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夜市 4
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「サヤ!」
まだ視界の先で、手のひら程の大きさでしかないサヤに向かって言う。
サヤなら聞こえる。そして俺もサヤに向かって走った。
ハッとしたサヤがこちらを見て、それにつられた男らもこちらを見る。その隙にサヤは、男らの横をすり抜けようとし、そのうち一人の手が、サヤの腕を掴んだ。その間に、俺も人をかき分け、サヤの元に駆けつける。
「俺の連れなのでね、離してやってくれないか」
サヤの腕をつかむ男の、その前に立って、俺はそいつの目を見据えた。
「あー? 俺ら、この子が体調悪そうなんで、面倒見てやっただけなんだぜ?
なのに、あんた何、そのツラ。随分険悪な顔じゃねぇ?」
「手を離してやってくれ。震えているのに、気付いていないわけではないだろう?
その子は、君らほど気安く人に、触れて欲しいたちではないんだ」
「はぁ?」
「……なんかこいつ、スカした喋り方がムカつくな……」
失敗だ。サヤを一人にするなと、ギルに言われていたのに…。祭りに浮かれてこのざまだ。
サヤを見ると、泣きそうな、青い顔。先程も、きっと足に力が入らず、走れなかったのだと結論を出す。見ていても分かるほどに震えているのは、何か、サヤの嫌なことを、言われるなり、されるなり、したのかもしれない。
サヤを囲む男らは、俺と同じくらいか、少し下。背は、俺の方が少し高い。
そして何処となく漂う酒気……。まあ、目の前の三人からだろう。酔っ払いか……。
俺に、サヤを庇いつつ戦えるほどの実力は無い。なら、ことを荒立てずに済ますには、どうすればいいだろう……。
「面倒を見て頂いたなら礼をいう。
……そして、今なら不敬も咎めまい。その手を退けと、私に何度も言わせるな」
帽子に手を掛けながら、敢えて高圧的に口をきくことにした。
一歩前に踏み出し、篝火の側から路地の暗がりへ。あまり目立ちたくない。
帽子を取ると、中に仕舞い込んでいた髪が転がり出てきて、俺の左肩から胸元に、結わえられた銀の束が垂れてくる。
「もう一度言わねばならんか? 手を退け。其の者に触れるな」
「きっ…………貴族、様……⁉︎」
サヤの手を握る男が、一瞬ひるんだ隙をついて、サヤが手を振りほどいた。
そして俺の方に伸ばしたその手を取り、引き寄せる。抱き止めるとサヤの瞳が、安堵に溶け出しそうになる。
「大事ないか」
「は、はい……」
涙目で震えるサヤを背に回して、もう一度目の前の男を見る。
男らは暑さからではなさそうな汗を掻きつつ、一歩身を引いた。
「せっかくの夜市なのでな。場を白けさせる様なことは、出来るならばせずにおきたい。
何か、今日の行いに申し開きがあると言うのなら、バート商会に来るが良い。
私の特徴を言えば、取り次げる様にしておこう。この髪を……覚えておけ」
そう言って髪の束を指で摘み、チラつかせてから手を払う。
行け。と、貴族がよくやる身振りなのだが、実はやってみたのは初めてだった。
それを合図とした様に、男らはさっと路地の暗がりに逃げ込んでいく。
しばらく見送って、更に戻ってこないか確認したのち、俺は盛大に溜息を吐いた。
「サヤ、ホントごめん……。怖い思いをさせた上に、買った筈の揚げ麺麭も、何処かに落としてきたっぽい……」
いつの間にか、両手が空になっていたのだ。
何のためにここを離れたんだか分からない。本当に俺、なにやってるんだ……。
「ええ、よ。い、今は、食べれる、感じや、ない、し」
震えるサヤが、俺の背中で、中衣を握りしめて、そう言う。
腰をひねってサヤに手を差し出すと、サヤがその手を取ったので、そのまま引き寄せて抱きしめる。
冷水を浴びた様にガクガクと、震えるサヤに、申し訳なさが募る。
ここまで震えるサヤは、赤い礼服を着た、あの時以来……。相当な恐怖だったのだろう。
「嫌なこと、された……?」
「だ、だいじょう、ぶや。近くに来るまで、気い付かんとおった、私も悪いんや。
浮かれて……意識して、へんかったん……。こそこそ、言うてた、嫌な話を、聞いてしもたし……気持ち悪く、なっただけや……。
耳、便利やけど、こんな時、あかんな……」
サヤに聞こえない様に行われた会話が、サヤには聞こえていた。それがサヤを、こんな風にする内容だったのかと見当をつける。その上で絡まれ、囲まれてしまって、逃げられなかったのか……。
「かんにん……役に立たへん……。護衛や、のに……。やっぱり、男装が、ええな……。お、落ち着く。嫌な視線も、なくなる、し」
サヤの言葉に、まさかずっと、嫌な視線や、言葉を浴びていたのではと気付く。
気付かないでいたのではなく、沢山のそれに疲弊して、集中が保てなくなっていたのでは?
