弟の恋人

春山ひろ

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1、出会い

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2017年12月24日。
 あと少しで新しい年になる日。

 僕の弟が死んだ。まだ、たった25歳だったのに。

 グレーの色した病院の、その床の上に、僕はうずくまっていた。ドア一枚へだてた部屋の中には、両親がいて、ベットの上には、動かなくなった弟。

 どのくらいそうしていたのだろう。

 姉が部屋から出てきて、僕にいった。
「中野の八重子おばさんと、それから、あと瑠璃子おばさんにも連絡しなきゃ。」
 姉は、続けていった。
「お父さんとお母さんは、今は、何もできないと思う。しっかりしなきゃ。」
 僕にいうというより、自分に言い聞かせているようだ。
「兄さんも、もうすぐ着くって。」
 僕も姉も、泣いてなかった。
本当に悲しいことがあると、泣けないって、事実だったんだ。
 姉が、「うちは引きこもり一家ね」と、ずっと前にいったことがあった。みんな家が大好きで、外出するより、家族と一緒に家の中にいることが多かったから。

 僕たち一家は、ロサンゼルスに住んでいる。父は元々、外資系企業に勤務していたから、海外生活が長く、家族と離れるなんて論外だと、ずっと一緒だった。
 僕は、生まれたのは東京だけど、マレーシアのクアラルンプールから始まって、アブダビ、パリ、そしてロスと、父が転勤になるたび着いてきた。
 僕は、ロスで生活環境の悪い中で育った子供たちのためのソーシャル・ワーカーをしている。姉と兄は医者。弟は弁護士だった。
 自慢の弟だった。日本人離れした体格で、ずっとアメフトをやっていた。イケメンで頭もいい。
 姉も兄も背が高いから、僕だけチビで貧弱な体形なのが目立っていた。でも、両親も仲良くて、兄弟もそうだった。チビな僕を、いっつも皆で守ってくれている、そんな家族だ。
 中でも、弟は太陽みたいに明るかった。

 そんな弟がどうして。

 弟は交通事故で亡くなったんだ。ロスに大雪が降った日だった。有り得ない異常気象だ。ニューヨークに住んでた弟が、年末に実家に戻ってきた日。かろうじて飛んだ飛行機で、やっとロスに到着し、家に帰る途中、雪でスリップして弟が乗ったタクシーは、対向車線に飛び出した。運転手は、ハンドルをきって道路側面への激突を免れたらしいが、弟は巻き込まれたと、警察はいった。

 本当に人生には残酷なことが起きる。
 
 どうやって家に戻ってきたのか、覚えていない。兄と姉が日本の親戚に電話していた。両親は憔悴しきっていた。
 それから葬儀は、こっちでやった。
日本からも親戚がやってきた。

 僕たち家族に、こんな悲劇が襲ったのに、世界は普通に回っていた。
 
 弟をなくした悲しみは消えない。
 それから年が明けた土曜日の夜、姉が興奮して僕の部屋にやってきた。手には弟のスマホを持っていた。車の中に落ちていたやつだ。スマホの液晶にはヒビが入っていたけど、電源を入れたら、使えたのだと、姉がいう。
「ロックが解除できたの!」
「よくわかったね」
「だって、いっつもパスワードが同じなんだもん」
どうやら姉は、弟がいつも使うパスワードを知っていたらしい。
「それは何?」と、僕が聞くと、姉はいった。
「お父さんの誕生日の2日と、お母さんの誕生日の19日。だから0219なの」
父は1月2日生まれ、母は1月19日生まれ。だから0219という数字を、弟はパスワードにしていたらしい。
「で、メールを見たの」
「そんなことしていいの」
「なにをいってんの!連絡できる友達がいたら、伝えてあげたいでしょ!」
そうだ。弟の友人たちには、何も伝えていなかった。
ちょうどホリデーシーズンに入っていたから、弟が勤めていた弁護士事務所にも伝えていない。
それはまずい。
「恋人がいた!」
「え!?」
「エリーって子よ」
僕は絶句した。姉は構わず続けた。
「ほら、ここ、『愛しているよ』って、メッセージがあるでしょ」
僕は、「エリー」から送られてたメールの文面を凝視した。そこには確かに恋人同士の甘い文が綴られていた。
 弟の恋人である「エリー」という女性は、弟が亡くなった日から、何度もメールしていた。
弟からメールの返信がないから、きっと不安になったんだろう。
ほとんどが「会いたい」という内容で、「どうして返事がないの」とかも書いてあった。
僕は言葉が出なかった。
「ねえ、メールするわよ」
「え!なんて?」
「そのままよ。亡くなったと教えてあげないと」
とても残酷なことだけど、何も伝えないほうが、もっと残酷だと思った。それから帰宅した兄も巻き込んで、三人でできるだけ言葉を選びながら弟が亡くなったことを「エリー」に伝えた。
 すぐに返信がきた。「信じられない」という内容だ。当然だろうと思う。
それから「エリー」は、すぐにニューヨークからロスに来るとメールしてきた。
 ここからは両親も加わって、「いつ来るのか」「迎えに行く」ということになった。「エリー」という彼女は、一番早い飛行機でロスに向かうといった。

 「エリー」がロスに到着する日は、うちは朝から大騒ぎだった。「エリー」と書いたボードを用意して、空港に向かった。外は大雨だ。
 両親は運転したがらないし、兄も姉も嫌がったから、仕方なく僕が運転したんだ。父は「安全運転」と叫ぶし、母は「ゆっくりゆっくり」という。兄が「そんなスピードだと到着に間に合わないんじゃないか」いえば、姉は「エリーを待たせたらかわいそう」と煽る。
 空港の駐車場に車を停めて、あとは猛ダッシュして到着ロビーに向かった。ちょっと遅れたけど、待たせてはいないと思う。
 姉は「絶対に小柄なかわいい系よ」と興奮していた。ちっさな女性が出るたびに、「あの子じゃない」と、母と言い合ってた。

 だから細身の白人男性が近づいたことに、誰も気づかなかったんだ。彼は黒のレザージャケットにブラックジーンズで、まるでモデルのようだった。
 僕が持ってたボードを指すと、サングラスをとった。

泣いていた。

僕は驚いてボードを落した。それが姉の足を直撃したらしく、「いたーい」と、ぴょんぴょんとはねた。
 両親は目を見張り、兄は口を開けた。僕だけが「エリー?」と、声をあげる。
彼は僕を抱きしめ、弟の名前を呼んで泣いた。

これが弟の恋人、エリーとの出会いだった。
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