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第六章 宰相閣下の求愛
46. 寄り道
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……すまない、と囁くようにジオルグが詫びた。
俺は強く抱きしめられたまま、小さく頷きを返す。まだまともに口がきけるような状態ではなかった。
ロートバル邸の地下にある空間転移装置によって、予期せぬ長距離転移をさせられた俺は、地面に降り立った途端、強い目眩と嘔吐感に襲われた。
いわゆる魔力酔いだ。こんなことになったのは初めてで、ようやく俺にもジオルグやルーの強い魔力にあてられて酔ってしまうカイルの辛さがわかった。
幸い、先刻のヒースゲイルの治療と……ジオルグのキスのおかげで、また不甲斐なく意識を失ったりはしなかった。実際、魔力量が底なしのジオルグと触れ合っているだけで、魔力の回復が尋常じゃなく早い。
「……もう大丈夫です。えっと、ここは?」
ジオルグの腕の中で、視線を転じた俺は小さく息を呑む。
互いにゆっくりと身を離し、手だけは繋ぎ合ったままで横に並んで立つ。
小高い丘の上、その眼下。
──森? いや、違う。
見たことのない光景だった。
見渡すかぎりの緑が、海のように広がっている。
冷たく乾いた風が、淡く霞んだ蒼空から吹きつけてくる。その風に靡かれて擦れ合う枝葉の音は、絶えることのない波音のようだった。
空を飛ぶ鳥以外の生物の姿はなく、建造物がひとつもない無人の原野がただ広がっている。雄大で美しいが、見る者によっては寂しいと思うかもしれない。でも……。
「すごい……!」
思わず感嘆の声を上げる。
「我が領地内にある荒れ野だ。人間はおろか、同胞の中にもここに定住する者はない」
「領地……、ではここが」
──カルヴァラ。王室直轄領ランスのさらに北にある竜人種の郷。
初めて来た。そして、ゲーム世界のシリルが生涯知り得なかった場所。なんともいえない感情が胸に押し寄せてくる。
「今は見てのとおり、低木だらけの荒れ野だが」
前を向いたままでジオルグが言った。
「秋になると、一面に花が咲いて絶景となる。そのかわり、冬になれば全て枯れ落ちてそれは陰鬱な景色にもなるが」
それがまた良いのだと、言葉にはせず胸裡でそう続けたような気がした。
……今は七月の中旬、パノン王国はちょうど夏の季節を迎えたところだ。
とはいえ俺が知る日本の夏に比べたら、湿度がずっと少なく、気温もやや低いため、かなり過ごしやすい。
そしてカルヴァラは王国の北端に位置しているために、王都よりさらに涼しい気候だった。
「今の景色も綺麗ですけど、花が咲いたところもぜひ見てみたいです。それから、冬も……」
──きっと、あなたの心を一番に揺さぶる光景がそれなのだとわかるから。
俺の気持ちを読んだのか、繋がれた手が強く握られる。
「無論、必ず」
ふいに踵を返したジオルグに、そのまま手を引かれ、二人で丘の上をずんずん歩いていく。
どこに向かっているのかはわからないが、ただただついていくしかなかった。やがてある地点で立ち止まり、念の為だ、と謎の言葉を呟くと、さも当然のように唇を塞がれた。
「……ん、」
それを避けもせずに受けたどころか、好きなだけ唇を食まれた挙句、離れるときには甘えるように鼻を鳴らしてしまい、ちょっと居た堪れない気持ちになる。
だがジオルグは平然として、またもや難解な術式を指先で宙に書き出し始めた。なんと、口の中でも高速で別の呪文を唱えている。
どれだけ……、とさすがに引いて見ていると、目の前の景色が瞬く間に濃い霧のようなものに覆われ出した。
「え?」
やがて霧の中に、くっきりとその輪郭が現れる。屋根の真ん中に大きな煙突がひとつ据えられた二階建ての家屋だ。
外壁はどっしりとした煉瓦造りで、俺は一目で好きだと思ったが、これがもしジオルグに関係する建物だとするなら、あまりに素朴すぎるとも思った。
「隠蔽解放? 難しい呪文ですね。この家が何か?」
家が現れると、霧は瞬時に消える。ジオルグはわずかに口の端を上げると、俺に向かって手を差し伸べてきた。
「私の隠れ家だ。さっきの転移装置は本来、この家の居間と直接繋がっている」
「え、そうなんですか?」
「ああ。君には先に荒れ野の景色を見せたくて。気に入ると思ったからな」
それでわざと着地点を少しずらしたと言われ、俺は唖然とする。
つまり。本来、解く必要がなかった強力な隠蔽結界を、これまた強い解放呪文を使ってわざわざ外から家に入り、そしておそらくはまた同じ結界をこれから張り直すのだ。
いちいち手間がかかりすぎている。そう言うと、これぐらいの消費をせねば体に溜まった魔力が循環しないと言われた。
「そんな話は後でもいいだろう、シリル」
言われた意味を考えようとし始める俺に、ジオルグが眉を寄せて釘を刺してきた。
「何の為に、君を隠れ家に連れてきたと思っている?」
腕を掴まれて強引に家の中に連れ込まれ、睨むような目で迫られた俺は、だって、と口答えをした。
「だって。先に寄り道をしたのはあなたでしょう? ジル」
返す言葉の代わりにか、壁に背中を押し付けられた俺は、そのまま貪るように口づけられた。
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