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1.アッシュ
しおりを挟む「面通しですか?…」
アッシュにそう伝えたのは、ジビリア国の猛将ゴリュー将軍である。眉間に皺をよせ、見る者によっては恐ろしくて後退りする容貌だが、アッシュには見慣れた表情だ。むしろこれまで、この将軍の眉間に皺のない状態を見たことがなかった。つまり、いま見せている将軍の表情は通常仕様。褒める時も切羽詰まっている時も、将軍は常に眉間に皺を寄せている。
「忙しいところすまんな」
アッシュよりもさらに怒涛の渦中にいるであろうに、将軍は気遣いを見せる。そういうところが兵士に慕われる所以だろうと、アッシュは知り合ってから何度も思っている。
ここはシビリア国とウトージャ国との間に起きた戦争の最前線だ。二カ月前に起きたこの戦もいよいよ終局に差し掛かっていた。
そもそもこの戦争はウトージャが一方的にシビリアに攻め込んだことが発端だった。
大国ウトージャは小国シビリアなど瞬く間に侵略できると踏んだのだろう。実際、当初はウトージャ有利に戦局は進んだ。
しかしシビリアの周辺国がウトージャではなく、シビリアに援軍を送ったことで、一気に流れはシビリアへ傾く。
ウトージャはシビリアの周辺国も小国ばかりだし、事前に開戦を伝え、同盟を結んでおけばよいと判断したようだが、それが覆された。
周辺国は、ここでウトージャの侵略を許せば次は自国の番だと危機感を募らせたのだ。つまりウトージャは戦局を見誤ったわけだ。
今、ウトージャ兵は戦地逃亡を図っている。シビリアは無駄に死体を増やそうなどとはこれっぽっちも思っていないので、逃亡兵士は捕縛しつつも捕虜としてはそれなりの待遇で拘束した。
そうはいっても毎朝、温かいスープと焼きたてのパンの朝食が出るというわけではないが、必要最低限の物資と看護は提供し、捕虜への非人道的行為はない。
シビリアは小国ゆえ、諸外国との外交では苦戦を強いられてきたため、捕虜といえども粗雑には扱わず、いずれは自国に取り込もうという算段がある。無駄に殺すより、よほど建設的だし、祖国の敗戦濃厚な時に敵前逃亡を図る兵士たちに愛国心はないだろうから、御しやすいと考えていた。シビリアには、感情より冷静に分析できる鋭利な頭脳の首脳陣が揃っていた。小国が生き残るために進化したともいえる。ゴリュー将軍もその一人だ。こういった首脳陣がいたおかげで、アッシュもシビリアでそれなりの地位を与えられていた。
アッシュの出自はウトージャで、生業はヒーラーだ。ヒーラーとは「癒し手」と言われる医療従事者のことをいい、彼はウトージャでは王家お抱えの数少ない宮廷専属ヒーラーだった。
だったというのは、アッシュはこの戦の起きる半年ほど前、ウトージャ王家より国外追放を受けた身だからだ。
ウトージャは同性愛への理解が全くない国で、性的嗜好が自身と同じ同性の者にとっては殊のほか住みにくい国だった。アッシュは同性愛者だが、ウトージャでは己の性的嗜好を隠さなければ生きていけなかった。
特にヒーラーならなおさらだ。重い病や傷の癒しを行う場合、患者は裸身をさらすことになるが、同性愛者の男性ヒーラーは、男性患者を癒すときに患者の裸体を見て、冷静に治療を施せないとまで言われ、嫌悪された。
まったく一流のヒーラーをバカにしている。医療行為の場で、裸身の患者を診て邪心を抱く、こういった三流のヒーラーは稀にはいるかもしれないが、それは異性愛者のヒーラーにだって当てはまるのではないのか。それを殊更に「同性愛者のヒーラー」と名指しして貶めるのだから、質が悪い。
しかも一流も三流も、ヒーラーを十把一絡げで誹謗する。ウトージャではヒーラーの社会的地位が低いので、こんな暴言がまかり通るのだ。これが宮廷仕えの侍従ならここまでの誹謗はされないだろう。
ヒーラーでそのうえ同性愛者のアッシュにとって、ウトージャに生まれてしまったことは最大の不幸だ。
平民で親兄弟のいないアッシュが宮廷専属ヒーラーになるまでには、15年間、血のにじむような努力をして成し遂げたわけが、アッシュが同性愛者だとバレた途端、15年の努力はたった1日でなかったことにされた。
そしてアッシュは王室侮辱罪という、どうにでも取れる罪によって、あっけなくウトージャを追放。15年の間に積み上げた私財は全て没収され、文字通り、着の身着のままでシビリアとの国境に放置された彼は、いま目の前にいるゴリュー将軍に拾われて、命をつないだのだ。
シビリアの山中で行き倒れ、そのまま獣の餌になるしかない状態のアッシュを拾った将軍配下の兵士が、意識のないアッシュを将軍の前に連れてきた時、まるでゴミのようだったと、のちに将軍は回復したアッシュに語った。それくらいひどい有り様だった。
