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新たな戦い 18
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なんで急にそんなこと言い出した。
だが俺のその言葉に、ハインはしれっと。
「休憩のお時間です」
などと言う。なんだその休憩のお時間って……。
「お顔の色がすぐれません。あの親子に振り回されてお疲れなのでしょう?
夕食までの時間は何もしないで下さい。体調を崩されたのでは困りますから」
そう言って、部屋に押し込められてしまった。
けど……抵抗しなかったのは、俺にも疲れている自覚があったから。
そのまま長椅子で横になって、目元を両腕で隠した。誰に見られるわけでもないけれど、こんな顔は晒しておきたくない。
「…………ロゼッタ……か」
俺の母の名は、ロレッタ。ただちょっと響きが似ていたというだけで、なんのことはない……。
そして、温かい親子のふれあいを見ただけだ。微笑ましく思いこそすれ、苦しくなる理由なんて、無い。
無い、はず、なのに…………。
「父上…………」
なんで急にこんな、父上に、お会いしたくなったかなぁ……。
俺にもあんなものが、あるとでも思ったのだろうか……? あんな風な、温かい関係が? 父上ならあるいはと?……ははっ、今更だ。
セイバーンにいる間は、気にかけて下さった。
俺をあの状況から救い出し、学舎にやってくれたのも、愛情あればこそだと思う。
ディート殿に聞いた父上と母のやりとりも、あの時は苦しかったけれど……少なくとも、俺をないものにはしていないと分かって、ホッとできた。
それで、充分じゃないか……。
「それで、満足しなきゃ……」
求めすぎるな。
希望なんて持つな。
お会いできない理由なんて考えるな。
拒まれているかもしれないなんて、視野に入れるな。
お会いできないのは、病のため。俺には責務もある。セイバーンを、管理する務めがある。そしてあの誓約がある……。
「だけど……サヤのことも、ある……」
彼女を大切にしたいなら、向き合わなきゃならない問題だと、ギルにも言われた……。
だから一度、マルに父上の状況を……情報を得てもらおうと、考えてはいたんだ。
特に誓約が、領主の許可のもとにしか、捧げられないと知ってからは、もやもやとした違和感が、ずっと、気持ちの端で燻っている。
けど……踏み切るためには、覚悟がいる。現実がどんな風であろうと、飲み込む覚悟だ。それがまだ、重い。割り切れない。……唯一残った可能性を、存在を、切り捨てられない……。もし、父上の許可のもと、あの誓約が捧げられたのだとしたらと……その可能性が、捨てきれないから……。
そうであったのだとしたら……俺の存在理由って、なんなんだ……という、根本的な部分がまた、揺らいでしまう気がした。
サヤには、捨てさせたのにな……。
世界も、家族も、捨てさせたのに……俺は、父上一人を、捨てる覚悟ができない……。
苦しくなってきた呼吸に、胸元を押さえる。
落ち着け。と、自分に言い聞かせた。
足元が瓦解するかもしれない恐怖は、まだ先延ばしにできる。俺にはやることがあるから、それをしているうちは、見ないでいられる。
今優先すべきことは、与えられた役割だ。自分の存在価値は、自分で示せ。個人的な瑣末ごとは、後回しで良い。後回しで良いんだ…………。
◆
「街で妙なことを言われました」
翌日のことだ。
今日もいつも通りの日常。
ただ、こちらでやらなければいけないこと、やり途中であったことはひと段落したので、一旦セイバーンに戻ろうかという話をして、そのための準備を始めたところだったのだが、部屋で荷物の整理をしていると、戻ったハインの開口一番がそれだった。
「妙って?」
眉間に深いシワを刻んだハインだったが、今日は午前中いっぱいを使い、買い出しに出ていた。
必要なものは手配し終え、帰ってきたところだったのだが、なんだかとても不本意だという顔。
「街の女性にサヤの恋人はお前かと詰め寄られました」
ゴトっ!
「…………は?」
「私は男ですがと答えたのですが、何故か納得されず。
まだ幼いのだから考えてやれとか女性を知らない子供にふしだらだとか。
意味が分かりません。その発想のふしだらさは棚に上げている様子なのが更に」
取り落とし、横倒しになった墨壺から、墨が机の上に大きく広がっていく。
ふ、ふしだら……? サヤの恋人? 頭が混乱してしまい、思考が働かない。
「聞くところによると、サヤと二人で買い出しをしていた従者がサヤに手を出していたということなのですが。あいにく先々日、私は買い出しには出ておりません。
それを言うと、じゃああれは誰だという話になり……」
そこでサヤが駆け込んできた。真っ赤な顔で。
自室の荷物を整理していたのだ。
「はっハインさん!そ、それはっ、勘違いです!」
「勘違い?」
「はいっ! 私が、その……故郷のことを思い出し、寂しくなってしまっていたのを、レイシール様が慰めて下さってただけなんです!
