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来世 1
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その日の夜、人払いをした上で、父上と話をした。
サヤが将来妻となることを承諾してくれたこと。
けれど、俺は今まで通り、サヤが成人するまでは待つつもりでいること。
だから、耳飾も後見人となることも必要無い。
ただ俺たちの婚約だけ認めてくれればそれで良い……と。
父上は……。
「本当にそれで良いのか?」
と、問うてきた。
俺は即座に頷く。
これは必要なことだった。
サヤが子を成せないことを、周りにとやかく言わせないために。
こうしておけば、少なくとも三年、時間が稼げる。彼女を手に入れ、守るために、必要な三年だ。
「早婚は、色々な面で、良い結果を招きません……」
「そうか……そうだな……。
子を成すにしても、母体の未熟さ故に出産が困難となり、命が関わることもそう珍しくないのだったか。
貴族は形式を優先し過ぎる。貴族同士、血を背負った上での婚姻なら相手方の言い分もあるゆえ、致し方ない部分もあるが、お前たちに血の柵は無いのだからな……。
お前がそれで構わないと言うなら、それを受けよう。
その代わり、血に守られることもない……それは、理解しているな?」
耳飾があれば、他家の干渉は最小限になるだろう。
家同士で繋がることを了承している証となるため、そこに割り込むにはそれなりの準備と覚悟が必要になる。
しかし無ければ、それは隙を見せているのと同じ意味になる。
サヤは貴族ではない。更に後ろ盾すら無いゆえ、それは正直、致命的なことではあるのだけど……。
子が成せない。
今それを知られれば、きっとこの婚姻じたいが、認めてもらえない。
だから、まずはサヤの成人まで、時間を稼ぐ。
他家からの干渉に関しては、マルも手を貸してくれるのだし、俺が成人して領主となれば、あとは俺の問題なのだ。どうにかする。
だからまずは一年……俺が成人するまでの一年を、乗り切るのだ。
「無茶を言っていることは、承知しています……。
でも俺は……彼女が良いんです。彼女でなければ、駄目なんだ。
これひとつだけ俺に、我儘を許していただけますか。
その代わり、セイバーンを……サヤを守ると同じように、守ります。
必ず、良き領主となります。ですから……」
脅しつけておいて、許してくれもないよな……とは思ったものの、誠意だけは、伝えなければならないと思った。
確かに俺は、望んでこの立場を受け入れたのではない。
できることなら、貴族を辞めたいとまで思っていた身だ。貴族たる覚悟すら、していなかった俺だ……。
次期領主だなんて、俺みたいに凡庸な小心者には過ぎた地位だと思うし、間違っても適しているとは思えない。
それでも、やると決めた。ならば、俺に出来る最大限の努力をする。
民を、国を、支える礎となる。
サヤと共にあるためなら、そのくらいの覚悟なんて、どうってことない。
その決意を込めて、父上を見据えると……。
「承知した……」
父上は、小さく息を吐き、俺に告げた。
「では私も、覚悟を固めよう」
そう言って優しく微笑んで、また俺の頬に、手を伸ばす。
節くれだった指で、頬をさすってから「幸せになりなさい」と、俺に言った。
◆
サヤのいる日常が戻った。
しかし、サヤは病に身を侵されていたため、かなり痩せ細り、体力も落ちている。
当面、従者の仕事は良いから、まずは体調を整えようと、そういう話をしたはずなのだけど……。
「したはずなのだけど……聞いてた?」
「…………だって……」
だってじゃ、ないんだよ?
言葉は口にせず、無言で見下ろしていると、だんだん居た堪れなくなたのかサヤの視線が泳ぐ……。
手にしていた雑巾を、そっと手桶に戻し、床に座り込んだまま、項垂れてしまった。
少し遠巻きにして、その様子を一緒に掃除していた女中が見ていて、オロオロと落ち着かなげにしているから、こちらのことは気にしないでくれと声を掛けておく。
「サヤ……俺はさ、間違ったことは言ってないと思うんだ」
「でも、ずっと寝てたんです……これ以上寝てたって仕方がないじゃないですか。
今は、少しでも身体を動かして、衰えた筋肉を取り戻したいんです。だから……」
「それは、健康を取り戻した後に、することだ。今サヤの身体に、筋肉にできる部分が、一体どれくらいあるっていうの?