楽しそうに笑っていたけれど、ずっと、我慢して……っ。
「サヤ……今日はもう戻ろうか……」
これ以上辛い思いをさせたくなくて、そう言うとサヤは弾かれた様に顔を上げた。
「か、かんにんや……折角、楽しぃしとるのに、私……」
泣きそうな顔に、胸が苦しくなる。サヤはきっと俺のために我慢していたのだ。俺が楽しめるように、息抜きができるようにと、耐えていたのだ。
そんなことにも気付かずに、俺はただ一人浮かれていた。ギルの忠告を、きちんと理解していなかった。
そんな風に俺を大切にしようとするサヤに、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ううん。俺はもう充分楽しめたよ。夜市、久しぶりだったし。
まるで普通の街人みたいな心地を味わえた。
こういうのも、たまにはいいなと思うけど……俺は、サヤと部屋で、のんびり話をするのも好きだよ。その方が、落ち着く」
そう言って微笑むと、サヤがまゆの下がった顔で、キュッと口を引き締めた。
俺がサヤに気を使っていると、思っているのかもしれない。
だから、サヤの頭を肩に引き寄せて、背中をポンポンと叩く。
心配しないで。本当にそう思うんだ。サヤと一緒に過ごせるなら、俺はなんだって良いんだから。
「次に街を歩く時は、男装が良いかな。綺麗なサヤは、ギルの所だけにしよう。
そうすれば、俺も周りの視線にヤキモキしないで済む」
野卑たことを言ったり、無体なことを望んだり、不埒な目をサヤに向けるような奴らに、綺麗なサヤは見せたくない。
黒髪のサヤは男装するしかない。
それはサヤにとって寛げないことだと思っていたけれど……人より耳の良いサヤにとっては、そうではないのかもしれない……。
本来なら、聞こえないものが聞こえてしまうサヤにとって、女性の装いでいることが、辛いこともあるだなんて、考えてもみなかった……。
そんな風に、思慮の足りなかった自分に溜息をつくと、サヤが身を固めた。
あれ?どうかしたのかな……震えは……収まってきてるみたいだけど……?
顔を覗き込もうとしたけれど、何故か俯いて見せようとしない。
だけどサヤの手は、俺の胸元で服を握ったまま、身を離す素振りもみせない。俺を怖いと感じている訳じゃなさそうだな……。というか、俺の胸に頭を押し付けて顔を隠している様に見えるんだけど……。
「どうしたの、大丈夫?」
「う、うん、なんでもあらへん……。レイって、結構、天然さんなんかな……」
「テンネンサン?……なんて意味?」
「そ、その…………それよりっ、さ、さっきからな、広場の方から、声が……レイ、髪隠さへんと、人が……」
髪⁉︎
忘れてた‼︎
帽子、帽子はどこに⁉︎ 周りを見渡すと、少し離れた場所に投げ捨ててある。
慌てて帽子を取りに行き、結わえた髪を中に押し込んだ。
「み、見られた?」
「大丈夫や、思う。貴族がどうこう言うてる声は、せえへんよ」
「はああぁぁ、良かった……もうこんな場所で貴族ってバレたら周り中が興醒めするとこだった……」
「そんな、大変なん?」
「大変だよ! 視界に入る人全員が頭下げて直立してるんだよ。しかも声掛けなきゃずっとそのままだ。吊し上げられてる様なもんだよ。その後もずっとそこらへんに貴族がお忍びで来てやしないかってギスギスした雰囲気なんだ。まったく、全然、楽しめない。夜市の初日でそんなことになったら三日ともそんなだよ、最悪だよ。あああぁぁ、考えただけでも足が震えてきそう……」
ちなみに経験済みだ。バレたのは俺じゃなかったけど。
忍ぶんなら徹底して忍んで来いよってギルがマジギレしてた。
俺がそんな風に肝を冷やしていたら、暫く呆気にとられていたサヤが、ぷっと、吹き出す。
「レイ、いっつもなんや、委員長みたいやのに」
はい? イインチョウとはなんですか。
小首を傾げる俺に、サヤは堪えきれぬと言わんばかり、くっくと声を殺して笑う。
「ううん、なんでもない。
なんや、大人っぽくないレイが、ええなって。いっつもそうしてたらええのに」
口元に手を当てて、笑うサヤが、なんか今までに無いあけすけな笑い方で、ドキッとした。