将軍が食事と入浴を与えると、アッシュは日々、快方に向かい、発見から10日過ぎた頃「自分はヒーラーなので、役に立ちたい」といい、ポツリポツリとウトージャ追放のことを将軍に語った。そのころにはアッシュの黒髪に黒目で、絹のように白い肌は回復しつつあり、驚くほど美しい容姿をしていることが分かった。
アッシュから粗方の話を聞いたゴリュー将軍は驚いた。シビリアではヒーラーの社会的地位が高いのだ。聞けば、アッシュはウトージャの宮廷専属ヒーラーだったという。それほど腕の立つヒーラーを、ただ同性愛者というだけで、ここまで酷い処罰を下すウトージャについて、ゴリュー将軍は今と同じように眉間に皺を寄せ「難儀であったな」といい、アッシュを慮った。
アッシュは同性愛者であることはウトージャでは隠し続けてきたが、それがバレたきっかけについては、将軍に語ろうとしなかった。
将軍はまだ心に受けた傷が癒えないのであろうと思い、詳細は聞かないものの、王室侮辱罪という罪状から、ウトージャの王子たちが関わっているのではないかと察した。
ウトージャには三人の王子がいる。
眉目秀麗な「ウトージャの誇り」と称される王太子ジネア、慈悲深く容姿端麗で「ウトージャの花」と謳われる第三王子ゾリア、この二人の王子とは対照的に愚王子と呼ばれ、ほとんど社交の場に出ない第二王子アニア。
ゴリュー将軍は、おそらくこの三人の王子のいずれか絡みではないかと当たりを着けているが、今に至るまでアッシュは話さない。
では話さないアッシュを将軍は信用しないかといえば、それは違った。ここでも発揮されたのは小国ゆえの生き残るための戦略だ。拾った人材は、まずは登用し、使えるか使えないかを見極める。
将軍はウトージャを追放されたアッシュに同国への執着はないと考え、手始めに兵士たちの治癒にアッシュを抜擢した。すると、アッシュの腕前は将軍の予想をはるかに超えており、瞬く間に兵士たちの信頼を手に入れた。これによりアッシュはシビリア国軍初の専属ヒーラーとなった。
当初、軍の中にはアッシュのことを「ウトージャの刺客」か「ウトージャのスパイ」と疑う輩はいたが、「刺客」というにはアッシュの才能は治癒に特化し、剣の腕前は子供以下と判明した時点で却下され、「スパイ」に至っては「大国ウトージャと小国シビリアでは国力に差があり過ぎる。そこにスパイを送るか?」というやや自虐的な意見によって却下された。最もウトージャが侵攻した時、アッシュスパイ説は、一時、再熱したものの、これまでのアッシュの軍への献身的な振る舞いにより、自然消滅していった。
そして開戦。
今日までのアッシュの功績は上げたらきりがない。もちろんそれに勝る獅子奮迅の活躍をしているのが将軍であることは言わずもがなである。
その将軍がヒーラーのテントにやってきて、アッシュにある依頼をしたことで、冒頭のアッシュの言葉が出た。
「面通しですか?」
「忙しいところすまんな。昨日のウトージャ首都陥落で、主だった貴族は全て逃亡した。しかし、逃げおおせた貴族は一人もおらん。一般の兵士とは違い、政務に関与した貴族に情けはかけん。さっさと打ち取った。
王と王妃は自死して遺体も発見。既に第二王子は討ち死にしており、残るは王太子と第三王子だけ。しかし、王城内をくまなく捜索したが、この二人の遺体と思われるものはなかった。最も我々は二人の王子の顔が分からんが…。それらしき遺体はなかったんだ。
残るは、捕虜となった兵士に紛れ込んでいる可能性だ。我々は王子二人の顔が分からんが、おぬしは知っておろう?そこで面通しだ」
ちょうど治療を終えたアッシュは、手をタオルで拭きながら将軍の話を聞いた。
「ウトージャの誇り」やら「ウトージャの花」という王子たちの世評は、王家が意図的に流したから広まっただけで、ウトージャの王子たちは民衆の前には出たことがない。民に寄り添う王家ではなかったのだ。そうであれば、一般兵士の中に潜り込むことは容易だろうとアッシュは思った。
ただプライドの中心に高貴な血筋が陣取っていた王子たちを思い出したアッシュは、彼らが平民兵士の中に紛れ込めるだろうかとも思う。この一抹の不安を将軍に伝えると、彼は事もなげに「命が惜しい者はなんでもする。王城と一緒に我が身を散らすことができない卑怯な為政者たちだ。それくらいなんでもないだろう」と答えた。アッシュはそういうものかと納得した。
「面通しするのはかまいません。ウトージャには恨みこそあれ、祖国愛は山の中に捨てましたから。ただ一つだけ条件が…」
常にないアッシュの口調に将軍は黙って聞き入った。
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