まずはちゃんと食べて、休む。それがサヤのすることだよ」
「…………でも……」
広がった袴の上に置かれていた、筋張った手が、キュッと握り込まれる。
分かっているのだ。
それは充分、承知しているけれど……彼女は動きたい。
ただ何もせず寝台の上に横たわっていたくない。
だけどそれがサヤの身体には負担でしかないと分かっているから、俺も譲ることはできない。
とはいえ……こんな風に、泣きそうな顔でうつむく彼女には、どうしてもつい、罪悪感めいた感情が……。
「…………ナジェスタからの許可があれば、動いて良いから……診察受ける?」
で、結局折れるのは俺になる……。
パッとうつむけていた顔を跳ね上げた彼女に、俺は溜息をひとつ。
「先に戻って、ナジェスタが行くまでにちゃんと休んでいること。
ナジェスタに診てもらって、良いよってことだったら……だよ?」
そう言うと、一生懸命に頷く。
そんなサヤに手を差し出すと、彼女は不思議そうに首を傾げて、俺の手を見た。
「……いつまで座ってるの。……冷えてしまう……」
そう言葉を添えると、やっと意味が分かった様子。
赤くなって、自分で立てますから……なんて言って、手を辞退しようとするものだから、そのまま無言で手首を掴んで引っ張った。
案の定……冷え切っている、冷たい手……。
細すぎて、手首をつかむ俺の指が、かなり余ってしまう。
そのまま身体を抱き込むと、細ってしまった彼女を抱き締めた。
「れっ⁉︎」
「確認したいだけ。すぐ離すから」
やっぱり……腕の中のサヤは、だいぶん冷えてしまっていた。
こんなに細いから、すぐに全身が冷たくなってしまうんだ……。そう考え、溢れそうになる溜息。
どれくらい目減りしてしまったんだろうな……ロゼ一人分くらいだろうか……。
少し腕を緩めたら、サヤはパッと俺から身を離した。
女中の前では、抱きしめられることも嫌であるらしい。
「じゃぁ、ナジェスタには俺が伝えに行くから。ちゃんと、休んでおくんだよ?」
「は、はい……分かってますから」
「手桶の片付けは女中にお願いしとくから」
「…………はぃ……」
時間のギリギリまで、続きをやろうと思ってたな……。
サヤがちゃんとこの場を立ち去るのを確認してから、固唾を飲んで見守っていた女中に「悪かったね」と、声を掛けた。
従者である彼女に床の拭き掃除なんてものをやらせていた女中は怯え気味だが、そもそもハインと三人で生活していた時は俺すらそれをやってたし、何かをやりたくて仕方がなかったサヤがやりたがったのだろうことは想像できたから、今度彼女があんな風にしてたら、知らせてほしいと伝えておくに止める。
「普段ならとやかく言うつもりはないんだけどね……。
今は、本人が自覚している以上に体力も落ちていると思うから、無理はさせたくないんだ。
多分、やっているときは一生懸命で、気付かないんだろうから……」
先日もそれでやらかしたのだ。
薪を運び込む途中でバラしてしまった女中の音を拾い、駆けつけて手伝ったまでは良かったのだが、雪のちらつく中、上着も羽織らず外と中を何度も往復し、夕方に熱を出した。
幸いなことに風邪ではなく、衰えた筋肉を酷使しすぎて、身体に限界が来たのだというのが、ナジェスタの診断だった。
だのにまた……なんでそんなに仕事しようとするんだか……。
「んー……もしかしたら幻痛かなぁ?」
「幻痛?」
ナジェスタの部屋で、愚痴がてら事情をかいつまんで説明すると、そんな返事が返る。
聞いたことのない言葉に首を傾げたのだが……。
「荊縛を患った人にはさして珍しくないよぉ。
あの病、相当心に刺さる痛みと苦痛を味わうから、治った後も錯覚の痛みに襲われたりするの。
サヤさんの場合、重篤化しかけてたし、熱に苦しんだ期間もだいぶん長かったでしょう?