アミ神の様な、柔らかい微笑みではなく、サヤが普通に、何の気負いも考えもなく、ただ可笑しくて笑ったのだ。
しばらくその笑い顔に見惚れていた。そして、ただ見つめる俺に気付いたサヤが、顔を赤らめて視線を逸らす。
可愛かった。
何をしてても綺麗だし、可愛いと思っていたけれど、屈託無い笑顔のサヤは、殊の外可愛かった。どうして今、俺の腕の中にいないんだと思ってしまうほど、抱きしめたい衝動に駆られた。けれどそれは圧し殺す。
サヤの気持ちの安寧のためじゃない接触だから。
サヤが不安にならないように。それだけ意識すればいい。口角を上げて、笑みを浮かべ、言うべきことだけを口にする。
「戻ろう、サヤ。帰ってゆっくり、お茶でもしよう」
「はい……」
路地を出て、広場の外縁を歩く。
屋台から離れたこちら側は、比較的人も少ない。俺の耳に聞こえるのはただの喧騒。けれど、今サヤにはどのように聞こえているのだろう……。サヤを苦しめるものでなければいいのだけれど……。
少しでもサヤの不安を取り除けたら……そう思ったので、サヤの手を握り引き寄せる。連れ合いがいると思えば、無遠慮な視線も少しは減るかもしれない。
広場を出ると、人も一気にまばらになる。
子供を抱えた親子連れや、寄り添った老夫婦。そんな中に紛れて、足を進める。
「ありがとうございました。夜市、楽しかったです」
「そうか、良かった……また来よう。今度は、気兼ねしなくて良い格好で」
お祭りの終了とともに、サヤが仕事の口調に戻る。
そして俺も、明日のことを意識して、気持ちを切り替える。
氾濫対策。明日の再決でどうなるか……。
結果待ちというのは、落ち着かないな。
まだ視界の先で、手のひら程の大きさでしかないサヤに向かって言う。
サヤなら聞こえる。そして俺もサヤに向かって走った。
ハッとしたサヤがこちらを見て、それにつられた男らもこちらを見る。その隙にサヤは、男らの横をすり抜けようとし、そのうち一人の手が、サヤの腕を掴んだ。その間に、俺も人をかき分け、サヤの元に駆けつける。
「俺の連れなのでね、離してやってくれないか」
サヤの腕をつかむ男の、その前に立って、俺はそいつの目を見据えた。
「あー? 俺ら、この子が体調悪そうなんで、面倒見てやっただけなんだぜ?
なのに、あんた何、そのツラ。随分険悪な顔じゃねぇ?」
「手を離してやってくれ。震えているのに、気付いていないわけではないだろう?
その子は、君らほど気安く人に、触れて欲しいたちではないんだ」
「はぁ?」
「……なんかこいつ、スカした喋り方がムカつくな……」
失敗だ。サヤを一人にするなと、ギルに言われていたのに…。祭りに浮かれてこのざまだ。
サヤを見ると、泣きそうな、青い顔。先程も、きっと足に力が入らず、走れなかったのだと結論を出す。見ていても分かるほどに震えているのは、何か、サヤの嫌なことを、言われるなり、されるなり、したのかもしれない。
サヤを囲む男らは、俺と同じくらいか、少し下。背は、俺の方が少し高い。
そして何処となく漂う酒気……。まあ、目の前の三人からだろう。酔っ払いか……。
俺に、サヤを庇いつつ戦えるほどの実力は無い。なら、ことを荒立てずに済ますには、どうすればいいだろう……。
「面倒を見て頂いたなら礼をいう。
……そして、今なら不敬も咎めまい。その手を退けと、私に何度も言わせるな」
帽子に手を掛けながら、敢えて高圧的に口をきくことにした。
一歩前に踏み出し、篝火の側から路地の暗がりへ。あまり目立ちたくない。
帽子を取ると、中に仕舞い込んでいた髪が転がり出てきて、俺の左肩から胸元に、結わえられた銀の束が垂れてくる。
「もう一度言わねばならんか? 手を退け。其の者に触れるな」
「きっ…………貴族、様……⁉︎」
サヤの手を握る男が、一瞬ひるんだ隙をついて、サヤが手を振りほどいた。
そして俺の方に伸ばしたその手を取り、引き寄せる。抱き止めるとサヤの瞳が、安堵に溶け出しそうになる。
「大事ないか」
「は、はい……」
涙目で震えるサヤを背に回して、もう一度目の前の男を見る。
男らは暑さからではなさそうな汗を掻きつつ、一歩身を引いた。
「せっかくの夜市なのでな。場を白けさせる様なことは、出来るならばせずにおきたい。
