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社交界 4

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 まさかリカルド様がアギーにいようとは。
 正直、考えてもみなかった。
 公爵家同士の交流というのも当然あるとは思うのだが、この方はヴァーリンの嫡子であり、二子だ。しかも昨年は一子のハロルド様が領主となられたばかり……。正直、他家に赴くような立ち位置の方ではないだろうに……。

 商談だと言うので場所を変えましょうと部屋を出たのだが……。俺のその疑問は顔に出ていたのだろう。

「其方がアギーに赴くことはクリスより聞かされていたのでな」

 という、呟き。

「あ、あの……」

 それがどうしてこうなるのですか……。意味が分かりません……。

「言ったであろう。商談だと。あと、其方が地方行政官長を辞退するというならば、うちにと思ったのでな」

 それ、さっきのあれが虚言じゃないって言ってません⁉︎

 驚きのあまり声も出ない俺に、リカルド様も驚いたような顔をする。

「……なんだその顔は。信じておらぬのか?」
「いやだって……そもそもリカルド様が直々にっておかしいでしょう?    俺は、男爵家の小倅ですよ?」
「人をやったところで其方が応じるとは思えぬ。実際私が直接出向いてすらその顔だ」

 いや、そうでしょうよ。誰が鵜呑みにできますか。
 何かの手違いとしか思いようがない……。学舎の卒業資格すら持たない、田舎貴族の二子。声が掛かる理由が無いではないか。
 そんな風に考えていた俺に、リカルド様は片眉をあげ、呆れたように言葉を吐く。

「其方は本当に、自身を過小評価するのだな。
 クリスが病的なほどだと言っていたが、どうやらそれは正しいようだ。
 私は其方を優秀だと感じた。だから欲しいと思った。それは揺るぎなき事実。
 何故そう思うに至ったかという部分が気になると言うのなら、夏の其方との邂逅ゆえに決まっておろう。飲み込め」

 きっぱりと言い切られてしまい、現実逃避ができなくなった……。
 夏の邂逅は……正直思い出すと怖くて仕方がないんですけどね……。

「ふっ、私を手玉に取って転がした男とは思えぬな。何故この程度の言葉で怯えておるのやら」

 あれだけのことをしておいて今更か。と、笑われ、余計背中を冷や汗が伝った。
 あの時は、もうとにかく必死だったんですよ……姫様の夫とか、傀儡の王とか、白化の病やその先に待っているであろうものとか、正直リカルド様に楯突くより恐ろしいものが山となっていたから。
 言葉にできず、ただリカルド様に続いて足を進めていたのだが……。

「そうそう。もう一つ、其方に報告しておく。
 この冬に、来世へと旅立ったぞ。これで、何も無かったことになった」

 誰が、何を……は、無かった。
 けれどそれで意味は充分通じた。

「……ハロルド様が、領主となられたのですよね。おめでとうございます。
 それから、交易路計画への支持と支援金も、ありがとうございました」

 だから俺も、触れなかったし、口にしなかった。
 あの夏には、何も無かった。それが真実となったのだから、何を言う必要も、無かったのだ……。


 ◆


 商談をすると言って連れていかれた場所は、どう考えてもアギーの最奥……。
 広い中庭はまだ雪に埋もれており、建物の影、雪の浅い部分を人目を偲ぶようにして進んだ先だった。
 ここに来るまで、当初こそ使用人とすれ違ったものの、途中からそれも無くなった……。

「……レイシール様……」
「大丈夫」

 事情が分からないから不安になったのだろう。
 オブシズが、リカルド様との距離感を図りつつ、俺に声を掛けてきたから、問題無いと返しておく。
 アギーの方の許可無しに、こんな奥まで入り込むなんてことはないだろう。なにより、リカルド様の歩みには迷いが無い。だから、この先にはきっとどなたかがいらっしゃるはずだ……。

「少々寒いだろうがすぐだ。すまぬな」
「いえ。大丈夫です」

 どうせこれも、あえてなのだと思う……。
 野外に出ているとは思わない服装であることに意味があるのだろう。

 そんな風に考えている間に、針葉樹の木立を抜けた。
 すると、雪の山に埋もれるように薪置き場があり、それも迂回すると、庭師の管理小屋と思われる建物があった。
 リカルド様の供の方が、一人先に進んで扉を開く。

 その小屋の中は、当然作業道具が置かれていたのだが……思いの外、空気が温かい。更に促されたのは小屋の地下で、貯蔵庫となっている様子だ。
 樽やら麻袋やらが積まれた更なる奥……。まあそうだよなと思う先に、普段は荷物で塞いであるのだろう、腰までの高さしかない、小さな扉があった。

「で。なんでまた姫様がいらっしゃるんですか……」
「私が呼んだからに決まっておろう」

 案の定……。
 扉の先暫くは通路で、先には部屋があったのだが、そこには姫様とアギー公爵様のお姿が。

「私は部屋で仮眠中。父上は書斎。そしてリカルドと其方は商談中。
 それぞれ皆忙しくしておることになっているのでな、そのつもりでいるように。
 ところでレイシール……夏には見た覚えのない顔が見受けられるな。シザーは久しいが……さて……」