だから、幻痛があってもおかしくないと思う。
特にあれ、眠っている時に夢に見るって人が多いから、休みたくないって思うのは、うっかり眠ると夢に見るからかも」
それはつまり……彼女はまた……。
「っ、また、俺に黙ってる……っ⁉︎」
「あっあっ、待ってっ⁉︎ サヤさん怒っちゃ可哀想よ⁉︎」
「だけど! そういうことはちゃんと報告すべきじゃないかな⁉︎」
内緒にされているということに過剰反応し、サヤの元に向かおうとした俺を、ナジェスタが必死で宥め、助手の二人が扉前で、手を大きくバッテンにして抗議する。
「たぶんサヤさんは、幻覚の痛みだってことを理解しているんだと思うから!」
「……?」
「サヤさん、医療の知識を結構深く有してるでしょう?
だから、自分の身体を襲う痛みが幻覚なのだって、分かってるんじゃない?
それがそのうち、なくなっていくことも。
だから、わざわざ誰かを心配させることもない……手を煩わせる必要もない……そんな風に考えているんじゃないかなって。
仕事をしたがるのも、動いて疲れたら深く眠れる……って、そう考えてるんじゃない?
で。そういう娘って、そこを指摘して怒ってしまうと、もっと頑なになると思う。
見つからないように無茶をするようになっちゃう。
そもそも今だって、幻痛のこと隠しちゃってるわけでしょう?
これ以上彼女が内緒事を増やすのは、レイ様も本意じゃないんじゃない?」
と、そんな風に言われてしまい……。椅子に座り直した。
これ以上内緒事が増えるのは嫌だ……。隠れて無茶をされるのも。
「でも……もうこうして知ってしまった以上、放置しておくことも俺には無理だ……。
幻覚だろうが、痛いものは痛いし、苦しいものは苦しい……。
だから、無理に仕事をして誤魔化さなきゃならないんだろう? そんなことを繰り返していたら、またサヤは体調を悪化させてしまう……」
もうサヤが倒れるのを見るなんて嫌だ……。
体力が落ちている上にこの寒さなのだ。また病をもらってしまったら、彼女はどうなってしまうのか……。
もし万が一にでも、そんなことになったら……。
「うん。だから、このままは流石に、どちらにも良くないから。
見て見ぬふりをしつつ、サヤさんに程よいお仕事を与えてあげるのが良いのかなって」
予想の斜め上をいくナジェスタの言葉に、俺は一瞬呆気にとられ……。
「…………それ、本末転倒って言わないかな……」
仕事をさせたくないと言っているのに、仕事をさせるって……と、若干ムッとしてしまったのだが。
「いやいやいや、物事はだいたい匙加減しだいだよ?」
そんな風に笑って返されてしまった。
匙加減……。その匙加減ができないから問題になっているのだと思うんだけど……。
俺が眉間にしわを寄せているのを見て、ナジェスタは。
「……レイ様、ほんっとうにサヤさん大好きなのねぇ」
と言って、よしよしと頭を撫でてきた。
…………なんでここで急に子供扱いが入るんだろう……。
「男の子だもん、心配だし、守りたいって思っちゃうのよねぇ。
けど、女の子にはね、許してあげる度量も必要よ?
雁字搦めに縛り上げるだけじゃ、全然響かないんだからね?」
ゔ……。
前、父上にも束縛したがっている的な指摘をされたのに……。
俺ってもしかして、しつこい? サヤにも鬱陶しいとか思われていたりするのか⁉︎
つい動揺してしまった俺を見て、ナジェスタが楽しそうに、にんまりと笑みを深める……。
「今回は、このお姉さんがそれとなぁく、お手伝いしてあげちゃおう。
好きな子には、かっこいいとこ見せたいもんねぇ」
と、そんな風に促され……。
外見的には全然幼い……この人が実は三十路を当に越えていることを、思い出した。
「そんな大好きな娘のために、お仕事を探してあげて欲しいのだけど。あるかしら?」
「………………でも……」
「身体を使うお仕事はね、まだ早いのよ。だけど疲れるまで使っても大丈夫な場所があるでしょう?」
くいくいと指で、耳を貸しなさいと促された。
……? ここ、俺たちと助手の二人しかいないのに、何で耳打ち?
