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執着 7
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皆が食事を終える頃、サヤが戻って来た。
ハインと同じく、背中に細工があるという上着の様だ。丈の長い上着と幅広の細袴は緑青色。短衣は生成色。腰帯は鳶色だ。そんなサヤは、帰ってくるなりギルに何か描かれた紙を数枚差し出した。
「改善点です」
「……なんだこりゃ」
「とりあえず昨日一日過ごした感想として、腰帯が暑いです。腰回りが凄く汗をかき不快だったんです。
なので、腰帯を巻かなくて良いように、ベルトを作りたいなと思って」
「……説明してくれ」
ギルが仕事の顔になった。それはもうギラギラと、目が輝いている。
サヤは数枚の紙に数種類のベルトと呼ばれるものを描いた様だ。
「正確に形が分かるものだけ、バックル部分を主に実寸大で描いてみたんですけれど…。
これが一番構造が簡単なものです。ディーカンという金具を二つ、重ねて纏めておき、この隙間に帯の部分を通すと固定されます。
とはいえ、重たいものには耐えられないと思うので、帯剣される方向けではないですね。
その場合はこれです。帯の部分に穴を用意するタイプと、穴を開けずに済むタイプ。
帯とする部分も、布や革、編み紐、革紐を編んだもの、いろいろな種類が作れますけど…」
「なんだこれ……括らずに留まるのか?」
「はい。ある程度硬さが必要だと思うので、厚手の布や芯地を中に入れるなど工夫が必要かもしれません」
「これで知ってるベルト全部か」
「いえ、描きやすいものを描いてきただけなので…まだ沢山ありますけど、形をきっちり覚えている自信がないものも多くて…」
「じゃあそれも全部描け。ある程度でいい。後は試作を作って検証していったっていいんだ」
「分かりました。数日お時間頂いても良いですか?」
「ああ、まずはこれを作ってくる。構造自体は簡単だしな…金具部分は外注するとして……五…四日もあれば出来るか。それまでに描いとけ」
「四日後にいらっしゃるんですか?」
「当然だろ」
結構近距離で顔を付き合わせて話し合う二人。
その姿にまた気持ちが揺らぐ。
真剣な二人がまるで慣れた様なやりとりをするものだから、ギルの、サヤとの時間がどれほど濃密なものだったのかと考えてしまった。
しばらくギルの質問にサヤが答える時間が続き、興味を引かれたのか、マルも横から覗き込む。ハインは洗い物を片付けに退室していった。俺はただ呆然と、二人のやりとりを眺めているしかできなかった。
「よし、大体分かった。じゃあこれ貰ってくぞ。で、料金は? 希望は幾らだ」
「え……この前の服に含めて……」
「含めるな。ああもぅ……じゃあ四日後までに考えとけ。一案金貨二枚以上な」
「じゃあもう二枚でいいですから……」
「考えろって言っただろ⁉︎ それより安く言ってくるなって意味で言ったんであって、金額指定してねぇからな⁉︎」
「うううぅぅ……だって金貨……大金なんです……学生が持てる金額じゃないのに……」
そんなお金持つなんて怖いです。と、身を引くサヤに、ギルが溜息をついて頭を抱える。
図一つで金貨二枚は確かに大金だよな。サヤの一ヶ月分の給与とほぼ同額だ。
「お前さ……このベルトが腰帯に取って代わったら、どれくらい莫大な財を築けるか、理解してるか?」
「してません。取って代わらなくていいんです。夏が快適に過ごせさえすれば」
「…………まあ、考えとけ」
「はぁぃ……」
二人のそんなやりとりを、これ以上見ていたくないなと思った。
だからそっと席を立つと、サヤが気付いて「どうされましたか?」と、声を掛けてくる。
「いや……仕事してこようかと思っただけだよ」
「その前に、御髪を整えましょう。申し訳ありません、副業に脱線してました」
「ああ、悪いな。じゃあこの下図は貰っとく」
二階に戻り、自室の長椅子で、一括りにしてあった髪をサヤの手が結わえていく。
沈黙が続くのに耐えられなくて、つい「意匠師の仕事は楽しそうだね」と、口走ってしまう。
胸の奥がムカムカする。その気持ちのまま、言葉を口にしてしまったことを後悔したけれど、サヤには俺の言葉の棘は、気付かれなかった様だ。クスクスと笑い声。