 紹介しろってことですね……。
 特にアギー公爵様は三年ぶりにお会いしたし、ハイン以外ご存じないだろう。

「オブシズとシザー。俺の新たな武官です。
 リカルド様、シザーは学舎より俺と共にあった者です。肌の色は先祖返りですので、異国人ではございません。生まれも育ちもフェルドナレン、セイバーンです。
 オブシズは……こちらも学舎に在籍しておりました。ゆえあって、名を捨てているのですが……」
「バルカルセ家が庶子、ヴィルジール……。血と名は捨てた身ゆえ、オブシズと名乗ることをお許しください。
 レイシール様の武官となり日が浅い身ではありますが、主人とフェルドナレンへの忠を、アミに誓います」

 言いあぐねた俺を助けるためなのだろう。捨てた名を出し、胸に手を当て深く頭を下げるオブシズ。
 学舎に在籍していたというのは、それだけで身の保証になる。身元がはっきりしていない者は、あそこには在籍できないのだ。
 敢えて家名と名を晒したのも、調べてもらって構わないという意思表示だろう。

 後はアギー公爵様にマルやサヤを紹介した。
 サヤは男装中であったし、ややこしいのでとりあえずは名前のみ。
 夜会の場で、改めて女性のサヤを紹介しよう。

 公爵様には三年前の非礼も詫びた。ハインを助けていただいたし、俺も命を救われたようなものだからな。

「お詫びに伺いもせず……申し訳ございません」
「はて、面妖な……。レイシール殿に非礼をはたらかれた覚えがない……三年も前のことなど記憶の彼方であるしな。私ももう歳だし……ボケてきたかな?」

 どう思う?    みたいなとぼけた顔でそんな風に返されて、返答に困っていると……。

「叔父上、レイシールで遊ぶな」

 姫様にそんな風に言われた。……って、叔父上って言ったら……っ!

「姫様が一番悪質でしょうに……。
 貴女様を娘扱いしなければならない私の心労を察していただきたいですな」

 口髭をしごきながらさも困ったといった様子。この人たち……遊んでるよな……明らかに。
 どうやらここにいる者たちには、姫様について伝えておくべきである様子だ。
 頭を疑問符でいっぱいにしている様子の武官二人に、俺は咳払いをして答えを教えることにした。

「あー……あのな、シザー……クリスタ様が女性だということは、先程理解したな?」

 こくり。
 いつもの通り頷くシザー。
 そしてオブシズはクリスタ様との面識が無かったため、そこに驚きはしなかった様子。

「オブシズも、気を確かに保ってくれな……彼の方は、クリスティーナ・アギー・フェルドナレン様、ご本人だ。
 クリスタ・セル・アギー様は……彼の方の仮姿なんだ」

 …………まぁ、顎が外れそうな顔になるよね……。

「俺と関わる以上、知っておくべきことであるみたいだから……」
「ふふ。そういうことだ。
 レイシールが信を置く者であるなら、人柄も確かであろうし、こやつのこれからの立場もあるゆえな。知っておけ」
「……姫様、ルオード様はご一緒ではないのですか?」
「あれは王都だ。私と共に過ごしておることにしてある」

 留守番のうえ偽装工作に使われているらしい……。彼の方も苦労してそうだな……。

「……あの……このような時に言うのもあれなのですが……」

 リカルド様は、姫様の夫候補から外れたと、先程も仰っていた。
 姫様が戴冠すると決まった時点で、王となられるはずであったリカルド様が、候補から外されたのだと思う。
 そして、ルオード様があちらに残っていらっしゃるということは、あの計画は全て、通ったということなのだろう。

「おめでとうございます」
「うむ」

 姫様の夫は、ルオード様となるのだ。
 けれどそれは、まだ発表されていない……。下位貴族との婚姻だしな。混乱や陰謀を避けるためだろう。上位の貴族がたには通達が届いているのだろうけど。

 簡潔な姫様のお返事と態度からは、ルオード様との婚姻に対しての、この方のお気持ちは窺えない。
 白化の病を退けるための、政略的な婚姻だ……。俺がそれを提案したのだし、そうなるように仕向けたのだから、それは理解している。
 けれど…………。
 ルオード様は、姫様を愛しておられる。
 彼の方の愛はとても大きいから、いつか必ず、姫様にも……その愛が、届くと思う。
 少々の後ろめたさが胸をチクリと刺激したけれど、それを振り払って寿ぎの言葉を口にした。するべきだと思った。
 どうか、どうかお幸せに。

「心からの祝福を。ご多幸を、お祈りいたしております」
「……やめろ。何やら痒いし気持ち悪い……。
 私の幸福を願うならばキリキリ働け」

 あれ……?

 鷹揚に「うむ」という返事だけが返されると思っていたのに、姫様は何故かそんな言葉を俺に返してきた。
 表情には出していない。出していないけれど……。

「……はい。お二人のためならば」

 ……案外、もう届いているのかもしれないな。
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