そう思ったものの、とりあえず耳を貸す。
……俺はその内容に、あぁ、その手があったか! と、思ったのだった。
サヤが将来妻となることを承諾してくれたこと。
けれど、俺は今まで通り、サヤが成人するまでは待つつもりでいること。
だから、耳飾も後見人となることも必要無い。
ただ俺たちの婚約だけ認めてくれればそれで良い……と。
父上は……。
「本当にそれで良いのか?」
と、問うてきた。
俺は即座に頷く。
これは必要なことだった。
サヤが子を成せないことを、周りにとやかく言わせないために。
こうしておけば、少なくとも三年、時間が稼げる。彼女を手に入れ、守るために、必要な三年だ。
「早婚は、色々な面で、良い結果を招きません……」
「そうか……そうだな……。
子を成すにしても、母体の未熟さ故に出産が困難となり、命が関わることもそう珍しくないのだったか。
貴族は形式を優先し過ぎる。貴族同士、血を背負った上での婚姻なら相手方の言い分もあるゆえ、致し方ない部分もあるが、お前たちに血の柵は無いのだからな……。
お前がそれで構わないと言うなら、それを受けよう。
その代わり、血に守られることもない……それは、理解しているな?」
耳飾があれば、他家の干渉は最小限になるだろう。
家同士で繋がることを了承している証となるため、そこに割り込むにはそれなりの準備と覚悟が必要になる。
しかし無ければ、それは隙を見せているのと同じ意味になる。
サヤは貴族ではない。更に後ろ盾すら無いゆえ、それは正直、致命的なことではあるのだけど……。
子が成せない。
今それを知られれば、きっとこの婚姻じたいが、認めてもらえない。
だから、まずはサヤの成人まで、時間を稼ぐ。
他家からの干渉に関しては、マルも手を貸してくれるのだし、俺が成人して領主となれば、あとは俺の問題なのだ。どうにかする。
だからまずは一年……俺が成人するまでの一年を、乗り切るのだ。
「無茶を言っていることは、承知しています……。
でも俺は……彼女が良いんです。彼女でなければ、駄目なんだ。
これひとつだけ俺に、我儘を許していただけますか。
その代わり、セイバーンを……サヤを守ると同じように、守ります。
必ず、良き領主となります。ですから……」
脅しつけておいて、許してくれもないよな……とは思ったものの、誠意だけは、伝えなければならないと思った。
確かに俺は、望んでこの立場を受け入れたのではない。
できることなら、貴族を辞めたいとまで思っていた身だ。貴族たる覚悟すら、していなかった俺だ……。
次期領主だなんて、俺みたいに凡庸な小心者には過ぎた地位だと思うし、間違っても適しているとは思えない。
それでも、やると決めた。ならば、俺に出来る最大限の努力をする。
民を、国を、支える礎となる。
サヤと共にあるためなら、そのくらいの覚悟なんて、どうってことない。
その決意を込めて、父上を見据えると……。
「承知した……」
父上は、小さく息を吐き、俺に告げた。
「では私も、覚悟を固めよう」
そう言って優しく微笑んで、また俺の頬に、手を伸ばす。
節くれだった指で、頬をさすってから「幸せになりなさい」と、俺に言った。
◆
サヤのいる日常が戻った。
しかし、サヤは病に身を侵されていたため、かなり痩せ細り、体力も落ちている。
当面、従者の仕事は良いから、まずは体調を整えようと、そういう話をしたはずなのだけど……。
「したはずなのだけど……聞いてた?」
「…………だって……」
だってじゃ、ないんだよ?
言葉は口にせず、無言で見下ろしていると、だんだん居た堪れなくなたのかサヤの視線が泳ぐ……。
手にしていた雑巾を、そっと手桶に戻し、床に座り込んだまま、項垂れてしまった。
少し遠巻きにして、その様子を一緒に掃除していた女中が見ていて、オロオロと落ち着かなげにしているから、こちらのことは気にしないでくれと声を掛けておく。
「サヤ……俺はさ、間違ったことは言ってないと思うんだ」
「でも、ずっと寝てたんです……これ以上寝てたって仕方がないじゃないですか。
今は、少しでも身体を動かして、衰えた筋肉を取り戻したいんです。だから……」
「それは、健康を取り戻した後に、することだ。今サヤの身体に、筋肉にできる部分が、一体どれくらいあるっていうの?