「うーん……楽しいよりも、少し、居た堪れないというか……。
私の世界には当たり前にあるものを、図にしているに過ぎないので……なんだかズルしているみたいな気がしてます。
あ、でも……先程ハインさんが、快適ですって、言って下さった時は、なんだか面映い感じがしました。
なんというか……誰かが喜んでくれるなら、まあ、良いかなって……。
あ、従者の仕事を疎かにしたりはしません! 私の仕事はあくまで従者で、意匠師は副業兼、仮姿ですから」
朗らかなサヤの声。
そして、「はい、出来ました」と、結わえられた髪が背中に戻る。
俺は「ありがとう」と礼を言った。
「それでは、私も仕事に戻ります。
菓子作りもありますから、昼食の賄い作りにそのまま向かいますね。
少し遅くなるかもしれませんが、昼食は後ほどお持ちします。ギルさんのお見送りが出来ないかもしれませんけど……」
「まあ、四日後また来るって言ってるから、適当に送り出しておくよ」
ギルは、セイバーンに来たことが、殆ど無い。
この地に戻って、二年と少しの間に、片手で数えられる程度しか、ここに来ていないのに……サヤには会いに来るんだな……。
そう考えるとイラっとする。
じゃあなんで、サヤを傍に置けなんて言ったんだとすら考えてしまう。
俺がサヤをどう思ってるかも知ってるくせに……そんな風に訝しんでしまう。
もう……なんだよこれ。気持ち悪い。ムカムカモヤモヤして、ほんと気持ち悪い……。
ギルがどう思っていようが、関係ない筈なのに。サヤにはカナくんがいるのだから、関係ない。そう、俺の気持ちだって関係ないのに……。
持ってはいけない。望んではいけない。
それを止めようとすると、こんなにも気持ち悪い。
苦しいのと、気持ち悪いの、どちらがマシか考えてしまう。
部屋を出て、執務室に向かう。ただがむしゃらに仕事をして過ごす。余計なことを考えたくなかった。
マルはもう現場に行ったのか、執務室にやって来る様子も無く、俺が書類を巡ったり、署名をしたりする音だけが、時折部屋に反響する。
あっという間にやるべきことが終わってしまい、しまった、ここからどうやって時間を潰そうかと悩み始めた頃、トントンと訪いを告げる音がした。
「時間あるか?」
ギルだ……。今は嫌だったのに、困ったことに時間ができてしまってる……。仕方なしに頷くしかない。するとギルは、苦笑しつつ、執務室に入って来た。
「なんか不機嫌そうだな」
そういうギルは機嫌良さそうだよね……。
口を開けば嫌な言葉しか出て来ない気がして、顔を背けた。
そんな俺の態度に肩を竦めてから、空いていた席に適当に座る。執務室を見渡して、俺に視線を戻してから、じっとこちらを見た。
…………ああもぅ。
「……何?」
「約束の近いうちがいつくんのかなって、確認に来たんだよ」
ギクリとして、身が強張った。あの人の話を、ギルに伝える約束……だが、記憶の整理が上手くいってなかった。
あの人のことを思い出すと、引きずり出されて来る別のものが、俺の邪魔をするのだ。
仮面の笑顔が……。俺を水底に引き込もうと、腕を伸ばして来る……。
「……なんてな。十二年言えなかったことが、七日程度で口に出来るなんて思ってねぇよ」
俺の顔色を伺ったであろうギルが、そんな風に言って、俺の心情を慮ってくれたのだということが分かった。いつまでたっても横に並べない……それが分かるのはこんな時だ。
そりゃあ、俺よりギルの方がよっぽど頼りになるだろうと考えると、溜息しか出てこない……。
多分、俺の考えているそんなつまらない事すら、ギルにはお見通しなんだろう。
「サヤを預かってた間の報告に来た。
仕事に関しては報告書で見てるだろ。だから生活面な。
まあ、昨日大泣きしたのを見ての通り、結構張り詰めてたぞ。
初めの一日で文字は全部覚えちまった。記憶力が良いっていうより……やる事がないと不安だったんだろうな……ひたすら何かやって気を紛らわす。そんな感じだった。
なるだけルーシーをつけておいたんだが、あいつすらサヤが不安そうだって報告に来たぞ。
無理矢理お仕えするって押し切ったけど、迷惑だったんじゃないかって言ってたらしい。
自分の希望を優先してしまったって。だけど……」
そこで一旦、口を噤む。
「知らない世界でお前から離れるのが怖い。そう言ったとさ。
ちょっと不安定になって、つい溢しちまったんだろうな……。
