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底に知れぬ深い沼の底 番外編9
しおりを挟む子供と書いて、残酷と読む。
子供は子供…。
俺たちは食事も摂らず、リビングのソファに座った。
俺は、佐竹の家の様子を隆一さんに話し始めた。
「家は、お屋敷という感じだった。でも、庭は雑草だらけで、長くて高い塀に囲まれていたけど、崩れかけの万里の長城っていう感じのところもあって…。実際、崩れていたというか、塀の体(てい)をなしてなくて、普通に通り抜けられる所もあった。
それは、清水屋豆腐の位置から見える場所なんだけど、たぶん、屋敷の裏だと思う。屋敷に裏口があるなら、そこから出て、その崩れた塀を通り抜け、走って表に出たら、正面の門扉にあるインターフォンを鳴らすことは出来た…と思う。中にいた福地さんに気付かれずに…。そして、急いで、また同じルートで中に戻った」
そうやって佐竹は、まず福地さんの意識を外に向ける。そして彼女が、外に出たすきに、自分の弟を、なにがしかの方法で、手にかけた。
俺の推理を聞いていた隆一さんは、少し首をかしげていった。
「佐竹がインターフォンを鳴らしたのは、単に福地さんの意識を外に逸らすことだけが目的ではなかったと思う」
俺は何も言わず、ただ隆一さんの次の言葉を待った。
「推測でしかないが、子供ながらに、第三者、つまり、ようちゃんがいなくなった原因と思われる第三者を、意図して作り上げたんじゃないか、周囲の目を外に向けるために。
子供が考えそうなことだ。後先を考えず、自分の失敗を誤魔化そうとするだろ、子供は。もし、佐竹が用意周到に計画していたのであれば、その後、犯人のフリして電話も偽装しただろうが、それはなかった。
つまり、突発的に思いつき、インターフォンを鳴らしたんだ。しかも、インターフォンなら『自分は聞こえなかった』で、全て通せる。
子供だ、これは子供の犯行なんだよ。感情的で突発的、そして後先を考えない。このインターフォンの存在が、どれだけ福地さんを苦しめる結果になったか、などと13歳の子供には分からなかったんだ」
「…隆一さん、あの、俺は13歳じゃないけど、このインターフォンの件が、福地さんを苦しめたというのが、いまいち、よく分からない。彼女がようちゃんの在宅を話してしまったことで、ずっと苦しんだというのは、分かるけど…。それ以外に、何かある?」
隆一さんは俺を見て、そして上司の顔になって言った。
「大人が一緒にいると分かっている家を狙い、誘拐を決行する犯罪者がいるか?」
「あっ」
「そうだろ?もし子供の他に大人の在宅者がいたら、『誘拐しない』の一択だ。誘拐は、ただでさえリスキーだ。いくら金持ちとはいえ、家人がいる家の子供を、わざわざ誘拐しようとするなんて、さらにリスクが高くなる。
警察も、そう考えたはずだ。
しかし、福地さんからすれば、鳴ったのは事実だから、そう証言するだろうさ。彼女は、嘘はついていない。
それによって、警察は福地さんを疑い、被疑者扱いしたんだよ。
子供の佐竹には、それが分からなかった」
最初から、これは子供の犯罪だったんだ。
弟を手にかけた佐竹は、すぐには遺体をどうすることもできなかったと思う、時間がないから。
…もしかしたら、自分の部屋に隠していたのかもしれない。
福地さんが、ようちゃんがいないことに気付いて、その後は、大騒ぎになった。豆腐屋のおばあさんが来たし、両親も戻り、警察に連絡して…。
「どっかで佐竹は、ようちゃんを…、錦鯉の沼に埋めたんだと思う。鯉は、みんな死んじゃったというけど、それも佐竹がやったのかもしれない。
屋敷は広くて、邸内に大きな沼のようなものが造れるくらいだから、もしかしたら除草剤とか、そんな薬剤だってあったかもしれない。それを沼に入れたら、鯉は死ぬ。
そうすることで、遺体の…遺体から出る腐敗臭をごまかしたのかもしれない。鯉が死んでも、ショックを受けてる両親は、その処理まで気が回らなかっただろう…。
あるいは、佐竹が鯉の死骸は自分が処理するくらいのことは、伝えたのかもしれない。
そうやって、ようちゃんの遺体をごまかした。
あの屋敷を売ってマンションにするという話が出た時、母親は『ようちゃんが帰れなくなる』という理由で反対したけど、佐竹は違った。
そんなことをすれば、鯉の沼が掘り返される。それだけは、絶対に阻止しなければならない。きっと、そんな理由で反対したんだと思う。
結局、父親は、マンション建設を断念した。
佐竹は、さぞかし安堵しただろう。
でも、それから、佐竹の地獄が始まった。
…佐竹は、ずっと、聞こえない、話せないというフリを続けなければならなかった。特に、福地さんの奥さんが、生きている限りは…。
万が一、自分の声を福地さんに聞かれる、なんてことがあったら、きっと気づかれる…。そう思ったから。
そうやって聞こえないフリをし続けたけど、福地さんが亡くなったことを知って、佐竹は思わず気が抜けて、つぶやいてしまった。
…『時は春、日は朝(あした)』。…それを有馬さんに聞かれた…。
でも…どうして佐竹は、よく家に戻っていたんだろう?