何か、今日の行いに申し開きがあると言うのなら、バート商会に来るが良い。
私の特徴を言えば、取り次げる様にしておこう。この髪を……覚えておけ」
そう言って髪の束を指で摘み、チラつかせてから手を払う。
行け。と、貴族がよくやる身振りなのだが、実はやってみたのは初めてだった。
それを合図とした様に、男らはさっと路地の暗がりに逃げ込んでいく。
しばらく見送って、更に戻ってこないか確認したのち、俺は盛大に溜息を吐いた。
「サヤ、ホントごめん……。怖い思いをさせた上に、買った筈の揚げ麺麭も、何処かに落としてきたっぽい……」
いつの間にか、両手が空になっていたのだ。
何のためにここを離れたんだか分からない。本当に俺、なにやってるんだ……。
「ええ、よ。い、今は、食べれる、感じや、ない、し」
震えるサヤが、俺の背中で、中衣を握りしめて、そう言う。
腰をひねってサヤに手を差し出すと、サヤがその手を取ったので、そのまま引き寄せて抱きしめる。
冷水を浴びた様にガクガクと、震えるサヤに、申し訳なさが募る。
ここまで震えるサヤは、赤い礼服を着た、あの時以来……。相当な恐怖だったのだろう。
「嫌なこと、された……?」
「だ、だいじょう、ぶや。近くに来るまで、気い付かんとおった、私も悪いんや。
浮かれて……意識して、へんかったん……。こそこそ、言うてた、嫌な話を、聞いてしもたし……気持ち悪く、なっただけや……。
耳、便利やけど、こんな時、あかんな……」
サヤに聞こえない様に行われた会話が、サヤには聞こえていた。それがサヤを、こんな風にする内容だったのかと見当をつける。その上で絡まれ、囲まれてしまって、逃げられなかったのか……。
「かんにん……役に立たへん……。護衛や、のに……。やっぱり、男装が、ええな……。お、落ち着く。嫌な視線も、なくなる、し」
サヤの言葉に、まさかずっと、嫌な視線や、言葉を浴びていたのではと気付く。
気付かないでいたのではなく、沢山のそれに疲弊して、集中が保てなくなっていたのでは?
楽しそうに笑っていたけれど、ずっと、我慢して……っ。
「サヤ……今日はもう戻ろうか……」
これ以上辛い思いをさせたくなくて、そう言うとサヤは弾かれた様に顔を上げた。
「か、かんにんや……折角、楽しぃしとるのに、私……」
泣きそうな顔に、胸が苦しくなる。サヤはきっと俺のために我慢していたのだ。俺が楽しめるように、息抜きができるようにと、耐えていたのだ。
そんなことにも気付かずに、俺はただ一人浮かれていた。ギルの忠告を、きちんと理解していなかった。
そんな風に俺を大切にしようとするサヤに、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ううん。俺はもう充分楽しめたよ。夜市、久しぶりだったし。
まるで普通の街人みたいな心地を味わえた。
こういうのも、たまにはいいなと思うけど……俺は、サヤと部屋で、のんびり話をするのも好きだよ。その方が、落ち着く」
そう言って微笑むと、サヤがまゆの下がった顔で、キュッと口を引き締めた。
俺がサヤに気を使っていると、思っているのかもしれない。
だから、サヤの頭を肩に引き寄せて、背中をポンポンと叩く。
心配しないで。本当にそう思うんだ。サヤと一緒に過ごせるなら、俺はなんだって良いんだから。
「次に街を歩く時は、男装が良いかな。綺麗なサヤは、ギルの所だけにしよう。
そうすれば、俺も周りの視線にヤキモキしないで済む」
野卑たことを言ったり、無体なことを望んだり、不埒な目をサヤに向けるような奴らに、綺麗なサヤは見せたくない。
黒髪のサヤは男装するしかない。
それはサヤにとって寛げないことだと思っていたけれど……人より耳の良いサヤにとっては、そうではないのかもしれない……。
本来なら、聞こえないものが聞こえてしまうサヤにとって、女性の装いでいることが、辛いこともあるだなんて、考えてもみなかった……。
そんな風に、思慮の足りなかった自分に溜息をつくと、サヤが身を固めた。
あれ?どうかしたのかな……震えは……収まってきてるみたいだけど……?