その、少々涙ぐんでしまい、それを隠すためにそのっ、色々っ誤解を招くことにっ!」
「ああ、化粧が落ちましたか」
「はい!」
両手を拳に握って、おかしなくらい力の入った頷きをするサヤ。
だがハインはそれで納得した。そういった事情であれば致し方ありませんねと。
「まあ、ならば放っておきます」
「えっ……」
「しばらくすれば薄れるでしょうし」
「そ、そう……そうですか……」
「説明のしようもないのですから、それで良いのでは?」
「そうです、ね……」
それで済んだ。
よ、良いのかそれで……?
いや、確かにどうしようもないのだが……と、思った矢先。
「サヤの男装も、長く続くとやはり、無理が出てきますね」
そう呟かれ、ドキリとした。
だけど……それは、そうだ。
いっときの誤魔化しであるから通用すること。姫様にも、あと二年が限界だと言われた。
それにサヤは、女性としても振舞っている。姫様のように、ずっと男装を通しているわけではない……ボロは出やすいだろう。
「私の記憶では、十四の年には声が変わりました。
レイシール様は十六を迎えてからでしたが……大抵の男は変調をきたす年頃でしょうし、ここら辺から背もどんどん伸びていく。
ですがサヤは、声変わりもなければ成長ももう、さしてしないでしょう?
男装も今年いっぱいが限界と考えておく方が、良いのかもしれません」
「…………」
冷静な表情でそう告げられ……反論は、できなかった。
「そう、ですよね……。関わる人も、増えましたし……私もここにいる以上……いつまでもこのままとは、いきませんよね……」
一生を男装で過ごすなんて、当然できるとは思っていない。
思ってはいなかったが…………考えることは、放棄していた。
このままが続くのだと、思っていた……。
早く打つ鼓動が煩い。
「幸いにも、間もなくセイバーンを離れられます。兄上様や異母様は、拠点村までいらっしゃいませんよ、きっと。
まあ、今まで誤魔化していた方々には、少々驚かれるかもしれませんが、良い機会なのではないですか?
すぐにどうこうということではなく、近いうちにと、気持ちを固めておくだけでも、しておくべきです」
そう言うハインに、そうだな。としか、返せなかった。
時は常に刻まれ続ける……どう足掻いたとしても、今のままでは、いられないということだ……。
だが俺のその言葉に、ハインはしれっと。
「休憩のお時間です」
などと言う。なんだその休憩のお時間って……。
「お顔の色がすぐれません。あの親子に振り回されてお疲れなのでしょう?
夕食までの時間は何もしないで下さい。体調を崩されたのでは困りますから」
そう言って、部屋に押し込められてしまった。
けど……抵抗しなかったのは、俺にも疲れている自覚があったから。
そのまま長椅子で横になって、目元を両腕で隠した。誰に見られるわけでもないけれど、こんな顔は晒しておきたくない。
「…………ロゼッタ……か」
俺の母の名は、ロレッタ。ただちょっと響きが似ていたというだけで、なんのことはない……。
そして、温かい親子のふれあいを見ただけだ。微笑ましく思いこそすれ、苦しくなる理由なんて、無い。
無い、はず、なのに…………。
「父上…………」
なんで急にこんな、父上に、お会いしたくなったかなぁ……。
俺にもあんなものが、あるとでも思ったのだろうか……? あんな風な、温かい関係が? 父上ならあるいはと?……ははっ、今更だ。
セイバーンにいる間は、気にかけて下さった。
俺をあの状況から救い出し、学舎にやってくれたのも、愛情あればこそだと思う。
ディート殿に聞いた父上と母のやりとりも、あの時は苦しかったけれど……少なくとも、俺をないものにはしていないと分かって、ホッとできた。
それで、充分じゃないか……。
「それで、満足しなきゃ……」
求めすぎるな。
希望なんて持つな。
お会いできない理由なんて考えるな。
拒まれているかもしれないなんて、視野に入れるな。
お会いできないのは、病のため。俺には責務もある。セイバーンを、管理する務めがある。そしてあの誓約がある……。
「だけど……サヤのことも、ある……」
彼女を大切にしたいなら、向き合わなきゃならない問題だと、ギルにも言われた……。
だから一度、マルに父上の状況を……情報を得てもらおうと、考えてはいたんだ。
特に誓約が、領主の許可のもとにしか、捧げられないと知ってからは、もやもやとした違和感が、ずっと、気持ちの端で燻っている。
けど……踏み切るためには、覚悟がいる。現実がどんな風であろうと、飲み込む覚悟だ。それがまだ、重い。割り切れない。……唯一残った可能性を、存在を、切り捨てられない……。もし、父上の許可のもと、あの誓約が捧げられたのだとしたらと……その可能性が、捨てきれないから……。