ルーシーは、なんかサヤが、人に言えない事を抱えてんだって察しちまってたけど……サヤと友人でありたいなら黙ってろって言っといたから、大丈夫だと思う」
ギルの報告に、俺は耳を疑っていた。
サヤはそんな弱い部分を、俺には全く見せてくれなかった。
いつも元気で、笑っていて、この世界にいることの不安なんて、チラつかせたこともなかった。
俺が不甲斐ないから、支える側に回る。自分のことに手一杯の筈のサヤに、無理をさせていた……。
そう思ったのだが、俺のそんな考えはお見通しとばかりに、ギルは言葉を続けた。
「帰ってからあいつ、妙に張り切って、そんな面を微塵も見せねぇから……。
泣いちまったから余計かな。お前の前では大丈夫でいようとするから……報告しておこうと思ったんだ。
間違っても、お前が頼れないとかじゃなく、お前の負担になりたくないって考えの現れだと思うぞ。だから、そんな顔してサヤの前に出るなよ。
ああ、お前が寝れてるかって、それも凄い心配してた。後で、時間が出来たら……サヤが居ない間の、お前らの話でもしてやれ。きっと聞きたいだろうから」
そんな風に言うから、もう罪悪感しかない……。
俺が昨日、ギルに思ってた事、それがどれだけ利己的な考えであったかと突きつけられてしまった。さっきの態度だってそうだ……。
ギルが怖いって?サヤを取られそうだって?
俺はなんで、そんな風に考えることしか出来なかったんだ……。
「ありがとう……それから、ごめん。
ギルが、俺やサヤの為にいろいろ考えてくれてるの、分かってるのにな……。
なんか勝手にイラついて……嫌な態度だったよな、俺……」
そう言うと、何故だかにんまりと、機嫌良く笑う。
「いいや? 構わない。
執着するって、そういうことだろ?
なんもかんも空気みたいに扱ってたお前を見てるより、よっぽどマシだしな。
演技じゃなく、何かに執着してるお前を見るのは、悪い気はしない」
「演技?」
「学舎にいた頃は、そんな風だったぞ。
本気で執着してないから、簡単に諦めるし譲るんだ。
だから、二年前も……俺を簡単に切ったろ。
ああ、巻き込まない為だったのは分かってる。分かってるけどな……。
十年つるんで、それでも簡単に切られちまう程度にしかなれなかったのかって……そう思ったらもう、すげぇ悔しくてな、腹が立ったんだ。
だけどお前、今は俺に、サヤを譲ろうとは思わないだろ?
サヤが俺に靡いてるの見たら、気分が悪いって思ったんだろ?
そうやって思えるお前が見れてホッとしたってのが、今の俺の心境だ」
そんな風に言われたら、もうどう答えて良いやら分からなかった。
学舎を辞める時、俺はギルにそのことを知らせなかった。
まあ実際には、口止めしたにも関わらず、ハインが勝手に連絡していたわけだけれど。
ギルは学舎を卒業していたし、知らせてしまえば絶対に俺を心配し、何くれと手を差し出して来ると分かっていたから。
そしてギルを、絶対に壊されたくなかった。
兄上や異母様に知られなければ、手を出しては来ないと思った。
現に十年、知られず過ごせたなら、手放せばバレない。大丈夫だと思った。
同じく手放そうとしたハインは、手放せば死を選ぶと宣告されてしまい、連れ帰るしかなくなったけれど、せめてギルだけは……。そう思ったのだ。
決して、簡単に切れたわけじゃない……そうしてでも、守りたかった。
俺の中のギルは、もう特別なものであったのだ。
「際どかったけどな。今回お前は、あの時と同じ選択をしなかったんだから、成長したよ。
マルの言葉じゃないけどな、もうお前一人じゃねぇんだから……これからは、切り捨てる前に、足掻く方法考えるようにしろ。それと、考えるときは相談しろ」
ぴっと指を突き付けられて、要相談。と、念を押された。
ああもう、ほんと敵わない……。
いつもギルに与えられてばかりな気がする。俺とつるんで、ギルは何か得ているものがあるんだろうか……なんで俺を、親友だって言ってくれるんだろうか……。
そういえば…………ギルが俺を親友だと言ってくれる様になったのは、いつからだろう……。
ふとそんなことを考えた時だった。
トントンと、執務室の扉が叩かれて、俺は顔を上げた。どうぞと声を掛けると、失礼しますとハインの声。
「レイシール様、仕事です」
「は?」
仕事は一通り終わった……んですけど?