顔を覗き込もうとしたけれど、何故か俯いて見せようとしない。
だけどサヤの手は、俺の胸元で服を握ったまま、身を離す素振りもみせない。俺を怖いと感じている訳じゃなさそうだな……。というか、俺の胸に頭を押し付けて顔を隠している様に見えるんだけど……。
「どうしたの、大丈夫?」
「う、うん、なんでもあらへん……。レイって、結構、天然さんなんかな……」
「テンネンサン?……なんて意味?」
「そ、その…………それよりっ、さ、さっきからな、広場の方から、声が……レイ、髪隠さへんと、人が……」
髪⁉︎
忘れてた‼︎
帽子、帽子はどこに⁉︎ 周りを見渡すと、少し離れた場所に投げ捨ててある。
慌てて帽子を取りに行き、結わえた髪を中に押し込んだ。
「み、見られた?」
「大丈夫や、思う。貴族がどうこう言うてる声は、せえへんよ」
「はああぁぁ、良かった……もうこんな場所で貴族ってバレたら周り中が興醒めするとこだった……」
「そんな、大変なん?」
「大変だよ! 視界に入る人全員が頭下げて直立してるんだよ。しかも声掛けなきゃずっとそのままだ。吊し上げられてる様なもんだよ。その後もずっとそこらへんに貴族がお忍びで来てやしないかってギスギスした雰囲気なんだ。まったく、全然、楽しめない。夜市の初日でそんなことになったら三日ともそんなだよ、最悪だよ。あああぁぁ、考えただけでも足が震えてきそう……」
ちなみに経験済みだ。バレたのは俺じゃなかったけど。
忍ぶんなら徹底して忍んで来いよってギルがマジギレしてた。
俺がそんな風に肝を冷やしていたら、暫く呆気にとられていたサヤが、ぷっと、吹き出す。
「レイ、いっつもなんや、委員長みたいやのに」
はい? イインチョウとはなんですか。
小首を傾げる俺に、サヤは堪えきれぬと言わんばかり、くっくと声を殺して笑う。
「ううん、なんでもない。
なんや、大人っぽくないレイが、ええなって。いっつもそうしてたらええのに」
口元に手を当てて、笑うサヤが、なんか今までに無いあけすけな笑い方で、ドキッとした。
アミ神の様な、柔らかい微笑みではなく、サヤが普通に、何の気負いも考えもなく、ただ可笑しくて笑ったのだ。
しばらくその笑い顔に見惚れていた。そして、ただ見つめる俺に気付いたサヤが、顔を赤らめて視線を逸らす。
可愛かった。
何をしてても綺麗だし、可愛いと思っていたけれど、屈託無い笑顔のサヤは、殊の外可愛かった。どうして今、俺の腕の中にいないんだと思ってしまうほど、抱きしめたい衝動に駆られた。けれどそれは圧し殺す。
サヤの気持ちの安寧のためじゃない接触だから。
サヤが不安にならないように。それだけ意識すればいい。口角を上げて、笑みを浮かべ、言うべきことだけを口にする。
「戻ろう、サヤ。帰ってゆっくり、お茶でもしよう」
「はい……」
路地を出て、広場の外縁を歩く。
屋台から離れたこちら側は、比較的人も少ない。俺の耳に聞こえるのはただの喧騒。けれど、今サヤにはどのように聞こえているのだろう……。サヤを苦しめるものでなければいいのだけれど……。
少しでもサヤの不安を取り除けたら……そう思ったので、サヤの手を握り引き寄せる。連れ合いがいると思えば、無遠慮な視線も少しは減るかもしれない。
広場を出ると、人も一気にまばらになる。
子供を抱えた親子連れや、寄り添った老夫婦。そんな中に紛れて、足を進める。
「ありがとうございました。夜市、楽しかったです」
「そうか、良かった……また来よう。今度は、気兼ねしなくて良い格好で」
お祭りの終了とともに、サヤが仕事の口調に戻る。
そして俺も、明日のことを意識して、気持ちを切り替える。
氾濫対策。明日の再決でどうなるか……。
結果待ちというのは、落ち着かないな。
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