そうであったのだとしたら……俺の存在理由って、なんなんだ……という、根本的な部分がまた、揺らいでしまう気がした。
サヤには、捨てさせたのにな……。
世界も、家族も、捨てさせたのに……俺は、父上一人を、捨てる覚悟ができない……。
苦しくなってきた呼吸に、胸元を押さえる。
落ち着け。と、自分に言い聞かせた。
足元が瓦解するかもしれない恐怖は、まだ先延ばしにできる。俺にはやることがあるから、それをしているうちは、見ないでいられる。
今優先すべきことは、与えられた役割だ。自分の存在価値は、自分で示せ。個人的な瑣末ごとは、後回しで良い。後回しで良いんだ…………。
◆
「街で妙なことを言われました」
翌日のことだ。
今日もいつも通りの日常。
ただ、こちらでやらなければいけないこと、やり途中であったことはひと段落したので、一旦セイバーンに戻ろうかという話をして、そのための準備を始めたところだったのだが、部屋で荷物の整理をしていると、戻ったハインの開口一番がそれだった。
「妙って?」
眉間に深いシワを刻んだハインだったが、今日は午前中いっぱいを使い、買い出しに出ていた。
必要なものは手配し終え、帰ってきたところだったのだが、なんだかとても不本意だという顔。
「街の女性にサヤの恋人はお前かと詰め寄られました」
ゴトっ!
「…………は?」
「私は男ですがと答えたのですが、何故か納得されず。
まだ幼いのだから考えてやれとか女性を知らない子供にふしだらだとか。
意味が分かりません。その発想のふしだらさは棚に上げている様子なのが更に」
取り落とし、横倒しになった墨壺から、墨が机の上に大きく広がっていく。
ふ、ふしだら……? サヤの恋人? 頭が混乱してしまい、思考が働かない。
「聞くところによると、サヤと二人で買い出しをしていた従者がサヤに手を出していたということなのですが。あいにく先々日、私は買い出しには出ておりません。
それを言うと、じゃああれは誰だという話になり……」
そこでサヤが駆け込んできた。真っ赤な顔で。
自室の荷物を整理していたのだ。
「はっハインさん!そ、それはっ、勘違いです!」
「勘違い?」
「はいっ! 私が、その……故郷のことを思い出し、寂しくなってしまっていたのを、レイシール様が慰めて下さってただけなんです!
その、少々涙ぐんでしまい、それを隠すためにそのっ、色々っ誤解を招くことにっ!」
「ああ、化粧が落ちましたか」
「はい!」
両手を拳に握って、おかしなくらい力の入った頷きをするサヤ。
だがハインはそれで納得した。そういった事情であれば致し方ありませんねと。
「まあ、ならば放っておきます」
「えっ……」
「しばらくすれば薄れるでしょうし」
「そ、そう……そうですか……」
「説明のしようもないのですから、それで良いのでは?」
「そうです、ね……」
それで済んだ。
よ、良いのかそれで……?
いや、確かにどうしようもないのだが……と、思った矢先。
「サヤの男装も、長く続くとやはり、無理が出てきますね」
そう呟かれ、ドキリとした。
だけど……それは、そうだ。
いっときの誤魔化しであるから通用すること。姫様にも、あと二年が限界だと言われた。
それにサヤは、女性としても振舞っている。姫様のように、ずっと男装を通しているわけではない……ボロは出やすいだろう。
「私の記憶では、十四の年には声が変わりました。
レイシール様は十六を迎えてからでしたが……大抵の男は変調をきたす年頃でしょうし、ここら辺から背もどんどん伸びていく。
ですがサヤは、声変わりもなければ成長ももう、さしてしないでしょう?
男装も今年いっぱいが限界と考えておく方が、良いのかもしれません」
「…………」
冷静な表情でそう告げられ……反論は、できなかった。
「そう、ですよね……。関わる人も、増えましたし……私もここにいる以上……いつまでもこのままとは、いきませんよね……」
一生を男装で過ごすなんて、当然できるとは思っていない。
思ってはいなかったが…………考えることは、放棄していた。
このままが続くのだと、思っていた……。
早く打つ鼓動が煩い。
「幸いにも、間もなくセイバーンを離れられます。兄上様や異母様は、拠点村までいらっしゃいませんよ、きっと。
まあ、今まで誤魔化していた方々には、少々驚かれるかもしれませんが、良い機会なのではないですか?
すぐにどうこうということではなく、近いうちにと、気持ちを固めておくだけでも、しておくべきです」
そう言うハインに、そうだな。としか、返せなかった。
時は常に刻まれ続ける……どう足掻いたとしても、今のままでは、いられないということだ……。
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