そう思って首を傾げたら、追加の仕事です。現場に移動しますよと言われた。
そして、ギルに視線をやって「ギルも、試食がしたいのならば、ついて来たら良いみたいですよ」と言う。試食?よく分からないが、ギルは「行く」と、即答した。食い意地張ってるよな……。
「ここの食い物は美味いからな。試食って言うからには、サヤだろ」
「でも仕事に試食ってどういう意味なんだろうな……」
「毒味?」
「俺って守られる立場だよね、一応……」
物騒なこと言わないでくれ。
とりあえず現場に向かうことにして、俺たちは席を立った。
ハインと同じく、背中に細工があるという上着の様だ。丈の長い上着と幅広の細袴は緑青色。短衣は生成色。腰帯は鳶色だ。そんなサヤは、帰ってくるなりギルに何か描かれた紙を数枚差し出した。
「改善点です」
「……なんだこりゃ」
「とりあえず昨日一日過ごした感想として、腰帯が暑いです。腰回りが凄く汗をかき不快だったんです。
なので、腰帯を巻かなくて良いように、ベルトを作りたいなと思って」
「……説明してくれ」
ギルが仕事の顔になった。それはもうギラギラと、目が輝いている。
サヤは数枚の紙に数種類のベルトと呼ばれるものを描いた様だ。
「正確に形が分かるものだけ、バックル部分を主に実寸大で描いてみたんですけれど…。
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とはいえ、重たいものには耐えられないと思うので、帯剣される方向けではないですね。
その場合はこれです。帯の部分に穴を用意するタイプと、穴を開けずに済むタイプ。
帯とする部分も、布や革、編み紐、革紐を編んだもの、いろいろな種類が作れますけど…」
「なんだこれ……括らずに留まるのか?」
「はい。ある程度硬さが必要だと思うので、厚手の布や芯地を中に入れるなど工夫が必要かもしれません」
「これで知ってるベルト全部か」
「いえ、描きやすいものを描いてきただけなので…まだ沢山ありますけど、形をきっちり覚えている自信がないものも多くて…」
「じゃあそれも全部描け。ある程度でいい。後は試作を作って検証していったっていいんだ」
「分かりました。数日お時間頂いても良いですか?」
「ああ、まずはこれを作ってくる。構造自体は簡単だしな…金具部分は外注するとして……五…四日もあれば出来るか。それまでに描いとけ」
「四日後にいらっしゃるんですか?」
「当然だろ」
結構近距離で顔を付き合わせて話し合う二人。
その姿にまた気持ちが揺らぐ。
真剣な二人がまるで慣れた様なやりとりをするものだから、ギルの、サヤとの時間がどれほど濃密なものだったのかと考えてしまった。
しばらくギルの質問にサヤが答える時間が続き、興味を引かれたのか、マルも横から覗き込む。ハインは洗い物を片付けに退室していった。俺はただ呆然と、二人のやりとりを眺めているしかできなかった。
「よし、大体分かった。じゃあこれ貰ってくぞ。で、料金は? 希望は幾らだ」
「え……この前の服に含めて……」
「含めるな。ああもぅ……じゃあ四日後までに考えとけ。一案金貨二枚以上な」
「じゃあもう二枚でいいですから……」
「考えろって言っただろ⁉︎ それより安く言ってくるなって意味で言ったんであって、金額指定してねぇからな⁉︎」
「うううぅぅ……だって金貨……大金なんです……学生が持てる金額じゃないのに……」
そんなお金持つなんて怖いです。と、身を引くサヤに、ギルが溜息をついて頭を抱える。
図一つで金貨二枚は確かに大金だよな。サヤの一ヶ月分の給与とほぼ同額だ。
「お前さ……このベルトが腰帯に取って代わったら、どれくらい莫大な財を築けるか、理解してるか?」
「してません。取って代わらなくていいんです。夏が快適に過ごせさえすれば」
「…………まあ、考えとけ」
「はぁぃ……」
二人のそんなやりとりを、これ以上見ていたくないなと思った。
だからそっと席を立つと、サヤが気付いて「どうされましたか?」と、声を掛けてくる。
「いや……仕事してこようかと思っただけだよ」
「その前に、御髪を整えましょう。申し訳ありません、副業に脱線してました」
「ああ、悪いな。じゃあこの下図は貰っとく」