まずはちゃんと食べて、休む。それがサヤのすることだよ」
「…………でも……」
広がった袴の上に置かれていた、筋張った手が、キュッと握り込まれる。
分かっているのだ。
それは充分、承知しているけれど……彼女は動きたい。
ただ何もせず寝台の上に横たわっていたくない。
だけどそれがサヤの身体には負担でしかないと分かっているから、俺も譲ることはできない。
とはいえ……こんな風に、泣きそうな顔でうつむく彼女には、どうしてもつい、罪悪感めいた感情が……。
「…………ナジェスタからの許可があれば、動いて良いから……診察受ける?」
で、結局折れるのは俺になる……。
パッとうつむけていた顔を跳ね上げた彼女に、俺は溜息をひとつ。
「先に戻って、ナジェスタが行くまでにちゃんと休んでいること。
ナジェスタに診てもらって、良いよってことだったら……だよ?」
そう言うと、一生懸命に頷く。
そんなサヤに手を差し出すと、彼女は不思議そうに首を傾げて、俺の手を見た。
「……いつまで座ってるの。……冷えてしまう……」
そう言葉を添えると、やっと意味が分かった様子。
赤くなって、自分で立てますから……なんて言って、手を辞退しようとするものだから、そのまま無言で手首を掴んで引っ張った。
案の定……冷え切っている、冷たい手……。
細すぎて、手首をつかむ俺の指が、かなり余ってしまう。
そのまま身体を抱き込むと、細ってしまった彼女を抱き締めた。
「れっ⁉︎」
「確認したいだけ。すぐ離すから」
やっぱり……腕の中のサヤは、だいぶん冷えてしまっていた。
こんなに細いから、すぐに全身が冷たくなってしまうんだ……。そう考え、溢れそうになる溜息。
どれくらい目減りしてしまったんだろうな……ロゼ一人分くらいだろうか……。
少し腕を緩めたら、サヤはパッと俺から身を離した。
女中の前では、抱きしめられることも嫌であるらしい。
「じゃぁ、ナジェスタには俺が伝えに行くから。ちゃんと、休んでおくんだよ?」
「は、はい……分かってますから」
「手桶の片付けは女中にお願いしとくから」
「…………はぃ……」
時間のギリギリまで、続きをやろうと思ってたな……。
サヤがちゃんとこの場を立ち去るのを確認してから、固唾を飲んで見守っていた女中に「悪かったね」と、声を掛けた。
従者である彼女に床の拭き掃除なんてものをやらせていた女中は怯え気味だが、そもそもハインと三人で生活していた時は俺すらそれをやってたし、何かをやりたくて仕方がなかったサヤがやりたがったのだろうことは想像できたから、今度彼女があんな風にしてたら、知らせてほしいと伝えておくに止める。
「普段ならとやかく言うつもりはないんだけどね……。
今は、本人が自覚している以上に体力も落ちていると思うから、無理はさせたくないんだ。
多分、やっているときは一生懸命で、気付かないんだろうから……」
先日もそれでやらかしたのだ。
薪を運び込む途中でバラしてしまった女中の音を拾い、駆けつけて手伝ったまでは良かったのだが、雪のちらつく中、上着も羽織らず外と中を何度も往復し、夕方に熱を出した。
幸いなことに風邪ではなく、衰えた筋肉を酷使しすぎて、身体に限界が来たのだというのが、ナジェスタの診断だった。
だのにまた……なんでそんなに仕事しようとするんだか……。
「んー……もしかしたら幻痛かなぁ?」
「幻痛?」
ナジェスタの部屋で、愚痴がてら事情をかいつまんで説明すると、そんな返事が返る。
聞いたことのない言葉に首を傾げたのだが……。
「荊縛を患った人にはさして珍しくないよぉ。
あの病、相当心に刺さる痛みと苦痛を味わうから、治った後も錯覚の痛みに襲われたりするの。
サヤさんの場合、重篤化しかけてたし、熱に苦しんだ期間もだいぶん長かったでしょう?