ここまで隠し通せたんだから、家には戻りたくないんじゃないかな?」
俺の話を黙って聞いていた隆一さんは、肩を抱き寄せて言った。
「俺が樹くらいの時、横領した被告人の弁護をしたことがあった。その被告人は、ある大手銀行の行員だったが、顧客の預金に手をつけてしまったんだ。
結局、露見して刑事事件になった。その銀行の、横領が行われた支店の支店長というのが、松井先生の古い知り合いだった。
人がいいというか、情の厚い支店長で、銀行側からすれば、被告人はとんでもないことをやらかした行員だが、その被告人を気の毒がって、松井先生に弁護を依頼してきたんだ。それで、俺にお鉢が回ってきた。
その時、支店長が言っていた。『彼は真面目な行員なんです。ただ…』」
俺は、隆一さんを見上げた。
「…『ただ、休まなかった』って。とにかく職場に、支店に出勤してきたらしい。熱があろうと、這ってでも出勤してきた。
なぜか…。
自分がいない間に、横領が発覚するのを恐れていたんだ。
その皆勤ぶりが、あまりにも不自然だった。それで支店長が調査して違法行為が露見した。
…佐竹も、そうなんじゃないか。
自分が手にかけた、弟の遺体のある実家にいるのは辛くて、早々に有馬さんと結婚して家を出た。
出たものの、また父親が家を、土地を売却すると言い出すかもしれない。
それは、とてつもない恐怖だっただろう。
だから、気が気じゃなくて、実家の様子を見に来ていた」
「…その口実に、絵を描いていたんだ。よくイーゼルスタンドを置いて、あの鯉の沼の方角を描いていたと、豆腐屋のおばあさんは言ってた。でも、絵は口実に過ぎない。だから、売れなくても良かった、人に見てもらえなくても良かった。グループ展の来場者がゼロでも、佐竹にとっては、どうでも良かったんだ」
そこまで言った時、俺はハッとした。
「隆一さん、あのホームページ!グループ展のホームページに掲載されてる、佐竹の絵!あれが見たい!」
隆一さんが立ち上がって、ビジネスバックからタブレットを取り出し、ホームページを検索して渡してくれた。俺は、佐竹の絵をスクロールして探し出した。
彼の絵は、暗くて重い色調で、何か分からない、抽象画のようだった。
絵心のない俺は、この絵が上下逆さになっても、分からないだろうと思っていた。
俺はタブレットを逆さにしてみた。画面は固定していたので、佐竹の絵は、そのまま、逆さになる。
するとどうだろう。今までの印象とまるで違う世界が広がった。
隆一さんも、俺の意図に気付いたようだ。
二人して凝視した、その絵。
奥にあるのは、きっと鯉の沼をモチーフした、何かなんだろう。絵には深みがあり、見ていると、奥から風が吹いてくる、そんな絵だった。
きっとこの絵は、この天地が正しいんだ。
しかし佐竹は、わざと天地を逆にして飾った。
「佐竹は、…才能があるんじゃないか?なのに、絵を逆さにして飾った。自分にスポットライトが当たるのが怖かった。注目され、有名になるのが怖かった。なぜなら、…自分の過去が暴かれる。有名になったら、間違いなく、いなくなったようちゃんのことに触れられる。それが怖かったんだ。才能があっても、それを披露できないジレンマ。
…画家なら、これほどのストレスはないだろうな…」
隆一さんのいう通りだと思う。
子供は無意識に残酷なことをいってしまうことがある。
子供のようちゃんと、子供の佐竹の間に、何があったのかは分からない。
もし、ようちゃんに手をかけなければ、佐竹は今頃、有り余るほどの才能を謳歌させ、日本の画壇にその名を轟かせていたのかもしれない。
でもそれは、幼い弟に向けた殺意によって、暗くて深い沼の底に沈んでしまった。
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