二階に戻り、自室の長椅子で、一括りにしてあった髪をサヤの手が結わえていく。
沈黙が続くのに耐えられなくて、つい「意匠師の仕事は楽しそうだね」と、口走ってしまう。
胸の奥がムカムカする。その気持ちのまま、言葉を口にしてしまったことを後悔したけれど、サヤには俺の言葉の棘は、気付かれなかった様だ。クスクスと笑い声。
「うーん……楽しいよりも、少し、居た堪れないというか……。
私の世界には当たり前にあるものを、図にしているに過ぎないので……なんだかズルしているみたいな気がしてます。
あ、でも……先程ハインさんが、快適ですって、言って下さった時は、なんだか面映い感じがしました。
なんというか……誰かが喜んでくれるなら、まあ、良いかなって……。
あ、従者の仕事を疎かにしたりはしません! 私の仕事はあくまで従者で、意匠師は副業兼、仮姿ですから」
朗らかなサヤの声。
そして、「はい、出来ました」と、結わえられた髪が背中に戻る。
俺は「ありがとう」と礼を言った。
「それでは、私も仕事に戻ります。
菓子作りもありますから、昼食の賄い作りにそのまま向かいますね。
少し遅くなるかもしれませんが、昼食は後ほどお持ちします。ギルさんのお見送りが出来ないかもしれませんけど……」
「まあ、四日後また来るって言ってるから、適当に送り出しておくよ」
ギルは、セイバーンに来たことが、殆ど無い。
この地に戻って、二年と少しの間に、片手で数えられる程度しか、ここに来ていないのに……サヤには会いに来るんだな……。
そう考えるとイラっとする。
じゃあなんで、サヤを傍に置けなんて言ったんだとすら考えてしまう。
俺がサヤをどう思ってるかも知ってるくせに……そんな風に訝しんでしまう。
もう……なんだよこれ。気持ち悪い。ムカムカモヤモヤして、ほんと気持ち悪い……。
ギルがどう思っていようが、関係ない筈なのに。サヤにはカナくんがいるのだから、関係ない。そう、俺の気持ちだって関係ないのに……。
持ってはいけない。望んではいけない。
それを止めようとすると、こんなにも気持ち悪い。
苦しいのと、気持ち悪いの、どちらがマシか考えてしまう。
部屋を出て、執務室に向かう。ただがむしゃらに仕事をして過ごす。余計なことを考えたくなかった。
マルはもう現場に行ったのか、執務室にやって来る様子も無く、俺が書類を巡ったり、署名をしたりする音だけが、時折部屋に反響する。
あっという間にやるべきことが終わってしまい、しまった、ここからどうやって時間を潰そうかと悩み始めた頃、トントンと訪いを告げる音がした。
「時間あるか?」
ギルだ……。今は嫌だったのに、困ったことに時間ができてしまってる……。仕方なしに頷くしかない。するとギルは、苦笑しつつ、執務室に入って来た。
「なんか不機嫌そうだな」
そういうギルは機嫌良さそうだよね……。
口を開けば嫌な言葉しか出て来ない気がして、顔を背けた。
そんな俺の態度に肩を竦めてから、空いていた席に適当に座る。執務室を見渡して、俺に視線を戻してから、じっとこちらを見た。
…………ああもぅ。
「……何?」
「約束の近いうちがいつくんのかなって、確認に来たんだよ」
ギクリとして、身が強張った。あの人の話を、ギルに伝える約束……だが、記憶の整理が上手くいってなかった。
あの人のことを思い出すと、引きずり出されて来る別のものが、俺の邪魔をするのだ。
仮面の笑顔が……。俺を水底に引き込もうと、腕を伸ばして来る……。
「……なんてな。十二年言えなかったことが、七日程度で口に出来るなんて思ってねぇよ」
俺の顔色を伺ったであろうギルが、そんな風に言って、俺の心情を慮ってくれたのだということが分かった。いつまでたっても横に並べない……それが分かるのはこんな時だ。
そりゃあ、俺よりギルの方がよっぽど頼りになるだろうと考えると、溜息しか出てこない……。
多分、俺の考えているそんなつまらない事すら、ギルにはお見通しなんだろう。
「サヤを預かってた間の報告に来た。
仕事に関しては報告書で見てるだろ。だから生活面な。
まあ、昨日大泣きしたのを見ての通り、結構張り詰めてたぞ。