だから、幻痛があってもおかしくないと思う。
特にあれ、眠っている時に夢に見るって人が多いから、休みたくないって思うのは、うっかり眠ると夢に見るからかも」
それはつまり……彼女はまた……。
「っ、また、俺に黙ってる……っ⁉︎」
「あっあっ、待ってっ⁉︎ サヤさん怒っちゃ可哀想よ⁉︎」
「だけど! そういうことはちゃんと報告すべきじゃないかな⁉︎」
内緒にされているということに過剰反応し、サヤの元に向かおうとした俺を、ナジェスタが必死で宥め、助手の二人が扉前で、手を大きくバッテンにして抗議する。
「たぶんサヤさんは、幻覚の痛みだってことを理解しているんだと思うから!」
「……?」
「サヤさん、医療の知識を結構深く有してるでしょう?
だから、自分の身体を襲う痛みが幻覚なのだって、分かってるんじゃない?
それがそのうち、なくなっていくことも。
だから、わざわざ誰かを心配させることもない……手を煩わせる必要もない……そんな風に考えているんじゃないかなって。
仕事をしたがるのも、動いて疲れたら深く眠れる……って、そう考えてるんじゃない?
で。そういう娘って、そこを指摘して怒ってしまうと、もっと頑なになると思う。
見つからないように無茶をするようになっちゃう。
そもそも今だって、幻痛のこと隠しちゃってるわけでしょう?
これ以上彼女が内緒事を増やすのは、レイ様も本意じゃないんじゃない?」
と、そんな風に言われてしまい……。椅子に座り直した。
これ以上内緒事が増えるのは嫌だ……。隠れて無茶をされるのも。
「でも……もうこうして知ってしまった以上、放置しておくことも俺には無理だ……。
幻覚だろうが、痛いものは痛いし、苦しいものは苦しい……。
だから、無理に仕事をして誤魔化さなきゃならないんだろう? そんなことを繰り返していたら、またサヤは体調を悪化させてしまう……」
もうサヤが倒れるのを見るなんて嫌だ……。
体力が落ちている上にこの寒さなのだ。また病をもらってしまったら、彼女はどうなってしまうのか……。
もし万が一にでも、そんなことになったら……。
「うん。だから、このままは流石に、どちらにも良くないから。
見て見ぬふりをしつつ、サヤさんに程よいお仕事を与えてあげるのが良いのかなって」
予想の斜め上をいくナジェスタの言葉に、俺は一瞬呆気にとられ……。
「…………それ、本末転倒って言わないかな……」
仕事をさせたくないと言っているのに、仕事をさせるって……と、若干ムッとしてしまったのだが。
「いやいやいや、物事はだいたい匙加減しだいだよ?」
そんな風に笑って返されてしまった。
匙加減……。その匙加減ができないから問題になっているのだと思うんだけど……。
俺が眉間にしわを寄せているのを見て、ナジェスタは。
「……レイ様、ほんっとうにサヤさん大好きなのねぇ」
と言って、よしよしと頭を撫でてきた。
…………なんでここで急に子供扱いが入るんだろう……。
「男の子だもん、心配だし、守りたいって思っちゃうのよねぇ。
けど、女の子にはね、許してあげる度量も必要よ?
雁字搦めに縛り上げるだけじゃ、全然響かないんだからね?」
ゔ……。
前、父上にも束縛したがっている的な指摘をされたのに……。
俺ってもしかして、しつこい? サヤにも鬱陶しいとか思われていたりするのか⁉︎
つい動揺してしまった俺を見て、ナジェスタが楽しそうに、にんまりと笑みを深める……。
「今回は、このお姉さんがそれとなぁく、お手伝いしてあげちゃおう。
好きな子には、かっこいいとこ見せたいもんねぇ」
と、そんな風に促され……。
外見的には全然幼い……この人が実は三十路を当に越えていることを、思い出した。
「そんな大好きな娘のために、お仕事を探してあげて欲しいのだけど。あるかしら?」
「………………でも……」
「身体を使うお仕事はね、まだ早いのよ。だけど疲れるまで使っても大丈夫な場所があるでしょう?」
くいくいと指で、耳を貸しなさいと促された。
……? ここ、俺たちと助手の二人しかいないのに、何で耳打ち?
そう思ったものの、とりあえず耳を貸す。
……俺はその内容に、あぁ、その手があったか! と、思ったのだった。
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