に参られた聖女、アイリーネ殿だ。まだ色々と慣れぬこともあるだろうから、皆くれぐれも良くして差しあげてくれ」
「──はっ」
騎士たちは跪いたまま、さらに深く頭を下げる。
「アイリーネ様、この国によくぞいらしてくださいました。わたくしは、王宮護衛師団、団長のジストルード・ウィリク・コーゼルと申します。どうかお見知り置きのほどを。そして……」
ジスティは斜め後ろに跪いている俺を振り返る。
「これなるはわたくしの部下、魔法騎士のシリル・ブライトでございます。しばらくの間、わたくしどもが御身の護衛を務めさせていただきます」
「……シリル・ブライトと申します。アイリーネ様とこうしてお目通りが叶いましたこと、無上の喜びにございます」
ゲームのシリルは、この最初の挨拶を無表情のまま、まったく感情のこもらない声で言っていた。
そのことを、自身もかなり緊張していたアイリーネが良くない方向で心に留めてしまい、後々まで二人は心を許しあえないまま、ストーリーが進んでいってしまう。
それでは、まずい。
だが俺にしても初めての状況で、果たしてうまく挨拶できているのかどうかもわからない。これ以上、いったい何を言えばいいだろう。こういう畏まった場での口上なんて、咄嗟にスラスラ出てくるわけがなかった。
──仕方ない。いっそ、そのままのことを言ってしまおう。
意を決し、俺は再び口を開く。
「わ、わたくしも、北の任地より戻りましたばかりで、王宮のしきたりや作法については未だ不慣れな身でございます。ですがこの一身にかけて、必ずや御身をお守りするとお誓い申し上げます」
一瞬、場がしんと静まった気がして、ああ、やってしまったなと思いかけたとき。
「──ありがとう、ございます」
ごく小さな震えを帯びた声が、俺の頭上からした。
「…………え?」
顔を上げると、俺の真正面にエドアルドとアイリーネが立っている。
そしてアイリーネは、被っていたヴェールを上げ、そっと頭の後ろにずらした。
「シリル様、そして団長様。ただいま殿下よりご紹介に与りました、アイリーネと申します。不束者ですが、どうぞよろしくお願い致します……」
そう言って、ぺこりと頭を下げるその仕草は、なんとも言えず可憐で愛らしい。
その様子を趣深い目で見下ろしていたエドアルドは、騎士たち全員に起立を許すと、目元を僅かに緩ませながら言った。
「ジオルグ、そなたの養い子とはこの者のことだな」
「──左様です、殿下」
何故かむすりとした顔のジオルグが進み出てきて、俺と王太子の間に割り込むように立つ。
「なるほど。別段、人選に不安をおぼえていたわけではないが、少々気にはなっていた。だがこの者にならば、安心して任せられる」
「……それは重畳にございます」
いい大人が主君に対して、まるで木で鼻をくくったような言い方をしている。長時間にわたる儀式を取り仕切った後で、さすがに疲れきっているのだろうか……。
いやしかし、そんなので大丈夫かと少し心配になりかけたが、なんとなく互いに馴れた空気を醸しているので、まあいいかとも思ってしまう。
彼らの傍らには、所在無さげにちょこんと立っているアイリーネがいた。
──え?
ヴェールを背中まで下ろしている彼女の顔を、俺はしっかりと見た。
亜麻色の髪に、今は緊張のためか濡れたようにも見える大きな青い瞳。
そして、その額にあるものは。
──【聖なる竜の刻印】。
眉間より少し上に、華奢な彼女自身の小指の爪ほどの小さな白金色の石が輝いている。
時折虹のような彩りを放つそれは、正確には石ではなく、この国を守護するイーシュトールの鱗で出来た【聖女】と定められた者にのみ与えられるはずの刻印だ。
──だけど、違う。
俺がゲームで見知っている聖女の刻印、いや徴は、ダイヤモンドのようにキラキラと輝いていた。こんな風に、つるりとした光り方ではない。
これでは、まるで。
──俺の額にあるものと同じ、だ。
そのとき、俺の脳裏に何かがちらついた。
小さな小さな、記憶の断片。
掴み取ろうとしても、すぐにすり抜けていく頼りないもの。
だが、はっきりと分かったことがある。
……俺とアイリーネが持つこの徴に関連する何かを、俺は確かにどこかで見ている。
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