初めの一日で文字は全部覚えちまった。記憶力が良いっていうより……やる事がないと不安だったんだろうな……ひたすら何かやって気を紛らわす。そんな感じだった。
なるだけルーシーをつけておいたんだが、あいつすらサヤが不安そうだって報告に来たぞ。
無理矢理お仕えするって押し切ったけど、迷惑だったんじゃないかって言ってたらしい。
自分の希望を優先してしまったって。だけど……」
そこで一旦、口を噤む。
「知らない世界でお前から離れるのが怖い。そう言ったとさ。
ちょっと不安定になって、つい溢しちまったんだろうな……。
ルーシーは、なんかサヤが、人に言えない事を抱えてんだって察しちまってたけど……サヤと友人でありたいなら黙ってろって言っといたから、大丈夫だと思う」
ギルの報告に、俺は耳を疑っていた。
サヤはそんな弱い部分を、俺には全く見せてくれなかった。
いつも元気で、笑っていて、この世界にいることの不安なんて、チラつかせたこともなかった。
俺が不甲斐ないから、支える側に回る。自分のことに手一杯の筈のサヤに、無理をさせていた……。
そう思ったのだが、俺のそんな考えはお見通しとばかりに、ギルは言葉を続けた。
「帰ってからあいつ、妙に張り切って、そんな面を微塵も見せねぇから……。
泣いちまったから余計かな。お前の前では大丈夫でいようとするから……報告しておこうと思ったんだ。
間違っても、お前が頼れないとかじゃなく、お前の負担になりたくないって考えの現れだと思うぞ。だから、そんな顔してサヤの前に出るなよ。
ああ、お前が寝れてるかって、それも凄い心配してた。後で、時間が出来たら……サヤが居ない間の、お前らの話でもしてやれ。きっと聞きたいだろうから」
そんな風に言うから、もう罪悪感しかない……。
俺が昨日、ギルに思ってた事、それがどれだけ利己的な考えであったかと突きつけられてしまった。さっきの態度だってそうだ……。
ギルが怖いって?サヤを取られそうだって?
俺はなんで、そんな風に考えることしか出来なかったんだ……。
「ありがとう……それから、ごめん。
ギルが、俺やサヤの為にいろいろ考えてくれてるの、分かってるのにな……。
なんか勝手にイラついて……嫌な態度だったよな、俺……」
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「いいや? 構わない。
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決して、簡単に切れたわけじゃない……そうしてでも、守りたかった。
俺の中のギルは、もう特別なものであったのだ。
「際どかったけどな。今回お前は、あの時と同じ選択をしなかったんだから、成長したよ。
マルの言葉じゃないけどな、もうお前一人じゃねぇんだから……これからは、切り捨てる前に、足掻く方法考えるようにしろ。それと、考えるときは相談しろ」
ぴっと指を突き付けられて、要相談。と、念を押された。
ああもう、ほんと敵わない……。
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ふとそんなことを考えた時だった。
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「レイシール様、仕事です」
「は?」
仕事は一通り終わった……んですけど?
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そして、ギルに視線をやって「ギルも、試食がしたいのならば、ついて来たら良いみたいですよ」と言う。試食?よく分からないが、ギルは「行く」と、即答した。食い意地張ってるよな……。
「ここの食い物は美味いからな。試食って言うからには、サヤだろ」
「でも仕事に試食ってどういう意味なんだろうな……」
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たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
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